長岡京エイリアン

日記に…なるかしらん

惜しいっつうかなんつうか……これが今の日本の限界なのか!?  映画『HK 変態仮面』  H(ほめ)サイド

2013年04月18日 22時40分50秒 | 特撮あたり
 ヘイヘイどうもこんばんは~! そうだいでございまする。みなさま、今日も一日お疲れさまでございました!
 春ですね~。あったかくなってきましたね~。このまんまお天気もいいままでいってほしいんですが、どうやら明日から週末にかけてはずいぶんと寒い日が続くようで、雨もかなりキッツいとか? や~ね~ホントに。


 さて、ここ数回、『全国城めぐり宣言』の「備中国・鬼ノ城」編を、なんと鬼ノ城に行けてもいない状態で数回にわたって中断しているので、いい加減に戻らなければならないはずなのですが、今回もまた! 先月の城めぐりはお休みで、最近観たどうしても看過するわけにはいかない大問題をはらんだ、ある映画についての感想をつづりたいと思います。とっちらかってすみませんねぇ。でも観た以上、この作品だけはスルーできなかった! どうしても!!

 忙しい忙しいと言っている割には、ここ最近みょうな頻度で映画を観に行っている私なのですが、今回は夕方すぎくらいに仕事が終わったのをいいことに、近所のシネコン「T・ジョイ蘇我」に自転車をすっ飛ばしてレイトショー上映を観に行くことにしました。この映画館は私の家から見るとそんなに近所ではないのですが、電車を使わずに自転車で行くのがいちばん手っ取り早いヘンな位置にあるんですよね。体調が万全なときには非常に気軽に行くことができるシネコンです。前回の『ヱヴァンゲリヲン新劇場版・Q』の時には思いっきり浜風に当たりすぎてカゼひきましたけど。

 さぁ、今回観た映画は、こちら。


映画『HK 変態仮面』

 『HK 変態仮面』は、福田雄一監督による実写化作品。PG12指定。原作マンガのファンとして知られる俳優の小栗旬が脚本協力を担当する。
 2013年4月13日より全国12館で公開。上映時間105分。配給はT・ジョイ。先行上映+オープニング2日間で動員1万3629人、興収2200万円を記録している。

あらすじ
 紅優(こうゆう)高校拳法部に所属し、殉職した名刑事を父に持つ正義感溢れる青年・色丞狂介(しきじょう きょうすけ)には、他人に言えない秘密があった。彼は女性のパンティをかぶることで、SM嬢の母親から受け継いだ変態の血に秘められた潜在能力が発揮され、超人的パワーを持つヒーロー「変態仮面」へと変身するのであった。冴え渡る数々の変態秘技を駆使し、変態仮面は今日も悪人どもを懲らしめる。

スタッフ
監督・脚本        …… 福田 雄一(44歳)『コドモ警察』
原作            …… あんど 慶周『究極!!変態仮面』(集英社)
脚本協力         …… 小栗 旬(30歳)
CGディレクター      …… 久保江 陽介
特殊造型         …… 松井 祐一
アクションコーディネート …… 田渕 景也

おもなキャスト
色丞 狂介(しきじょう きょうすけ)/変態仮面 …… 鈴木 亮平(30歳)
姫野 愛子                      …… 清水 富美加(18歳)『仮面ライダーフォーゼ』(2011~12年)
色丞 魔喜(狂介の母)               …… 片瀬 那奈(31歳)
戸渡                         …… 安田 顕(39歳)
大金 玉男(おおがね たまお)         …… ムロ ツヨシ(37歳)
真面目仮面                     …… 佐藤 二朗(43歳)『幼獣マメシバ』シリーズ(2009~13年)
さわやか仮面                    …… 大東 駿介(27歳)
細マッチョ仮面                   …… 大水 洋介(ラバーガール 30歳)
色丞 張男(狂介の父)              …… 池田 成志(50歳)


 『究極!!変態仮面』(きゅうきょく へんたいかめん)は、マンガ家・あんど慶周(1969年~)により『週刊少年ジャンプ』(集英社)で1992年11月~93年12月に連載されたマンガ作品である。単行本全6巻(文庫コミック版は全5巻)。
 「変態仮面」の物語は上記の連載作品のほかにも、連載前に読み切り作品として執筆された単発の3作品や、文庫版第5巻に書き下ろされた連載最終回を補完する後日談エピソード(2010年2月)、マンガ家・小林尽によるリメイク続編『帰ってきた変態仮面』(2008年1月)がある。最新作は実写映画の公開にあわせて『月刊ジャンプSQ 』2013年5月号に掲載された読み切り作品『変態仮面セカンド』。



 出ました。この春最大の問題作でございます。
 天下の『ジャンプ』作品であるはずなのに「 PG12(12歳未満の鑑賞には成人保護者の同伴が適当)指定」とは! でもこの指定、最近は『北斗の拳』、『僕は妹に恋をする』、『バイオハザード』シリーズ、そしてずいぶん前にここでも取りあげた『仮面ライダー THE NEXT』とかもそうだったんですよね。要するに、小学生くらいでも楽しめる内容だけど「直接的な残酷描写や性描写はあるヨ。」というわけです。
 でも、観た感じとしてはこの『変態仮面』はどこにも過激な暴力描写もないし、「性描写」ったって、根本は少年マンガ雑誌のギャグ作品であるわけなんですから、それほど核心をついたものはなかったのですが……

 あ、変態仮面が変身する必要に迫られてやらかす下着ドロがきわどいんですね、これ。このご時世に「犯罪描写」で PG12指定になるとは……さすが『変態仮面』! 正義のためとはいえ、その変身過程の時点ですでに社会通念を超越してしまっている異形のヒーローです。

 私が行ったのは平日のレイトショーだったのですが、公開初週だし千葉県で観られる映画館がここしかないという状況もあいまってか、若いお客さんでかなりの盛況といった感じになっておりました。スクリーンがけっこう大きかったので満員とはいかなかったものの、少なくとも100人はしっかり入っていたと思います。
 あと入場してびっくりしたのは、女性客が多いってことですね! 彼氏彼女の2人連れがほとんどでしたけど、女性同士が連れだってというパターンも多くて、上映中は男性よりもむしろ、女性の笑い声がかなり大きく響いていたような気がしました。これはね、昨今の特撮ヒーロー映画の客層事情からするとかなり特殊な状況になっているかと思います……だって、たいていオッサンかガキンチョさまばっかりじゃん!?

 ところで、私自身は今回の映画『変態仮面』の原作となった伝説のマンガ『究極!!変態仮面』についてはそれほど熱を入れて読んだ記憶がありませんでした。
 『究極!!変態仮面』が連載されていた1990年代初頭といえば、ちょうど私が『ジャンプ』を雑誌で読むのを卒業したくらいのころで、大好きだった『ザ・モモタロウ』(にわのまこと)&『サイボーグじいちゃんG』(小畑健)コンビと、しばらくたってから始まった『るろうに剣心』(和月伸宏)&『王様はロバ』(なにわ小吉)ペアとのはざまにあたる「個人的には静かな時期」だったんですよねぇ。くだんの『究極!!変態仮面』についても、「なんか大いに小学生ウケしそうなのが始まったみたいだね。」くらいにしかとらえていなかったはずです。
 ていうか、実はその1990年代初頭にも私が「唯一例外的に夢中になった」ジャンプ作品はあったのですが……その話をするとまた長くなってしまうので、今回はさらっと無視しましょう。こんなブログやってる私なんですから、賢明なそこのあなたは、だいたいお察しがつくでしょうよ!!

 ところが、そのくらいに原作マンガに疎遠だった私でもついつい映画館に足を運ぶ気になってしまったのは、やはりかなり期待値の上がる予告編の出来と、その中で主人公を演じる鈴木亮平さんの「イケメンでないカッコよさ」だったのです。あの首の太さ、スタントなしだという変身後の裸体のマッシブさ、そして、どのセリフにもしっかり貫かれている確かな「ヒーローの熱さ」! たかだか1~2分の予告映像にして、これはもう観ないわけにはいかないという気分にさせられてしまったのでした。

 そんなわけで観てきた映画『変態仮面』。そのお味は!?


予告にいつわりのない鈴木亮平の名演と作品世界! でも、予告されてない部分が足を引っぱりすぎて傑作には遠くおよばず!!


 残念無念。わたくしといたしましては、もうこの思いだけでした……

 この『変態仮面』に関して、私が映画館まで観に来て良かったと感服したポイントは3つあって、それは「主演の鈴木亮平」、「異形ヒーローものとしての肝を実に的確におさえた物語」、そして「ライバル役の安田顕の納得の変態感」でした。

 まずはとにかく鈴木さんの堂々とした主役っぷりなんですが、30歳でありながらもまったく違和感なく10代の高校生を演じおおせているのは、これはもうひとえに、彼の両の瞳に「世界の清さを信じようとする若さ」と「周囲の目を過剰に気にするナイーヴさ」が確かに宿っているからなのだと見ました。どんなにフケ顔だったのだとしても、そこがあったら立派な高校生男児なのです。
 そして、文句の言いようのない変身後の肉体美! 詰め襟の学生服を着ているときの鈴木さんは「ちょっと鍛えすぎたか……?」と思わずいらぬ心配してしまうような着ぶくれ感があるのですが、脱いだらちゃんとスマートな筋肉質にできあがっているんですよね! 細すぎず、ムキムキすぎず……まさしく、『ジャンプ』のアクションヒーローを実写化するのならばこのくらいの感じがピッタリというベスト体型になっていたと感服いたしました。
 ただし、一点だけ苦言を呈させていただけるのならば、予告編で特にインパクトのあるカットになっていた、「窓にもたれかかって外のヒロインにさわやかに手を振っている狂介の、見えない下半身だけが変態仮面」というシチュエーションが物語本編に組み入れられていなかった、ということだけが気にかかりました。なんであんなにいいシーンを使わなかったのか、まったく理解に苦しみます。

 この予告編のサービスカットにも大いに象徴されているテーマなのですが、第2のポイントとして、この『変態仮面』は、「人間が人間を超えた存在になったために生じてしまう異形の哀しみ」という部分をこれ以上ないくらいにわかりやすく映像化している作品でした。

 まず、世界的に有名なスーパーヒーローというものは、誰であっても最初は「人間じゃないヘンな奴、こわい!!」という視線にさらされるところからスタートすると断言して間違いないでしょう。赤いヒラヒラしたマント1枚で空が飛べる人もそうだし、全身黒ずくめで猫耳ならぬコウモリ耳をピンとおっ立たせた人もそうだし、身長40m もある銀色の巨人もそうだし、緑色のバッタの顔をしたバイク乗りもそうだし、人に自分の顔の一部を分け与えて首なしで空を飛ぶ(絵本設定)人型アルティメットあんパン兵器もそうです。
 そういったキャラクターは、もちろんそれなりの理由で必要に迫られてそういう異形に身を変えているわけなのですが、スーパーヒーローは強敵を倒し、人々の信頼を勝ち取っていくたびにそれらの異形さを一般社会に溶け込ませていくことに成功し、いつしか「そういう格好をして闘うのが当たり前のひと。むしろカッコいいじゃん!」という市民権を獲得していくのです。

 しかし、それはどういうことなのだろうか……もしかしたら、「並みの人間では打ち克つことができない悪に立ち向かうために人間をやめる」「こういう不気味な肉体を獲得しなければ人類を悪から守ることができない」というスーパーヒーローの大きな犠牲精神、つまり「人類の平和を創出するために、自分が率先して人類でない存在になって闘う!!」といったパラドックスをかかえた肉体の苦悩、激痛がそのまま表面に現れたものこそが「ヒーローの変身」なのだという、その悲劇的であるがゆえに美しすぎる原動力を失っていくということなのではないのだろうか!?
 そんなことばっかりつぶやいていると、平成生まれのみなさんからは「古くせぇ~」「強くなるんだから気楽にどんどん変身して闘えばいいじゃん。」「重たいヒーロー設定なんかいらないよ!」などと総スカンをくらいそうなのですが、最近の「平成ライダーシリーズ」や「ヒーロー大戦シリーズ」の話を聞くだに、おじさんもう、人知れずため息をついちゃうわけよ……「その格好をしているのが当たり前の変身ヒーローなんて、変身する意味あんのか?」と。

 余談ですが、私は『スーパーヒーロー大戦Z』はたぶん、観に行きません。なぜならば、そこに魅力的なヒーローや悪の組織が出てきてくれる予感がまったくしないからです。西沢利明さんも、もういないしね。
 ドル箱シリーズになっているのは非常に結構なことなんですが、どうか東映さま、これ以上、偉大なる「ショッカー」とイカデビル閣下、そして1980年代生まれの永遠の憧れ、世紀王シャドームーン陛下の名前を汚さないでいただきたい! それらはそんなに軽薄に引っ張り出して使いまわしていいほどペラいものじゃあないんです。
 そしてついに、前作の『スーパーヒーロー大戦』ではめでたく、「新規にリファインされた昭和ライダーの悪の幹部が存在価値もない上に、変身前&変身後ともにデザインが昭和に劣る。挙句の果てにゃ中の役者も圧倒的に劣る!」という事態に堕ちきりました。もうやめてください、その安易な客寄せ作戦!! おい、ヨロイ元帥だけはぜっっっったいに復活させるなよ!? 中の役者さんは正真正銘、本物のヒーローなんだからな!!


 アラやだ。すみません、とり乱しました……


 ともかく、今回の『変態仮面』の主人公・色丞狂介にまつわる「最初の変身の物語」は、母親がプロの変態であることからくる「血の悲劇」、変身するために女性のパンティを失敬しなければならない「国の法を犯す存在である背徳」、変身後の姿が一般市民にも悪人にも笑われる「異形の哀しみ」、そして極めつけには、愛する人に知られるわけには絶対にいかない「正体を知られることへの主人公の恐怖」といった、多くの偉大なる先人たちの歩んできた苦難の道を非常に強く観る者の心に訴えかける、ヒーローもののお手本のような丁寧なつくりになっているのです。ここは本当に、鈴木さんの入魂の演技もあいまって、しみじみ狂介の悲劇と、それを乗り越えるクライマックスに無理なく身をゆだねてしまう素晴らしいストーリーラインになっていました。

 丁寧な演出としては、中盤に展開される狂介の心の中での「変態仮面との対話」シーンも実に印象的に挿入されていて、それはまぁありていに言えば、暗闇の中で変身前の狂介と変身後の変態仮面とが向かい合って、限られた青春の休日を狂介としてヒロインとのデートのために使うのか、はたまた変態仮面としての闘いのために費やすのかを問答するだけのシンプルなやりとりなのですが、そこには、ある人物が「正義の味方」になるために己をかなぐり捨てるということの過酷さが端的に語られていると感じました。有名になるとかすんでいきがちなのですが、ヒーローに変身するってことは、ケースによって多少の差はあるにしても、こういう2つの自分の葛藤と苦悩が常に隣り合わせになってるってことなんですよね。

 そして同時に、その苦悩があるからこそ、特にこれといった特殊武器も持っていないはずの変態仮面は、あれほどまでに説得力のある強さを兼ね備えたスーパーヒーローになりうるそのエネルギー源、「高揚感」「解放感」を変身後に身にまとうことになるのです。
 人目を恐れながら更衣室に忍び込む学生服姿の狂介と、変身後に「フオオオオオオッッッッ!!」と絶叫しながら更衣室を飛び出して敵の下へ向かうために体育館を疾走していく変態仮面。この対比こそが、すべてのスーパーヒーローの原点にあるべき「変身の力学」なのです!
 まさに、変身と変態は表裏一体。「おれもおまえもモンスターなのよさ♡ 」という、あの『ダークナイト』におけるジョーカーの言葉が脳裏に強くよみがえります。

 ジョーカーといえば、ヒーローものに必要不可欠な存在は「魅力的な宿敵」であるわけなのですが、今回の『変態仮面』でその責を充分すぎるほどに担いきっていたのが、謎の数学教師・戸渡(とわたり)の役を演じた安田顕さんでした。まぁ、ここで堂々と安田さんを「宿敵」と言ってしまうのは明らかなネタばれであるわけなのですが……この作品に登場した安田さんを見て「ただの数学教師」だと認識するイノセントなお客さんはゼロに近いでしょう。顔も映りこまない後ろ姿だけのファーストカットから変態オーラ全開なのですが、その生気のない虚ろな目つきと、ヘンに目立つ青々しい髭のそりあと……これは間違いなく、なにかしら余人の入り込めない恐るべきカルマを抱えている人物であると感じざるをえない「本物の殺気」があります。外見はふつうにかっこいいおじさんのはずなのに……

 「目には目を、変態には変態を!」
 変態仮面の活躍を苦々しく感じる悪の集団から差し向けられた秘密兵器だった戸渡は、変態仮面を軽く凌駕する変態っぷりをあらわにして街の女性を恐怖のどん底に叩き込む凶行を重ね続け、満を持しての直接対決で、一時は変態仮面の「変身する意志」さえをも萎えさせてしまう文句なしの大勝利をおさめてしまいます。

 結果から言ってしまいますと、最終的に戸渡は、ヒロインを救うために絶望の淵から復活・変身した変態仮面(フリルつき)との再戦で、いかにも『ジャンプ』のヒーローらしく「愛さえあればオールオッケー!」状態になり、かつ「変態のレベルと腕力は別に関係ない。」という実に「それ言っちゃあ、おしめぇよ」なひらき直りの境地に達した変態仮面の究極奥義によって気持ちよく完敗して大地に還っていくことになります。お互いにほとんど全裸に近い40手前のおっさんと筋肉ムキムキの高校生とが殴り合ったら、まぁそういうことにはなりますよね……

 しかし、肉弾戦に負けたからといって、戸渡が狂介にとって、しょせん脅威となる敵でなかったということには決してなりません。
 むしろ、理論において完膚なきまでに変態仮面の変態観を破壊し尽くしてしまった戸渡の変態美学は、たとえ親が筋金入りの変態だろうが、自身がその肉体で築き上げてきた「現場の変態経験」が絶対的にとぼしい狂介の青っちょろさを鼻であざ嗤う、数十年にわたる「変態人生の積み重ね」に裏打ちされた叩き上げの力強さを兼ね備えており、特にその充血しっぱなしの眼が語る渾身の変態演説には、観客に変態への笑いや嫌悪を通り越した「あわれみの感情」、もしくは「共感の涙」をもよおさせるに充分な魂がこもっていたのです。
 まさに変態は、その人の一生を通じてつきまとう死病! そんな諦観をたたえた戸渡のたたずまいは、まさしく変態仮面と同じかそれ以上に「2つの顔を持つ変身人生」の哀しみを身にまとう味わいを持っていたのでした。

 恐るべし、俳優・安田顕!! 私は『水曜どうでしょう』をほとんど知らない人間なので安田さんの仕事を観たのは今回が初めてだったのですが、ここまでに「異形の悪人」を切実に演じきることができる人物が平成日本に現存していたとは……
 特に、大勢の人が行き交う街中での変態仮面との対決の過程で、変態仮面とほぼ同じ露出度の状態で駅前の交差点を疾走していくワンカットには度肝を抜かれてしまいました。周囲の群集のリアルすぎるリアクションからみても、明らかにエキストラなしのゲリラ撮影のようだったのですが、たとえお給金をいただける仕事なんだとしても、あんなことをやり通せるプロはそうそういねぇよ。ちなみに、このときの彼を追いかける狂介は変身前の普段着姿です。

 それに、全裸になった安田さんは特に鈴木さんみたいに肉体改造もしてないらしく、あばらの浮き出たナチュラルなおっさん感にあふれていたから、ヒーローっぽく人前に出る準備をしている鈴木さんに比べて「リアルに変態っぽい」雰囲気が段違いなんですよね……
 心身ともに変態! まさに日本のヤスケンは、『バットマン』のジャック=ニコルソン、『バットマン・リターンズ』のダニー=デビート、『スパイダーマン』(サム=ライミのほう)のウィレム=デフォー、そして『ダークナイト』のヒース=レジャーらに肩を並べる仕事をしてくれたと言って間違いはないでしょう! 少なくとも『バットマン・ビギンズ』の謙さんは超えてるはず。すみません、『アメイジング・スパイダーマン』はまだ観てません。

 今回の映画宣伝のためのインタヴューで主演の鈴木亮平さんは、安田さんを評して、

「悪役を演じたヤスケンさんが、『ダークナイト』のヒース=レジャーが演じたジョーカーも嫉妬するんじゃないかというくらいスゴイことになっています!」
「ヒーローものは悪役が魅力的じゃないとダメだと思うんですけど、この作品はそこをバッチリ満たしているはず。」(シネマトゥディ 4月15日付け記事より)

 と激賞しているのですが、宣伝のための出演者の談話として話半分に受け取るとしても、今回の共演で鈴木さんと安田さんとが魂の共鳴する変態コラボレーションを体験したということは間違いないでしょう。こういった才能ある役者同士の生身の対決が楽しめるというだけで、作品を観に行く価値は充分にそなわっているはずなのです。


な・の・に。


 それなのに、この『変態仮面』を見終わったあとの私の胸中には、言いようのない「残念感」が残ってしまっていたのです。
 「いい役者」、「ヒーローものの原点に立ち返ったストーリー」、「魅力的にもほどがあるライヴァル」。その3点がこれだけ申し分なくそろっているというのに、それらをぶちこわしにした存在が、この作品の中にはいろいろあった!!

 もちろん、それをもって「観なけりゃよかった。金返せ!」とまではいかないのですが、この作品を通じて私は、感動よりも「大丈夫か、日本の映画界!?」という要らぬ心配まで激しくいだく心境におちいってしまいました。余計なお世話なんだろうが、千ウン百円払ったんだから、そのくらいつぶやかせてちょーよ!


 ということで、毎度おなじみ『長岡京エイリアン』恒例の「ホメたらオトす映画評」の流れに突入していくわけなのですが、相変わらず、こと特撮作品に関してはムダに熱くなってしまうタチで、今回も例によって字数がかさんできましたので、続きのうだうだはまた次回の講釈ということにさせていただきたいと思いま~っす。


 いっつもいっつも長くってゴメンね……でも、これが『長岡京エイリアン』なのヨ。
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