飛耳長目 「一灯照隅」「行雲流水」「万里一空」「雲外蒼天」

「一隅を照らすもので 私はありたい」
「雲が行くが如く、水が流れる如く」

思いやりの心はどこにあらわれるか

2023年02月16日 07時30分04秒 | 学級経営
教室の中の何気ない子どもたちの行動が気になることがある。
例えば、教室にはゴミが落ちている。
そのゴミを拾う子が教室の中に何人いるだろう。
人間、ゴミをまたぐようになったら終わりだと言う人もいる。
構内を歩いていても、廊下にあるゴミを拾っている子をみたことがない。
学級担任だった頃は、自分の学級の子供達は拾っていたが。

こういった行動はなにをもとに行われるのだろうか。
公共心、奉仕の心、協力、いろんな価値が思い浮かぶ。
それは、自分の人生をより良いものにしていこうとする前向きな心ではないだろうか。
ゴミを拾うことが自分の人生を豊かにする。
ここにはちょっとみには、論理の飛躍があるように思う。
しかし、そこには深い意味があり、強くリンクしている。

言い換えると、見えないもの見える心をもっているか。
想像力である。
この言動をすれば相手はどう思うか。
この道をすすめば、どこにたどり着くのか。
学級は今、どういう状態であり、自分が果たすべき役割は何か。
将来の自分の夢にために、今自分がなすべきことは何か。
これらはすべて想像力がなければ思いを巡らすことはできない。
人を傷つけたり、勝手な行動したり、人をいじめたりする人間も想像力の欠如が原因だと言える。

教室内で子どもたちの思いやりがそだっているかどうかみる基準の一つに欠席者への配慮がある。
子どもたちの成長の度合いをみる尺度を教師はもっている。
直接的ではない、間接的な行為の中に本質を見極める基準だ。
靴箱の靴の並び方をみたり、トイレのスリッパの整頓具合をみたり、子供が立った時に指先をみたり、話し合いのときの子供たちの頭の位置をみたり、優れた教師はそんな基準をもって、日々子どもたちの心の中を見ている。

泣いている子が学級にいれば「大丈夫」と声をかける・
教科書を忘れた子がいれば一緒にみせてあげる。
鉛筆が落ちていれば拾ってあげる。
こういう行為も素晴らしいことだ。
しかし、思いやりの本質を見極める行為だろうか。

思いやりは、目に見えていないことに思いを巡らし、行動できるがということが重要だ。
こんなふうにも表現できる。

思いやり=想像力×行動力

目に見えないことを想像して行動する。
例えば、学級内の思いやりの心の育ちぐあいを見るとき自分は次の3点に注目する。

1 机を移動する時に欠席者の机も移動されているか。
テストをする時に配置をかえる。
掃除の前に机を移動する。
給食時に机を移動する。
一日の中で、何度か机の移動がある。
そのときに欠席者の机だけがぽつんと残り、誰も気が付かないということはないだろうか。

2 その日に配布されるお便りやプリント類がきちんとたたまれて欠席者の机の中にしまわれて机上に残っていないか。
一日に何枚ものプリント類が配布される。
当然欠席者の机上にそれがたまっていく。
そのプリント類をきちんとたたんで机の中にしまっている子がいるだろうか。

3 欠席した子に、登校した日に欠席した日のノートをみせてあげたり、今ならタブレットで板書を撮って渡しているか。
本来はこれは担任の仕事なのかもしれない。
4月当初は担任がしていても、やがては誰かがそのことをやるようになる。
それが学級の成長というものだ。

2月に入り、授業日数もあと20日あまりとなった。
今一度学級内の点検をする必要があると思う。
そして、想像力が育っていないと感じたならば、最後の日まで子どもたちと向き合って指導していくべきだ。
それが敎育というものだと思う。

saitani

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 時間の使い方 | トップ | 子供を動かす原則 »
最新の画像もっと見る

学級経営」カテゴリの最新記事