怠慢主婦 ドイツで同居 

日本食を食べなくなり義両親のしもべと化し、すでに何年になるだろう。遠い目しながら今日も行き抜いてやるぞっ

ドイツ人友人作り

2016年08月23日 | カテゴリー分けするのに飽き
近所のフィリピン人女性と森でハイキングする約束をしている。
私はそのまえにトレーニングのつもりでここのところ毎日森を歩いている。
整備されている森とはいえ、平坦な舗装された道を歩くのとは違う。30分も歩くと、涼しいここの夏でも汗をかく。
先日「手入れがなっていない」と森の状態を書いたが、それは間違いだったようだ。

ちゃんと夏場も作業が進んでいる。
 
下枝は切り取られ、集められている。まだやっていないところとやっているところもあった。
 
いつもより奥へ散歩したのでより多くを見ることができたのだろう。

向こうから小型犬二頭を連れた欧州人中年女性が歩いてきた。
こういった場合、ここでは軽く挨拶をする。
「ハロ!」
こんな感じですれ違う。
義両親たちと散歩していると、ちょいと違う。
彼らは知らない人たちとでも長々と会話が続いてしまうことがある。
言葉の問題とも予想できたが、人種という点も大きく影響しているものと予想している。
今回のこの彼女はちょいと例外だった。
私に話しかけてきた。これもときどきある。東洋人の知人友人がいたりすると、私に興味を持つようだ。
大抵、ちょいと会話を交わして行過ぎるのでそのつもりでいた。
「今度、一緒に散歩しませんか」
といい始めたのでちょいと警戒した。
中年女が私を襲ってくる可能性は低いが、何かの販売や集会に利用される可能性を考え一歩引いた。
現在数十キロ離れた街に住んでいるが、数ヵ月後にこの周辺に引っ越してくるのだそう。
それでこちらに頻繁にやってくるのだそう。
看護師だとか。では引っ越してきても仕事探しには困らないだろうな、とかちょいとうらやましく思った私。
話しているうちに、まあ、信用して大丈夫な印象を持った。
このI子さん、引っ越すまえから周囲に知人友人を作り上げる周到な準備をする、計画性ばっちりなドイツ人らしいドイツ人なのかも?

私の個人的な印象では、ここでドイツ人友人を作るのは難しい。
多くの人に聞かされたが(主にドイツ人女性と在住外国人)南部ドイツ人のメンタリティは他のドイツと違って、なかなか外部の人間を受け入れないのだとか。
現在、親しくしているドイツ人女性はほとんどすべて他の街の出身者ということにもだいぶ前から気付いている。
そうすると、このIさんは例外中の例外ってことだ。
彼女の話すドイツ語はバイエルン方言アクセントがあって「バイエルン語も勉強してね」と別れ際に私に命令していたぞ。やるもんかっー
森の散歩中のこうした出会い、たまにはいいものだ。
頻繁にあると、げんなりするかも。人見知りなわたし、なんだ、へへっ

I子さんにもさっそくおにぎりをご馳走しなくては、と計画中。
寿司はね・・・時間とお金がかかるので最近は避けているんだ。

日本の同居嫁

2016年08月23日 | カテゴリー分けするのに飽き
すでに6,7年の付き合いがある日本在住の同居嫁M子さん。
彼女の記述が印象的だったので、紹介することにした。

Mさんの住む地域は長男の嫁として嫁いできて、義両親と当然のごとく一緒に住んでいる家庭が多いらしい。
苦労の多い嫁たちのためのサークルがあるようで、そこでのできごとを書いたものから一部を抜粋して掲載許可をもらった。

この会が、これまで続いてきた意味が分かる気がしました。
田舎の嫁っこならではの、苦しみが分かち合えるからです。

盆と正月の、女中扱い。
手作り料理を並べて、準備しておいても、
訪れた自分の客に
「ろくに、食うもんもねえけど、飯食ってけ」
と、嫁の前でさらりと言う姑に、30年以上仕えてきた戦友たちです。

どこのどういうつながりの親戚なのかよくわからない人たちが、
ザワザワと飯時にやってきては、飲み食いしていくのが、
当たり前という、まるで、東南アジアかアフリカのような
風習?がいまだにあるのです。


「盆と正月の、女中扱い」
これは私の実家付近でも聞いたことがある。
彼女は同居の嫁ではないが、旦那さんの実家の長男は独身、長女は結婚して近所に住んでいた。
何か、実家で行事があると、次男の嫁の彼女が一日中料理をしなければならないと嘆いていた。
長女も実家にやってくるが、何もしないのだそう。
そんな話を聞けば、結婚に対する意欲など、薄れるだろう。実際私もそうだった。
嫁は行事料理係・・・

そういえば・・・
すでに4,5年前の経験だ。万一、これをご本人が読んでいたらごめんなさい。
旦那さんの仕事の関係でドイツに1年予定の駐在予定で来た日本人一家。
その旦那さんの知り合い(日本人男性)が、私の夫の日本在住時の友人だった。たまたまその友人がドイツ出張時に、みんなで合流しよう、ということになった。
その駐在家族の住まいに集まったんだ。
奥さん、ずっと料理しっぱなしで私たちとテーブルで一緒に話す時間が、全くなかった。
このとき、日本の風習を目の前で見せ付けられ、私は台所を手伝うべきなのかずっと悩んだものだ。
結局、三人いる小学生の子供たちがよく働いていたこと、知らない台所に立つ自信がなかったことなどで、私はそのまま男たちの会話に混ざっていたんだ。
私のこのときの態度がよかったとか、悪かったとかは考えないことにしている。

「ろくに、食うもんもねえけど、食っていけ」
この言葉は一種の挨拶の種類で、言っている本人だって、ヨメが必死になって作ったものだと知っての発言だろう。
子供の頃、親が卑下するつもりで私を他人の前で「できない子だ」と言ったのを、わかってはいるけれど気分が悪かったのをよく覚えいる。
ましてや姑という他人が同様なことを定期的に30年も言うのに付き合っている日本女性たち、凄すぎ。
人権を踏みにじる発言のようにも感じるぞ。

「東南アジアかアフリカのような
風習?がいまだにあるのです。」
ここは笑えた!
アフリカは知らないが、マレーシアでは経験したんだ。
訪問先のインド系マレーシア人に誘われて、彼女の知り合いの結婚披露宴に行くことになった。
もちろんその結婚式の主役たちを私は一切知らない。
そう、その主役たちと親族にとって私は「よくわからない人たち」の一人で、飯時にやってきて飲み食いさせてもらったさ。
そのときは「マレーシアはこんな他人でも快く迎えてくれるいい国だ。日本じゃあありえないだろうな」
と思ったものだ。
ひゃー、あったのねっ
M子さん、そのうち、どさくさにまぎれて飯時に伺うからね!
ちゃんとエプロン持参で手伝う気満々でいくから安心してくれー