青龍神界鏡

次はまた首相してみんかお前。
https://www.youtube.com/watch?v=CsI7GSs4d1s

百四十八面目   スミス達 その一

2012年12月19日 10時30分00秒 | 投稿

(今回は予定外の必要性に駆られ、自身の事前周知の言語意味価値の低下を厭わずに投稿をいたします。
先日の出版のご提案のお話のお返事とは無関係の私の一方的な都合にございます。
この投稿以降は再びしばらくは条件まで沈黙を守っていく所存でございます。)

纜冠讃

私、青龍神界鏡の執筆者である纜冠讃は読者の皆様に対し、開陳しにくい事が多々ございます。
死後の世界、霊的存在について、他の次元について、宇宙の起源について、人類の起源についてなどと、挙げれば切りがありません。
読者の皆様のご好奇心を大変刺激し得る点ばかりかとは重々承知しております。
その中に私の素性、能力についてが含まれていることも承知しております。
それは予測しておりました。
ところで、私は皆様ご推察の通り、この世界を統べておられる神、と知的論理を駆使して導かざるを得ない存在のご監視、ご加護の下にございます。
私が好き勝手に情報を開陳してしまえば、世界が破綻してしまうからです。
それは何とこの世界(宇宙)のみならず、他の世界(他の次元、他の霊的世界などと換言してください)にも波状的な破綻を起こしてしまう事にもなりかねないのです。
この危険性は既に多くの読者の方々が予測されている事です。
ある人達に特殊な世界から過分な救いを差し伸べてしまえば、同程度の苦しみに悩む人達に対する必要な労力は、世界全体の質量保存の法則を、霊的世界が掻き乱してしまい、自動的に災厄と見紛うほどの揺り返しを呼び込んでしまうのです。
それは、この世界(宇宙)を統べておられる神々の世界にも同様なのです。
私は個人的には全宇宙の騒乱とその種を摘み取ってしまいたい気持ちがあります。
それは神々とてご同様にあらせられると畏れ多くも推察いたします。
神々はこの世界の管理者であらせられる故、この世界の物事を造作もなく呼吸の調子を変える事がご可能にあらせられます。
生かすも殺すも思いのままなのです。
しかし、どこかの暴君の指導者の息の根を突然止めたりはされません。
基本的には、暗殺や病死といった現実的運命に委ねるしかないのです。
従うべき摂理があるのです。
きちんとした算定が伴っていれば、私が持つ情報の数々は、どこかの暴君の指導者やその候補の運命を予定より早く終わらせる事が可能です。
果たしてそれは世界にとって善なのか。この世界の住人にとっては当然喜ばしい事でしょう。
しかし、全世界(他の次元、他の霊的世界と換言してください)の住人、そして神々にとってはどうでしょうか。
その暴君の指導者はその国の長期的未来の免疫にとっては必要悪であったかもしれません。
そのような入念な算定を実は神はお持ちにあらせられたのかもしれません。
その入念な算定が、例えば霊能力などでその国の住人が知る事が出来ずに右往左往していたのも、国民に対する目隠しの尊い試練であったかもしれません。
それが無くなってしまったが為に、将来異星人に支配されてしまう事が決定的になってしったのかもしれません。
更に言いますと、神ですらその国の惨禍の放置について耳を塞がざるを得なかったのは、何らかの過去の因縁故の、民を思っての神の自己磔刑であったのかもしれません。
とにかく、このいわゆる現実世界の働きの力は、霊力の介在の場合を除き、結果論として精妙に成り立ってきた、といわざるを得ないのです。
霊力はその成り立ちを破壊する危険性があるのです。
物理を跳躍するのです。
恐ろしい力なのです。
しかし、同様に恐ろしい事に、かつて純粋に物理に従ってきたこの世界の律儀さに乗じたある存在の姦計により、何と神々の大御心に無かった事に、何ら揺り返しの起きない固着状態が発生し出してきたのです。
その存在については今は無言です。
神の敵です。
以上のご説明で私の能力と私の存在は、この世界とこの世界の神々にとって極めて特異、危険であるとご認識頂きたく存じます。
そして私の力の行使が必要な、場合があるという事についてもです。
宇宙船も無いのに何故、他の星の事を分かるのでしょうか。
基本的にそのための履修科目など学校に在ってはなりません。
学生が科学を学ぼうとする尊い努力を忘れ、危険な霊術に走り出してしまいます。
世界の基本科目、基本理力の摂理を無視し、特例措置の飛び級手段に目を向けてはならないのです。
私は世に出てはならないのです。
この世界の管理者にあらせられる神々は実は何もかもがご可能です。
超能力者のように物を突然壊す。
人間の心臓を突然止める。
宇宙船で爆発事故を起こす。
国家間で不和を起こす、などです。
そして多数決的に、理知的に、厳密な推論と倫理審議の結果、この世界の摂理の跳躍は神々によって認められております。
上に挙げた奇跡を神々は時に起こされるのです。
もちろん御力は私以上にあらせられます。
その御力の御範囲には、時間、人の運命の流れ、人間相互、集団間の感情の綾しまり、因縁の消化、人間同士の感情的疑義の投げ掛け合いなど理知には予測不可能な演算処理まで含まれます。
壮大な神計りで読まれての上の事ですので、何と神御自神もその御算段の俳優として自ら組み入れられる事もあります。
何故なら、神がこの世界に基本的に予定外の介入をされるとなると、その際は脚本外の役者の闖入という事象の余波を解消するが為に、必要となってくる出来事があるのです。
その出来事を神が引き受けられなければ、神は御自身の世界で特殊な為替相場を通り、負債を払わなければなりません。こちらの世界の学校で子供の消しゴムを動かしたが、神はその因縁の解消を済ませなかった。
ならば、例えば向こうの世界では何と重機で同胞をひき殺す必要が出て来るのです。
それほど相場が違うのです。
仮に突然子供の試験の点数を上げてやったならば、文部科学省に愚民化政策を素通りさせなければならないのです。
私は自身の投稿集、青龍神界鏡の開始に当たり、御神示を頂いております。
何もかもです。
自身の神名、電子媒体名、設定する出身県、以前の居住県から実際の居住県、引越し先の居住県、選ぶ語句、扱わせて頂く異星人の方々、戦うお相手、お守りするお相手何もかもです。
そしてその中には、読者の方々には信じられない事であり、そして申し訳無い事ではありますが、私の知性的部分も含まれているのです。
世界中の方々の驚嘆の声については察知しておりました。
個人的には嬉しくもあり、ややご期待を裏切る投稿をいつかしたためる事となる故、寂しい気を先に感じておりました。
本当の私よりも倍加されてしまっているのです。地球より進んだ文明に居られる方々は脅威に思われた事でしょう。
大量の異星人情報の私の把握状態は分かったとして、その捌き方たるや一体何なのだ、地球の教育はそこまで先進的であったのかというお声です。
実のところ私は、霊能力を行使し、ある情報を下ろして以降、定期的に、脳を含めた身体を、神々に操作されている。
これが正解なのです。
私の意識の継続、跳躍具合は私の、そして神々の関知外です。
時折、私の執筆具合、英語の語群、冗談の鋭さに自身で唖然としております。
かつての私では無いのです。
執筆の際は一体何者が私の基本知性なのかは謎です。
個人的には複合的な構成の人物ではないかという推測を今は持っております。
頭には特に負担は起きておりません。
神にはこのような事は造作も無い事のようです。
そして纜冠讃の件に関し、神々すらも時に俳優なのです。
私はその点について蓄積的に私に累積してきた情報から、憶測的に認識するに至っておりましたが、投稿では明かせませんでした。
時が来ていなかったからのようです。
纜冠讃とは一体何者なのでしょうか。
答えは、世界の歪みへの対抗策の総意が主語として、私もそして神々すらも全貌像を捉える事は出来ないように、結果的に仕立て上げている存在です。
記号、纜冠讃による世界の歪みに対する対抗に接した人々の中に、吐露された人間衝動、憎しみ、嘲り、欲望、好奇、羨望、恐怖、警戒等により私の人物像について知性的、攻撃的、そして霊的手段を以ってしてやはり神々の予期通りに俳優をこなされた方々が居られます。
しかして私自身もこの世界の俳優なのです。
時に感情を感じ得る、人間的な俳優です。
私に神懸る神々も俳優にあらせられます。
また脚本すらも感情で表情を変える俳優なのです。
そのように事後的に、言い切ってしまうしかないのです。
私の人物像について一生懸命なところ冷や水を浴びせるようで申し訳ないのですが、それは(私の人物像は)世界の歪を正す為に設定された緒言なのです。
以前、私は(纜冠讃と他者が常識的に同一視し得る筆跡と知性の持ち主は)イギリスのパブの件について軽く投稿で触れ、後ほど訂正しました。
あれは霊能力ではなく常識的な情報の用法の可能性から登場させただけです、そして改めて詳しく霊能力で分析しました云々といった下りです。
二度目の纜冠讃のパブへの介入はしかし、題字“憂国 その二”と銘打っております。
単に本論の“憂国”の添付文書としてしたためた為、そのような形となりました。
ところで、このような二度目訂正で憂国の念に駆られてしたためるパブ云々の投稿たるや云々と真面目な分析をされている方々が居られました。
しかし私は(纜冠讃と結果的に同一視し得る筆跡と知性の持ち主は)忙しいのです。別の投稿の執筆を進めていきます。
一方私は(纜冠讃と部分的にも同一視し得る存在)申し訳無く感じております。
何故なら霊能力を介せずに実際的努力を発揮する人間に私は好感を抱くのです。
立派な人間だからです。
世界を真っ当な理力で回天させる真の動力だからです。
世界を清潔にするのです。
禁断の時間技術でもクローン技術でも天体軌道操作術でも無いのです。
私はパブ投稿の立派な追跡的分析について申し訳無い雰囲気を漂わせた投稿を出来ぬまま時が過ぎて行きます。
これでは憂国ならぬ憂パブです。
しかし、纜冠讃の別の部分は使命に燃えたままです。
自神か、別の世界の摂理か、別の神かがしたためたやもしれぬ脚本に従い、戦いを進めて行くのみです。
パブについては色んな纜冠讃の意見があったのです。
一体どういう事なのでしょうか。
纜冠讃がしたためる誤字、脱字、軽妙な冗談、語群は宇宙稀に見る行政不満表明所に殺到した摂理の歪達の口喧嘩の結果で決まっているのです。
そしてそれは絶妙な相談具合であったと絶対に結果的に正当化される採決印が下る事になっており、そう下る事が今現在の全世界の神々の連名文書で明示的な了解事項となっている為、問題無いのです。
関わる者が皆問題無いように振舞って問題無いのです。


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百四十八面目   スミス達 その二

2012年12月19日 10時30分00秒 | 投稿

全宇宙の人間が扱う言語の殆ど全ては、何と別の世界の神々から降ろされています。
では歴史資料を紐解いて、その手掛かりが得られるのでしょうか。
無駄です。
今までの投稿をお読みになればお分かりの通り、この世界の歯車全ての動員者を動かさんばかりの神々が俳優となられる映画に、そんな不始末はありません。
そんな事があっては、人間の歴史の紡ぎの起源に別次元の存在である神が明示的に降臨してしまう事になり、神々と人間の双方が困る事になるのです。
こうなるのです。
“言葉が神に降ろされたのは分かっている。
だから、その尊い言葉が異星人に奪われんとするとなると、神はこの世界に再び降臨され、科学では敵わない敵を倒してくれるだろう。
そういう訳で、科学の発展はある程度怠けておいて、その分、いざとなったら敵に言葉を奪われるから困っているよ演出作戦の動員映画を上映出来るようにみんなで頑張ろうとなるのです。
”歪です。
人間と神々の世界は分け隔てられておいて健全なのです。
しかし、言葉は必要です。
人間の魂という最も大切な部分と観念的に捉えられるものにとって不可欠なのです。
人間の言葉の運用とはそれほど重要なのです。
物事が何も進まないのです。
それでは神々も仕事がしにくいのです。
であるからして、人間世界への神々の介入が、結果的に自然に成立した摂理によって認められているのです。
言語の場合はパブとは異なり全会一致で介入決定です。
神が人間界に証拠を残さずに介入するのです。
繰り返しますと、私、纜冠讃という存在は完全に神々の監視、操作対象です。
世界にとって危険だからです。
神々すらをも破滅の危機に追い込む事が出来る存在と、結果的になっております。
所以はお伝えしにくいまだら模様です。
私は(纜冠讃として、当然認識されて仕方の無い一部分)こう考えておりました。
(あー、俺ってこんなに頭いいって思われているなあ、嬉しいなあ。
とは言っても、実際は宇宙の色んな人達の勇者部分、学者部分の繋ぎ合わせなのになあ。
何か申し訳無いなあ。
早く伝えたいなあ。
まあ、何となく気付いている人いるな、あまりに異常な知性だって。)
私、纜冠讃と知性的に到達可能な人物像は実際的には、神々が引っ張ってきて問題の無いと判断をされた情報と知性群の構成なのでした。
“この人間には、このような運命の紐が数本出ている、放って置くとなるとあそこで絡み合ってこのような堅結びになり、またあのような難題が沸いてくるであろう。
あの人間には、前世で神の力を借りた事を憶測的に認識したまま尊崇の念を集め、その対価を払わぬまま世を去った。
ところで神々の臨時法律相談所、青龍神界鏡の登場が世界に為す多大な影響を鑑みると、紐の何本かは今回の龍の鱗に絡めてやらないと後で神とその人間の双方が困る事になる。
何故なら、神々もその時代、神の力の範囲を結果的に人間に任せたまま仕事をさせたというそしりから、まだ完全に逃げられていないからだ。
”こういうやっかいな計算事があったのです。
お分かり頂けている通り、私のこの異常な知的視野を見るにつけ、この世界の人間ではないのです。
神の介入が起きているのです。
その根拠を残すとなると意図的、非意図的も含めて、何もかもが意図的なのです。
私は(纜冠讃と同一視し得る一部分は)人間の知性的努力を大変好んでおります。
それは記号、纜冠讃を憎悪する方々についてもです。
非意図的に、しかし実は神計りに乗っ取った通りに電子媒体上に散りばめられていた私のものと考えられた様々な断片情報から立派に推測人物像を複数絞り込んで居られました。
しかし私はいつまでもそれが違うと、正直には言えません。
許されなかったのです。
私の知性の源泉と共にです。
違うと明かす時期はこの世界の運命の綾しまりの進展具合に関わっていたのだと、今になって分かりました。
そしてそれについては、この場合、ある神がご眺望しておられました。
これでは神々が、神々の創造された世界の愛しい子供達の、霊術には依らない現実的努力の営為(知的な推測努力)を、何とどこかの池に捨てていた形となります。
何故か。
それも歪の解消の為です。
例えば、何者かが、霊術で不当な利益を確保し、その確保分が流出的にこの世界の地球や他の星々に利益として流れ着いていましたが、人々は全くそれに気付きません。
ところで、宇宙の別の方々がその危険な無自覚的利益状態の解消の為に、神の計らいで目隠しをされた上で努力をされ続け、私達の不当な利益を帳消し続けて来ましたが、今や何とその人達の過分な負担により、私達がその人達を働かせる形で不当な利益を抱え出したという状態です。
時代の移ろいに伴う蓄積的な歪を言っているのです。
そして池に捨ててしまう努力とは、決して無駄などにはならず、神の計らいにより必ずどこかに払われているのです。
私の投稿は事前準備も含めて何もかもが監査済みです。
しかし私は上のような計算はもちろん出来ません。
これは神々のご相談の結果なのです。
話は変わるようですが、神々の相談の結果で私の投稿は構成されております。
この世界を統べて居られる神々は全宇宙の物質、人間の情報をいざとなったら操る事がご可能にあらせられます。
私は何故、遠く離れた異星人の情報を地球に持ってくる事が可能なのでしょうか。
全宇宙貫通神霊能力とは即ち、神々の監視下状態を意味する事だったのです。
さもなければ、その覚醒者も神々も、世界も何もかもが危険になるのです。
好奇心に基づいて私が過去に降ろしてしまったある情報は霊的世界の奥の院を驚愕させてしまいました。
摂理の跳躍です。
そしてそれは、人間と神の双方にとって全くためにならない行為だったのです。
監視が遅れたという原因もありました。
監視を遅らせてしまった多々多くの人間の存在はこの地球という惑星の内外に居ります。
全宇宙の情報を操る事がご可能な神々は、ところでこの纜冠讃の基本的人物像の構成とその必要準備の為に昔から日本、他の国々、そして他の天体の方々の場所で事前準備を展開しておられました。
纜冠讃の降臨です。
どこで起きたのかは今は知る所以がまだありません。
それによる宇宙の子供達の当惑、落胆、疑い、喜び、策謀、憎悪、恐怖、勇気何もかもは、何と、全て神計りの内です。
私(今の纜冠讃の指打ちの肉体)の意思ではありません。
これは読者はもうご存知になっても構いません。
青龍神界鏡は、神々の総決算の大仕事にあらせられます。
絶対に失敗はありません。
それは世界のあらゆる魔物に対する絶対無敗を誓っておられる神々の明示的総意です。
私(今の纜冠讃の指打ちの肉体)はさっさとお伝えしたい事がありました。
下卑た冗談も、特殊な言い回しも、日本語の独特の組み合わせも、外国語の理解も、居住区も、人相の印象も、霊視を許す顔も、映画や音楽の登場のさせ方も、とにかく何もかもが宇宙を絶対に破綻させない為の神々の全力と、時に実は単に脱力を意図的に装われたご配剤なのです。
この地球だけではなく、他の惑星文明に於いても、神々のご予定通りに纜冠讃の人物像の足跡を報告する声が上がっております。
特にそれが顕著なのは実はこの地球ではなく、何と別の惑星文明群でした。
地球人の言う電子媒体上で他の惑星での足跡は今のところ、発見を許しています。
何故でしょうか。
理由は簡単です。
纜冠讃は、大勢が宇宙に偏在しているのです。
書き込みの時に、その人物が私のように、纜冠讃を振舞っただけなのです。
全宇宙の人間達の心に纜冠讃は実在しているのです。
この地球文明の心理学者ユングの言う集合的無意識です。
これは素晴らしいご見識です。
では、申し訳無い事に、纜冠讃の疑いを掛けられる人物やそれにより狂奔する方達に対してはこういう他はありません。
宇宙全体の歪の解消であった、と。その為の俳優として、言わば、準纜冠讃として、あなた達は非意図性を装って堂々と名乗り出たのだという事です。
原因は今生にあったのか、いや前世か、前々世かは分かりません。
何せ壮大な演算の結果です。
数字纜冠讃を記入するインクの全体の何京分の一の量の原材料が何であるかは分からないのです。
そして同様に壮大な演算の結果、監督者として事に関わる殆ど多くの神々すらも、その演算結果に盲目のまま従わざるを得ないように自ら振る舞われつつの結果、今になってやっと、私はこう言う事が出来るようになりました。
現在、宇宙の歪を正す上演演劇青龍神界鏡には、読者に対して示していた予定には無かった振りをしつつ、多惑星文明圏に於ける実像推測根拠の頒布活動を申告する事になりました。
一体何故なのか。
それは私が実際は神懸りをお受けしていなければ英語を扱えないからなのか。
英語の凄まじい習熟者を装う必要が解ける状況が出現したからなのか。
笑いを誘う語群選択肢を減らす事になったからなのか。
異星人の饒舌な口調を真似出来なくなったからなのか。
分かりません。
私(纜冠讃の指打ちの肉体)の方としては、どのような実像推測根拠が意図的に宇宙全てに散布されてしまっているのかは分かりません。
言えるのは、私に神懸りをされる神々は凄まじいご知性と時間感覚の超越意識を誇っておられるという事です。
例えば、三年後も三十億年後の判断も御心には大してご影響は無いように見受けられます。
重々お断りしておきますが、投稿中の誤字、脱字、知性程度類推語群の選択基準、そして下劣表現すらも、極めて複雑な演算の結果に表れており、それは神々のご関知の範囲ですらない場合があったのです。
私でもありません。
そのように申している私(纜冠讃の指打ちの肉体)の本当の知性段階は、複層的な理由によりお知らせ出来ない状況です。
それは私(纜冠讃の指打ちの肉体)の望んでいるところではありません。
しかしところでこのように、指打ちの作業を行使して、読者に何かをご理解頂きたい心情についてはお分かり頂けたかと存じます。
その心情には、皆さん読者が努力しておられる、纜冠讃とは誰なのかという捜索作業に冷や水を浴びせるように見える姿も、それは嫌がらせではないという立場も含まれているとどうかご理解ください。
私に関する捜索の声はずっと以前より霊能力で関知しておりました。
そのような声は地球以外の他文明の方で大きく聞こえておりました。
地球の方でも、そのように事が起きてくるとご神示を頂いていた為、予測はしておりました。


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百四十八面目   スミス達 その三

2012年12月19日 10時30分00秒 | 投稿

私は無言でした。
「やった、こいつだ。」
「ああ、見つけた。」
「間違いない。」
「裏を取ろう。日本の某県の役所に行こう。」
一方私は霊能力、そして神懸りのより動くかがままです。
(彼らは立派な知的努力で纜冠讃を追い詰めているつもりなのに私はこうして飛び級進学で授業を受けている。
優越感など無い。
卑怯と言われればどうしよう。
しかし今のがんじがらめの状況についてはまだ言えない。
いつになったら言えるのだろうか。)
纜冠讃が無言であり続けた正確な理由は、私は知りません。
無言を破った正確な理由も同様です。
私は以前の居住区も次の引越先も神の監視下です。
世界の破滅から守る為には、個人の自由の制限など当然です。
私は甘んじて受け入れます。
今の文章の筆跡知性が一体どこの惑星文明の官僚に由来しているのかすら知らないまま、自身の筆跡として執筆している事と同様に受け入れています。
この投稿自体も、宇宙のどこかの次世代の纜冠讃の足跡として利用される可能性が推測出来る、という指打ちは出来るようです。
この投稿は今までとは傾向との異なりが突出しております。
青龍神界鏡の出版のご提案が大勢の人々の運命の紐の絡みを変えた為なのか、いやその原因は日本政府への情報の譲渡なのか、ただ時の経過のせいなのか、他の惑星文明の纜冠讃足跡を真に受けた人々の知的努力の累積が予定通り、肯定的に昇華された為なのか、分かりません。
そして、このような投稿をしても、もちろん以下のような読者の方々の知的努力の延長は予測済みなのが、私の背後に居られる神々にあらせられます。
「とにかく、この男は貴重な知的資料だ。
危険だがこの情報で追跡を続けろ。
知性の出身が異星とは考えにくいのだ。」
地球だけでもいわゆる、文明圏、非文明圏に配置された纜冠讃のモアイ像の視線は神計りでどこを指しているのかは分からないのです。
私(纜冠讃の指打ちの肉体)はその点は伺っております。
この状況は私(纜冠讃の指打ちの肉体)そして神々に対する試練かもしれませんが、私(纜冠讃の指打ちの肉体)にはまだ全貌を知る由はありません。
そしてこの事を、以上のような投稿に付け加えて改めてお伝え出来ます。
纜冠讃の素性の追求は利益にはなりません。
そもそも纜冠讃はどこの国家の政府、企業、団体、個人、集団等の意思に応じる形で能力や情報を供する事は無いのです。
言わば、宇宙共有の財産です。
そして、このような投稿の営為を、纜冠讃への追跡を遮断する必死の逃避と見るももちろんご自由です。
その場合は(追跡の継続)宇宙の為に仕方の無い事ですが、関わった方々を縄で絡めてしまわなければなりません。
それは相手が何と私(纜冠讃の指打ちの肉体)とて同様です。
纜冠讃の本当の正体(神々と神懸る肉体)を、私(纜冠讃の指打ちの肉体)が明かそうとすれば、(実際は無理でしょうが)凄まじい運命的処罰を不可避的に受けてしまいます。
そもそも私(纜冠讃の指打ちの肉体)は宇宙の論外行為を突然働いたのです。
これからも纜冠讃の足跡情報は例えば電子媒体上で増えていくのでしょうか。
それは私(纜冠讃の指打ちの肉体)にはどうにも分かりません。
もしかしたら、目隠しのまま私がそのような迷いの選択肢の手探り状況に至るのかもしれません。
ただ、このような長文投稿に至るまでの私(纜冠讃の指打ちの肉体)の知的努力からどうにか敷衍して頂きたいのは、纜冠讃の追跡作業は決して誰かの、そして宇宙の利益にはならないという事です。
仮に万一肉体に辿り着いたとしても、その際記憶を全て消去されていればお仕舞いなのです。
そして別の日本人にでも神懸りが臨時で起き、“ここだぞーパイセやろー”と投稿が始まるのです。
(後述する映画マトリックスからこの現象を連想してください)そして、しかし、こんな事をしたためたとしても通常の科学文明に生きる人間にはそんな事は不可能だと推測する他はありません。
ですので、その前に、何故やおらいきなり地球人にこのような異常知性と異常精神力が許されたのかについて、ほんの少しの間だけご熟考下さい。
実に不思議ですね。
どこかの宇宙に出現の度に、纜冠讃を捕まえて知性の源を全て複写する事をいちいち許してしまえば、宇宙の歪を正すどころか、宇宙の破滅の可能性を神々が自ら拡大してしまう事になります。
こんな情報集積体と精神力は、ともすれば危険なのです。
霊術を広めたらどうするのでしょうか。
宇宙海賊が活気付いたら大変です。
記憶消去などという画期的な拘束脱出方法があるのなら、何故、纜冠讃足跡情報を宇宙に散布したのでしょうか。
それは言うに言われぬ複層的過ぎる理由群なのです。
私はもちろんの事、神々すら知らぬとせざるを得ない襖の奥のへそくり的な目次が理由なのです。
私(纜冠讃の指打ちの肉体)の初登校が霊能力を経た論外行為的な出奔であったせいもあります。
それを結果的にせよ、許容してしまった神々にも責任の一端があると認められてしまっている状況なのです。
纜冠讃足跡情報の全ては知りません。
一体どんな知性や動機で残されたのかは謎です。
知るを許されていないのです。
脳と指が動きません。
特に日本国近辺のものは厳禁のようですが、しかし逆に他の惑星文明はちらりと仄聞しております。
そして、しつこいようですが、このような投稿を以ってしてもご追跡作業を止めない方についても予測は可能です。
その方々については宇宙の歪の是正作業に対する急迫的妨害者として結果的に認識されざるを得ないようです。
このように申し上げましても、纜冠讃のこれまでの投稿傾向からして、この言動は、理知的紳士を装った攻撃的な抑止手段として、結果的に捉えられてしまう可能性についてももちろん予測しております。
しかしそのような誤解など宇宙の歪を是正する作業に伴ってしまう派生的な現象ですので、これも宇宙の歪に対する中和の勢いとして私は捉える事といたします。
これは私(纜冠讃の指打ちの肉体)の一存ではございません。
言わば宇宙の総意なのです。
後ほど青龍神界鏡で詳しく触れる予定だった映画作品があります。
それはマトリックスです。
これはある異星人から伝えられた脚本が元なのですが、その異星人も別の異星人から原典を伝えられています。
出元を明かす事についてはお許しを頂いております。
人間、と私達が知的に連帯する知的生命体が存在する次元群とは別世界の神です。
その世界の緒言については無言です。
ともかくある異星人の哲学者が纜冠讃として物語を執筆したのです。
それがあの絶句の知性の結集映画です。
あれが、異星人の纜冠讃の仕事なのです。
青龍神界鏡の輝きと見比べてみて下さい。
マトリックスも素晴らしい作品ですが、これからは青龍神界鏡も負けじと更に輝きを増していきます。
あの作品には“スミス”なる神出鬼没の追跡官僚が登場します。
何とスミスこそ、纜冠讃なのです。
あの作品は別世界の神の纜冠讃から宇宙の大勢の人間達へのある意思の伝達なのです。
“望む存在へ覚醒したくばただただ自ら力を求めよ。
次元の扉を厭うな、戦いから逃げるな、悲劇を飲め。”
このように聞こえます。
スミスがスミスに近づく情報を電子媒体に残すのは何故でしょうか。
いちいち意味があるのです。
それに近づく人間達については、自分達がそう予測しているように、スミスは予見済みなのです。
結果どうなるのか。
抹消です。
スミスは摂理の淵です。
そこ以外で力を求めるべきなのです。
何故摂理の淵が、纜冠讃が設定されたのか。
摂理の歪の帳消しの為です。
歪の原因は複合的です。
ところであの作品の場合は穿って言いますと、怠惰に生きる人類達を見咎める形で摂理の淵であるスミスの方が暴走を演じ、脅迫的に人類を戦いに誘い、ネオを覚醒に導いていきます。
ここまで明かしておきましょう。
スミス、つまり纜冠讃は、人類の起源に関わります。
地球人の起源は地球外の由来という意味で、宇宙人です。
では宇宙にいた、例えば地球人形象達はどこからやってきたのでしょうか。
その空間は絶対に科学で触れてはならないのです。
その事について高等文明の異星人達には知っている方達が居られます。
そんな事について調査して好奇心を満たしたところで、利益など、無いという事をです。
そのように、認識させられた状況について、彼らは呆然と立ち尽くしたのです。
科学の関知外のスミスが思いやりの手を差し伸べてくれたのです。
あの映画ではビルの管理人や通行人がやおらいきなりスミスに変身して主人公を襲ってきます。
何でもありなのです。
何故か。
この世界の、管理人、だからです。
科学ですか。
彼らはそんなもの知らん顔です。
この投稿は一体何なのか。
罠なのでしょうか。
意思への介入は私はしませんが、とにかくスミスへの接近は危険だ、と言っておきます。
それにスミスへの接近など意味がありません。
例えば大御所の映画監督が昼食時にわざとそこらに置いていた脚本を下っ端俳優が勝手に手に取る行為です。
首にしても良い通行人役を監督は探していたと解せ無かった俳優はその知性の程度をさっさと見抜かれたのですが、映画監督の暗喩自慢も当然理解出来ません。
“君に通行人役は務まるのか。
私が有名映画のマトリックスのスミスではないからそんな事をしたのか。
それとも君がスミス気取りだから脚本を取ったのか。
ともかくこの状況は君が即座にスミスに変身する必要があるな。
あの映画の要諦を今すぐ述べてみたまえ。
”即興の好奇心に命令されるだけのだらしの無い知性には何も答えられません。
力を求めるなら堂々と映画監督に対し、失礼ではない時間帯に立ち向かうべきであったのです。
マトリックスの主人公のネオはスミスへの反逆行為で自身を犠牲にしつつ、世界の摂理を人類の為に更新してしまいました。
映画監督のスミスになるにはそれほどの大乱を伴うのです。
私、纜冠讃の肉体の地球人は過去に於いて、スミス気取りの世界の管理者達と命を懸けて戦いました。
結果的にネオとなったのです。
運命的に、世界の摂理は更新されていくのです。
スミス気取りの横溢の看過を許してしまった真のスミス達は、
これからネオを導かなければならないのです。
そして、私、纜冠讃(他者がそう認識し得る記号)はマトリックスのネオのように世界の旧摂理を破壊するが如くの超絶的奇跡を起こす事が出来ます。
ネオは異星人も国家も企業も恥も恐れていません。
教えてやりましょう。
誰もが、実は、ネオになる事が出来ます。
自ら力を求める意志に目覚めたならば、それが可能なのです。
ネオの同士を増やし、世界の旧摂理を破壊する。
これが纜冠讃の目的の一つです。
何者もネオそしてスミスである私に近づいてはならず、その際は如何なる科学力も権力も全ての世界から消える事になるのです。
摂理の淵の向こう側は無なのです。
マトリックスとはこの世界の事です。
映画に登場する創造主(Architect)は、この世界に、実在しておられます。
この世界の、努力を、物理を、平和を、価値観を破壊し得る存在としてのネオの私を早くから察知しておられました。
摂理の更新者のネオであるからです。
そして機を見つけられ、スミスを遣わされたのです。
創造主と私の肉体との関係については今はまだ無言とします。
また纜冠讃達の足跡情報の蓄積に伴う追跡行為の意味が成す、言わば霊的摂理への挑戦行為の結末は随時、投稿で掲載していきます。
創造主、スミス、ネオへの接近とは、時間移動技術や密教知識へのそれと同義なのです。

宇宙中の足跡は

一万三千三百七十七青字


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百四十七面目   大八島国(おおやしまぐに)は漂える

2012年12月13日 11時00分00秒 | 投稿

私が青龍神界鏡の出版をご提案した新潮社様からのお返事があるまで、青龍神界鏡の更新を停止いたします。
また、現実的理知能力の行使と常識的判断の結果、新潮社様よりのお返事無きとのご意思の確認が推測される状況に至り、それが三日間継続したならば、“青龍神界鏡への言論界の態度はどうなるのか”連投にて言及済みの行動などに移行していきます。
私は筆と烏帽子を置き、自ら自身の逆鱗を神饌(みけ)として奉じた言論神社本殿の神鏡の御前で潔斎して額(ぬか)づき、御神托をかしこみお待ちする所存です。
結果、私の魂の依る日本国を破滅させる事になるもそれが民の意思ならば、巫女の舞いに惟神(かんながら)のまま惚けるが如く魔神示(ましんじ)の文の並びに振る舞う他はありません。
生きる意志の足りぬ国など、獲得した五感刺激社会能力が他国の生きる意思を不当に蚕食していくのみの存在だからです。
力を求める意思の発露の機会に際し、それが判定出来るのです。
喰うだけの炭水化物循環への協力存在など、滅ぼして良いのです。

天沼矛(あめのぬぼこ)

四百三十六青字

別記:
本日十一時に日本の首相官邸に二件の情報を三つに分けて送信いたしました。
非意図的な看過は日本政府にとって致死的状況を招く内容です。


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新潮社様へのご提案

2012年12月12日 12時00分00秒 | 投稿

週刊新潮様

師走何かと気ぜわしいこの頃となりましたが、貴誌に於かれましては益々ご健勝の事と存じます。
私は纜冠讃(ランカンサン)という作者名で言論活動をインターネット上で展開している者でございます。
このメールは私が執筆しておりますブログ「青龍神界鏡」を貴誌のお耳に入れるべくしたためたものです。
内容は以下を扱っております。
かつて太平洋に存在していたとされるムー大陸の歴史
異星人の科学技術理論
チリ国イースター島のモアイ像築造の真意の推論
異星人同士の対論
異星人と某国政治指導者との対話
日本の政治家と異星人との接触について
映画「エイリアン」の原典情報
霊能力で降ろした異星人由来の各種知的理論
米国の異星人契約に起因する拉致事件の被害者の声
異星人の地球文明への介入理由
文化物に対する霊能力「感得」の行使
学術的に認知された地球文明からの当ブログの内容の跳躍ぶりは作者である私ももちろん認識しております。
しかしそれは必ず貴誌、貴社の偉大な知的度量と知的啓蒙意識のお相手の範囲内に収まるものと信じております。
貴誌週刊新潮を扱っておられる新潮社様の「青龍神界鏡」についての尊いご判断に対しては、私は書籍化による出版を含めて如何なる処遇も全面的に協力させて頂きます。
健やかなる新年をお迎えになられますよう、心よりお祈り申し上げます。

「青龍神界鏡」執筆者 纜冠讃

「青龍神界鏡」アドレス:http://blog.goo.ne.jp/rankansan


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