代替案のための弁証法的空間  Dialectical Space for Alternatives

批判するだけでは未来は見えてこない。代替案を提示し、討論と実践を通して未来社会のあるべき姿を探りたい。

真田丸 第6回「迷走」感想 -従属から独立へ

2016年02月15日 | 真田戦記 その深層
 今回は、真田昌幸の思考が「従属」から「独立」へと覚醒した回でした。
 終盤で展開された徳川と北条と滝川と真田のそれぞれの思惑の交錯を描写するシーンは鳥肌ものでした。
 とくに、北条氏政の高嶋政伸さんの目力はすごかった。真田丸では、北条氏政の方が野心ギラギラの戦略家で、かたや家康は「とにかく生き延びられればよい」という堅実な人物として描かれています。後年、二人の明暗を分けた分岐点を考えると、この描き方には納得させられるものがあります。では、家康の中に、天下人になるぞ!メラメラ・・・的な感情が芽生えるのはいつなのでしょうか? 朝鮮出兵のあたりか、それとも秀吉が死んでからか・・・・。今回、昌幸が覚醒したように、家康の覚醒回というのも描かれるのでしょうか。
 
 昌幸は、織田に人質に出した娘を亡くし、母も滝川に人質にとられ、悲嘆にくれる中で、従属思考を断ち切る決断をします。「もう真田は誰の下にも付かん。大博打の始まりじゃあ!」と叫ぶ昌幸を、かたや唖然・呆然とした目で見つめる大泉源三郎、かたや目をキラキラさせながら聞いている堺源次郎の、それぞれの表情の対比もすごくよかった。
 
 余談ですが、日本外交があの昌幸のように覚醒することはあるのだろうか・・・・? これからの、天正壬午の乱の中での昌幸の舵取りは、日本の政治家や外務官僚にいちばん見ておいて欲しいところです。
 従属を選んだことでお家も領民も安泰なら、それでも良いのです。しかし、それによって格差は拡大を続け、人々は疲弊し、田畑は荒廃し・・・・・となれば、それを強要する大国への従属を続けることは正しくない。

平八郎忠勝と源三郎信幸

 徳川家中の本多平八郎と真田家中の源三郎の立ち位置が、パラレルに描かれているところも興味深いところです。
 後年、忠勝と信幸がどのようにして出会い、どのように心を通わせるようになるのだろう、そこをどう描くのだろうと、いまから楽しみになってきます。あの忠勝なら、一発で信幸を気に入るでしょうし、信幸も義父の忠勝を尊敬するようになりそうですね。

源三郎と昌幸・源次郎

 かつての「真田太平記」でも、個人的な野心メラメラな昌幸(三男)・幸村(次男)は互いにウマが合うのに対し、お家の存続がいちばん大事という現実思考の信幸(長男)は合わず、だんだん溝が開いていくという様子が描かれました。
 「真田太平記」と「真田丸」の決定的な差は、前者では昌幸も源次郎も自分たちが到底及ばない器量の持ち主として信幸に畏敬の念を抱いているのに対し、後者は全くそう思っていない点ですね。三谷脚本では、池波正太郎の解釈を逆転させた感じです。

出浦昌相と源次郎

 撤退する森長可軍に随行して無事に送り届ける役目を担っていた出浦昌相(これは史実)が、源次郎たちと偶然の遭遇する場面も意味深でした。
 出浦が源次郎に言った「スッパは戦では死なん。スッパが死ぬのは信用を失ったときのみ」という言葉も、後年に何か発生するエピソードの伏線でしょうか。出浦は武田信玄に仕えた「スッパ(透破)=忍者」の棟梁だったという説があり、大河ドラマもその説を採用しています。

 後年、昌相と昌幸・信繁はどういう関係になっていくのでしょうか? 今後の出浦昌相と、信幸と、昌幸・信繁の関係をどう描くのかも楽しみな点です。
 真田太平記では、真田の忍者軍団を率いた頭として壺谷又五郎という架空の人物が登場し、最後まで昌幸に忠誠を尽くして関ケ原で散っていきます。真田太平記では、昌幸が忍者による諜報活動を重視しましたが、信幸の方は忍びを用いるのを潔しとせず、忍者集団を遠ざけていました。しかし史実はそれとは違うようなのです。

 
 
 

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