井上ひさし追悼 こまつ座 第九十一回公演
井上ひさし・作 栗山民也・演出
第一部「水の手紙」
人間と自然との共生がテーマ。世界中の人たちから水に関する手紙が届く。
地球は、水の星で、全ての生命体の中に水が含まれる。そんなかけがえない水を人間は大量に消費し続けている。気がつくと、温暖化が進み、南極の氷が溶けだし、川や湖が砂漠化している。アフリカの干ばつ地帯では、数時間もかけて水を汲みに行くのに、先進国のトイレではその何倍もの水が一瞬のうちに流される…。イギリスのテムズ川と隅田川はつながっている。川は全て海にながれ、海は全ての陸地を取り囲む。
わたしたちは地球規模で未来を考える時代にいる。21世紀は水の時代で、水を守ることが人類的課題だと井上さんは訴える。
蛇口をひねれば当たり前のように出てくる水だけど、もっと危機感を持たないといけないんだよね。
第二部「少年口伝隊一九四五」
広島がヒロシマになった日からの“むごい現実”が語られる。夏に旅した、原爆資料館の記憶がよみがえる。太陽二つ分、12000度の原爆で、焼けて溶けた広島の街で、人々は水を求めてさまよう。川には死体のいかだが出来て海へと流れていく。たくさんのウジが湧き、やがて蠅が飛び回る…。降ってくる雨は黒く、人々は原爆症を発症する。さらに、追い打ちをかけるように、枕崎台風が襲い、水の底にたくさんの人が沈んだ。ヒロシマは悪魔に魅入られ、神に見放された街になる。
役者は、横一列並べられた椅子に座って朗読をするというリーダースシアター形式だ。昔、某大学の先生に教えてもらって保育園でも挑戦したことがあるが素人には難しかった。台詞は観客に向かって話し、動きも椅子の回りだけなのだ。それでも、情景が浮かび、思いが伝わってくるのはさすが、プロの役者である。照明や音楽も良くて、見ごたえがり考えさせられる作品だった。
本日のゲストはもちろん藤原竜也くん。開演直前に大瀧マネさんと後方、通路前席に着席。一部終了後、紹介されてそのまま舞台へ進む。演者としてではなく、一個人として井上ひさしさんへの手紙を、照れた様子で、ボソボソと読み始めた。これ本当に自分で書いたみたいだ。不器用で寡黙な男は手紙でも多くは語らない。ムサシの台本が遅くて自宅へ押し掛けたこと、ロンドン公演では今までないくらい緊張したこと、五郎蔵が難しかったけど新しい自分を発見できたこと、そして、「木の上の軍隊」はひとこと「やりたかった」と。最後の方は感極まったのか、声が詰まっていた。そして、御見物衆に井上さんの言葉や思いを伝えていかなければいませんねと結ぶ。
内容は、雑誌などに繰り返し出てきたことばかりだったけど、実際に本人の声で語られると思いが迫ってくるものだ。うん、良かったと思うよ。らしくてね。で、やっぱり舞台に立つだけで空間を埋められる存在感がすごかった~。
新宿の街は、イルミネーションがきれい。今年のテーマはエコかな?水の手紙にばっちりリンクしているペットボトルを使ったオブジェがきれいだった。
ほぼ8夜連続の深夜ドラマ、「おじいちゃんは25歳」
毎晩11時半までにはお風呂に入ってTVの前でスタンバイだ。録画もして、終わってから、必ず1、2回はリピートする。だから、寝るのはいつも1時頃。次の日早番だと4時間しか寝れない。でもこの1週間、乗り切れた。不思議と、元気バリバリ~!人間、そういうもんだ。楽しい時は元気なのだ~。
竜也じいちゃんは、期待を裏切らなかった。グッジョブですよ、ハマり役!文字通り、黙阿弥の五郎蔵キャラ全開、五郎蔵よりもかっこいい~。奇想天外な設定だけど、笑えて、ほろっとさせられる下町人情コメディーでほっこりするんだよね。“心の按摩”というか“クイックマッサージ”のようなドラマだね。
共演者とのチームワークもバッチリ。克実さん、かわいいよ~。すごく「お父さん」を慕っている。幼い頃、行方不明になってしまったから淋しかったのがよ~くわかる。で、そのままの姿で生還でしょ。じわじわと嬉しそうだ。亡き妻にそっくりな、孫娘の倉科カナちゃんもぶっとんではじけている。この子も“いい子”なのよね。だけど、父親とすれ違っている。ちょっと歩みよればいいのに、意地を張っちゃう。私もそうだったもんね。石橋蓮司さんとは、何回めかの共演だけど、こういうキャラは珍しいんじゃないかな?石橋さんから“兄貴”と呼ばれちゃう。
石橋さんは、かつて、蜷川さんと桜社を結成した仲間だよね。そして蜷川さんから離れて、自分で演劇をやっている。蜷川さんを挟んでなんか興味深いんだよね、蓮司さんって。蓮司さん、平さん、蟹江さんたちと、竜也くん、勝村さんあたりが組んだ、渋~い、舞台が何気に見てみたい。もちろん演出は蜷川さん、脚本は清水さんで…。