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華やぐ時間

時の豊潤なイメージに惹かれて 。。。。

映画  ” 列車に乗った男 ”

2005-05-20 19:52:07 | ★映画  
パトリス・ルコント監督の作品もよく観てるなぁ   ”仕立て屋の恋”  ”髪結いの亭主” 
”大喝采” ”橋の上の娘” ”ハーフ ア チャンス”  ”歓楽通り”  
そして 見逃していた映画”列車に乗った男”をやっと観ることが出来た

ものがたり
上品で教養のある独り身の元国語教師と強盗稼業の元サーカス男が偶然出会い 数日一緒に暮らす
国語教師(ジャン・ロシュフォール)は 銀行の下見に出かけた男(ジョニー・アリディ)の留守に
その上着皮ジャンを羽織ってみる   鏡の前で気取ってポーズを取ってみる
また 居間で寛いでいる時 強盗男が「室内履きを履いたことがない 履いてみたい」と言う
履き心地がいいと嬉しそうな様子に 国語教師が「あげるよ」と言う
この二つの場面はそれぞれ二人が手に入れ得なかった人生を暗示していて 一目瞭然

むっつり押し黙り静かな凄みを感じさせる強盗男 荒れた生き方をして来た様子が全身から醸される
人の良さそうな国語教師は人と話したい親しくなりたいというふうに街のカフェに案内する
店内で傍若無人に振舞う不良っぽい二人の若者に客たちは我慢をしている  誰も注意をしない
国語教師「だんだん気に障る 気にならないか?」  強盗男「相手は二人だ 俺はもう若くない」
「第二の人生が始まるかな?」と国語教師が立ち上がる 「君たち静かにしたまえ」
おお! 観客のわたしはドキドキ・・・  
国語教師が席に戻る  「第二の人生は始まらなかったよ」  強盗男も苦笑する

3日後の土曜日に心臓バイパス手術を受ける国語教師  
その土曜日に仲間が集まって この寂れたような街の銀行強盗を計画している男   
もう若くない どちらの男も土曜日に向けて不安とためらいを抱いてる
互いに相手の生活 生き方になり代わりたいと思っている

ラストの場面は何だったのだろう
数年後 互いの願望が実を結んだ・・と わたしは観たい
二人のために そういうラストであってほしいと思う

ルコント作品に常連のロシュホール   ロック歌手だったアリディ
それぞれの男の存在感  生きてきた過程をその風貌 言葉の端々でそこに置く
そして ルコント監督の情のある目線を感じる  

どのくらいか時間をおいて また観たい映画・・の引き出しに入れておこう

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映画  ” クローサー ”

2005-05-15 01:11:54 | ★映画  
映画試写券が当たっちゃったもんね  なかなか会えない友をコレで誘って観て来ちゃったもんね
映画”クローサー”   ゴールデン・グローブ賞2部門受賞だってさ
英語のスペルがわからない   closure 閉鎖 終止・・の意味かなぁ

ロンドンで巡り会った写真家  ストリッパー  小説家  医師の物語
大人の女 ジュリア・ロバーツ ・・・ 愛に慎重でいて 傷つく心
小説家 ジュード・ロウ ・・・ 魅力的な女性に惹かれて 傷つける心
ストリッパー ナタリー・ポートマン ・・・ 自分に正直なまっすぐな心 微笑の下に寂しい心
医師 クライブ・オーウェン ・・・ 僕を愛してほしい 男としての自信を確認したい心

4人の男女の情愛 嫉妬 愛し方   告げられる嘘  心から伝える真実
愛しているから疑い  愛したいから疑惑   愛し方 求め方が変容していく
真実を言い続ければ愛や恋が上手くいく・・ というわけでもないのだろうなぁ と思う
信じなければ壊れていく  信じるから壊れていく  信じないほうが壊れない
どれが嘘で  いつが真実だったのか

出口でアンケート係が 「自分は4人のうちの誰に近いと思いますか」と質問していた
するりと逃げちゃったけど わたしは ひたむきだけどどことなく浅いジュード・ロウでいいや
確かにハンサムだったなぁ  釣り合う美人になって腕を組んで歩いてみたいもんだ♪

いちばん惹かれたのは ナタリー・ポートマン  素敵な女優になったねぇ
ストリッパーの役できれいな肢体を見せてくれる  一番傷ついてしまう人物に見えたなぁ
艶然と微笑む悠々とした笑みの中に 深い寂しさが見えるような気がしたなぁ

粗筋だけなぞったら なんじゃ?って物語に思えたけど どの役者も適材適所だと思う



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映画  ” こころの湯 ”

2005-05-08 22:44:30 | ★映画  
NHKドラマ”大地の子”の日本人孤児の養父役 朱旭(チュウ・シュイ)の主演映画
劇場で見逃したのをテレビが放映してくれたのでビデオに撮って やっと観ることが出来た

父が下町で営む銭湯;清水池を継がず 都会で働くターミンは弟アミンから葉書をもらう
知的障害のあるアミンは父が横たわる絵を描いてきた  心配して久しぶりに帰郷するターミン
父に変わりはなかったが アミンが迷子になったり父が風邪で倒れたりが続き 滞在を延ばして
銭湯を手伝う  そのなかで ターミンはこの仕事を愛する父の気持ちを理解していくのだけれど
地域の再開発のために銭湯の取り壊しが決まり 父も亡くなってしまう

              ****

隣近所の常連達で朝から賑わう銭湯  古い大きな銭湯  建物に入っただけで癒されそう 
人々の暮らしの喜怒哀楽  くつろぎ 親しみやすさ 人情のこまやかさ
父は目を細めて人々へ笑顔を返し アミンのお客たちへの誇らしげな応対は観てても嬉しい
仕事が終わった後 毎日の日課であるアミンとのジョギングへ行く父
アミンへ話しかける父の笑顔  その慈しみにあふれた表情
父と弟が笑い転げる様子を見ているうちに ターミンの都会人っぽい心がほぐれていくのがわかる

中国で国宝とまで言われる朱旭の自然なあたたかい演技に惹かれる
”變臉(へんめん)/この櫂に手をそえて”も いい映画で  物語にはホロホロ泣けてしまった
どういう生き方をしてくると このような表現・演技が出来るのだろうかと思ってしまう

人間と人間は心で繋がる   今さらながらに つくづく そう思う

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映画  ” インファナル・アフェア ”

2005-05-05 14:56:48 | ★映画  
”インファナル・アフェア”をⅡⅠⅢの順番で観た  男の映画だなぁと思う
わたしは Ⅱ一本で十分惚れ惚れ 映画として堪能できる   

もう一度観たい映画Ⅱの評を抜粋してみる
刑事ヤンとマフィアの青年ラウがそれぞれ相手の組織に潜入する理由と経緯が解き明かされる
若き日のヤンとラウは 組織の思惑以前に 潜入せざるを得ない不幸な血縁関係と
報われぬ恋という宿命を抱えている   ふたりの苦悩は切なくて深い
彼らは ボスの座を巡るマフィア内の抗争 警察側の策謀 さらには夫を新しいボスの座にと
願う妻の思いが絡んだ 複雑で危うい勢力図の中にいる
駆け引きが生み出すすさまじい緊迫感 信頼と裏切りと復讐 皮肉な結末
ダブル潜入という秀逸なアイデアと 人物の造詣を掘り下げ 錯綜する人間関係と
そこからほとばしり出る心情によって作り出されるサスペンス 
だれもが最善の方策をとったつもりなのに 何もかもが悪い方へと転がっていく
ヤンの悲しみ 人間の業の深さを思うと やるせなさが募り 胸が痛む

脚本がすごいなぁと思う
香港映画の俳優って なんてカッコイイ男が多いのだろう
トニー・レオン  アンディ・ラウ  ショーン・ユー  エディソン・チャン
ほかに アンソニー・ウォン  レオン・ライ  チェン・ダオミン
立っているだけで存在感があり 男の清潔な色気がふんぷん
大人の男の役者が多い  
以前から 悪役は知的で美男で静的な雰囲気の男が似合うと思っていた
そのほうが絵になる  悪はゾクゾク絵になるほうがいい

それにしても平々凡々  変わりばえしない日々をありがたいと思う
凡庸たるや平凡の偉大さに徹せよ

  
 
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映画 ” エレニの旅 ”

2005-05-05 02:16:36 | ★映画  
ギリシャの巨匠テオ・アンゲロプロスの作品 ”エレニの旅”を観てきた
この監督は”旅芸人の記録”を観て以来のファン   ”永遠と一日”も良い映画だった
3時間弱の上映時間  叙事詩的映像  長回しのカメラ  寡黙な映画である
ドラマチックな場面でもBGMはなく 登場人物が楽器を奏でた時に音楽が現われる

”エレニの旅”は1919年から1949年にいたるギリシャ人孤児エレニの物語である
時代に翻弄されて不運な生を生きる女性の物語である
難民として帰国してきたギリシャ人達が大きな川沿いに村を作る
(スタッフが2年かけて そこへ実際に当時の村を作っての撮影という)
スピロス一家の養女として育てられ スピロスに結婚を迫られ 一家の息子アレクシスと逃げる
音楽家ニコスに助けられて生きていくがスピロスが追って来る  内戦に巻き込まれる
いつまでも心細く不安な日々ばかり続いていく  笑顔の場面も食事をする場面もなかった
舟で村へ帰って来る黒い旗を揚げた葬式のシーンの黒い美しさ
期待で逃れて来た白布が風にはためく丘  後半ニコスの血でよごれる白布
アメリカへ発つアレクシスとエレニをつなぐ赤い毛糸の色

内戦に巻き込まれる国  そういう時代の中で生きる貧しい人々
アレクシスと子どもを拠り所として生きながらも 流転の難民のようにいつも落ち着けない
そういう中で楽器を奏でる登場人物たちの音楽は とてもあたたかく和む
アレクシスの奏でる哀愁のアコーデオンの音色   廃屋で人々が踊る陽気な音楽
人生に音楽のあることがこんなにも救いかとしみじみ思う

人が過酷な時代を必死に生きている誠実さが映像美となっている映画である
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映画  ” Shall we Dance?”

2005-05-01 01:49:09 | ★映画  
日本版を観ていたので どうしても場面ごとに比べながら観てしまう
日本人は社交ダンスを習うということに気恥ずかしさがあるかもしれない
アメリカの人たちは踊ることにそれほど抵抗がないのではないかと思う
こういうお国柄の背景がまずあると思う
日本人が周囲になんとなく秘密にして習うから面白い映画だったのであって
アメリカ人も社交ダンスを習うことを内緒にしたいものなのかなぁ

社交ダンスはイギリスで格調高く盛んなような気がする
アメリカのフロアは映画で見る限り ディスコフロアのような印象
そこではダンスもソシャールよりラテン系ヒップホップのような群舞

主人公の職業を弁護士にしたのはなぜかなぁ
幸せな家庭に物足りなさを感じた主人公の心情であったようだけど
遺言書を作成する仕事をしているらしい
遺族の前で遺言書が読み上げられた時 残された者の思惑が外れる
財産が犬へ渡り 庭師がオペラ座のチケットを手にする
この独白の中に人の生は予定調和ではないことを語っていて面白かった

日本版はしっとり品のよさを感じたけど ハリウッド版はなんか猥雑な印象
ほとんど同じにリメイクする意味はあったのかなぁ
似たようなエッセンスで 別の物語に仕立てたほうが面白いのじゃないかなぁ
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映画 ” 愛の神 エロス ”

2005-04-21 12:49:28 | ★映画  
愛をテーマに三人の監督で三本の独立した物語   
その中の一本が【若き仕立て屋の恋】 監督がウォン・カーウァイ
大好きな女優コン・リーがヒロイン  ”愛の神 エロス”がつまらないわけがない

1963年の香港 高級娼婦ホアの元へ 仮縫いにやって来た新米の仕立て屋チャン
待つように通された居間の隣の部屋からは ホアとパトロンの睦み声が聞こえてくる
パトロンが帰り ホアの寝室へ通される
「その手は何を隠しているの?  手を下ろしなさい  ここへ来なさい」
「手を見せて  女の体を知らない手ね」
「ズボンを脱ぎなさい  下着も取って」
美しく毅然とした表情のまま 寝そべっているホアの右手はチャンの太腿を撫でていく
数秒数分 ホアのそばに立ったまま チャンの表情が震えていく

以後数年間 ホアのドレスを作り届けて ホアの凋落をも見続けていく
パトロンが来ているときは隣りの部屋で待たされる
渡しそびれて持ち帰ったドレスを仕立て台の上に広げ 裾のほうからゆっくり手を入れていき
愛しそうに優しくゆっくり胸のほうへ伸びていくチャンの手
物語中 ほとんど言葉を言わないチャンの寡黙な熱い想いが その手の動きから伝わってくる
なんて深い情愛 なんて切ない想い  チャンの手の動きから愛と慟哭が伝わってくる

やがてホアはパトロンに去られ 安普請の簡易宿で客を取るようになっていく
死病に冒されたホアは訪ねて来たチャンに言う
「ドレスはもう着られないわ  持って帰って」
「わたしの武器だった体ももう使えない  この手が残ってるだけ」
「わたしの手を覚えてる?」  チャンの頬を撫でるホアの手  
ホアへの想いに口づけを求めるチャンを「病気がうつる」と制するホア
ホアへの愛を美しいチャイナドレスを縫い続けることで証しとしてきたチャン
彼女を失おうとする時 自分の想いもホアと共に昇華させたように思えるラスト
チャンの寡黙な目に湛えた涙はホアを失うことへの涙だけではなく
自分も一緒に滅びていく充ち足りて 無償のまっ白い涙に見えた

ウォン・カーウァイ監督の”花様年華”にも感動したけれど
この映画も どのくらいか時間を経て もう一度観たい映画だと思う

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映画  ” 薔薇の名前 ”

2005-04-14 12:05:00 | ★映画  
新聞のテレビ番組欄に 以前観た映画 ”薔薇の名前”のタイトルを見つけた
もう一度観たかったので録画しておいた  今日はゆっくり映画鑑賞

14世紀初頭、北イタリアのベネディクト派修道院に放浪の修道士パスカヴィルのウィリアムと
見習い修道士メルクのアドソがやってくる  この修道院で開かれる会議の準備をするために・・
荒れ野の山に城砦のように建っている孤高の修道院  
分厚い原作を読んでいく楽しみ方もあるだろうけど  映画は視覚で楽しめるのが嬉しい

修道院内で殺人が起きた直後に主人公たちが到着する  間をおかず 2人3人と死人が出る
ミステリー仕立ての物語である  信仰心厚い人たちの集団の生活の場ではあるだろうけど
ほとんど老年壮年の男ばっかりの中世の自給自足の修道院の様子には
なんだか閉鎖的な古い時代の修道院の異様な雰囲気がよく出ている
神を信じて 神に愛を捧げる人たち  どんなに清く澄んでいる生き様かと想像してしまうけど
男性だけの修道院  女性だけで暮らす修道院・・ 同性だけの集団って良きものなのかなぁ
なんだか同性の持つ良きところ・まずき資質が暮らす人の数だけ 膨らんでいきそう
純化されて倍化されて伝染して 重たく篭りそう

キリストは荒野に一人で過ごした
 ”孤独でいることを覚えなさい
  人生は生きるに値するもの
  人生は独りでも愛せるものだから ”  こういう言葉を教えてくださった方がいる
一人一人の人間の中に 澄んだココロと澱のように澱んだココロがあるのかもしれない
人間には目が二つある  両方のココロを見つめる・・と今さらながらに思う

映画の中で 黙せよ 笑うなかれという箴言が語られる
「笑いは信仰の邪魔  悪魔への恐れが信仰の元になる」・・と犯人が言う
別の場面での印象的なセリフは
「恋愛のない人生は 平和 安全 穏やか。 退屈ではあるが・・」と主人公が呟く

一冊の本がもたらした事件なのだけれど その時代の宗教の位置  信仰のいくつかの派
今の時代の視点では計り難い それぞれの人の真摯な生であり はみ出す生であると思う

修道院は 旅人の宿泊施設も兼ね備えていたという
病に伏す者のためには薬草学も研究されたことだろう
堅牢な石の建物の細部にわたる仕掛け 迷路 小部屋・・  わくわく楽しめた
修道院内の映像は ドイツのどこか実在の修道院での撮影のようだけれど
石の建物  重機もない時代の人たちがよく建立したなぁと いつも感激する

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映画 ” アビエイター ”

2005-04-11 11:58:00 | ★映画  
THE AVIATOR・・アビエイター(飛行家) 富豪ハワード・ヒューズの伝記映画
どういう生き方をした人か ほとんど知らずに観に行ったけれど 3時間ほどの長い映画 
子どもの頃 母親に体を洗ってもらう場面から始まる  なんだか すでに危うい予感がある

親を亡くし 莫大な遺産を継ぎ 映画を作り 世界一早い飛行機を作り 操縦し
死にかけるほどの大事故に遭い 世界一大きな飛行機を作る夢 女優と恋をし 破綻し・・・   
主人公は生きていくほどに危うい感じが増していく
強迫神経症  潔癖症

若々しくエネルギッシュで屈託のないレオナルド・デカプリオの演技が 病んでいく
ひとつの言葉が意思を超えて唇からとめどなくあふれて止まらない
ポケットには石鹸箱が入ってあり 執拗に手を洗う
女優に去られて 庭で自分の衣服を燃やし続ける  数日間映写室に全裸で閉じこもる
だんだん どんどん病んでいく

どうして 何故 彼は一人なのだろう  取り巻きがいるのに 独り  たった独り
断崖絶壁 立つ足元半径1メートルほどの所に風に吹かれて立ってるみたいだ
こういう人でなければ  こういう人だからこそ 大きな仕事が出来たのかもしれない
彼のおかげで世の中は一歩を作ってもらえたかもしれない  便利になった
でも ハワード・ヒューズは幸せだっただろうか
幸せとか不幸というものは 傍の者が見る眼差しなのだろうか
渦中に生きてる人は 前進しているだけ・・ あるいは ひたすら降下しているだけ・・?

ハワード・ヒューズは 財力を駆使して 思うさま自分の夢を追い 実現させていった
失敗し 挫折し 復活し より大きな夢を追っていく  そして 病んでいく
瀕死の重症の事故に遭いながらも 新しい飛行機にまた搭乗する  怖くないのか
一所懸命 ひたすら夢を追う    ひょっとしたら狭窄的視野で・・・?
夢を追い続けられるパワーと病んでいく精神は並行のものなのか

生きていくこと・・  行動範囲を広げ 他人と交流し 視野を広げ 柔軟な考え方を持つ
そうなりたい・・と わたしは自分に呟いてみる
だけど 体重○㌔のこの体の中 このココロの中   よき変容はありうるのだろうか
無意識に 自分へ楽な考え方 慣れた思い方をしてしまってはいないだろうか
たとえば 螺旋階段を登るように ゆっくりでいいから さまざまな感動 経験を通して
自分が豊かに厚く しなやかに強くなって行けたら と憧れる

・・・・・・よき変容って 要るのかなぁ
春のやさしい雨の日は 怠惰で もの憂い時間
憧れも決意も 脇へ放っておいて いろんなものをとっ散らかしておく
小さなささやかな夢を追い  小さなひそひそ声で変わってる人・・と指され呼ばれる
ここいらへんで いいような気がしてくる
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映画 ” 石井のおとうさん ありがとう ”

2005-04-01 02:39:00 | ★映画  
石井十次(いしい じゅうじ) 明治の時代に福祉というもののなかった頃 貧しいお遍路の
子どもを預かったことから 町の孤児 物乞いをする子ども達を自宅に引き取るようになる  
自分の学んでいた医学への道を断ち 孤児たちの世話をしていく
規則正しい生活のなかで 勉強を教え 自活できるよう手職の機会も作って面倒を見ていく

濃尾大地震で孤児になった子ども達  東北の飢饉で孤児になった子ども達まで引き取る
岡山に孤児院を作り 自給自足を目指して宮崎に大きな茶農園を作っていく
3000人の子どもの面倒を見たという  日本中を歩いて寄付を請うていく  

石井十次はキリスト教を信仰している 最初は夫婦で10人余の子どもの世話をしていく
満腹主義を掲げて子どもたちにおなかいっぱいごはんを食べさせる
妻もクリスチャンであるけれど 家内を切り盛りする苦労はどんなだっただろうかと思う

無欲で真っ直ぐな心の石井十次は信念に賛同する人たちと出会える
寄付をしてくれる人たち 孤児院の中を手伝ってくれる人たち
大原美術館を作った大原孫三郎 児嶋虎次郎 日本救世軍を設立した山室軍平も親交を持ち
石井十次の影響を受けていく

明治の時代にたった一人の意思で始めたことが大きく大きく実を結んでいく
”親のない孤児よりも もっと不幸なのは 心の迷い子  精神の孤児なのです”
石井十次は よく こう言っていたという   
幼い頃から人に優しいという挿話はあったけれど 実話ということに圧倒されてしまう
享年48歳で亡くなっている

いい映画を観たなぁ・・ なんて感想では言い切れない大きな感動を得た
人の生 出会う人の縁・・   人知を超えて何者かが背を押してくれるのだろうか
今の時代 人々の心は豊かだろうか  寂しい・・と自分しか見ていないとしたら
大きな偉業を成し遂げた石井十次に 精神の孤児・・と言われそう
でも しかし  凡庸たるや 平凡の偉大さに徹せよ って言葉が浮かんでくる
う~~ん まずは わたしの身のまわり わたしの出来ることを 見回してみよう
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映画 ” マシニスト ”

2005-02-25 13:48:00 | ★映画  
MACHINIST(マシニスト) 機械組み立て工の意味のようだけれど
無意識 無感情の意味にも解釈したい雰囲気の映画 
見終わった時点では そっけない結末に消化不良の気持ちを持ってしまった
だけれど 内容を行きつ戻りつして反芻していくと ゆっくり わかってくる

人の心の持ちようは 体に行動に 表われるものなのだなぁと思う
いい加減な気持ちで生きている人は 良し悪しはともかく 深く病むことはない
365日間の不眠症になってしまう主人公が見る外界の色は 淡灰色
眠いような眠りそびれているような主人公の感覚で物語を観せられていると 
観客も 本当と幻覚の区別があやふやになってしまう

人は 葬り去りたい自分の現実 忘れてしまいたい既成の事実を自ら忘却し
そして 自分で掘り起こし 自ずから思い出して行こうともする
良心の呵責が 不眠症となり 激痩せに現われるのだろうか
熟睡できるとき 寝付けないとき・・・・  
これは自分のココロが何に囚われているかのバロメーターになるのか

出来事の悔恨に押し潰されそうなとき 消し去りたい記憶に囚われているとき
自分の立ち位置への不安  引き寄せられて行きつつある未知への道
自分の掌にそれらを載せて凝視すると眠れるのだろうか
いや その見つめ方がわからないから   わたしは今夜も眠れない



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映画 ” Ray ”

2005-02-10 08:14:58 | ★映画  
盲目のジャズ・シンガー レイ・チャールズの自伝映画
少し古い時代 黒人で盲目で貧しくて 弟の死にずっと心が囚われている
幼くしての盲目ってどんなに不自由かと思う
母親の凛とした優しさ・賢さ・生きることへの強さ・・・
椅子につまずいて転び泣いていたレイが 周囲に耳をすませ音を聞き
ゆっくり自分で立ち上がっていく姿には 助け寄らずに部屋の隅で様子を
窺っていた母親同様 泣けてしかたがなかった
人の本当の優しさ・愛は 強さに裏打ちされていると思っている
一見 気弱な人優柔不断な人がやさしい人のように見えるときがある
本物の優しさ・愛は 手を伸べず立ち尽くさざるをえない辛さをともなう
レイの母を見て再確認できた

。。。 どの本の誰が言ったか忘れたけど 印象に残ってる言葉 。。。
幸せが手に入った・自己実現が出来たと思えた途端なぜか虚しさに襲われる
心が満たされないのは 自分に執着しこだわりを追い求めているからである
私を超えた向こうから届けられてくる”人生の呼び声”に耳を傾けること
あなたを必要とする”何か”があり ”誰か”がいる 
そして あなたに発見されるのを”待って”いる
人は常にこの何か・誰かによって必要とされ それを発見し実現するのを
待たれている存在なのだ
今・この時代・この時・この国・この場所に生きているというこの事実
一見単なる偶然のように見えるこの事実   既にここにいる私 
このことはそれだけで意味があると思わずにいられない
何かが 遅かれ早かれ私たちを ある一つの道へと呼び込んでいく
ふってわいたような衝動  あらがいがたい魅惑  思いがけない曲折
これこそが私がやらなければならないこと・手にしなければならないこと・
これこそ私が私であるために必要なものなのだ 。。。。。

レイ・チャールズは 私を超えた向こうからやってくる運命の呼び声に
手を引かれて音楽の世界に生きた人と思う
出会うべく人との出会いがどんどんレイを作っていく
映画の後半 聞き知った曲が作られていくのを観るとひときわ心にしみる

自分の心の傷や寂しさをごまかすことなく しっかりと見つめる
そして そこから聴こえてくるメッセージに耳を傾ける
わたしの痛み 他人の痛み  わたしの癒し 他人の癒し







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映画 ” オペラ座の怪人 ”

2005-02-05 02:15:47 | ★映画  
あまり粗筋を知らず 楽しみにして観に行って来た  オープニングの廃屋の情景が一気に彩色されていく鮮やかさ!  舞台の幕が上がっていく高揚感を味わえた  なんて大勢の登場人物たち  カメラが映していく一瞬の場面の隅々にまで役者の予定された動きがある  開幕前の舞台裏の喧騒 猥雑 活力・・・  そして華やかな祝祭の雰囲気!  映画ならではの仕掛けの大きさが目と心を惹きつける  配役も舞台セットも惜しみなく大きく用意すると このように人の生きる片鱗を感じさせる厚みのある物語が出来るのだと思う

清く善人のヒーロー&ヒロイン そしてファントム
ヒロインがファントムの仮面をはずして後 縷々と不遇をかこつファントムへ「あなたの顔が醜いのではない  あなたのその心が醜いのだわ」と言う  深い深い孤独のうちに地下で生きざるをえない境遇の者は 清く可憐なヒロインに憧れるのは当然と思う
そうだった ファントムはわたし  凍結していた心を目覚めさせてしまった 
再三再四 他人へも事へも思いが空振りばかりだと自分の行く方向はこのように定められているのかと斜にも構えたくなる  
ヒロインとファントムの心が通い合った瞬間の美しさ! 我がことのように心が震え涙だってこぼれる  深い孤独を知っている者は熱いのだ!  ヒロインが惹かれて当然のこと  それなのに孤独者の行かざるを得ない道からそぐわないことを望むから 見よ より深く漆黒の闇へと落ちて行くことになる

やっと如月の月が始まったばかりだと言うのに こんな物語に触れたばっかりに わたしは自分のパンドラの箱を開けてしまった  悔いと混沌と嘆息だらけのこの箱  始まったばかりのこの年をまたこの箱の中を見つめて行かざるを得ないのかと思うと体が地に引き込まれそうな気がする
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