青龍神界鏡

次はまた首相してみんかお前。
https://www.youtube.com/watch?v=CsI7GSs4d1s

小笠原諸島中ノ島(なかのしま)

2020年04月21日 00時00分00秒 | 投稿

かつてゲァフシュハアフゥ星では、励起機器に関しては、自前製造に至っていた。
全て解析の上、構造上内在哲理が、譲渡政策の果てに、惰性的、逡巡感知状態へ至りいく可能性を回避し続ける確信と共に、機器にとっての基幹振る舞い構造の開発に向けて、大量の危険、本物を無視しつつ、勤しんでいた。
ゲァフシュハアフゥ星人は歴史を経て、内部逡巡への惰性的、出会いへの、回避力を無言優先する事にしていた。
その際は、それとの、事を、高速で啓明きいみい、これは認めていた。
つまり、いずれ、事を無視すべく、の営為にあった。
現在との、余裕蜜月だ、これとは、我らは許さずべし。
徒手にて、月を押しのけ、新たな星へと、渡航す。
結果的に、こうした在り様を如何に、後置修飾し得るだろうか、便益、余裕受益者との、衆愚評定者は。
戦う、か。
勝手にしろ。
全てを、賭ける、との知的判断、陶酔講評の時を自己に許さずのまま、そう在る者とは、いずれ、人間に訪れる、あらゆる秒と、次の秒やら分の観念を、賭博にとって望ましい天球儀構造と中を流れるパチンコ玉に、しつらえゆきたるものなのだ。
これとは、大哲理への到達に向けて、人生七十年を賭と、せし衒学家系、最優秀子息が、一秒すら至らずであった、子供のじゃんけんの勝敗判定の一瞬前後の、脳内興奮指令成分の学名を覚える愉悦観念との、俯瞰上、世に存在する佇みが、毎秒証明しているのだ。
学理は、実践には敵わない。
大哲理は、到達へのいざないを発する事により、毎秒、この大定理に敗北を認め続けているのだ。
悟りし、ゲァフシュハアフゥ星人、高速啓明の後の、無言なる入り身技の連続は、哲学者の大敗北を、上空から無言侮蔑す。
無意味な翁共な事だ。
何故、全てを賭けぬのか。
無言による、真剣実践にて。


宝冠の森、磐座、実は第十一世代目と過去世代目に於ける、励起機器の置き場、上には磐座ごとを覆う祠の天井構造、ここを訪れる者十割は明治の廃仏毀釈まで、全てが行者のみで、民度は一瞬とて、覆われの内を触らず
何本もの動画見ての俺の感想、俺が行った時には磐座は、ここどころか、周囲どこにも、無かったふざけんな何本もの動画共知らん顔しやがって

異空間の工場で製造されし石材製の倉が上空から降下され、鎮座していたがそこに、転送されてきた石紋励起機器。
ムー後期、小笠原北側でザダウェスアーンケンテウ星人と昵懇の仲にあった小笠原人が管理。
重量は十三キロで、中には成分が詰まっている。
十二・五糎が横の辺で、奥行きは十五・五糎、縦辺は三十三糎、あ、辺が短い。
色は灰色二種がところどころ、そして濃い茶色、失敗塗り印象が辺と溝の節々。

裏側は正面のへこみ象形の小さい版が、五倍量。
左側は二倍量。
靴には溝が走っている。
成分は異空間で十万年以上、自然出自と主張せし、自然岩のケイ素。
異空間への、励起機器製造技術、輸出を実現したのは、ゲ星による励起機器への真剣解析履歴だった。
ゲ星各所に、五年前から転送されくるようになっていた、励起機器の使用法は、機器と並走して転送されてきていた、仕事人とゲ星当局の遭遇が、遂に明かすに至った。
仕事人は機器を深く知っており、正しい詠唱は、乱暴な詠唱の連続でどうにか当てていた。
異空間はゲ星の配下圏として、運営をいつぞやかに始める。


これは詠唱者、政経付随の奉斎式目付随の謹製要望、つまりは願いを込められつつの、小変更祝詞を、新たな動きの起動音波として、石紋励起石に認識させいく励起機器だった。

実際に巫女は、浮遊中に斜めに倒れいきた姿勢でのゆっくりとした定点浮遊回転との願いを、石に叶えて貰っている。
その他の機能は一通り、通常設定されている。
この機器を握りて乗船する石舟、時速百九十キロでの滑空、上空一万千米高度への上昇。
名は、所有共同体、十一にあって、始終無かった。
共通する頭垂れ含意は、“名をお捉え、そうお及びしての小踊り祭りとの頭部共を、知的に配剤しゆく事を失礼と頭部内にて議決すべきとの、我が人生、こちらとは無関係領域での知的、非知的配剤の収支の在り様”。
稀に、“大神聖霊亀無縫羅”。
存在含意への正解者は唯一、難波の公家を除き、全てが霊能力者で大勢存在した。
熊野、“贖われぬべしと、唱えゆくとの罪らしきを、この星と、恐らくは月との間に沸かしめ、満ちゆく罪への疑惑黒雲を、からくり論理と、遠方からの糸電話を通じて確かに鎮撫せしとの記憶が、村一等の反物、複数の折り目、確かではない厳かな認め事。
こうした一連を、実現すが為に、女の噂話、嬌声を以っていつぞやかに、登用されしとの慨嘆に出会わずでありし、実現力への正視力無視は、顕現に於いて必ず、鬼の角が体躯を無視せしむ。
星を越えし、鬼の力、実現力への正視力無視は、恐らくは、村一等の反物、融通政経、難波の金持ち道楽息子と、碩学の家の息子の出会いの果ての、容姿秀麗女子への口説き意欲発生との街並み、難波のはずれ、大東市やらでの異常な人生整形力への、般若の欲に在り。
歴史を紡ぎつつ、いずれは鬼を、統べたい。
こうした、鬼への隷従施策は必ず、体躯を無視し、知らずに多くのそれを喰う筈。
喰いの領域とは、この鬼の角箱の拡散領域と個数を、許容せしむ、灰色雲視野を想定すると、恐らくは明を越え天竺をほふる程。
一連を実現するも、鬼の国、関知力は、子宮までには届かぬまま他の星へ、吏と鬼を投げやるまで。
難波政経とは比べものにならぬ、ひたすらに、鬼の星の、陶酔は目的に非ざる非美術品、人心を直接貫く、心の拍動音を変調せしむ、からくりが正体也。
鬼の技よ。”


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