飛耳長目 「一灯照隅」「行雲流水」「万里一空」「雲外蒼天」

「一隅を照らすもので 私はありたい」
「雲が行くが如く、水が流れる如く」

勝ち続ける要諦

2023年12月17日 05時20分22秒 | 教育論
宮崎正裕氏の言葉。
神奈川県警察剣道名誉師範剣道範士八段。

相手のことを徹底的に研究して、弱点を見抜いていく。
それをノートや手にメモし、試行錯誤していく中で、こちらの攻撃や防御が成功する確率が次第に上がっていき、「こうすれば勝てる」という偶然ではない自分の勝ち方が見えてきました。


あと大事にしていたのは、打たれること、失敗にこだわらない稽古です。
多くの選手や稽古で打たれるのを嫌がりますが、それでは自分の殻から出られません。
打たれることによって、自分の弱点に気づくことができるようになるんですよ。
ですから、私は「打たれた数ほど強くなる」との思いで、打たれることを恐れずどんどん試行錯誤し、技量を磨いていきました。
人生も同じだと思いますが、大事なのは失敗しないことではなく、失敗をいかに成功に繋げていくかなんですね。
実際、剣道には「打って反省、打たれて感謝」という言葉があります。


「守りの剣道は王道からはずれている」「優勝者の剣道らしくない」などと批判されたんですね。
野球でホームランを打った選手に「あれは変なホームランだ」と批判する人はいないのに、どうしてそうなんだろうとショックでした。
いろいろと悩みましたが、これまで努力してつくりあげてきた剣風を変えることは決してしませんでした。
むしろこの剣風でもっと勝とうと、ますます稽古に励んでいったんです。
結果的に三連覇は逃したものの、以後、通算六度の優勝、1998年〜99年は二度の二連覇を果たしました。
全日本選手権で優勝するような多くの優れた選手がなぜ二連覇できなかったのか?
私なりに要因を考えると、それはやはり環境の変化や連覇への重圧から自分の剣道に徹することができなくなったからだと思うんですよ。
ですから、私は自分の剣風を信じ抜くと同時に、自分は優勝者ではない、常に挑戦者なんだと言い聞かせて毎日の稽古、毎回の大会に臨んでいました。


しかし、いくら準備して動きを読んでも、ここぞというときに勇気をもって打って出る決断力がなければ意味がありません。
準備と読みと決断力。
つまりおそれや迷う心、自分自身との戦いに勝利した人が、最後の最後に相手との勝負にも勝つことができるんです。


武士の時代には、残心は相手に止めを刺すまで気を抜いてはならないという意味があったのでしょうし、私は少し違って、残心に敗者に対する情けを感じるんです。
いずれにせよ、相手に対して最後まで気を抜かない、心を決して崩さない。
それあらゆる分野に通じる大事であり、人生に勝ち続ける要諦であるように思います。

saitani

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