人種差別と戦い続けた「南アフリカの父」ネルソン・マンデラ。
彼は、黒人と白人が共存する「虹の国」の実現を抱き続けていた。
そして、その実現に向けた思考は柔軟で、その場、その機会に最善の方法や手段を選択している。
投獄前には、暴力も辞さなかったマンデラが、釈放後は徹底して暴力を排除した姿勢がその象徴である。
また、彼は指導者として陰謀が大嫌いだった。
会議では自分の意見を言わずに黙っていて、裏で他人の悪口を言いふらすような者には、相手が白人であっても黒人であっても激怒した。
「自由で平等な南アフリカという理想のために、私は死ぬ覚悟ができる」
これは死刑判決がでるかもしれない裁判での言葉である。
弁護士は、そんなことを言ったら本当に死刑になってしまうと助言をしたそうだが、マンデラはそれでもかわないと拒否した。
自分が死刑になれば、仲間が立ち上がってくれるだろう。
自分が死ぬことでアパルトヘイトの終焉をはやめることができれば、本望だと。
幕末の思想家、吉田松陰に通じることがある。
彼もまた、自分の死に際して、同じ意義見出していた。
ネルソン・マンデラにあった指導者としての理念は何か。
それは「ここを離れない」という一事。
どんなことがあってもここから離れない。
自分の国から逃げないという気持ち。
自分の国を見限らない。
ここに踏みとどまる。
そういった理念ではなかっただろうか。
saitani