長岡京エイリアン

日記に…なるかしらん

いきなり銀河小説劇場 『標高2000m の山口百恵』

2011年11月08日 22時27分42秒 | ほごのうらがき
「……いいべが?」

「うん……やんべ。」


 2人は半裸だった。いい加減に水の温度も冷たく感じるようになってきた夏の終わりごろだったと思う。


 半裸なのには理由があった。高校のプールの授業の直後だったから。

 もうそろそろ、天気がよかったところで水泳が楽しくなるわけでもなくなってきたんだな、と季節のうつろいを文字通り全身で感じてくちびるを紫色にさせていた俺に、あみなが授業が終わるなり声をかけてきた。

「ちょっと話があんだげんと……来て。」

 別にここで話してもいいんじゃないか、とは思ったのだが、そんなに太いわけでもないのに妙に通って力のあるあみなの声は、特にこういうときに有無を言わせない効き目を見せていたものだった。
 こういうとき。まぁ、なにか彼女なりの策をくわだてている時だろう。

 俺の返事の確認なんかするはずもなく、あみなはいつもの背筋のぴんとした歩き方でプールわきの用具室に向かった。ほかの同級生でごったがえしているシャワーのあたりをさけたということは、これはいよいよ他言無用の話らしい。

 とは言っても。
 俺の頭の中に、よくラブコメマンガで出てくるような発言があみなの口から出ることを期待する脳細胞はひとつとして無かった。脳細胞どころか、心臓の細胞も胃の細胞も、青春も狂い咲きのまっさかりということで日頃あんなに「彼女をつくれ、まぐわえ」とうるさい精嚢の細胞までもが、まぁそんなことはないだろうとクロスワードパズルに夢中になっているていたらくだったのだ。
 俺どころじゃない。あみなと俺が意味ありげに離れていくのを見た奴らも少なからずいたとは思うのだが、その中のだぁれも、直前まで俺とのくだらない話に花を咲かせていたテッペイまでもが、俺たちに対する興味はなんにも示さないまま、シャワーの順番に並んでいたり両目をピューッとなるアレで洗っていたりしたのだ。

 よくわかる。まず、恋愛方面で俺とあみなの間になにかが起こることはない。

 高校時代の俺は、ほんとに入学した高校を完全に間違えたと後悔する毎日のくり返しだった。
 人間関係で苦労した記憶はほとんど残っていないのだが、とにかく成績が悪かった。それなのに学校がプライドたっぷりの進学校だったんだからしょうがない。
 俺の場合は、最初の入学試験でボタンをかけちがえたのが、卒業式の最後に講堂からズラズラと退場していった行進の388歩目でクラスの自分の机に座ってふーっと息をつく瞬間までズレたままだった。それだけのことだったんだ。
 頭のいいナイスガイやおしとやかな才媛がいっぱいという感じのさわやかな学校だったわけだが、俺の存在はというと、その校舎の日陰に誰に頼まれもしないのにはりついているゼニゴケみたいなもんだったんじゃないだろうか。光合成をして日本全国の少年少女にその名前をおぼえられるだけ、ゼニゴケの方が俺よりもよっぽど地球に貢献しているし、ジャニーズのメンバーになる可能性だって数百倍ある。

 その一方で、あみなはとにかく目立つ存在だった。

 さすがに高校ともなると、なんやかやでみんな将来のことで気もそぞろになってくるのでクラスのアイドルとかイケメン四天王みたいなものを選定する余裕はなかったのだが、あみなはごく自然にクラスの中心にいることのできる不思議な透明感のある女の子だった。アイドルらしくはないが、性別のよくわからない太陽みたいな存在だった。3年間クラスは俺といっしょだったのだが、彼氏がいたという話は聞いたことがない。

 細身で色白。長くてまっすぐな髪も色のうすい天然のブラウンだった。背はそれほど高くないが、立っても座っても姿勢がいいので小柄な印象はない。
 よく話す子だったおぼえはあるのだが、あまり大口をあけて笑っているのを見たことはない。ただ、なにか持論を熱っぽく語っているときに、上気して真っ白な顔の頬あたりだけがじょじょに桃色になっていくのを随分ときれいだな、と凝視してしまったことはよくあった。
 ひとりでいる時、あみなはいつもその華奢なあごを心持ちくっと上向きにして、真正面から高い位置にあるなにかを見据えているような顔をしていた。たぶん、下から上目づかいにものを見るような媚びたしぐさは好きじゃなかったんだろう。

 あみなは高校のある街とはそうとう離れた地方(高校のある街だってぶっちぎりの地方だが)からひとりで入学してきた子で、遊びに行ったことはなかったが、寮か下宿みたいなところに3年間暮らしていたらしい。
 今おもえば、あみなは人前に出るときにはいつでも「あみなのなりたいあみな」を演じていたような気がする。もちろん、ずっとそれをやらなきゃいけないんだから、疲れるような無理はせずに喜々としてなりきっていたんだろうが、ぴんとした背筋でブルーがかった透明な声を朗々と飛び立たせていた彼女の姿は、時々俺を「そうでないあみな」が見たくてしょうがない気分にさせるほどしっかりしたものだった。


 こういった感じで対照的な俺とあみなだったんだが、プールの片隅でおこなわれたやりとりはこんなものだった。


「あのよ、今度の文化祭で出し物やるつもりなんだげども、いっしょに出でけね?」

「え、出し物? なにやんの。」

「あれ、今、コマーシャルでやってんのあっどれ。『マカレナ』ってダンス。」

「あ、あぁ、あの高利貸しのやづ。」

「そうそう、あれ、やんの。看護婦のかっこして。」

「あぁ……え? 誰が?」

「んだがら、わたしどあんだ。」

「え……女装すんの、おれ!?」

「たのむず。ほがにやりそうな男子いねぇんだもの。」

「そりゃそうだべ!!」


 この流れではじめにもどるわけだ。

 うちの高校ではご多分にもれず秋に文化祭が行われるのだが、講堂でおこなわれる前夜祭をかねた開祭式みたいなものには自由参加形式の出し物コーナーがあり、そこでクラスや部活の催し物の宣伝をしたりするまともな人たちに混じって、形式だけTV の漫才やコントにならったネタとも言えないネタをやる奇特な層も毎年いるにはいた。もちろん、ネタをやる人やその内容はリハーサルもしないので完全なぶっつけ本番のサプライズになる。
 実を言うと、俺は他ならぬそのあたりのおかしな連中の常連で、授業に参加できない日々から逃避しようとした挙げ句に、放課後の演劇部員としての活動に転機を見いだそうとした大馬鹿ポンスケ野郎だったのだ。この文化祭の出し物もそうだが、部活の公演やふだんの学校生活でさえ、それから15年の時が経とうとしている今でも思い出した瞬間に顔から火が出るような痴態を演じてきていた。

 そんな俺を今年の出し物に誘うのは無理からぬことかも知れないが……あみな、一体どうしたの?
 しかし、あみなのいつも通りのまっすぐな視線と、恥を忍んで水滴のしたたる濃紺のスクール水着姿で申し出てきた誠意をむげにしりぞけることはできなかった。
 即、承諾。俺に残された選択肢はそれしかなかった。

 そこから始まった、放課後の女子バスケ部の部室でのビデオ画面との苦闘は省略し、文化祭当日での実際の成果も省略したい。俺の勝手な記憶の中では「大ウケだった」ということになっている。

 本番よりもよくおぼえているのが、2人で講堂の外で制服から看護婦のかっこうに着替えている時の緊張だった。
 バタバタしている上に、おそらく大げさに言えば初めての舞台になるであろう数分後のダンスに向けて大いに緊張していたらしいあみなは、それでも堂々とした態度を崩さずに制服から下着、下着から看護婦へとてきぱきと着替えていた。となりに同じく下着姿になっている同年代の男子がいることを忘れているのか最初から意識していないのか、隠すそぶりはまったく見せなかった。

 俺が、あみなから借りたブラに丸めたトイレットペーパーをつめたものをつけて看護婦ルックになったのを確認すると、あみなは真正面からそれを見つめて、

「う~ん。もっとつめっべ! んで、ぎゅっとよせで!」

 と、俺の胸元からさらにトイレットペーパーのかたまりをつめ込んでぐいぐいもみしだく。
 残念ながら、それに劣情をもよおす余裕と変態性を俺は持ち合わせていなかった。

 ただ、そこまでしてなにかを追究するあみなの決意のような熱に俺は感動した。
 これがあったら、なんでもどうにかなるんじゃないだろうか。そんな気がした瞬間だけは今でもよくおぼえている。


 あれから15年後。

 あみなはどうやら、メキシコに住んで日本との友好を深める活動をしているらしい。ダンスや紙芝居を子ども達に披露していると聞いたような気がする。

 聞いたといえば、どこで聞いたのかはすっかり忘れてしまったのだが、あみなは山口百恵の歌がびっくりするほどうまかった。
 歌がうまい上に、声質がそっくりなのだ。高校時代に聞いた記憶しかないのでだいぶ美化されているかも知れないのだが、ちょっとCD で聞く本物の歌声と聞き分けるのが難しいくらいのレベルだったはずだ。
 いっしょにカラオケに行った記憶はないのだが。俺はどこであみなの『夢先案内人』や『プレイバック PART2』を聞いたんだろう。
 まぁ、それはまたいつか再会した時に聞けばいいことだ。

 俺は心のどこか片隅で、1回だけでもいいから、またいつか、どこかで必ずあみなに逢って山口百恵をリクエストすることを生涯のひそかな楽しみにしている。ことわられたらそれまでなのだが、それをやるまではうかつに死ねない。

 もうずいぶん前に会わなくなった知り合いなのに、どうしてこうやって時々俺はあみなのことを思い出すのだろうか。別に恋人でもなかったのに。

 それはたぶん、俺から見たあみなとの距離が、昔からずっと変わっていないからなんだと思う。だから、どこに行ってもあみなを忘れるということはない。


 高校の講堂裏のとなり同士と、日本とメキシコとの距離の違いなんて、結局はそんな程度のものなんだ。

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