年度末に突入して、なんだか気ぜわしくなってきた。今週末は卒園式、並行して新年度準備が始まっている。所変われど、この時期の忙しさは変わらない。
“あれ”から一年たった。“あれ”の一つは震災。去年の今頃は、日本中が危機感にあふれていた。計画停電もあっていつも歩かない道を歩いたり、夕食の時間をずらしたりした。バスに乗って暗い町へ帰っていったっけ。一年たって少し安堵してきた頃、再び、大地が揺れている。ヤフーの地震情報をのぞくとおびただしい発震の数に、素人でも恐くなる。特に千葉沖の数がすごい。スマトラもニュージーランドも一年後に大きな余震が起こっている。はあ、もういいよって思いたいけど、自然には逆らえないものね。出来るなら大きな被害が出ずにこのまま静かにおさまって欲しい…。
私にとって“あれ”はもう一つある。転職だ。職場を変わるなんて4,5年前までは夢にも思っていなかった。このまま長いものに巻かれながら目をつぶっていこうと諦めていた。転職は我が人生の数少ない「まさか」の一つだった。ぶっちゃけ、この一年はきつかった。どこへ行ってもいろいろある。わかっていた筈だから意地で突き進んだこともある。ここで引けないしまだまだ止まれないってね。一年たってようやく馴染んできように感じる。クラスの子どもたちとも若い先生たちとも信頼感が満ちていて落ち着いた日々を送っている。前職場の嫌だった所は全てクリアされたからこれで良かったんだと思う。むしろ、来年度からが勝負かな…。
一年365日の積み重ね…、“時”って有難い。どんなことがあっても確実に刻んでいく。振りかえるとちゃんと道が出来ているじゃない。
ふと、こんな一節が蘇ってきた。
「天の下では、何事にも定まった時があり、すべての営みには時がある。
生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。
植えるのに時があり、
植えた物を引き抜くのに時がある。
泣くのに時があり、ほほえむのに時がある。
嘆くのに時があり、踊るのに時がる。
捜すのに時があり、失うのに時がある。
保つのに時があり、投げ捨てるのに時がある」
「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」
聖書の言葉どす。学生時代は居眠りをしていた礼拝の時間だけど、毎朝、いろいろな説教を聞かされたし聖書の授業もあったなあ。こうやって心に残っているものってあるんんだね。そう、去年は、まさに私にとっての「時」だったのかもしれない。
さて、本題はスマホだった~。回りの若者に触発されて、ついにスマホデビューした。たまっていたポイントと、微々たる貯金の利息なんぞをかき集めて買っちまった。でも、2年間料金と共に引き落とされるだけで現金は払っていないからお買い物っていう実感がないんだけどね。早速、指でなでなでしてみた~。すぐに画面がするすると動くのでなかなかなれないけど、小さなパソコンみたいで楽しい~。調子に乗ってアプリをダウンロードすると大変なことになりそうだから、じ~っくり選ぼうかな。時代は変わっていくもんだね。果たしていつまでついていかれるかしら…。
割引商品だから、カラーは選べなかったけどラメブラックのグラデーションできれいなの~。待ち受けは“はやぶさ風”にしてみた~。
しっかり使いこなして活用しないとね。新し物好きな私、しばらくハマりそうだ。