長岡京エイリアン

日記に…なるかしらん

『麒麟がくる』終わったけど……おもしろかったんだか、どうなんだか!?

2021年02月13日 20時07分16秒 | 日本史みたいな
 え~、どうも、記事の更新、大変にご無沙汰しております。そうだいでございます。
 いや~、最近どうも忙しいわ心身ともに疲れがひどいわで……記事を書くヒマも体力もなくなってる次第でございます。書きたい話題はたくさんあるんですけれどもね……忸怩たる日々が続いております。
 ちょっと、このしんどさは年度末、春まで続きそうなんですが、それまでダウンすることなく逃げおおせたいところです。でもまぁ~、歳はとりたくないもんですね! 眠ってもなかなか疲れはとれないし、不摂生はすぐに体調にあらわれてくるし。かといって、仕事をセーブしたいなどというぜいたくを通せるほど偉くなっているわけでもありませんので、ともかく歯を食いしばって毎日ふりかかってくる難題に耐えております。あと2ヶ月弱かな!? もう少しの辛抱だ、と、信じ、たい……

 ほんとね、最近の話題で触れたいこととか、過去の記事で完結させたいやつとか、山ほどあるんですよ! あるんだけど、今はちょっと難しいんだな。
 とりあえず今回は、こればかりは触れずにはおられないということで、依然として猛威を振るうコロナ禍にもめげずに先日、堂々の全44話完結を果たした大河ドラマ第59作『麒麟がくる』の感想だけ、ちょっと!

 いや~、ほんと、時間とヒマささえあれば、1話ずつ丁寧にレビューしたかったです、この『麒麟がくる』こそ!!
 結論から言ってしまえば、『軍師官兵衛』に勝るとも劣らない問題作だったと思うんですよ。ただただ、「ごもっとも、ごもっとも!」とうなずくしかない大傑作なばかりだったら、いちいちレビューする必要はないかと思うんですが、『麒麟がくる』はなんか、回を重ねるにつれて「うん?……うんん?」とうなってしまい、どうなのソレ!? と思わず誰にともなく問いかけてしまう疑問が山積みに。まぁ、それだけかみごたえのある作品だったってことですよ!

 どうしても看過できないのは、やっぱり悲願の義昭政権が発足して、当面の悪役として摂津晴門が登場したあたりからの「語りペースの停滞」と、正親町帝が登場してからの「光秀の精神描写への偏り」、ってとこでしょうか。その結果が、あの最終回のオール消化不良&予定調和にいきついてしまったのではないかと。
 巷間で語られる「大河ドラマ史上最もエモい本能寺の変!」というのは、まぁ物は言いようの良い例ですよね。そりゃ、明智光秀が主人公なんですから、そうなるのは当たり前でしょうよ! 大切なのは、その周辺、周辺!!

 いつものようにダラダラとつづりたくもあるのですが、ここはささっと簡潔に、最終回を1回観ただけで私の心にわだかまった異見を、ざっと箇条書きにしてみましょう。
・明智光秀の「老い」がまったく語られていない。
・明智光秀の嫡男「十五郎光慶」の存在がほぼゼロ。その一方、織田信忠の存在感ほぼゼロは安心の想定内であった。
・長宗我部元親くらい、出てきてもいいじゃねぇかよう!!
・光秀の「惟任」改姓に見られる織田信長の未来構想&狂気にまったく触れず。
・すみません、石川さゆりさん演じる光秀の母って、結局どうなったの? 生きてるの?
・建造中の安土城はやたら映像に出てたけど、肝心かなめの安土城炎上はいっさい語られず!? そりゃないでしょうよ!
・本能寺の変を光秀のクライマックスにするのって、失礼じゃない?

 せめて山崎合戦くらいは……ドラマとして、光秀と秀吉の対決が描写されないまま「その数年後……」になるのは、どうかと思うんだよなぁ。たぶん、脚本の池端先生からしてみたら、「信長と光秀の物語において、秀吉はそれほど大きな存在ではない。」という解釈のあらわれなんでしょうけど、せっかく佐々木蔵之介さんが秀吉をやってるんだもんねぇ。そこはちゃんと激突して欲しかったなぁ。

 結局、『麒麟がくる』は直前の女優降板トラブルにもコロナにも負けずに、当初の予定通りに全44回ちゃんとやりきりました! と言いたいのでしょうが、もともと東京オリンピック開催を視野に入れて約1ヶ月間、4~5話分は例年よりもさっぴかれていたわけですよね。その「4~5回足りない」という問題が、もしかしたら解決されないまんま映像化されちゃったんじゃないかしら!?

 いや、いい!! 三好長慶、松永久秀、そして我らが足利義昭がここまでフィーチャーされたという点、これはもう文句のつけようのない『麒麟がくる』のプラスポイントでありました。最高!! もう諸手を挙げて大喝采をおくってさしあげたい。管領・細川晴元と三好三人衆、そしてあの足利義栄までもが(チラッととはいえ)登場してきたのもすばらしかった。

 でも、だからこそ、『麒麟がくる』は明智光秀が活躍するまでの「麒麟なき時代」を、あの超傑作『太平記』(1991年)なみに、あまりにも丁寧に描き続けてしまったがために、「さて、いよいよ主人公の光秀を語りますか……あれ、もう時間ない!?」みたいな感じになってしまったのではないでしょうか。じっさい、松永久秀自害の後から、物語は光秀の精神的閉塞ばかりを描く非常にミクロな視点、みみっちくて辛気臭いブラック企業ドキュメンタリーになってしまったのではないかと。そんなドラマ、明日からまた月曜日だっていうのに見たくねぇええ!!
 とにかく情緒不安定な染谷信長に振り回される織田家臣団とか、鬼舞辻無惨さまの気分次第で即解散&食料となる下弦の鬼のみなさんとか、昨今のエンタメ世界でも、観る人の涙を絞る悲劇の対象は様変わりしてきましたよね……もう、不治の病の美少女とかじゃないのね~!!

 そりゃ主人公なんですから、光秀の心情描写を深めることも大切かとは思うのですが、追い詰められた光秀の精神的危機ばかりを「信長殺害の動機」にするのは、ちょっと光秀像の矮小化にしかならないんじゃなかろうかと。だって、この『麒麟がくる』だけを見たら、明智光秀って、足利義昭を捨てた罪悪感とか、正親町帝の過剰なまでの信頼とか、織田家譜代家臣たちのどうでもいい嫉妬とか、徳川家康と信長との調整板挟みとかのもろもろのしがらみに疲れ切っちゃって、「信長をこうした責任を取る」などという意味不明な妄想にとらわれた挙句に凶行に走った「かわいそうなひと」ってことになりませんか!?
 それじゃさぁ、掘り下げ方の差こそあれ、約30年前の大河ドラマ『信長 KING OF ZIPANGU』(1992年)における「光秀ストレス犯行説」と、そんなに変わんないじゃないの? どうなのかなぁ、それ!!
 余談ですが、今回の『麒麟がくる』で不眠の辛さを訴えていたのは信長でしたが、『信長 KING OF ZIPANGU』で不眠に苦しんでいたのは光秀(演・マイケル富岡)のほうでしたね。そこはちょっとおもしろかったです。

 いやいや、今回はなんてったって主人公なんですから!! そこはもっと客観的かつドライに、自分の老い先の短さ(光秀の正確な生年は不明だが、本能寺の変の時点で55~70歳と諸説あり)と、そんな中での千載一遇のクーデターのチャンスを天秤にかけ、自分の嫡男・光慶の成長にすべてを賭けて立ち上がった「稀代のギャンブラー」としてのデンジャラスさも描いてほしかったし、斎藤ポイー、朝倉ポイー、義昭ポイーと絶妙なバランス感覚で主君を乗り換えてきた「清濁あわせのむ戦国サバイバーっぷり」も描いてよろしかったのではなかろうかと!! 少なくとも、長谷川博己さんはそういう光秀、嬉々として演じられたんじゃないかなぁ。
 でも、大河ドラマの主人公が、戦国時代の武将としては異常な観念「争いごとはダメ、ゼッタイ!!」にとらわれた言動をたま~にとるという「ホワイト化しすぎ現象」は、今回の明智光秀にかぎらずかつてもしょっちゅう見られたことですから、しょうがないですけどね。『軍師官兵衛』の感想でもおんなじこと言ったけど。

 大河ドラマの主人公が正義の味方みたいになってしまう現象とともに、今作では意図的にそうしたのではあるのでしょうが、明智光秀の加齢に伴う容姿の変化が、ちょっとひげを生やしたくらいで晩年までず~っと若々しいまんまなのも、どうかと思うんですよ。童顔の染谷信長よりも背が高いので、「信長よりも年長」というイメージは充分にあったのですが、単に「大きな国」という政治的理想を追い求めた結果だけでなく、生き物としての自分に課せられた「タイムリミット」も勘案した上での本能寺の変であったという解釈は欲しかったです。なんか、年寄りにならない主人公って、アニメかなんかの少年主人公みたいでうすっぺらくないですか? いっぽう「49歳」の寝起き信長が元気ハツラツに本能寺でハッスルするのもどうかと思うし。
 その点、作品としては首肯しかねる部分も多いのですが、あの三谷映画『清須会議』(2013年)で浅野和之さんが演じた明智光秀は、セリフもまともにない一瞬の登場ではありましたが、老いの焦りもキンカン頭もちゃ~んと映像化されていてすばらしかったと思います。

 わたしなりの勝手な結論を言わせていただきますと、同じ池端俊策先生の筆によっても、『太平記』が成功して『麒麟がくる』がうまくいかなかった第一の原因というのは、やっぱり「主人公に主人公たる説得力があるかどうか」だと思うんですよ。『太平記』の足利尊氏って、人生が波乱万丈だし(幕府は裏切る、帝も追い出す、兄弟相克、隠し子騒動!!)、第1話から最終話まで物語の舞台のどこかに必ずいましたよね。でも、『麒麟がくる』って、一乗谷時代の光秀、いなきゃいけなかった? あるときは斎藤道三が主人公になり、またあるときは織田信長が主人公になり、はたまたあるときは足利義昭が主人公になり……ぶっちゃけ、あの最終回でさえ、実質的な主人公は細川藤孝でしたよね!? ユダ的なおもしろさで。
 ですからそこは、まぁお駒さんを主人公(というかタモリさん的なストーリーテラー)にしろとまでは言いませんが、光秀オンリーで無理に押し通そうとせずに、思い切ってみんなで「あぁ~、麒麟こねぇかな~!!」と大合唱をする、数話ごとに物語のメインが変わるような群像劇にするべきだったのではなかろうかと。でも、それに近いことはもう『国盗り物語』(1973年)がやってるというのが実にツラいところですが。

 ほんとにねぇ、第40話くらいまではよかったんですけど。でも、今作でほぼ初めて敵キャラクターとして映像作品に登場した摂津晴門もフタを開ければ史実通りのつつましやかな人物だったし、「北条高時やら高師直やら足利直義やらに匹敵する大物トリックスターがいないもどかしさ」は随所に見られましたよね。秀吉も家康もミョ~に卑屈になっちゃってライバルにならないんだもの。信長が光秀のライバルになるという構図を、そもそもこの作品はとっていないし。『麒麟がくる』における織田信長は天才と言っちゃえば聞こえはいいけど、ほぼ自然災害、ゴジラに近い存在でしたね。

 いくら誰でも知っている戦国オールスターが束になって総登場してきても、「物語の核」がぶれているかぎりは傑作にはなりえないと。向後の歴史ドラマにたいして、大きな教訓になったと思います。
 そこをゴリ押しで、「ウソでもいいから主人公を物語にからませるエピソードをねじこむ」という手段をとってきたのが、これまでの歴代大河ドラマであったわけですが、『国盗り物語』や『いだてん』以上に、「3~4回で主人公を変えるリレー形式」な大河ドラマがあってもいいと思うんだけどなぁ。たとえばそれで三好長慶~足利義輝~足利義昭あたりを主人公にしていたとしたらば、正親町帝の「いろんな武士が月に登っていきましたよ。」という発言もきいてくるし。でもほんとのところ、正親町帝の言った「いろんな武士」って、誰のことを言ってたんだろう? あとはギリギリ細川晴元とか高国とか松っちゃんくらいが入るのかな? 大内義隆はどうだろう。上杉輝虎は? でもなんとなく、謙信サマだけは月じゃなくて北極星とかぜんぜん違う星を目指してそうですよね。さすがは軍神。

 いろんなことを好き勝手に言わせていただきましたが、やっぱり、それだけおもしろかったってことですよ。
 あと、個人的にわたしが長年抱いていた考えである、

「時代の勝者の条件は、その人が平穏無事な最期を迎えられたかどうか。そういう意味での戦国時代の真の勝者は、足利義昭公である!!」

 を雄弁に補強してくれたエピローグには、感動を通り越して若干あきれてしまいました。将軍、あんたのおかげでどのくらいの人が苦労したと思ってるんですか……「帯をポンッで釣りにGO!」じゃねぇ!!
 実際ね、『麒麟がくる』は無意識に光秀をむしばむ「善人」が多すぎでしたよ……義昭さま、やっぱりあなたは最高です!! また等持院にお参りに行きます!!

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2 コメント

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すいません💦 (mobile)
2021-02-26 11:12:59
『麒麟がくる』・・・どうにも興味がノらず飛び飛びにしか観なかったンですよね。
しかぁし!そのウラでNHKがトンでもない番組を放映していたことは、あまり語られない。
それは『光秀のスマホ』なる番組です。
https://www.nhk.jp/p/mitsuhide-smapho/ts/R71NJ4MV53/list/
いや、これはオモシロイ。
もうね、一年掛けて『麒麟がくる』でやった内容を、ほぼ一話ぶんの時間に凝縮しちゃったンだから、凄いのひとこと(NHKもやるね~!)。
ちゃんと本能寺の変の黒幕の存在まで新説を打ち出してしまったンだから。私はもうこれだけで満足。
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自分からぶっちゃけてどうするNHKさん!! (そうだい)
2021-02-28 23:05:49
 mobile さま、まことに興味深いコメントを、まことにありがとうございます!!
 『光秀のスマホ』……なんという、恐ろしいドラマでありましょうか!! 噂には聞いておりましたが、今回あなたさまのコメントが後押しとなりまして、私も遅ればせながらやっと拝見させていただきました。
 確かにめっぽうおもしろい! 面白くはあるのですが、NHKさん、大河ドラマの主人公が、ぶっちゃけ60分にも満たない時間でその歴史的意義を説明しきれるくらいの人なのだと、自分からバラしてどうすんのよ~!? とてつもない爆弾を、民放が出す前に自ら炸裂させるとは……
 みすみす敵にやられるくらいなら、その前に自ら命を絶つという武士道のあらはれなのでしょうか? わけわかんないです、もう……

 こういったサイドメニューに対して、やっぱり正統派の主菜なる『麒麟がくる』は、もうちょっと揺らぎのない「王道」を行ってほしかったのですが……かえすがえすも、最終回付近のファンタジックな精神描写でうやむや展開が悔やまれます。「光秀は生きていた!?」なんてにおわせ、どうでもいいから4回分くらいかけて本能寺の変以後の光秀の奮闘をちゃんとドラマ化していただきたかった!!

 曲がりなりにも1年間も放送できる時間をもらった立場の『麒麟がくる』が、「本能寺の変以後の光秀は特に言うことないで~す。」なんて言っちゃ、かわいそうすぎますよね。それはあくまでも、『光秀のスマホ』のとるべきスタンスですよ。

 『光秀のスマホ』の秀吉のほうが、活き活きとして嫌な奴でしたね! なるほど、黒幕はあの人であったのか……思えばこの人もまた、足利義昭公と同様に、のほほんと天寿を全うされた戦国サバイバーでありましたね。
 ただこの人、ドラマの中で丹羽長秀のことを「長家」って呼び間違えてましたよね。でも、これも長秀のどうでもよさを物語っていて実に良いと思いました。
 松永久秀は「死にたい」なんて言わないでしょう~! あれは、お人よしの光秀を翻弄するための演技ですね。

 重ねて、ステキなドラマを教えていただき、ありがとうございました!!
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