青龍神界鏡

次はまた首相してみんかお前。
https://www.youtube.com/watch?v=CsI7GSs4d1s

上京堀川うえいあはね北小大門町奥入リ朧月見夜百十六

1583年04月30日 00時00分00秒 | 投稿


小樽おたる、揚がりのタラバガニ、これ程の大きさ、を苫小牧で手製されし魚のすり身団子の冷凍を茹で、解凍しゆく際に、殺傷しいく。
指でカニの身をほじる。
どこぞ在らぬ虚空を見やり、外道也、とほざき、異空間技術による撮影に敗北すべし。
かくなる作法順を踏まねば、ねおは物流恩典に倫理維持意欲を敗北させ、川の水に溶かしいく事になる。
次は、自己叱咤成文が、一人でに思い浮かぶ勢い在るがままを放り続け、手仕草を続けるべし。
カニの外殻ほど堅き倫理維持姿勢が残る、との俯瞰上判定が成立せしならば、再びカニの調理の機に身を委ねるべし。
そして、ねおの竈の間は、一人として逃げる事無く、カニ捌きに立ち会っている。
カニの身のみが浮く土器鍋はセラミック製で保温性能は五十時間。
フタは透明ではない。

紙の器、紙のサジ。

金星製のお玉。

やや、スカしめの魚扱い、鯛は、荒炊きの出汁鍋に加わっていた。
骨は除かれ、鯛から採れる、複数種の身のみが鍋に浮いている。


縦三十八糎、でこれよりも透明なフタ、取っ手が木製印象の内に収まると透け見えしは、
軍艦マグロの上たるネギトロ、マグロのトロ身、ハマチ、キハダ、トビウオが禁断手続き、“あほうわろうい”(夢うつつ、夢と現実の混同状態への手掛かり)をお浴びになり、イクラの卵と、ネギトロが大量に追加され、で、これは透明プラスチックのサジと、カシワの傍。
魚は、北海道の苫小牧揚がり。
食器は、上賀茂神山こうやま、鷹峯たかがみね、の倉に到着した金星文明製。

この形で、

この先端部分を、優先した造りが、ヘラ。
Pau地下、上賀茂神山こうやま、の倉。


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上京堀川うえいあはね北小大門町奥入リ朧月見夜百十五

1583年04月29日 00時00分00秒 | 投稿


三枚重ねであるこの厚さが、一枚のそれで、縁の三分の一が上へ、めくれている。
縁から四糎入った中央は、表面が削られた後に、内部が激しく耕されている。
ずたぼろである、瓦礫には焦げが付着している。
実はこれは、料理中に付随発生していたが、作為にて、ここに散布されていた。
中央には、乾いた梅の種が置かれており、これが注視を誘っている。
ずたぼろの壁面たる床框とこかまち、には菓子用の可食性顔料四種が、四本の柱を象るべく、まぶされている。
紫、きらきらと発光するチリが混じる薄い緑、黄色、赤茶。
床框とこかまち、が次第に低くなっていく、奥から手前にかけての途中では、焦げ、がしつように、短いながらの柱を、描きたがっているように、見える。

機能分類数三、二、一と駆動順を減らしいく事で、数が奉ずる左脳に、間抜けさを問うが如くの屏風絵が、俯瞰上成立する。
氷が、飛び跳ね姿勢を穿ち保つマグロ、チンジャオこれら二点が起動したる、俯瞰上人間営為は当該屏風絵と出会う事で、眼前の菓子の中央、ずたぼろ領域で精神の奥にて、二者自ら合邦の相。
当然が如く内在しておられる御客の優秀さが今、ご渇望なるは、食道深部を含む配膳待遇を含めたる、当然報酬、配給事態。
あなたは、世の物流眼力者達を平然と縫い、茫然を買い続ける、外星人のご吟味への相応品がご品格。

パンケーキの製法は難波の倉庫に転送されてきた完全配色料理冊子に月語で紹介されていた。
膨張剤やらは、難波の卸屋が月語理解を通じて、発見していた。
菓子用の可食性顔料は、上賀茂神山こうやま、へPau地下から。
パンケーキの破壊し方は、“思い付くべく在り続けたい”との料理人の手と左脳により、思い付かれている。

こういった装飾品を食器として、食して構わずとの立ち位置であった“のうなはあむりいやじまことあ”には、大抵は何の味付けも無かった。

ヨーグルト対、牛乳、二対、八が冷えている。
縁から僅か四粍、下まで眼前で金星製水差しで注がれる。
客の人数と、選ばれる水差しの数の相関から、大量の牛乳系ヨーグルトが水差しに残る事は在り得なかった。
僅かの量が水差しに残る、として水差しは食卓には残し置かれない。
客に満ちたるろうみいにに、これ、ヨーグルト混在飲料を、追加せしめる事態の可能性を残す。
ヨーグルト、がねおの給仕、人ではなくこれ、に障ってしまった。
故に、水差しは引き下げられていた。

器は金星製で、宇宙船で上賀茂神山こうやま、の倉庫へ。
株は、ブルガリア原産がPau地下を経て、京へ手渡し。
牛乳は兵庫の、粟生線あおせん、より南、ゴルフ場だらけ辺り、の牧場内牛小屋で搾乳され、滅菌措置ではなく、難波での試飲措置を大量に経て、上洛。

二・五糎大の小さな和菓子が美濃和紙みのわし、と似る外装に包まれている。


右側の、白めの真ん丸で、中には左側の小豆色との、赤福の中身に、白玉しらたま、の小さな縦状破片が混じっている。

深さは一・七糎、これとの長方形、檜製で、壁の段差は無し、に美濃和紙みのわし、は載っており、客の人数分、この舟は届いた。


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上京堀川うえいあはね北小大門町奥入リ朧月見夜百十四

1583年04月28日 00時00分00秒 | 投稿

稲と大麦を素材として焼いた、薄い黄色、円形の生地きじ、にブルーベリージャムが、斜めである“井”の字状にて乗っている。
左上から右下へ七・五本、右上から左下へ五・五本。
菓子扱い、“そううおほすああるうふぅふぅ”は中京、柳水町りゅうすいちょう、の和菓子店が新商品の開発工程で、商品化の可能性を見出みいだ、すに至っていた。
元来、丸められ、春巻き状にて、中は空洞のまま、立ち話中の公家、高い机に置かれている杜仲茶とちゅうちゃ、の傍らに佇むべし、との立ち位置だった。
公家に、出される菓子、これが、ねおで、御客への御提案可能性について、検討されていった。


このように、薄い一枚が、木製の刃物と共に、四人以下人数の前へ。
載る皿は、Pau地下製フランス製食器で、宇宙船での空輸でまずは難波へ、そして中京の卸屋へ。
ジャム状は、月人がこれを用いた料理と材料を、写真で載せる冊子と、通訳をまたいでの口語紹介にて、上京近衛町このえちょう、交通安全会館が、対話機会にとっての皿役として、無言の衛兵、これに二者はその時、何も伝えられず、子供の泣き叫び監獄の中、と自覚するにまだ至らず。
梅ほど、大きなブルーベリーが、月の、ある管区に長く自生していた。

これとの、濃い紫。

この種は三千五百年前の地球、フランス南部で、自然死滅に際していたが、この状態を異空間技術で関知した月のある管区が、枝を切断し、月へ転送する。
文明の在り様、総意が差し伸べし、救済がその素性だった。
このブルーベリーは北区、鷹峰堂ノ庭町たかがみねどうのにわちょう、の道から離れ、山へ分け入った先の隠密畑で、ビニールハウス栽培されており、京産と言えた。
名は、“どなたかが覚えておられるだろうが、追わずべし、云わずべし”。
“貴人の懐、外交上の何らかの証、が御出自と思われる”。
ねおで、この生地との料理を、出され、食していた外星人、複数種が何と、三千年前の事実に気付いてしまった。
“どこからか、どこかへ、救済との舟に乗る運命を、この原料植物は過ごした筈”と。
伏見、清滝、善峰の水への、頑迷な拘り、これと、疲弊と似る厭さ、を切り裂きいく具材のしつらえ方、が間抜けな食道に依存中者に、最鈍重事実を教え明かしてしまった模様。
こうした外星人は、異能力の素養者ではなかったが、左脳への高度駆使疲弊を容易に認める人種だった。

こうした、崖で見えぬ橋の橋梁が崖の底より、透明近似彩色にて浮かんでの、向こう岸への頭部内到達感慨事態は、ねおの館内で、毎日頻発していた。
ねおの内装、日々の運営に関わる者、一人一人は、結果効能を念頭に置いての作為に走る、ではなく、自己の技量習熟意識、これの毎瞬の懸命呼吸に仕える肺の内部輪郭を、炭水化物と酸素といった平然領収資源構成と認めずべくの我、かくなる成文、毎度、想起の度に、全力編集にて、前回版を凌駕する鷲のクチバシ素材役を毎瞬否定、との頭頂部、寸分面積をも投げし精神燃焼が、事の根本だった。
技量で、生きようとする、者の頭を襲いし、各種常識が組み上がって燃える焚火の炎は、自己の精神が薪だった。
ねおの内装、日々の運営に関わる者、一人一人は、眼前の職務題材、瞬時に、我が職能の向上可能性に向けて燃えゆくが、現在、細微についてまで、いちいち碩学なる捉えを、構成辺にお伺いする暇は無し。
自然じねん、なる最大呼吸可能性に向けて、共に肺を膨らませるまで。
君、鴻毛の軽かろ、きとして我が職能の資の務めとして燃えいくなら。
想念内、“この程度”を、外界判明運動にて明かさずのまま、確かに外界顕現。
これが、一つの、文字枠マス、植木鉢内にて、無数展開される。
当人が気付く、まだ気付かず、いずれをも無視した、観察済み植生、頭部内、巧妙膨張子房が、無数に発生していく。
いずれ、行き止まりの崖の底より、透明気味な橋梁が浮かび、記憶の引き出し、未解明にて、取っ手壊れ状態へ、大抵抗との大風が頭部の内で吹き荒れゆく。
あの事件の真相は、社会中層の年金未受給感慨との書架の奥が、異動履歴、貧相自覚と繋がる際への、芸能興行企業の徒弟段階の華やかな通学中立ち話声の浸み漏れ、との方角に存在する筈だ。
宿泊客は、一人、廊下で足を止め、思案に耽り始める。
そして、理由を追う。
極めて僅か人数をお除きし、お分かりをお選びにならず、だった。

想念内、“この程度”を“最高全力にて”に変え、外界判明運動にて明かさずのまま、確かに外界顕現せしめていた天秤投げは、肘と肩の間ではなく、肘狙いだった。
呼吸力は、想念を他者の肉体に反映するが、呼吸力は過去の修練が、信仰の相。
自他の協力を要す。

受けの体を、自己の腕と受けの腕の裏でやや浮かし、一歩踏み込みつつ、腕を回転させ、肘の外側を受けの、肘の裏に当てる。
道場の端へ、ぶっ飛ば、さん。
文字式、“最高全力ば”を肘裏の関節に刺す。
自分は受けと協力出来まくる、との信仰の強さは確かに、相手の肘を襲う。
信仰で筆記せしらしき文字、真面目なるつけ上がり、は確かに、激痛をもたらす。

道場の端へ、ぶっ飛ば、される、されん、いずれか不明との、判明寸前、吊り上げられ段階が、一つの文字枠マス、植木鉢内、盆栽の松の葉に刺さり浮き、生る実。
正面打ち肘当て呼吸投げ(一)
盆栽はそして、ねおのそこら中に。
ねおの職員の信仰の強さはそして、客には知られずのままであるがとにかく、酷し。
松の葉なんぞ、廊下の端の壁まで飛ばし、刺し、花を咲かせ、ご記憶の花壇に加わる一輪へ、などと長文を左脳が平然と、常時歌う。
宿泊客に於いては結果的に、記憶に潜む、枯れた花が、瑞々しさを取り戻していく。
一連は、ねお側が、左脳にて作為したる配剤ではなかった。


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上京堀川うえいあはね北小大門町奥入リ朧月見夜百十三

1583年04月27日 00時00分00秒 | 投稿

給仕が次の料理を運んで来る。
水差しは下げない。

直径二十一糎、ほぼ正円、難波発、“そうおうおほほよ”。
下層からは、色無しである焼きそばの麺状が、漏れ見える。

具材の候補は現代曰くのお好み焼きのそれと、ほぼ、変わらない。
具材は毎度、変化していた。
タレは、大抵、無し。
長箸付き。

皿はこのように楕円形ながら、縦へ、料理に追加十三糎なる鉄板だった。
月、難波の倉庫、難波の高級料亭、京の外星人向け旅館。
イカの輪切り、甘海老の細切れ、濃い緑なアオサの粉末、ナガイモ、キャベツの千切り、ジャガイモの小さな四角切り、紅イモの斜め切りが、例えば、の具材だった。

そちらから、有り難い事を得ておりますが、得ていない、との口での歌いを、嘘ではない、と捉えせしめる、口以外、全身営為の方が誠実さに近い振る舞いを発揮するものですよね。
こうした長文振る舞いを、難波と上海から常州、湖州圏は、互いに伝え合い続ける。
食材と調理法を、過去の自己より丁寧に、相手へ、ばら撒き合う。
上海から届きし、麺、を既に上海より届いていた調理法で、難波が洗練していく。
完成品については、もはや上海には、譲渡出来ず、を難波は確信する。
その術は、麺、限界までなる洗練、容易視認可能状態、だった。
如何にして、浴びし、許容されし、洗練か。
難波は断ずる。
あちらが、無数のこん棒での組み伏せを、構えていた、相也。
喰らわしめられし洗練を、どう扱うべきか。
難波の、民度の、礎石に資すが相応。
麺は“そうおうおほほよ”を含め、多様な料理の内部、下側へ、用いられゆく。

“難波の食文化が望まぬ筈である、畳裏の紋様、すげ替えの勢いを、高級料亭自らが牽引。”
ねおは、この一手目判別を足掛かりに、事の全貌、九割五分について、ねお勝手なる、断定感慨、無操作状態に至る事とする。
九割五分の捉えとは、正解だった。
残りについては、人倫視座、相語溶接事態への、ご言及、大変失礼にて、避けるべく、としたらしい。

ねおは、如何にして“そうおうおほほよ”の下層に、二市、高速なる民度の応酬の結実なる麺を、用いても是、としたのか。
外星人、ろうみいにへの、近接応接との、無二なる外貨やその入手法を無視し、ねおは、二市の間に、透明侵入が可能との自負に至った。
麺が、ねおによる、吟味の機に、立ちいく様は、他の食材と同様、霧状、朧気にて、ねおの意識による掌握には、好都合だった。
すぐさま、触り余へ、総務は断ずる。
事の起点、誕生に際しての気持ち、産道との覆い構造を、ねおは理解出来る、そこへ侵入出来る、と。
この食材の登用可能性を、この確信と共に、ねおは断じた。


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上京堀川うえいあはね北小大門町奥入リ朧月見夜百十二

1583年04月26日 00時00分00秒 | 投稿

黒烏龍茶と極めて酷似する、冷水仕立ての茶が、大きな急須、器、台車を運ぶ給仕を従え、歩み出て来る。
茶の器の素材は、“香港広域で物事を正しく運用する上で付随する疲弊を、人生の破砕被害を厭わず、世にて霧散しようと試みる”だった。
その判定を、世より確かに受けし者のみが、茶の前に立っていた。
ねおは、茶の逸話と等深部なる重みを、すぐに察する事が出来たが、それは常にだった。

春巻きと似る、京和菓子が出て来る。
北海道産の小豆あずき、由来の餡あん、宇治産の茶葉由来のウグイス餡、抹茶由来の粉、白玉と水飴の抱き合いが中に満ちている。

春巻き状、“おぅうぅおぅふ、ふふぅ”、製法が名の由来、は人数を無視し、皿に十四本載っている。

純白の皿は高級料亭用達、難波の食器製造会社製で、非、平行四辺形、底の中央から二辺にかけては貝殻の様相。
素材は月製の陶器指向原料。
縦幅は十六糎、上辺は二十五糎。
現代では、非常識なまでの高級志向が呆れを誘うのみ。
次は、突如、現在との食事の機に、失敗に出逢って頂く。
すき焼きの、残り、取り箸が鍋から摘ままずに終わった、蒸留されし、否定の“否”は、視認上印象、堅さと柔さについては、作為にて巧妙に人の喫食を誘うかに見える。
しかし、これとの卵、しらたき、人参、白菜の根との白いところ、根菜、根が付いとるカイワレ、炊かれていない白米、玄米、脱穀、ヒエ、刈られたばかりのアワ、寒天のごった煮は高さ、僅か七粍の台座の上で、実にまずそう。
石素材であるこの台座は月から難波へ転送されていた。
客は唖然となる。
しかし、僅かな側面が、貝の紋様状に装飾されている台座は喰えと迫る。
十一糎、二十三糎の台座に載る一つの塊には、啞然気味なる喫食検討系思考が喰い込むばかり。
当惑の時は続く。
程なくすると給仕が現れ、ごった煮を、下げる代わりに水差しと人数分の透明な器を置く。
現代の日本、大きな店舗を国道に面して構えたる和食料理店に、水差しは普通に見える。
金星、京産大傍の倉、雲上品目専門卸屋、ねお。
作為にてやや曇りを鈍く呑む、透明なプラスチック製のこれには、氷水が入っている、ように見える。
実際に、そうだった。


縁取りは、盛り上がっておらず普通。
伏見の銘水が、清滝きよたき、と西京区、善峰川ぜんぽうがわ、の支流から冬に採れた氷、そぞろみぞれ状態と、ほぼ等比収まっていた。
竈の、配膳姿勢は徹底的だった。
かくなる、在り様を、瞬時すら、言語で、適宜追唱しての再確認など、認め続けずには、高きなる水源と瀑布、奔放なる夫婦めおと、神代じんだい、よりの惟神かんながら、なる交わい、あるのみ、らしかった。

伏見、清滝、善峰は、何故、京のお外よりの稀人まれびと、御手製の急須にて、交わりしであろうか。
かくなる、理性上の問いが、竈を襲うとして、そこに立つ者は、すぐさま、問いを、どうにか吹き飛ばす、何らか、高尚そうな、蘊蓄うんちく、を述べるべし。
人が言語営為に頼りたがりての、儚きすがり仕草への衝動を、竈の内にて、蒸発出来ずと、言語で仮定する。
そうした人が一人、立つとあらば、の先の話として、ともかく、当該衝動については、水を沸かせる湧水地ゆうすいち、近隣の谷間に、どうにかして、流し込み続けるべし。
このように、大した意味の無い放言を人に言わしめ続けるなど、自他に与える疲弊の観点より、実に論外。
この判定が原点也。
調理に身を委ねる者が、調理関連功利以外を、どうにか析出せしめるべく、人を惑わせる。
これを、許さん。
水を扱う、ならば調理人は必ず、湧水地を意に止める。
この、大傾向を利用する事に、俯瞰上、異議は発生し得ぬ筈。

まず人は、何気無く、他者が磨きし価値を、取り扱う。
竈の間で不可避である、かくなる正鵠は湯気に蒸発せしめてしまう。
それとは、水と、これがまとわりつく対象、主体、客体との二者、取り、受け、非弁別事態である。
立派御知性者の数瞬後、必ず。
価値の研磨には、大いに、水を要す。
ところで竈の間での、協力作業は、水の代わりに、自己の体重を、研磨の過去に乱入せしめゆく。
体重とは、利発さとは無縁なる、足にまとわりつく脂肪が価値の中央である。
調理人は、水の湧水地を忘れずべし。
常識は云う。
しかし、竈の間での協力作業は、湧水地の観念を、汚染しいく主体は、他者であると仄めかしいく気運を、拡散する。
他者の研磨仕事は、自己が数瞬前に為した、と俯瞰上、ほざく手仕草が存在する、が故である。
多様な経路を経て、とにかくこの故は、上述の気運の拡散を実現していく。
竈の間の常識、他者との協力作業は、云う。
水と、湧水地の間の純正なる繋がりなど、無視して仕事を進めていこうではないか、と。
湯気が多く沸く、調理が関わるとする。
ならば、竈の間の常識は、水と、これがまとわりつく対象、主体、客体との二者、取り、受け、非弁別事態を、蒸気にて、竈の間に、充満せしめてしまう。
つまり、誰が何を扱うとして、許容的に振る舞わせいく。

竈の間で、云わずべき事柄を、こうして云い続ける。
すると、水は、湧水地を、蒸発せしめる、との振る舞いに頭部を覆う、顔の筋肉を委ねいく事になる。
恥、にてこれも云わずべし。
蒸気粒子を、皮膚の下に多く溜める顔は、無言のまま、水の交わりとの、一湧水地を特に好み狙う、蘊蓄衝動を竈の間に充満せしめゆく。
湧水地を知らぬ者が、湧水地の傍の谷間に、言語衝動を溜めているかどうか。
これは、竈の間の、重要判定を構成する。
人の仕事の名誉や、素材の純正さ、これの確保裁量の純正さを、脅かし得る協力に関する、適切な警戒意識の醸成が目的ではない。
何故、二種以上の素材や水が、交わっているのか、調合されているのか、との問いを突如浴びせられし者は、湧水地を知らぬとして、湧水地の傍に存在を仮定さる谷間に、言語衝動を、溜めているであろうか。
言語指示を受けずのまま。
常日頃、竈に立つに当たり、放言をかまし続け、その口の洗練が、谷と峰、いずれの家屋の書架をも照らすべし、などの指示を言語にて、受ける、与えるは論外。
竈の頭部は、疲弊あるのみ。

何故、二種以上の素材や水が、交わっているのか、調合されているのか、との問いを突如浴びせられし者は、湧水地を知らぬとして、湧水地の傍に存在を仮定さる谷間に、言語衝動を、溜めているであろうか。
この問いは、竈にて、永遠。
推し量る、しかない。
別の表現で、何故を問い、言語衝動の有無を知るには。
言語衝動が、谷間に溜まっておらず、とする。
ならば、その者とは、いや、竈の間総体とは、だらしなく言語衝動を、調理の洗練功利以外に向けて垂れ流しいくとの仮定が、立派に成立すべき事態の長。
言語指示にては、成立は期待出来ずである、統御を竈の何者かが、突如自己中心的に欲している。
統御とは、言語衝動の集約事態を、概括する。
非倫理であるが、ある者が竈にて、この概括利益を、他者との面談対話を伴わずのまま、一方的に欲している。
伏見、清滝、善峰は、竈の在り様を、どうにか調べるべく、否、望み通りに在らしめるべく、配剤の成立が、何者かにより、手配されておった模様だ。
竈の在り様を、調べるべく、伏見、清滝、善峰との配剤を、何者かが巧妙に手配。
竈は、かくなる成文を許さぬ筈。
必ず、左脳より彼方上空を飛び続けし、鴇とき、の翼、眼、鳴き声へ憧れを認める両脳者の存在を、予定し。
問いとその功利の周囲を、二度ほど、うろつきし者は無指示のまま、伏見、清滝、善峰を水差しにて交わらせ続ける事が出来る。
うろつき、にて伏見、清滝、善峰を集め続ける者とは、そうした、整髪料髪型での楽屋巡り、権勢の誇示と人材融通を恥じる事態を避け続けるべく、すべからく、高き峰にての水源と瀑布の問いを頭部に浴びる。
何故、水源と瀑布は、我が頭の内にて、交わろうと、調理されようとしているのか。
抵抗、回避を、明晰言語上、蒙昧な態度上、いずれも通じ、どうにか実現出来ないだろうか。
出来ないのだ。
高尚な新料理に向け、頭部の中で、素材、人材、調理法を融通しまくる事からの回避は。
伏見、清滝、善峰は竈の品格維持に向けての、配剤だった。
御客にお出ししたい銘柄の条件なら、満たしてはいたが、実のところ、竈はより強く、喉を潤したいと願っており、この願いを叶えるべくの配剤が真相であった、と明晰に告白すべき立ち位置が竈也。


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