飛耳長目 「一灯照隅」「行雲流水」「万里一空」「雲外蒼天」

「一隅を照らすもので 私はありたい」
「雲が行くが如く、水が流れる如く」

失敗の科学

2022年05月11日 16時34分39秒 | 教育論
学校というところは危機管理に関しては素人の集団と言ってもいいだろう。
教員の中で危機管理に関して専門的に学んだ人はほとんどいない。
自分自身もそうだ。
それ以前に、担任レベルであればなおさら危機管理の意識は薄い。
管理職であれば、その責任の重さから何らかの形で学んだり、経験から痛感した経験があるのでそれなりの覚悟をもって危機に対処する。
しかし、人間の本能として正常化バイアスに影響されたり、危機管理のプロアクティブの法則から外れたりする判断をくだすことも多い。

東日本大震災での教訓や不審者対応の教訓から、多くの対応が学校には求められた。
それも時間が経てば、意識は薄れ、以前の形に戻っていってしまうことも多い。

災害は忘れたころにやってくるのである。
ハインリッヒの法則にあるように日常には多くのヒヤリハットが存在する。
今、どこの教室に入り口にも置かれている消毒液。
何気ないが、この消毒液を飲んでしまっっという事案が幼稚園で発生した。
このニュースをみたときに自分の学校で起きるかもしれないと思った教師が何人いるだろうか。
実際に、このポンプを玩具代わりにして友達の顔に吹きかけたという事案も発生している。
ここ危機管理意識をもって教師は学校管理を行うべきだろう。

学校というところは、失敗の経験が蓄積されないシステムになっている。
これは問題だと感じる。
この失敗をきちんと共有し、蓄積していかしている業界は航空業界である。
飛行機の場合、小さなミスが人の命に直結する。

ハドソン川の奇跡と映画がある。
これは実話に基づいたものだ。
大統領に称えられたサレンバーガー機長も、もし同じ状況に立っていたら、同じ失敗を犯していたかもしれない。
彼が成功して英雄となれたのは、航空業界がそれまでの失敗から学んでいたからだ。
これは、謙虚なサレンバーガー機長自身が認めている。
「ハドソン川の奇跡」の数ヶ月後、あるテレビ番組のインタビューで彼は我々に貴重な知恵を授けてくれた。

我々が身につけたすべての航空知識、すべてのルール、すべての操作技術は、どこかで誰かが命を落としたために学ぶことが
できたものばかりです。
(中略)大きな犠牲を払って、文字通り血の代償として学んだ教訓を、我々は組織全体の知識として、絶やすことなく次の世代に伝えていかなければなりません。
これらの教訓を忘れて一から学び直すのは、人道的に許されることではないのです。

学校も今一度、過去の悲しい事件や事故を忘れることなく、その教訓を蓄積して伝えていくシステムが必要性であることを考えるべきだ。

saitani
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