長岡京エイリアン

日記に…なるかしらん

すてきな月曜日! 映画『ハーブ&ドロシー ふたりからの贈りもの』 とかいろいろ~

2013年04月15日 23時52分00秒 | ふつうじゃない映画
 はいはいほほ~い! どうもこんばんは、そうだいでございます~。みなさま、今日も一日お疲れさまでした。

 本日はわたくし、平日のしょっぱな月曜日であるのにもかかわらず、久しぶりの丸一日休みをとりまして、東京で親友と会ってまいりました。いや~、今日の東京はホントに夏みたいな陽気でよう! こういう日に休みがもらえた私は運がいい。


 東京で今日会った親友は、大学時代に同じサークルに所属していたときからずっと懇意にさせていただいている方なのですが、あれからおよそ15年という歳月がすぎた今では立派な1児の母となり、同時に業界の第一線でバリバリ働いておられるという充実した日々を送っておられるようでした。今後も無理しない範囲でがんばっていただきたい! それにひきかえ俺といったらよう……まぁ気楽にがんばりましょう。

 そんな感じだったので、メールでのやりとりはしょっちゅうしているものの、だいたい半年ぶりくらいに会うことになった今回のスケジュールは、年度末~4月に超多忙だった彼女の予定を最優先して今日というはこびになったのですが、変わらずお元気で、魅力的で。大学時代とほとんど違いのない容姿なんだよな~。ほんとに会うたんびに不思議に思ってしまいます。おれはハゲたぜ~!!

 今日はだいたい予定として、お昼過ぎに集まって映画を観て、どこかでお茶とお買い物をしてから彼女のお子さんの通う保育園に行ってお子さんをむかえ、彼女の自宅にお邪魔して夕飯をごいっしょするという流れになりました。そのお子さんと会うのも半年ぶりくらいなんですが、まだ1歳台なので私のことを記憶していない感じなのがはなはだ不安でした……嫌われるのはいやだ!!


 さて、今回親友といっしょに観ることにした映画は彼女の要望でドキュメンタリーの『ハーブ&ドロシー ふたりからの贈りもの』(監督・佐々木芽生)となり、映画館は恵比寿ガーデンプレイス内の東京都写真美術館ということになったのですが、実際にお昼1時前に現地集合する段になって大変な事態が……って、察しのいい方ならば、もうオチわかっちゃいましたかね?

 そ~なんですよ、東京都写真美術館は確かに映画は上映してるけど、あくまでも「美術館」なの! 美術館っていうことは必ず「休館日」があるの! そして、美術館の休館日はその特質上、「休日の翌日」であることが非常に多いの!
 したがって、東京都写真美術館は「毎週月曜日休館」なの~!! なんなんだ、この高等数学の方程式にも似た美しすぎる論法は!? 2人そろって、はいドボ~ン☆

 やられましたね……恵比寿ガーデンプレイスに映画を観に行くのはそうとう久しぶりだったので非常に楽しみにしていたのですが、まさかこんな結末が待っていようとは! でも、これで天気が悪かったら正真正銘の骨折り損だったのですが、絵に描いたような晴天にぽかぽか陽気の中、集まる時間までしばらくモダンな園内を散策できたのは良かったです。お昼休憩中のサラリーマン、OL のみなさま、ご苦労様でございます!

 ただ、集まってから気を取り直して調べてみたところ、現在東京では、写真美術館のほかに新宿ピカデリーでも『ハーブ&ドロシー』が上映されていることが判明! これ幸いと、近くの喫茶店でお茶したりして時間をつぶしながら新宿に向かうこととなりました。あ~よかった。

 そういうわけで急遽、恵比寿のおしゃれな喫茶店に行ってコーヒーをいただきつつ近況を語り合ったのですが、まぁ~いいひとときを楽しむことができました。お互いの仕事の話とか、趣味の話とか。ひとつひとつあげれば他愛もない内容の連続なのかもしれないのですが、トータルでそんな話題を持ちよってワイワイやることができているというつながりの温かみと、大学時代になんの気なしに「あ、こんにちは……」みたいな軽さで出会っていたこの人と、15年の時が経過した今現在もこうやって語り合うことができているという不思議な縁ね! しみじみ幸せな時間でしたね~。

 そんな中で、おおむねは楽しいトピックばかりだったのですが、私よりもはるかに情報通な彼女からもたらされたあるニュースに、あたしゃ心底ビックラこいちゃったね~。
 ニュース自体は先月末に報じられたものだったからご存知の方も多いかと思うんですが、私はなぜか知らなかったのよねぇ~、それ。


作家・殊能将之さんが死去 49歳 映画『ハサミ男』原作者
  (シネマトゥディ 2013年3月30日付け記事より)

 ミステリー作家の殊能将之(しゅのう まさゆき)さんが今年2月11日に死去していたことが明らかになった。49歳。
 学生時代から親交があったという書評家・翻訳家の大森望が30日、ツイッターで「ミステリ作家の殊能将之氏が今年2月11日に亡くなりました。享年49。ご遺族の意向で伏せられていたそうですが、殊能氏と縁の深い雑誌『メフィスト』の最新号に訃報と追悼記事が掲載されています」と明かした。同誌は4月3日に発売される。

 殊能さんは福井県出身。断片的な情報以外、一切の個人情報を明かさない覆面作家として、1999年に『ハサミ男』で第13回メフィスト賞を受賞してデビュー。その後は『美濃牛』(2000年)『鏡の中は日曜日』(2001年)といった作品を発表したが、長編小説は2004年の『キマイラの新しい城』を最後に発表が途絶えていた。2005年にはアメリカの SF小説家エイヴラム=デイヴィッドスン(1923~93年)の日本語訳短編集『どんがらがん』(河出書房新社刊)の編者を務めた。デビュー作『ハサミ男』は2004年に映画化されている。
 短編『キラキラコウモリ』の月刊文芸誌『ウフ.』2008年5月号への掲載(マガジンハウス刊『リレー短編集 9の扉』収録)以降は執筆活動をおこなっていなかったが、作品を発表しなくなってからもオフィシャルサイト(閉鎖)やツイッターで近況を報告。自身の死の3日前、2月8日には兄が脳出血で死去したことを明かしており、「バタバタに加え、パソコンの調子が悪いのでしばらくツイートできません」「んじゃまた」とツイートしていた。



 流れとしては、まず私がミステリー作家の今邑彩さんの哀しい訃報と、それをきっかけに今邑作品を読み直していると始めて、そうしたら彼女が「ミステリー作家といえば、殊能さんも……」と教えてくれたんですが。あら~そうだったの、という感じで。

 はっきり言ってしまえば、私は今現在とくに殊能さんのファンであるわけでもないし、殊能さんが奇しくも今邑さんと同じように2010年代に入ってから執筆活動をおこなっていなかったという事実も知らないくらいに近況にうとかったのですが、それでも悲しいとまではいかないものの、なんともいえない感慨深さは残りましたね。
 そういえば、私も彼女も同じようにミステリー小説を楽しんでいた大学時代、『ハサミ男』をひっさげてデビューした謎の覆面作家・殊能将之の存在は、私個人は結局そうならなかったと感じてはいるものの、今後の日本ミステリー界を変革し、牽引してくれる才能が登場したような期待感に包まれていたと思います。
 特に、第2作となった『美濃牛(みのぎゅう)』は「横溝正史の最新版アップグレード!」という印象で大いに期待しつつ読んだものでしたが、期待のハードルが高すぎたのか、そもそも私ののぞむ作家性と違う方だったのか、その結末に私は強い違和感をおぼえ、それ以降の殊能作品はいっさいチェックしていないまま現在にいたっていました。

 にしても、2人が少なからず体感した「時代のうねり」の旗手であった人なのは間違いがないわけなので、やはりその早すぎる死には驚きました。『美濃牛』も読み返してみるか……ほんとに結末まではよかったんだよなぁ~、結末までは。


 こんな話題のほかにも、趣味系としては『ファイブスター物語』のここ最近のドンガラガッシャン事件とか、去年彼女に勧められて観たアルモドバル映画『私が、生きる肌』がどうしてあんなに良かったのかとか、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版・Q』のカヲルくんの土壇場での神がかった頼りなさときたらどうだ!? といったあたりの話に大いに花を咲かせたのでしたが、月曜日の昼過ぎの喫茶店には私たちのほかに、出版関係の編集者さんらしい集まりと、ゲーム業界のクリエイターさんらしい集まりがそれぞれ打ち合わせをしているという、メガロポリス東京ならではの異常に濃すぎる客層だったために、こういった話題もなんの気兼ねもなく語り合うことができたのでした。千葉ではまったく考えられない環境だ……気分はもう、カルチャーおのぼりさん!

 さて、そうやって1~2時間たのしんだあと、私たちは新宿の映画館に向かいました。新宿ピカデリーはいつ行ってもおしゃれねぇ~。
 っていうか、平日の第1日目なのに、新宿は映画館でもデパートでも、どうしてあんなにお客さんでにぎわっているんだろうか!? しかも、み~んなおしゃれ!! まぁお店によるかとも思うんですが、うらやましかったねぇ~、あのにぎわいっぷり。わたしがついこないだ映画館で観た『ヒッチコック』のお客さんなんて、週末金曜日の夜なのに3人よ、3人! ここが東京・新宿のものすごさよねぇ。

 もちろん、私たちが観た映画『ハーブ&ドロシー ふたりからの贈りもの』の客席もけっこうなにぎわいで、満員とまではいかないものの、若い大学生から老夫婦までの幅広い年代層で、だいたい100人くらいは来ていたと思います。平日の昼間にドキュメンタリー映画でこれって、やっぱりすごいですよね。

 それで観た『ふたりからの贈りもの』だったわけなんですが……まぁ~良かった良かった。

 なんともおもはゆい思いなんですが、この映画のよさを文字で説明するのは、ちょっとむずかしい。
 この映画は言うまでもなくドキュメンタリー映画なんでありまして、しかも、そのジャンルの中でもこの作品は、お客さんにとってとびっきり敷居の低いものになっていると感じました。つまり、事前に知っておくべき情報がほとんどないし、観終わった後に「あれはどういうことだったんだろう?」と考える必要もありません。極端な話、2010年の暮れに公開されていた前作『ハーブ&ドロシー』を見ておく必要もなかったのです。そりゃもちろん、前作も観ておいたほうがいいわけなんですが、前作と今回の『ふたりからの贈りもの』は、同じ老夫妻を画面の中心にすえていながらも、そこから広がる世界がまったく違うものとなっています。

 私は幸運にも、人に勧められて映画館で前作を観ていたのですが、そのときはヴォーゲル夫妻(ハーブ&ドロシー)のコレクターとしての恐るべき審美眼に驚き、つつましやかながらも半世紀の長きにわたってミニマルアート、コンセプチュアルアートの収集を続けてきた「異形すぎる偉業」に感服したわけだったのです。もちろん、この道のりに夫婦の固い絆が必要だったことは間違いないでしょう。そういった意味でも、私は前作を観て、一見どこにいてもおかしくない頑固そうなおじいちゃんと優しそうなおばあさんのカップルの中にたぎり続けている「鋼鉄の信念」に感動したわけだったのです。

 さて、そこから一転して今回の『ふたりからの贈りもの』は、ヴォーゲル夫妻の少なくとも2000点はある自宅アパートのコレクションがワシントンの美術館にまとめて無償で寄贈されることとなった、という前作の結末のその後をつづったものとなっているのですが、事態はまったく予想だにしない展開となっていました。なんと、あらためて数えてみたらコレクションの総数が4000点を超えちゃってんの! これはひとつの美術館じゃあ完全に容量オーバーですよ。ヴォーゲルコレクション、どんだけ~!?

 そういったわけで、この『ふたりからの贈りもの』はまさしくタイトルの通り、ヴォーゲルコレクションを50点ずつに分けて、アメリカの全50州にある美術館1館ずつに寄贈するという一大プロジェクト「ヴォーゲル 50×50」のもようと、寄贈した際の夫妻の多忙な日々を描くものとなっているのです。
 つまり、前作の「集める夫妻」というトピックから一転して、今回は「贈る夫妻」を中心にして、贈られた全米の美術館や、そこでの展示に触れた人々の反応、コレクションにおさめられた作品のアーティストとの再会などがフレームにおさめられていき、夫妻の続けてきた行為がどれだけ大きな規模の反響を呼ぶものだったのかをにぎやかにわかりやすく記録していくものとなっていたのです。

 もちろん、コレクションの対象はいわゆる「前衛芸術」というものなので、どこででも売っていそうなノートの切れっぱしに水彩絵の具のしみのようなものをつけただけが10枚くらい、という人類にはまだまだ早すぎる作品もあるわけで、インタビューに答える人々の中には少なからず「なにこれ?」「気分が悪いわね。」という批判的な声もあがるわけなのですが、それもこれもひっくるめて、現代アートに触れて作品に疑問を抱いたり、よきにしろあしきにしろ何かしら感情を揺さぶられる機会を与えてくれたヴォーゲルコレクションへの無数のリアクションは全米に広がってゆくのでした。

 今回の作品の中では、それなりに年もとっているのに、コレクションを寄贈してハイ終わりというわけでもなく、恐ろしいほどのバイタリティで全国の美術館を訪れ、自分たちのコレクションの展示状況をチェックするヴォーゲル夫妻の元気な姿も観られます。やっぱりこの2人は、コレクターではなく「コレクションという活動をするアーティスト」なんだなぁ、と再認識させてくれる勇姿でしたね。
 要するに、これほどの信念と審美眼をもって、50年もの長きにわたってアーティストの作品をなけなしの給料から捻出した金額で購入するかしないかという「闘争」を乗り越え続けてきた以上、もはや夫妻はアーティストと同じかそれ以上の情熱に身を燃やす存在になっていたのです。それが人々の感動の対象にならないはずが、ない!!

 そう考えると、前作で明らかになったヴォーゲル夫妻の常軌を逸した偉業が、それ相応の爆発力をもって全米に波及していく、その「感動のソニック・ブーム」のさまを描いた今回の『ふたりからの贈りもの』は、まったくもって夫妻の人生を賭けた「芸術」の完成の記録でもあったのではないのでしょうか。こういう一国サイズのコンセプチュアルアートだったわけなのね、ヴォーゲルさん!! こりゃあもう、クリストもびっくりのスケール……前作以上に感服つかまつりました。

 この映画は、そういったヴォーゲル夫妻のエネルギッシュな生命力も充分に魅力的なのですが、それに輪をかけて感動してしまうサイドエピソードも満載です。
 やっぱり、どこの州でも現代アートの展示を興味津々のまなざしで見つめる子どもたちの輝く視線には無条件で顔がほころんでしまいますし、今回の全州寄贈プロジェクトによって久しぶりにヴォーゲル夫妻に再会して長年のいさかいを氷解させることになったアーティストの笑顔にも、素直に心に響くものがありました。具体的ないさかいの内容ははっきりとは描写されていないのですが、とにかく時を経て和解する人たちを見るのはいいものですね、ホント……

 そして、終盤で訪れる夫妻の「わかれ」。自身のコレクションの行く末を見届けた上での旅立ちだったので悔いはなかったのかも知れませんが、やっぱり哀しいですね。
 でも、総計5000点におよぼうとしていたアパートのコレクションがほぼ全て寄贈に出されたあと、部屋の壁に残された1枚の絵には完全ノックアウトでしたね。なんという心憎い終幕! やっぱりヴォーゲル夫妻はアーティストだったんだ!!

 とてもいい映画です……最近、老夫婦にかんする別の映画を観て少なからずがっかりした直後の『ふたりからの贈りもの』だったので、なおさら心に響きましたねぇ。やっぱり「本物」には勝てねぇのか。

 もちのろんで、私と一緒に観た親友も大感動だったのですが、「わたしもああいうふうに好きなものにお金を使えるようになりたい。」とつぶやいた彼女の言葉が実に印象深かったですね。
 あることを半世紀もの間やり続けるというのは、いったいどういうことなんだろうか……しかも自分ひとりで自由にではなく、夫婦二人三脚で!
 おそらくそれは、「好き!」というエネルギーだけでは続けていけない道のりだったはずです。「なにやってんだろうか……」と思い悩む時期も二度や三度ではなかったのではないのでしょうか。別に全点展示できるはずもないごくふつうのアパートにダンボール箱だけがひたすら増えていくわけなんですから。
 逆に考えると、これは夫婦でやったから続けられたことだったのかも知れませんね。相手や家族がいるからこそ続けられることといったらやっぱり「仕事」だと思うんですが、もしかしたら夫妻にとってこの収集という行為は、なにかしら生きるために絶対に必要な「作業」だったのであって、「好きな趣味」という範疇のものではなかったのかもしれません。
 それがなにかしらの成果や報酬を生むわけでもないのに……それでもそれは、好きか嫌いかではなく「やり続けなければならない使命」だったのです。そしてそれは、全米の人々の笑顔という形で50年後にみごと昇華したわけで。

 人間、いったいなにが他人の心を揺さぶる個性とたたえられるのか、わかったもんじゃありませんなぁ! 自分だって自分のことがよくわからないっていうのがほとんどなんですからね。そういう世の中に、鋼鉄の信念を持った夫婦の愛と信念の物語、『ハーブ&ドロシー』2部作! 私たちは行けなかったけど、東京都写真美術館では前作の同時上映もやってるらしいから、み~ん~な~で~み~て~ね~。ふ~ふ~ふ~ふ~ふ~! それは別の映画ですか。しかも声がふるい。


 その後、私たちは新宿伊勢丹でお買い物をして、彼女のお子さんを保育園でむかえてご自宅に帰りました。

 ひそかに心配していたお子さんは……どうやらやっぱり私のことは忘れているようでしたが、比較的早めに慣れてくれてケラケラ笑っていました。よかった~!
 でもまぁ、1歳半にもなるともうやんちゃね! この前に会ったときよりも格段にお顔が旦那さまに似てきて、目のあたりに周囲の女の子を夢中にさせそうなデンジャラスさをたたえた色男になってきました。泣かせるようなことだけは、するなよ! 母ちゃんも泣かせるな!!


 そんなこんなで、ありがたくもお食事もいただいて帰った、本日月曜日のお休みだったのでありました~。親友サマ、忙しい中どうもありがとうございました!

 あ~暑かったのに夜はさみぃ……なんなんだ、この昼夜の寒暖の差は!? カゼはひきたくねぇ~!!
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