青龍神界鏡

次はまた首相してみんかお前。
https://www.youtube.com/watch?v=CsI7GSs4d1s

小笠原諸島瓢箪島(ひょうたんじま)

2020年04月27日 00時00分00秒 | 投稿

小笠原にあった国の在り様は、覗けば底無しの沼、となる。
切りが無い。
七十米もの長さの一階建ての長屋、これに親戚、義戚から成る十家族が住まう。
敷居は、天井から垂れる白い絹で、余程の事が無い限り、触らんべし。
一家族、三十六平米。
描くのはダリいが平野は幾らでも存在した。
中国大陸から伝来の馬に、倒れた車輪を曳かせて、地をならし、叩きまくられた、土手が道路として走っているが、今のコンクリと比べ機能は上。
ヒビやら皆無。
馬に曳かせまくった。
エサはニンジンをやりまくり。
ニンジンの前は十分なる農業意欲で、ここから行きつく先は、国の祭祀だった。
ここと、森の最奥の、石材製の倉に鎮座す機器の距離は遠く、民は一切機器とは無関知。
しかし、莫大な農業意欲を祭祀が、確かにもたらしている。
二年に一度であった、一握りの神職が奉ずる倉での儀式が、一切の儀式文法上の失策や、人間陶酔を介在させずのまま、厳密なる儀式文法解釈を通じ、倉の前以外での儀式裁量の増大を招来しており、こうした推移を神職のみは察知していた。
神職は機器の素性を熟知しており、詠唱者を擁している事実を、精妙に、厳粛に、把握していた。
この国は豊かと言えたのか。
その通り。
機器の恩恵に存分に預かっていた、と言えた。

機器を、直接的に利用との意識を神職が抱きしは、医薬品の開発に向けて、だった。
極めて厳格な作法を通じ、必要な医薬品が上奏されてくる。
すると、神職は難解な自己潔斎、儀式の後に、“頭部は薬ではなく、人生の特殊感激が故に全裸”との巫女を倉に遣わす。
そして、彼女と詠唱者は、機器を用いて、傍にある丸い巨石を三米ほど浮かせる。
この現象との、神秘的興奮を、全裸の頭部は、遺憾無く感得し、吸う。
彼女は神職へ、吸いし興奮を正確に、祝詞に翻訳して伝える。
神職は医薬品業者の前で、幣帛へいはく、を振りながら、祝詞の、業者向け翻訳版を歌う。
業者は医薬品の開発現場担当者に、これを丁寧に伝える、まだ伝えらていない、いずれは、後の差異を主張しない。
幣帛の儀の後の、開発現場担当者とは、いずれ、正気と神秘興奮への拝礼のいずれを、弁別出来ずとの、御前会議に参ぜし、日本軍陸軍大将と化す。
神職は眺望していた。
厳しき手続きに定められており、濫用は論外である、倉への接近作法の実践の後とは、明らかに、人間の望みとの指向を帯びし医薬品の果敢な開発案が、連続して勃興してくる、という事を。
幣帛の儀の後の、開発現場担当者は、何と普段の自己の在り様からの跳躍推移に一切気付かずまま、雲上を滑空する敵陣への攻撃石舟に乗る巫女と、聖なる石の間、神秘なる亜粒子、信頼が頭部に満ちていた。
異常な開発意欲、強力な知的興奮の持続、救国医薬の神懸りの巫女は我。
民の命を信頼したがるが常なる医薬の手の短きの涙を拭う母。
神秘な気合に満ちた視線を、開発担当者は宿すに至っていた。

“ムーとの広域大陸の沈降を牽引可能な科学段階との文明の腰をかくも堂々と現地に対する衝動の発散に向けて動かしたる、政治頭蓋、政治血流量とは、長期にわたり現地に放牧貸与されたる耐久消費材が異星人機器だったとして、この出自とは、政治血流にとっての、下品ではなく、懸命果敢な知的共振先であると見なす知性は、常識的属性、非下品駆動状態と自認す。”
ゲとの星の名を知らずまま、ムー広域に拡散したる異星人機器の出自、これと地球で開始したる、断固、非自然なる広域大陸領域、同時沈降現象の意思者を、同一視した者は月の深部区画の、僅かの人数のみだった。
四十名以下が、異空間科学を通じ、異型血液、突出明瞭なる励起機器、これの使用を、無料にて歴史的に許容してきた、“他星での巨石政経意思の削岩及び、空中回転実験嗜好星人”が、介入手腕の血流にとっての不快さ、詰まらなさ、に律動されたらしき、“付随回転せし巨石倫理の摩耗に伴いし自己侮蔑儀式、次の巨石倫理探し前”を、強固憶測していた。
“このような形で、広域貸与に至る素性との外星人とはいつぞやかに、至るであろう巨石政経歴史具象物、非観念的、現地磔刑との現地人にとっては唖然、隙の無い、ただ槍観念の太しめ、荘厳化の時を認めゆくに当たり、実に手首巻きの洗練映像端末注視。
本星から遠隔地、前線官僚の頭蓋へ霊撃なる秘儀神事との神風鉢巻き。
自己総括の機とは、恐らくは文明の正統議事堂にては、無い。
文明に歴史的君臨らしき分泌線を統べる非自律神経系作用に関しては。”

ゲが察知し、精妙な憤慨を宿していた相手は、既に明かしているムー降臨の外星人名、ペウキュキュら。

沈降時期、小笠原に関しては既に歴史は、老齢期を早く迎えた後の、牧歌の風景にあった。
人口は少なく、日々は励起機器とは無縁だった。
既に、祭壇や倉から転送され済み。
かつての主権意識階級は、花壇の内には居ない。
多くの血脈群は、小笠原に堆積せし云われ、土地の使用法を厭がり、僅かが関東平野、多くは伊勢から熊野方面への移民動態を選んでいた。
とは言うも、二年半から四年ごとに、民族の九割、十割が大船舶群で小笠原へと移動し、二カ月にわたる祝祭の日々を過ごす。
小笠原との決別の意識は、まだ編んではおらず、彼らは小笠原の民で在り続けていた。

顔を見ると、イタリア、スペインの色白人の血が入っている、面長で色白か褐色の肌。
言語はムー語で、発音はきたねー印象かつ早口

アアマテラス、で精神は大人しくなる。

あ、とにかくムーの末期とは、ザダとの関係は既に終わっており、無かった、ザダは居なかった。


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