代替案のための弁証法的空間  Dialectical Space for Alternatives

批判するだけでは未来は見えてこない。代替案を提示し、討論と実践を通して未来社会のあるべき姿を探りたい。

真田丸 第49回「前夜」感想

2016年12月11日 | 真田戦記 その深層
 泣けた。
 ただし、単に泣けるだけのドラマにしないのが三谷脚本。満を持して笑いの刺客が登場。その名も室賀久太夫。そうあの室賀正武さんの御子息。生き伸びて尾張侯・徳川義直の家臣になっていたところ、幸村に会おうと大坂城に向かう真田信伊・信之と数奇な再会を果たします。

 いや驚いた。まさか室賀正武の生き延びていた息子が最終盤の第49回になって登場しようとは。室賀家のその後までドラマの中で描き切った脚本は「見事」としか言いようがありません。

 室賀の息子さんが、「尾張徳川家家臣・室賀久太夫」と名乗ったときの、信之の驚きの表情が何とも言えなかったです。その後の信之兄さんの、室賀正武を上回る渾身の「黙れ小童!」の一喝の、すさまじかったのなんの。信之兄さんも、「早く弟と会いたい、邪魔する奴は、たとえ室賀殿の息子といえども許せん」と必死だったのでしょう。このシーンはすごかった。

 余談ですが、江戸時代を通して徳川旗本として幕末まで生き残った室賀家は、なんでも江戸時代には大坂町奉行もつとめているとか・・・。今回の大河ドラマをきっかけに室賀家のその後に注目が集まり、いろいろな史実が浮かび上がってきているようです。さて、大坂町奉行を務めた室賀正武の子孫は、大坂の庶民が先祖の仇である真田幸村を慕っている様子をどう眺めていたのでしょう?


 室賀さんを振り切った信之と信伊が幸村と再会のシーンは泣けました。「兄上と一緒に酒を飲みたい」と請う源次郎に対し、源三郎は源次郎が生き残ったら一緒に飲もうと、弟を生き延びさせるために「別れの盃」の申し出を拒絶。戦場で、最後は、捕まってでも生き残るよう説得します。生きてさえいれば、必ず江戸と駿府を駆け回って命乞いをしてみせると。
 それに対して、信伊は、「生きたいように生きればよい」とそっと源次郎の頬をなでる・・・・。
 
 その次の、家康と景勝が二人で飲むシーンもまた良かった。家康は、徳川、北条、上杉、真田で争った頃を思い出して、「北条の隠居も、真田安房守もみんな死んでしまった。あとは我らだけ」と景勝と盃を交わす。豊臣家を滅ぼすことに、心のやましさ、後ろめたい気持ちを感じている家康は、その行為を景勝に共感してもらうことで、贖罪を得ようとします。しかし景勝は、「真田源次郎は、わしがそうありたいと願っていた人生を、生きておる」と家康に共感することを拒否。お屋形さま、家康に一矢報いました。

 また、後ろめたさを感じている家康に対して、断固として「豊臣の血を根絶やしにせよ」と主張する秀忠の激しさ。私は、今までの歴代大河で描かれてきた秀忠像に納得がいきませんでしたが、非情なまでの官僚主義的、融通のきかない実務第一主義的な今回の大河の秀忠こそ、実在した秀忠の本当の姿に一番近いのではないかと思います。

 その後は、塙団右衛門、後藤又兵衛、木村重成と相次いで討ち死に・・・。これらのシーン、できればロケでやって欲しかった。製作費が足りないので仕方ないのでしょう。ここで不満を言ってはいけないと思いつつも、やはり後藤又兵衛も木村重成も本当の土の上で青空の下で華々しく散らせてあげたかった。又兵衛と重成の最期の殺陣、屋外でやっていたら、さぞ迫力のあるものになったでしょう。
 
 そして、いよいよ真田幸村と伊達政宗の対決。
 馬上で相対した真田幸村と伊達政宗が、激戦の中で汗だらけ、泥だらけになりながら、お互いに認め合っていることを確認し合う。政宗は、馬上の幸村を狙撃しようとする鉄砲隊に対し、「もう良い。弾が尽きた」と制止します。
 片眼だけで、政宗は「真田あっぱれ。ここは逃がしてやるから、明日は存分に戦え」と語っていました。あの政宗の表情は本当によかった。幸村はその政宗の表情を見て、ニヤリとしながら悠然と引き上げます。この二人の馬上での表情だけの演技、すばらしかった。

 幸村は、その政宗のまなざしを見た瞬間、家族を政宗に託そうと決めたのでしょう。
 幸村が、梅と大八をどのようにして伊達家に託すのかというのが、今回の最大の見どころでした。幸村と政宗のエピソードは、それ以前には、小田原の陣でのワンシーンのみでした。ともすれば子供たちを伊達に託すというのは、ドラマの中ではかなり唐突です。
 馬上での二人の遭遇から、その晩の、春と梅と大八が政宗の陣所に落ち延びるというシーンまでが、まったく無理なくつながっていました。あそこまで感動的に描けたのは、政宗の表情の演技力の賜物だといえるでしょう。

 ずんだ餅を気に入ってくれるかなと心配しながら梅の表情を覗き込む片倉景綱の表情と、食べて恥じらいながらも、おいしそうに微笑む梅の表情、それを見て安堵する景綱の表情がまた良かったのなんのって・・・。有働アナのナレで解説された、片倉家に嫁ぐ梅のその後の運命が、このシーンだけで無理なく了解できるのです。梅は、これまで印象がすごく薄かったのですが、ずんだ餅を食べるこのワンシーンだけで、大河史に残る名場面を残したと思います。
  
 そしてクライマックスは源次郎ときりのラブシーン。視聴者をずーっとヤキモキさせてきて、第49回にして初めてこのシーンに到達したというところが、なんともいえずこの大河らしく、感慨深いものがありました。泣けました。このシーンも大河史に残ることでしょう。

 次週、いよいよ最終回! どんなラストが待っているのでしょう。また、きりの運命や如何に?
 
 


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2 コメント

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つまらなかつた (ワタン)
2016-12-14 00:14:51
申しわけありませんが、件の「真田丸」、南信出身の75歳の義兄は、関さまの感激調のコラムにほとんど関心をしめさず、わたしもつまらないドラマにしかみえませんした。

なぜかとかんがへてをります。

あの夏の陣の時代、司馬や百田やうな似非作家でない勇者がでて、1609年の島津による琉球侵略(徳川黙認)をテーマにした重厚なドラマがつくれないかとおもふのです。
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ドラマはそれぞれ、感じ方もそれぞれ ()
2016-12-21 18:05:06
ワタン様

 師走の忙しさにて返信が遅れて申し訳ございません。人の感性はさまざまなので、感じ方もそれぞれでよろしいかと存じます。

>1609年の島津による琉球侵略(徳川黙認)をテーマにした重厚なドラマ

 これは大河ドラマ「琉球の風」でいちど扱っていますので、大河で再びというのはしばらく無理かと存じます。
 民法や映画でしたら、可能かと・・・・。
 
 昨年度は大坂の陣400周年でしたので、時代の区切りとしてやはり昨年度やらねばならない大河でした。
 戦乱の時代が終わるということがどういうことなのか、その後の250年の内戦のない時代がいかにして可能になったのか、今の時代状況と照らし合わせても、400年前の、夏の陣から元和偃武へという時代に学ぶべきことは多いと思います。
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