くらげのごとく…

好きなことを考えてふわふわ漂ってるような
時間が心地良かったりする。
たとえ時間の無駄遣いだったとしても…。

語る蜷川さん

2006年03月05日 | 観劇
間違いの喜劇を観にいった時に入っていた、蜷川幸雄氏が55歳以上の劇団を作るというちらし。応募が締め切られたようです。なんと1200人も来て競争率63倍とか。今朝のウェブ報知に詳しい記事が載ってます。

蜷川氏も世の中には表現したい人がたくさんいるということに驚いて、書類選考ではねず全員と会うそうだ。この忙しい中1200人と会うんだ~。相変わらず熱いなあ。

―「老い」とは何だと考えますか。
 「衰弱をきちんと意識できること。何が出来て、出来なくなったか。メランコリックな精神だけ拡大してないか。世界を分かった気になっていないか。これらのチェック事項を列挙することができること」

―名声や地位も十分ある。余生をゆっくり送りたいと思うことは?
 「やだよ! まだまだ終わってないよ! まだ大傑作を作れると思ってる。もっとひんしゅくを買う仕事やってみたいんだ。老醜と思うからいけないんでね。ボロボロになってプライドなんかかなぐり捨ててその姿を見てもらえばいい」

こういう風に老いについてなかなか考えられない。若い頃はこうだった、前はできたのにってついつい愚痴っぽくなってしまうもの。しみやシワや白髪が増えたなあって鏡の前で溜息をついてしまうもの。ありのままの自分を受け入れて、今だからこそ出来る事をやっていかなくては。老いは後退ではなく前進なのだ。若さだけが特権ではない、老いていくことも楽しいし素晴らしいってことを今の若者に伝えていかなくては。若者が希望を持てる社会になるように。だって、誰しも確実に老いていくのだから。

いろいろな人のインタビューとかを読んでいると“愛のある厳しさ”が蜷川さんの魅力として伝わってくる。今は随分、柔和になったらしいが、灰皿伝説はいまだに語られている。でも、がんがんと言ってくれることってあり難いんだよね。今の時代、ホントは愛を持って本音で熱く叱ってもらいたい人が多いのかもってふと思った。