飛耳長目 「一灯照隅」「行雲流水」「万里一空」「雲外蒼天」

「一隅を照らすもので 私はありたい」
「雲が行くが如く、水が流れる如く」

援助行動モデル

2021年06月29日 15時48分23秒 | 教育論
人が、他人を助ける行為は尊い行為である。
しかし、現実的には大きな障害が存在する。
学級内における「いじめ」という名の触法行為も同じである。

人が緊急事態で援助行動をとるには5つのステップがあるという。

1 事態に気付いたか
2 緊急事態だと認識したか
3 援助を行うことへの個人的責任を感じたか
4 援助を行うために何をすべきか理解しているか
5 実際に行動を起こすか

まず、1の段階ではそれが「いじめ」だと認識できるか。よく「単なるふざけあい、じゃれあいだと思った」という感想を教師も子どもも言う。
それが、本人の真意を理解せず、一方的な思い込みで行動する根本である。
だから、両者納得ずくでも、教室という空間には、じゃれ合いのような幼稚な行動は許されないという感覚が必要になってくる。
2の段階では、傍観者意識が障害となる。
「私には関係ない」「誰かが何か言うだろう」という感覚である。
私が言わなくても、誰かが何か言う。
だれかが助けるだろうという第三者的な考え。
組織内でおきたこと、集団内のことは全員が責任をもつという感覚が必要だろう。

3の個人的責任とは、自分が援助しなければならないという責任感をどのレベルで子どもたちがもっているか。
社会でも同じである。
道ばたで人が倒れていても、助ける人と見て見ぬふりをする人がいる。
今の世の中関わりを持たない方が得策と考えることも理解できる。
しかし、教室はある一定時間、時間と空間を共有する組織である。
他に関わる心理的な深まりを日常から教師が育てているかが問題になる。

援助の方法も様々ある。
直接的に「やめろ」という。
勇気のある行動だが、なかなか実行は難しいだろう。
組織の中に正論が通る雰囲気があり、サポート体制もしっかりできていれば、その声も出るかもしれない。
しかし、人間関係が悪化いている学級では、冷ややかな目で見られる。
上下の人間関係も望ましくない形で形成されてしまっているからだ。
直接的止めることができないなら、教師に「正義の告白」をする。
仲間を募って正論を言う。
つらい気持ちになっている本人に寄り添うなど、方法論は無限にある。
そのあたりも教えておく必要がある。

実際に行動を起こすかという問題では。
正しいことをしたり、正義を実行するには多少の心の痛みや不利益を実行者が被るのが現実であることも理解しておくべきだと思う。
アンパンマンは、自らの顔を困っている人に食べさせる。
それは、正義の実行には自分自身が傷つくことを恐れてはいけないことを暗示している。

問題行動に対する対応も段階をふんだ指導が必要だと思う。


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