くらげのごとく…

好きなことを考えてふわふわ漂ってるような
時間が心地良かったりする。
たとえ時間の無駄遣いだったとしても…。

父と暮らせば

2010年08月14日 | 観劇
作:井上ひさし
演出:鵜山 仁
音楽:宇野 誠一郎
出演:辻 萬長、栗田桃子
池袋あうるすぽっと

  

主人公の美津江は広島の原爆で生き残った。あの朝、友も父も家も全てを失った。3年後、美津江は恋をした。生き残ったことに対する自責の念を抱き続けた3年間、ましてや自分だけ幸せになることはできないと恋を諦めようとする。そんな彼女の前に、あの世から父が現れて、幸せになれと背中を押す。

生きていることが負い目になるほど、自分の幸せを否定しなければならないほど、あの日の出来事は多くの人を傷つけたのだ。朴訥な広島弁で事実が淡々と語られると、その行き場のない怒りや悲しみが痛いくらい伝わってくる。

広島上空580メートルで炸裂した原子爆弾の温度は摂氏12,000℃、太陽の表面温度が6,000℃だから、頭のすぐ上に太陽が二つ、ほんの数秒の間並んだことになる。だから、地面のものはすべて一瞬のうちに溶けてしまった…。屋根瓦は爆風で逆立って剣山のようになり、薬瓶は熱でぐにゃぐにゃになり、時は止まった。人々は雷鳴が怖くなり、写真屋はフラッシュが閃光に思えて商売が出来なくなった。

美津江は友からの手紙を拾おうと、石灯籠の脇にかがんだから助かった。しかし、その友は、爆心地で死んでいた。友の母を訪ねると、「なんで娘ではなくあんたが生きとるん」と責められる。やはり、生き残った自分が、幸せになったりしてはますます申し訳ない。

美津江の前にあらわれた父は、本当は幸せになりたいもう一人の美津江でもあった。美津江の一番のトラウマはあの日、父を見捨てて逃げたことだった。同じ庭で被爆した父は何十本もの材木の下敷きになっていた。必死で助けようとしても駄目だった。「逃げろ」と言う父のいうことを聞けずにとどまっていると、父はじゃんけんで決めようと言う。だけど、ずっとあいこで拉致があかない。勝って逃げることが最期の親孝行だった。美津江は逃げて生き残った。だけど、美津江の心には父を見捨てたという深い傷が残る。

「むごいのう、ひどいのう、なひてこがあして別れにゃいけんのかいのう」
「こよな別れが末代まで二度とあっちゃいけん、あんまりむごすぎるけえのう」
「わしの分まで生きてちょんだいよォー」

美津江はあのむごい別れがまことに何万もあったということを覚えてもらうために生かされた。広島はここで封印されてはいけない。
美津江は前を向いて生きていこうとする。自ら幸せになろうその一歩を踏み出すのだった。

終戦から65年が経つ。
私は、まだヒロシマを見たことがない。人間の存在全体に落とされた二個の原子爆弾。その事実に目を向けていくことの重要さを改めて感じている…。