小学校卒業から36年、初めてのクラス同窓会があった。もう、小学校のみんなとは会うことはないのかなあって思っていた。ところが、フェイスブックやら、子どもの同級生繋がりで、先に他クラスがやったという情報が入り、それなら一組もやろうと幹事になってくれたSちゃんが発起してくれたのだ。あの頃から人気者でスポーツ万能だったSちゃん、やっぱり頼りになる。しかし、36年という歳月が経っている。結婚して遠くへ行った子もいるだろうし、私のように途中で引っ越しをした子もいる。地元在住のSちゃんが、一軒一軒、当時の家を訪ね歩くところから始まったそうだ。こうして手繰り寄せるように糸が繋がっていき、45人のクラス中33人の消息がわかった。そしてめでたく、本日、24人が集まった。地方や海外から駆けつけた子もた。当初は26人の予定だったから半数以上だよ。すごいことだよね。奇跡だよ。
私は、仲が良かった友達に連絡をとって駅で待ち合わせてから、会場のホテルへ向かった。入り口に「○○小学校6年一組同窓会」ってちゃんと出ているじゃないの。感動だわ~。エレベーターに乗る人をちらちら見て、もしかして同級生かなあなんてドキドキした。友達と受付へ行くと、女性陣数名が集まっている。卒業文集の写真を見ながら、「わあ~、きゃあ~、○○ちゃん?」「変わってないね~」「変わったね~」なんて始まる前から大騒ぎ。そのうち男性陣もやってきて「えっ、誰、誰?え~っ、△△君??」とまたまた盛り上がる。ホテルの人が会場内へどうぞって言ってくれるんだけどそれどころではなく、はたと気付くと、女子の輪、男子の輪ってしっかりわかれていた~。そうそう、当時も男子、女子って分かれているクラスだったのよね。昭和やな~。変わってなくて、感慨深いものがあった。
残念ながら恩師は数年前に急逝していたので…、みんなで黙祷をした。まだ70歳そこそこだからてっきりお元気だと思っていた。もう少し早く出来れば良かった。ごめんね、先生。全員がそろってから記念写真をパチリ!すっかり熟女とオヤジだね。でもいい顔している。「ハゲがいないねえ~、絶対誰かいると思ってた~」なんて男子が爆笑していた。
会食をしながらまずは近況報告。子育て、仕事、みんなそれぞれ活躍中で、がんばってるじゃん、偉いじゃんって思った。海外勤務やら起業家なんぞもいて世の中ばっちり支えているねって頼もしかった。私もまだまだ頑張らなくっちゃなあって刺激にもなった。
久しぶりの緊張もあり一次会はおとなしめにお開きになり、そのままほぼ全員が二次会の飲み屋へとなだれ込んだ。酔いも回ってくると、すっかり童心にもどって、木のぼりをしたこと、ザリガニをとったこと、ローラースケートをしたことと昔話に花が咲く。やっぱり面白おかしく場を盛り上げてくれる子はあの頃とおんなじなんだよね。地区が違うと遊びも違ったみたいで、「へ~、そんなこともしてたの?」なんて話もあって面白かったなあ。終電ぎりぎりまで飲んで、名残惜しみながらまたやろうって帰路につく。次回は36年後なんて言わずに数年のうちにねって。
みんなの一言メッセージと記念写真、宝物が一つ増えた。
年度末に突入して、なんだか気ぜわしくなってきた。今週末は卒園式、並行して新年度準備が始まっている。所変われど、この時期の忙しさは変わらない。
“あれ”から一年たった。“あれ”の一つは震災。去年の今頃は、日本中が危機感にあふれていた。計画停電もあっていつも歩かない道を歩いたり、夕食の時間をずらしたりした。バスに乗って暗い町へ帰っていったっけ。一年たって少し安堵してきた頃、再び、大地が揺れている。ヤフーの地震情報をのぞくとおびただしい発震の数に、素人でも恐くなる。特に千葉沖の数がすごい。スマトラもニュージーランドも一年後に大きな余震が起こっている。はあ、もういいよって思いたいけど、自然には逆らえないものね。出来るなら大きな被害が出ずにこのまま静かにおさまって欲しい…。
私にとって“あれ”はもう一つある。転職だ。職場を変わるなんて4,5年前までは夢にも思っていなかった。このまま長いものに巻かれながら目をつぶっていこうと諦めていた。転職は我が人生の数少ない「まさか」の一つだった。ぶっちゃけ、この一年はきつかった。どこへ行ってもいろいろある。わかっていた筈だから意地で突き進んだこともある。ここで引けないしまだまだ止まれないってね。一年たってようやく馴染んできように感じる。クラスの子どもたちとも若い先生たちとも信頼感が満ちていて落ち着いた日々を送っている。前職場の嫌だった所は全てクリアされたからこれで良かったんだと思う。むしろ、来年度からが勝負かな…。
一年365日の積み重ね…、“時”って有難い。どんなことがあっても確実に刻んでいく。振りかえるとちゃんと道が出来ているじゃない。
ふと、こんな一節が蘇ってきた。
「天の下では、何事にも定まった時があり、すべての営みには時がある。
生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。
植えるのに時があり、
植えた物を引き抜くのに時がある。
泣くのに時があり、ほほえむのに時がある。
嘆くのに時があり、踊るのに時がる。
捜すのに時があり、失うのに時がある。
保つのに時があり、投げ捨てるのに時がある」
「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」
聖書の言葉どす。学生時代は居眠りをしていた礼拝の時間だけど、毎朝、いろいろな説教を聞かされたし聖書の授業もあったなあ。こうやって心に残っているものってあるんんだね。そう、去年は、まさに私にとっての「時」だったのかもしれない。
さて、本題はスマホだった~。回りの若者に触発されて、ついにスマホデビューした。たまっていたポイントと、微々たる貯金の利息なんぞをかき集めて買っちまった。でも、2年間料金と共に引き落とされるだけで現金は払っていないからお買い物っていう実感がないんだけどね。早速、指でなでなでしてみた~。すぐに画面がするすると動くのでなかなかなれないけど、小さなパソコンみたいで楽しい~。調子に乗ってアプリをダウンロードすると大変なことになりそうだから、じ~っくり選ぼうかな。時代は変わっていくもんだね。果たしていつまでついていかれるかしら…。
割引商品だから、カラーは選べなかったけどラメブラックのグラデーションできれいなの~。待ち受けは“はやぶさ風”にしてみた~。
しっかり使いこなして活用しないとね。新し物好きな私、しばらくハマりそうだ。
夜、突然自宅の電話がなった。最近は、ほとんど携帯で用をすませているから、自宅には、セールスとか配達のお知らせぐらいしか電話はかかってこない。「あら、また何かのセールス?介護?墓?保険?」なんて思いながら出たら高校の時の友達だった。彼女は昨年の同窓会に来れなかったから、「あら~、久しぶり、元気~?」なんて話を聞いてみると、彼女の仲良しの友達の友達が、私の小学校の同級生で、なんと、今度その小学校の同窓会があるらしく、途中で引っ越した私に連絡を取りたいということだった。旧知の友はさらに旧知の友へと繋がっていた。そんなめぐりあわせにびっくりだった。
早速、ドキドキしながらも、教えてもらった小学校の友達へ電話をしてみたら、すぐにわかってくれた。6年生の時の同窓会で、3組がやったから1組もやろうということになったそうだ。30年ぶりの高校同窓会よりも、さらに遡って、36年ぶりの小学校…、なんかこっちの方がより恐さもある。みんなどうなっているんだろう。
それにしても、こう同窓会が続くのはやっぱり震災の影響があるんだろうね。ちょうど子育てもひと段落する頃だけど仕事の方はまだもうひと頑張り残っている世代、老親の介護や自分の老後の問題もある。震災はそんな個人の問題などお構いなしに非情にも全てを飲み尽くしてしまった。今まで必死に生きて、築いたものが無になった。そんな時、人と人はより一層つながりを求める。一人では崩れてしまうから、せめてみんなで手を繋ごう。絆について気付かせてくれたのも震災だった。
放課後の体育倉庫でキャンディーズを歌い、広場へ通って、“基地”を作ったあの時代。淡い初恋の想い出、吊スカートをはいてぐるぐる回ってばたんと倒れたら天井がゆっくり回っていたっけ。「下谷万年町物語」の文ちゃんではないけれど…、あの頃の私に会いにいってみよう。
寒い日が続く。毎朝、部屋の最低温度が更新中で今朝はついに5度になった。下の台所は4度だった。昔は毎年、このくらい寒かった筈だ。小さい頃、水道管が凍って、つららになっているのを何度か見たことがある。でも暖冬に慣れてしまうとこの寒さが骨身にしみるもんだ…。だからしっかり防寒をして出勤している。そのままスキーにも行けそうな格好だよ。寒い冬はダウンコートに勝るものはないね。羽毛の暖かさは凄い。提供してくれた鳥さんに感謝しなくちゃね。
さて、今日は、節分。保育園でも鬼の面を制作し、節分の集会をした。手遊びをしたり節分の由来についての話を聞いたりして会も終わりに近づいた頃…、突然、廊下から赤鬼と青鬼が出現した~!扮しているのは男性職員の2名。あまりの迫力に、子どもたちは思わず絶句したり、壁の隅に隠れたり、保育士にしがみついたり、はたまたじ~っと見つめたりと千差万別の反応で大混乱だ。「鬼は外」の掛け声とともに、新聞紙で作った豆をぶつけ必死で抵抗していた。やっと鬼が、退散したところで半ば放心状態…、しばらくの間、なんとな~くいつもより静かだった。
あまりトラウマの様になってはいけないけど、時には恐い想いをするのも必要かなって思う。世の中で畏れを抱く存在…、なまはげも、夜中のトイレも、その仮面や暗闇の中に想像をかきたてるような恐さがあるけれど、いつしか乗り越えることで大人になっていく。お昼寝から起きるころには、またいつも通り賑やかな子どもたちになり、おやつで福豆を年の数だけポリポリと食べていた。
暦の上では明日から春。間もなく進級の季節がめぐってくる。
決して悪いことをしたわけではありませぬ~
先週あたりから何故か、保育園の我がクラスで溶連菌感染症が大流行!あれよあれよという間に約半数の子が罹患してしまった。それが終わるか終らないうちに今度はインフルエンザが出た。目には見えないけれど、保育室には確実に病原菌が飛び交っているかと思うと、喉が痛い“気”にもなってくる。というか、少し痛い。でも大きな声も出したしいつものことだと思いとりあえず早めに就寝した。
週末は、雪
乾燥注意報解除が初雪とはまた極端だなあ…。
折しも同僚の結婚式だった。そろそろお友達のお子様たちが適齢期を迎える年代である私とって、実に久方ぶり結婚式だった。年相応をわきまえつつも、一応、それなりに頑張って身支度を整え、はきなれないパンプスを履いて出かけて行った。披露宴はとても豪華でフレッシュなカップルで「若いっていいなあ」って思った。今どきの結婚式は映像も駆使されていてショーを見ている様だ。その映像も素人さんがパソコンで作り上げる。時代は変わったもんだなあと感じつつ、幸せ~な空気に浸っていた。
この日はさすがに疲れた。念のため風邪薬を飲んで爆睡。いつもなら、これで幾分、回復する。がっ、今回はなんかおかしい。薬を飲むと元気になるけど切れると寒気がする。だるさはあるけど関節は痛まないからなんとかなるだろうと仕事に行ったら…、他の先生から「顔が違う」と言われた。へっ、朝見た時はいつもと同じ顔だったけどなあ。症状もいつもの風邪と変わらないしなあ。でも万が一感染症だったら子どもに影響するから大変だ。ということで早退させてもらい、病院で溶連菌とインフルエンザの検査をしてもらった。
綿棒で、喉と鼻の粘膜両方からこそぎおとされた~
「10分ほどで結果がでますから~」としゃっとカーテンを引かれた。
で…、なんとインフルエンザA型がビンゴ~
カーテンの中で薬をもらって支払いをすませ、裏口からこそっと出された~
まさか、まさか、予防接種もちゃんと受けたし、かれこれ20年以上、かかった記憶もないのに~~
黒と出たからには仕方がない。保育所の基準に従い、解熱後3日はお家で待機となった。早速、病院でもらったイナビルをスースー吸ったよ。なんかちょっと苦いラムネ菓子みたいだった。それからは、少し頭痛があるくらいで熱はなし。咳をすると胸の奥が痛い。ああ、この胸の痛さ、小さい頃に経験した気がするよ。そう、今年はA香港型が主流らしい。あれ?A型はほとんど新型になったわけじゃなかったんだね。
はい、謹慎二日目、まだ少し咳は出るけどすっかり元気になってきた。食欲もめきめき回復中!
過信か油断か…、たぶん両方だな。
自分だけは絶対大丈夫なんてことはあり得ない。これは、人生、何が起こるかわからないという戒めだね…。
開き直って寝るしかないね…
今年の年末年始は…、年末は飲み会、年始はサイクリングで終了!
ぶっちゃけ、一回こけたよ。砂利道の曲がり角でね。でもちゃんと手が出たから大丈夫だった。ここでめげたらいかん。小さい頃やらなかったつけだ。で、やっとスポクラ通いが出来るようになった。ほい、これで往復500円、交通費の節約だ~。加えて、往復12キロ分の脂肪燃焼で、絶対にコレステロールを減らしてやる~!
ちゃりんこ効果で我が家近辺の自然豊かなところを再発見した。ちゃりに乗れなかったら…、多分気付かなかっただろう。ほい、境川沿いの遊水公園ば素晴らしいよ~。
こ~んな、吊橋があって、ぐる~っと一回りできる。
旧ドリームランドが懐かしい。たくさん遊んだよな。今は横浜薬科大学になってしまった。時代は変わるもんだ。でも、この自然、いつもでもこのままでいて欲しい。いいお正月を過ごせて幸せだった。地震が来たらなくなってしまうかもしれない江の島にも通ったしね。江の島はあの関東大震災で地盤が隆起したため地続きになったらしい。今度は逆に沈んでしまうかもしれない…。3月の震災でだいぶ関東東北は動いている様だしね…。
南三陸のおじいちゃん、年賀状は来なかったけど、避難者名簿で生存は確認!高齢で避難所生活は辛かろう。大丈夫かな?ボランティア、行ってみようかな。自分のためにもって思った。
さて…、明日から、いつも通り怒濤のお仕事。お休みはこれにて終了!こんなところであと10年以上も頑張れないって元職場を辞めちまった。今年から飛びこんだ新職場では、もう10年なんて考えない。高齢の両親がどうにかなってしまったらもっと近くでパート勤めになるかもしれないしね。これからは、一日、一か月、一年と確実に積み重ねていこうと思う。続けられればラッキー、でもがんばりまっせ、動けるうちはね。
とりあえず、一月はコクーン通いが楽しみなのだ~。全然、消化しきれてない、唐ワールドに思い切り週末は浸るぞ~。
夏の京都旅行で早々と購入した辰の置物どす。他の干支はかわいいけど辰だけはどれもこれも今一じゃない?架空の生き物だし形にするのが難しいよね。へびでもなしワニでもになし恐竜でもなしだしね。
ワタクシ、今年は○回目の年女なのだ~。だから、竜にはひとしおの想いがありまする~。
ほい、竜也くんからも年賀状、“竜
”ですわ~。それにしてもなんじゃらほい?寸足らずな竜のイラストは…。顔書いて力尽きちゃったのかな?でもなかなかお上手です~。今週の金曜日には、コクーンに馳せ参じまする~。“新境地”の竜也くんに期待だわ~。
我が家のプチぜいたくは有名どころのお節料理だよ~。去年は洋食だったから今年は中華にしてみた。重慶飯店のだよ~。真ん中にど~んとあわび、大きなエビ、ホタテ、豚、鴨、牛…と海の幸、山の幸が盛りだくさんだ。味もなかなかおいしいよ。しかし、こんなに量があるとは思わなかった。これから三日間以上、楽しめそうだ。
さて、今年の動き始めはジムではなくてサイクリングだよ~。元旦からきこきこ走って江の島に行った。
橋下の電線にたくさんの鳥を発見!等間隔にきれいに整列してときどき「アー!」とか鳴いていた。朝礼点呼の時間かしら??
おいしいおせちを頂いたのに、お昼になったらちゃんとお腹がすくもんだな。川沿いのお店でランチだよ~。ここはダイビングスクールなどもやっていて、海族の方が多い。すいているかと思ったら結構混んでいた。
かわいいしらす丼。下はガーリックライス、洋食風でおいしいかったよ。正月だからプリンもつけちゃった。これがまた濃厚でうまいっ。
江の島神社は混んでいそうだから、迂回しながら自宅方面にもどる。家から近い遊行寺で初詣をした。近いのにあまり行ったことがなかったなあ。ここら辺では大きくて由緒あるお寺なんだよ。踊念仏の一偏さんだっけ?それに因んでか、南無阿弥陀仏がお寺の中に響き渡っている。確か、ウドちゃん主演で映画にもなるんだよね。おみくじを引いたら、中吉が出た。なんか、私らしい。交通事故に注意だって。ほい、自転車は気をつけて乗らなくちゃ。
お家に帰ってソーイングに挑戦!簡単に出来るキッドを買っておいたのだ。型紙から材料から全部ついているやつね。
2時間かかって、深夜にやっと完成した。リボンのラウンドバッグ。思った以上に大きくてエコバッグになりそう。布を買ってもう一つ作ってみようかな。何事も練習あるのみよね~。
そんなこんなで能天気に穏やかに過ごしている我が正月だがなかなかいいもんだよ。この幸せに感謝しなくちゃね。先ほど、駅伝が我が家前を通過した模様。しばらくして白バイ隊が10台以上、連なって帰っていった。ド田舎の農道に白バイが走る、このミスマッチ感が面白い。
さてと…、また自転車で福袋でも買いに行こうかな~。
久々に…、紅白を見た。昨日、ピラティス仲間の忘年会があり、これまた久々にカラオケに行ったら歌うことがと~っても楽しかったもんで、紅白をカラオケがわりにして余韻に浸っていたのだ。
AAAの西島君、ダンスも歌も上手だなあ。もうすぐ下谷万年町物語の初日だよ。どんな舞台が見られるのか楽しみだ。松田聖子親子には、時の流れを感じてしまった。沙也加嬢、しっかりしている。七光だけじゃない。ミュージカルでこつこつと舞台を踏んで努力しているものね。母としても聖子ちゃんは頑張ったんだなあって。聖子ちゃんは、家庭も仕事もプライベートも全てを手に入れた女性の象徴だよね。何かを犠牲にとかいう悲壮感がない。離婚だってマイナスになっていない。いまなお第一線で走り続けているってかっこいい。圧倒的だったのが長淵兄貴。「ひとつ」いい歌だなあ。静かな鎮魂歌にぐっときちゃった。今年はたくさんの人が愛しい人を亡くしたんだよね。魂は一緒にいる。これからもひとつになって生きて行こうって。被災地からグラサンをとって突っ張らないで歌う兄貴の姿が出色だった。
韓流アーティストが3組出場も時代だよね。KARAも少女時代もかわいいしダンスも上手い。礼儀正しく笑顔がさわやか。日本語が流暢なところにすごい努力を感じる。負けるな、AKB!東方神起もかっこよかったね~。
間もなく2011年が終わる。震災と同時に前職場にピリオド、息もつかず新職場に飛び込んだ。振り返れば結構必死だったよなあ。でもここまで漕ぎつけてもうしばらくは続けていけそうなめどがった。環境ばかりではなく自分に対して変化を求めていた気がする。今さらながら、自転車に乗れるようになったし、苦手だったソーイングもやってみたら楽しくて少しずつ、練習中。あとは…、料理だなあ。こればっかしは一番最後になりそう。だって、毎日おいしい給食がたくさん出るから栄養足りてるもんね。家では粗食で充分なのだ。とりあえず老後の楽しみにとっておこう。
2012年、明けました。何故か無償にポテチとアイスが食べたくなってコンビニで買ってきちゃった。はあ、成人病の元ね。でも正月ぐらいはいいでしょって自分に甘くなる。コンビニではバイトくんたちが忙しいそうに商品を並べていた。これから初詣客で混みそうだものね。
辰年の始まり、龍は天に上って行くんだよ。あやかって日本の運気も上昇しますように…。
来年の年賀状は、「明けましておめでとう」と書かない風潮だ。書けないのが現状だよね。父が長年懇意にしていて、年賀状をやりとりしている知人がいる。住所は宮城県の南三陸町。幼い頃、何度か遊びに行き、七夕を見た。きれいで冷たい清流でおばさんが、ごしごしと洗濯をしていた。とても優しくしてくれたのに、人見知りをして懐かなかった記憶がある。みんな、とてもいい人達だった。震災以降、便りはない。もちろん、今年も年賀状を出したけど、返事がくるか一抹の不安がある…。
1000年に一度という震災以来、神奈川県も津波の被害想定を見直している。それによると鎌倉市は水没、藤沢駅近辺もだめだ。そして、元職場近辺まで被害が及ぶという。海から川を津波が遡ってきて浸水するらしい…。サイクリングロードが続く川を最近休みの度に眺めている。この川の10キロ以上内陸まで波がくるなんて信じられない。ということは、高台にあるとはいえ我が家近辺もうかうかしていられない。はるかかなたから岡を超えて水が押し寄せてくるのかもしれない。
多くの人が亡くなって、原発被害までついてきた震災は、数多くの教訓も残してくれた。備えあれば憂いなしか。出来ることはしておかなければね。しかし、なんで日本だったんだろうかってふと思う。世界唯一の被爆国の日本に、再び放射能が降り注いだ。これは、本当に偶然なのだろうか?天からの警鐘?だとしたら…、しっかり心に留めていかないともっと大きなしっぺ返しがきそうだ。
仕事納めまであと3日。怒濤の2011年が終わろうとしている。
週の真ん中水曜日、嬉しい平日休暇だった。水曜日はジムがお休みだからカイジ2を観に行こうか、近くの温泉でも行こうかと昨夜からあれこれ考えていたが、目覚めたら冷たい雨が降っていた。休みだと気が緩んで疲れも出てきたので、午前中はだらだら過ごす。雨もようやく上がったので活動開始。といっても、午後からじゃあまり遠出も出来ない。で、懲りずにサイクリング。今はこれが一番楽しい。せっかく乗れるようになったんだもん。乗らないとまた乗れなくなっちゃう気がするんだもん。来年は坂道も上れるギア付き自転車が欲しいなあ~。
や~っと、ハンドルがぶれなくなってきたかな?でもまだ、肩に力が入ってしまう。根本的に運動神経が鈍いんだよな。ま、地道にいくしかない。平日のサイクリングロードは、休みの日と違って、クロスバイク族が全くいない。いつもものすごいスピードでびゅんびゅん走っていて追い抜かされる。行きかうのはシルバーのお散歩族でとてものどかだった。なんか落ち着いてゆっくり走れたわ~。
大和方面へ行ってから引き返し、江の島方面へ向かう。途中、片瀬にある地元では有名なPINYというベーカリーレストランでティータイムだよ。
ロールケーキセット、上手かった~。