れみ嬢のチュッチュラGo!Go!!

毎日がグリーンツーリズム。そんな日々の生活をお届けします。

あれから10年・・・

2021年03月11日 21時08分50秒 | 日記
東日本大震災から今日で10年。
10年ひと昔と言うけれど、アッと言う間の10年であり
本当にあんなことが起こったのかと、自分の記憶を疑うような10年。
おいらは被災県に暮らしているけれど
幸い居住地が内陸の為、殆ど被害は無く、
強いて言えば家の中の物が落ちたり、停電が続いたくらい

2011年3月11日の朝は、3月にしては珍しく冷え込んで、雪がうっすら積もった日だった。
そして、午後2時46分発生の、立っている事も大変な位の揺れと、5分以上続く揺れ。
おいら、これはとうとう地球が壊れたと思ったよ。
当時は複合施設内でフルタイムで働いていたけれど、到底仕事が出来る状態でもなく
状況を見ながら、そして翌日からの勤務体制を決めて夕方解散。
帰る時も、街中停電し、雪が降りしきる中何とか‟トンヅラハウス”に帰宅。




夜になると、街が闇の中に沈み、車のライトの明かりだけが道路に永遠と連なっていて

情報を得るために、外に出ると、映画を撮り終わった真っ暗な街中のセットの中を歩いている感覚に。
そして、何度も大きな余震。
県立中央病院なら、自家発電だと思い行ってみると、そこには多くの人が集まっており
ロビーのテレビにみんなくぎ付け。
その時、初めて津波の映像を見て、大変なことが起こった事を知ったおいら。

そのまま一人 ‟トンヅラハウス” に帰るのも不安で、
そこから実家まで歩いて行き、母親と合流。
父親は食料調達等で一時帰宅するも職場へ行ったっきり戻ってこず
ラジオから流れる情報だけが頼りで 一睡もできずに朝を迎え、
朝日を見て、何だかとてもホッとした記憶があるよ。

おいらはこの震災で大切な仕事仲間、友人の家族、海外旅行をご一緒してその後も交流があった方等
多くの方を喪い、あの時はいろんな意味で必死だったけれど
逆に10年経った今の方が、心にぽっかり穴が開いた感じ。
10年前の3月、1週間前に走った道路、10日前にセミナーを開催していた会場が津波被害い遭い
もし、この東日本大震災が起こった日が1週間、10日早かったらと思うと、
とっても複雑な思いがするのも事実。
そして、ここ1週間は特番なんかが多く、
決して忘れてはいないけれど、特番を観ると未だに胸が締め付けられるんだよね。

10年前の3月下旬になって沿岸市町村の担当者に電話すると
「○○は亡くなりました。私が引き継ぎますけれど・・・」と言われたり
逆に電話で「○○さんが亡くなったんだけれど、講座に参加していたから、その時の写真があれば家族に渡したい」等依頼を受けたり
多くの方が亡くなった現実を受け止める日々。
そして、職場がある複合施設が避難所となったため(避難された多くの方が、県外への帰宅困難者)
施設内は閉鎖しているけれど、多くの方が寝泊まりしている、そんな1カ月を過ごしますた。

今のこの思い、気持ちは褪せる事は無いと思うけれど
阪神淡路大震災や大きな災害を経験した方々も同じ思いなんだろうな。
実はおいら、1995年の1月1日は旅行で瀬戸内海に居て、2日3日は京都に移動。
その時も、10日の差で何事もなく無事に帰ってきたから
高速道路が倒れている映像をテレビで見た時は信じられない思いですた。

何時、何処で、どんな災害に遭うか分からないこの時代
今日と同じ日が 明日も続くとは限らない。
いつもの日常が突然、‟いつも”ではなくなったり
‟行って来ます”と言って、‟ただいま”と帰ってくるのが100%当たり前ではないと身をもって感じても
雑多な日々でそのことを、つい忘れてしまいがちになっちゃうおいら

東日本大震災から10年の節目の今日から
再び1日1日を大切に、そして全力で過ごそうと心に誓いますた。

と言うわけで、今日は と赤 の他に、
献杯の意も込めて、白ワインも全力で美味しくいただきます

10年前の3月11日は冬に逆戻りのような景色でしたが
10年後の今日は、雲一つない澄み渡る青空が広がっていますた



コメント (2)
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