青龍神界鏡

次はまた首相してみんかお前。
https://www.youtube.com/watch?v=CsI7GSs4d1s

百五面目   神社での願掛け因縁

2012年10月30日 21時00分00秒 | 投稿

霊能力覚醒以前から、私には自身でいう”神社欲”がありました。
単に神社の参拝欲求なのですが、道を走っていて自身の感性と合う社を見つければすぐに参拝してしまうほどの強さです。
願掛けはしません。
ただ参拝して感謝をするのみです。
このような美しき社ありきの歴史紡ぎし営み、神籬(ひもろぎ)全てが有難いという気持ちを神前に捧げるのです。
それだけです。
多くの日本人は、”それだけでは神社に行く意味が無い”と不満気な目になるでしょう。
私には分かります。
利益が無いからです。
試験に受かりたい、異性が欲しい、出世をしたい、病気を治したい、家族に長生きをさせたい、不幸を避けたい、これらは皆欲望です。
何故神社が参拝客の欲望を満たす事になるのでしょうか。
今や神社側も祈願の申込書には様々な祈願項目欄があり、申し込みを誘うかのようです。
断言します。
そもそも神社の神は人間の欲望に仕える存在ではないのです。
日本人は間違っているのです。
愚かなのです。
仮に日本人が新年参賀の日からあらゆる欲得祈願を止めたなら、日本は教育、文化、政治、経済の順で劇的な飛躍を遂げる事でしょう。
目的を達しようという人間自身の意志が輝き出し、社の神への祈願による霊的疲労が無くなるからです。
皮肉な事に、一人一人の欲望が国全体に齎される幸福感を奪っているのです。
しかし、これも今の日本人が至ってしまった、言わば自らの自由意思で選択してしまった結末として神々は見ておられます。
何故、二礼二拍手一礼の仕草と心中の依頼で自身の人生が向上していくのでしょうか。
何故、試験に受かるのでしょうか。
何故、異性の接近を得られるのでしょうか。
何故、出世出来るのでしょうか。
何故、病気が治るのでしょうか。
現実的にはそんな奇跡現象は期待出来ません。
この物理次元の摂理に従った努力を蓄積すべきです。
勉強をするなり、自身の形象を鋭らしめるなり、上司にへつらうなり、良い病院を探すなりすれば良いのです。
ところで欲得祈願をする大勢の日本人は、社に坐す神の存在を信じていません。
しかし、霊的存在はいるのです。
科学で関知出来ません。
神社の境内を科学で感知しようとした試みは不可知の妨害に見舞われ続けました。
警告を無視した学者は死亡です。
意思の発信源の政治家の運命は失脚、事故、病気、不幸、自身や周囲の精神疾患、忌まわしい偶然の連続で破滅に至りました。
このような祟りを一般的日本人は知りません。
そして、欲得祈願はするのです。
神の存在はおぼろげ、祟りは知らない、しかし祈願はする。
一体何なのでしょうか。
要するに自己満足です。
”試験に受かりますように。”
こんな事を神前で願う事で自身は力を放棄し、存在を信じていない他者への依存でか細い心理的安息を得ているのです。
私の霊的分析では、このような行為は自身の人生を弱くします。
手を合わせれば自身の学力が増すという、手前勝手な不思議な力場に既に逃げているからです。
机の前に座っての現実的努力の時間をその分捨てています。
そして社の神を使役せんとする人間如きの殊勝な心意気で尚更神から遠ざかります。
社の霊域は欲望の霊的波動で穢れます。
それによって神霊は疲労されます。
受かったらどうでしょうか。
あの神社のご利益は素晴らしい、という記憶回路が出来、類似、同程度の人生困難に際し、それが以下のように暗示してきます。
”お前は大学合格のために、自身の力を求める意志を神社往復の時間分投げ出し、何もない空間にうやうやしく振舞ったのに成功を得た人間だ。
故に、今度も潜在意識で良く分からない不可知の力場に逃げ込み、安息を得る振りをして成功を求める自分を一程度許すのだ。
許す程度は前回お前が投げ出した時間分ほどだ。
自己陶酔的に怠けろ。
前回のようにきっと成功するぞ。
成功したい気持ちがある段階に強まったなら、また不可知の力場に逃げ込み、自己陶酔的に怠けろ。
そうすれば前回のようにきっと成功するぞ。
得た安心で怠けろ。”
そしてこのような暗示が乱反射している潜在意識は就職面接対策の情報収集において足枷となります。
一般的精神論をからももちろんそう推測出来ますが、私は霊的側面から言います。
人間の潜在意識は全宇宙と繋がっているのです。
この点は私が遠隔会話能力を発揮したり、子供の超能力者が分厚い電話帳を素手で破ったりする現象で推測的にご理解下さい。
弱々しい潜在意識は、何と本当に自身の運命を病弱にするのです。
運命とは、この世界の出来事の海を潜在意識が泳いで出来る水紋のようなものです。
潜在意識が運命にとって重要なのです。
因縁という仏教用語があります。
これを降ろしたのは異星人です。
潜在意識と全宇宙幾京本もの紐との綾しまりの状態をいいます。
因縁は運命に大きく作用します。
泥棒因縁があると、刑務所の運命の紐が自分に垂れてきます。
そういう事です。
欲得祈願で神に命令しようとしたり、社の霊域を霊的欲望波動で穢したり、神前で力を求める意志の放棄を謳って満足していたりすると、良い因縁は消えてしまうのです。
上のような潜在意識内における暗示の乱反射現象があるからです。
情報や人間との出会いの機会が何と消えてしまうのです。
私は人間の運命の破滅についての知識を持っています。
例えば、人間の振る舞いに関するものです。
そのような振る舞いをすれば、人間の因縁が壊滅的に破壊されてしまうのです。
しかし明かせません。
もし明かせば、その行為を避ける人間が出てきてしまい、摂理が更新されてしまうだけなのです。
ちらりと触れましょう。
ある方法で得た金を、あるところに流す、というものです。
これを行う人間に残されているのは人生の破滅のみです。
これは単に、この行為を着想してしまい、実行してしまうような人間はもうこの世には要らないという自動的現象を単に知識と言っているだけです。
しかし、もしそれを知ってしまい、人にしろしめてしまえば、この世にはもう要らない人間の代替的破滅方法を摂理が自動的に探し出します。
そして、救世主気取りで他者に知識をしろしめた人間は、運命の摂理の破壊者として履歴を残し、その者にも応じた破滅が訪れるのです。
何せ因縁という禁断の法則を知っておきながら、人間如きが摂理を更新し、精神の高揚や経済的利益を得て自身の因縁を変えたのです。
並の破滅は訪れません。
そして人間には避けられないのです。
権力の奥の院の政治家、財閥の総帥、異星人、霊能力者、皆が屈するのです。
更に言いますと霊的存在ですらもです。
このような禁断の知識群は密教寺院の蔵に数多く隠されています。
恐ろしいものです。
そもそも人間が触れてはならないのです。
知らなくて良いのです。
神が禁止している知識群なのです。
人間の魂の成長のためにならないからです。
地球に降ろしてきたのは異星人、ファッスァゥ星人、フラフスルァルァーング星人、ヴァルァググァース星人達です。
密教の伝達には複数の異星人が関わりましたが、殆どが滅びております。
摂理を舐めたのです。
利益だけをせしめて人間が逃げられると思っていたのです。
無理なのです。
話が逸れました。
試験に受からなければどうでしょうか。
蒙昧な空間に身を置き、力を求める意志と時間を一程度そこで放棄し、合格の可能性を低め、潜在意識を弱めました。
受かるものが受からなくなってしまったのかもしれません。
そして放った霊的欲望波動で霊域を穢した履歴が自身の運命の足枷となります。
霊的波動は類似の霊的波動を吸着する性質があります。
恋人が欲しい想念波動は、類似の欲望、渇望、不安波動をかき集めてしまうのです。
明治神宮の清正の井戸なるハエ取り飴は愚か者のパイセ場です。
恋人が欲しいなら自身を高しめればいいのです。
人生の学びの機会を自ら捨てている連中なのです。
自らの意思で清正の井戸曼荼羅に坐し、ドス黒く大量の人生変革欲望波動を喰らいつつ、更に自身も力場を太しめているのです。
“ファーゥグ”
吸着した霊的波動は自身の潜在意識に介入してきます。
これまた同様に、自身の運命の重りとなり運命を弱くしてしまうのです。
神社で願掛けをする人間が、結果がどうあれ運命が弱くなってしまうのは要するに摂理なのです。
そういう人間はそういう風になって良いのです。
回復には現実的努力かもしくは感謝です。
では、感謝をすると決めていれば、願掛けは許容されると考える人が出てくるとします。
それはそれで、そのような人間を自動的に処理する摂理が作動していくのです。
その人間は、感謝を利益行為の軸に置いてしまっています。
”帰りの交通費分までがっつり遊んで、家に帰るために見知らぬ人に車に乗せてもらう時はきちんとありがとうと言う予定で行こう。”
こんな愚か者には常識侮蔑因縁、他者使役因縁、感謝価値下落因縁が発動していき、きちんと困難が訪れてきます。
私は霊能力で人間の運命が読めます。
上のような人間は、触れてはならない人間の価値、例えば祖先崇拝や愛国心を濡れ手で扱う狂ったベンチャー企業に元気良く就職し、退職を希望しなくなる年齢までに転職活動の時間を意図的に奪うような、困難且ついかがわしい仕事を押し付けられる事になります。
自身の潜在意識が導いてしまうのです。
そして実際には潜在意識内の様々な指向の力が働き、最小公倍数的な就職先に愚かな魂が着床する事になります。
とにかく、神社という人間の精神的価値を高しめる場所で、就職や異性との出会いという多分に現実的な欲望を持ってくるのがそもそもの誤りなのです。
日本で願掛けを広めたのは仏教の愚かな坊主です。
動機は功名心でした。
私はいつも思います。
願掛けで一体どれだけ日本人の霊性、精神的成長が損なわれただろうか、と。
そもそも神社とは、まだ満たされていない欲望を満たしてくれと願う場所ではなかったのです。
既にある神の恵みが、有ることが難い事であった、つまり有難い(ありがたい)事だったと、思いやる場所なのです。
人間には素手で以下の事が実現できますでしょうか。
雨を降らせる、野菜を成長させる、地球を自転させる、水を沸かせる、食べ物を発酵させる、物を燃焼させる。
無理なのです。
神々のお働きなのです。
神道信仰の原型は縄文時代に遡ります。
縄文人は畏れ多い神々に対し、立派に自然の恵みについて感謝を捧げてきました。
人知らざる不可知の力に満ち満ちていた世界を統べる自然こそ彼らにとって豊穣と死を統べる絶対的存在、神でした。
困難な世界に生きる彼らにとって恵みは有り難いものだと知っていたのです。
彼らは何と、恵みに皆が感謝を捧げなければ、共同体の紐帯が緩んでいってしまうと見抜いていました。
食べ物をどこの誰が持ってきたと主張的な風潮が横溢してしまう前に、畏れ多い神の前に全員がかしづくのです。
こうする事で、生と死を統べる不可視の自然神の前に平等に立ち並び、死への諦観と生への協調を確認していたのです。
では、私はこのような投稿を衆目に晒し、因縁の摂理を更新してしまう事になるのでしょうか。
私が行っているのは適正化の試みです。
神社での願掛け、修法、いわゆるパワースポット巡りの姿勢、問題が多いのです。
願掛けを広めた数百年前の坊主がいて、調整者の私がいるのです。
願掛けによって発生した霊的環境の歪みを霊能力で直そうとしているのです。
神社を穢す連中や振る舞いへの憎悪はどうにか隠し通すつもりです。
お陰で神は弱くなったのです。
魔物が跋扈し出したのです。
そして凶悪犯罪の発生として現実に転写して来たのです。

因縁

四千六百七十三青字


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百四面目   降臨した神々 その一

2012年10月29日 22時00分00秒 | 投稿

金塔の話で触れた私が知る神言は全宇宙貫通神霊能力保有者に特徴的なものだと思っております。
特殊な音韻で、発すると私の精神が安定します。
魂の至るべき世界の暖かな力強い伊吹を受けるような気がするのです。
私の知る全宇宙貫通神霊能力保有者は皆、神言を話せます。
心のこもった、不要な飾り気の無い意思を伝え合うのが常です。
また神言を使うと、結果的にそのような表現の響きとなってしまいます。
皆、心を原始にしてしまうのです。
私が仲間から交信を受ける時は、込み入った構文の表現はなく、直接的な意思表現となります。
「そんな奴らは消えてしまえばいいのだー。」
「すっげー面白いぜー。」
「弱々しい汚らしい奴らだ。」
「絶対に大丈夫だー。」
「てめー挨拶に行くぞこらー。」
「高しめ合いだーー、討論しよー。」
皆、それぞれがこの世界の摂理の一角です。
神霊なのです。
私もその若い同輩であります。
私の活動領域である霊域を明かしますと、日本、地球、宇宙、霊的空間です。
要するにそこら中が含まれているのです。
青龍神界鏡への投稿は私の仕事です。
そして、私の仕事は他の全宇宙貫通神霊能力保有者に筒抜けです。
また適宜、協力を頂いております。
他の神霊の協力や私の仕事の目的は破滅や敵から宇宙を守ることです。
偶然の、超絶的霊能力への覚醒に伴う戦いを経て、このような任務を得る事になってしまいました。
その間に聞こえてきた声は、今のように飾り気の無い暖かな神言だけではありませんでした。
魔物の奸計、甘言、威厳を装った傲慢さ、まるで尖った歯車を心に走らせて来るような異星人の矢継ぎ早の罵倒の嵐、人知らざる魔物の魔韻などです。
今までの何もかもが私を鍛え、そしてこう教えてきました。
生きている今の日々は幸せだ、という事をです。
私は過去、別次元、宇宙船の中、超絶的科学文明惑星、滅亡末期惑星と様々な世界の様相を見知ってきました。
どこにも凄まじい修羅がありました。
地球はどうでしょうか。
勝ち組です。
例えば日本はどうでしょうか。
大変な勝ち組です。
高度な科学文明惑星の歴史は何万年、何十万年もありましたが、その間凄まじい争乱を経験していました。
異星人の侵略、撃退、今度は侵略の意図的な許容、惑星内の制度疲労による内乱などです。
地球の争乱の歴史は何と、平均以下でした。
穏便に済んでいるのです。
そして手にしている生活は既に平均以上と言っていいぐらいです。
理由は多く挙げられます。
一つを挙げると、地球が持っていた霊的波動です。
霊的波動は類似した霊的波動を呼び寄せる性質があります。
地球の霊的波動が、優秀な異星人の来訪因縁を導いたのです。
ちなみにムー大陸やアトランティス大陸の沈没、インドでの異星人の代理戦争の発生を鑑みても、何と地球は穏便に済んでいる方です。
他の天体は更に酷い憂き目に遭っています。
地球はこれでも増しなのです。
ところで、平均以上の発展の効率性を見せている今の地球に大きく貢献していると私が睨んでいるのは言語です。
地球の言語の持つ母音、子音の聞こえやすさ、文法の洗練具合、優しげな口の動き、これらが安定的な社会を築き上げるよう導いたと感じます。
特定は避けておきますが、異星人が地球の侵略のためにおかしな言語を降ろしてきた地域があります。
その国は残念ながら、あまり発展していない、もしくは評判が良くありません。
その言語は意図的に発音と文法、表記方法が機械によって混乱させられているのです。
霊的感得では”割れている言語”と出ます。
思考が洗練しにくいのです。
ちなみにノーベル賞受賞者は皆無の国々です。
極めて陰湿な侵略法です。
大勢の国民に伝播しきってしまえば言語は更新が出来ません。
愚民化政策です。
異星人が未来に操りやすいようにしたいのです。
ところで、日本では日本語が公用語です。
日本語の基盤文化は南方文化、いや大陸文化との混交だと様々な説が上がっています。
私の情報編集法、”霊的綾取り”による説を明かすと大いに時間がかかりますので、日本人を日本人たらしめている、最も重要な文化要素、言語の出自について全ての情報の開陳は機を譲りたいと思います。
簡単に言いますと、日本語の根源は何とムー文明と数派のユダヤ人でした。
スウァンスイ星人を父祖とする中国の漢人ではなかったのです。
ムー大陸で最も文化的健全性を保っていた民族の正統後継文明圏が日本なのでした。
その民族の音紋励起機器の扱いも極めて清潔でした。
理由は単純です。
祭祀があったからです。
精神的価値の陶冶、醸成が日々行われていたためです。
何と、自動回帰機能による音紋励起機器の飛翔、喪失後も人々は大した混乱を見せずに日々を送っています。
励起機器を扱っていた神職の精神的高潔さたるや、”これも神の思し召し”と一礼するのみでした。
ところで、日本神話に登場する女神の神名に天照大御神(アマテラスオオミカミ)があります。
太陽の神格化とされる女神です。
この神名は超太古に栄えたムー文明に由来します。
ムー大陸に降臨してきた一派のザダウェスアーンケンテウ星人がムー人に伝えた宗教的儀式の手順をこう呼ぶのです。
アマテラスオオミカミ、と。
ザダウェスアーンケンテウ星人の形象は身長百五十センチ代、顔は日本人の知る縄文人そのままで、話す言語の音韻は何と、日本語とそっくりです。
科学力に関しては、八十万年もの歴史を誇る彼らは、今の日本でも到底適いません。
日本神話の主祭神とも称されるほどの知名度を誇る女神の神名は異星人に伝えられたのです。
その儀式手順は太陽神を奉ずるためのものでした。
神饌(みけ)をたたえた三宝(さんぼう)、瓶子(へいし)をうやうやしく抱えた女性の巫女(みこ)が太陽神の神前まで移動し、舞いを奉ずるまでの間の歩みをアマテラスオオミカミと言うのです。
意味は、
”我、純粋にして絢爛、処女にして妖艶、無言にして饒舌、俊英にして淑やか、対立美二項両立並存にして対立美二項螺旋成長翼賛”
です。
正式にはアマテラス マススメマス スメマススメ マスマナス メマスタカスメマスサ ハナクルメ マナクルメ オオミカミと言います。
巫女の振る舞いを格式張った表現で呼称する事をザダウェスアーンケンテウ星人は呪文と呼んでいました。
アマテラスオオミカミという呪文を儀式の際に投げかけられた女性はこうして太陽神の寝所を共にする巫女となります。
そして太陽神は捧げられた神饌を巫女として見初める形となります。
神饌が巫女の代わりとなるのです。
巫女はその経緯を見て驚きもせず、神前から去っていきます。
その際、巫女は別の呪文を投げかけられる事で、人間に戻ります。
ザダウェスアーンケンテウ星人が伝えた神名はアマテラスオオミカミだけではありません。
他にも数多くあります。
これは古事記原版の編纂過程において参考とされた祭祀資料の由来がムー文明であったためです。
三重県近辺に上陸してきたムー人達が文化を継承していたのです。
天照大御神(アマテラスオオミカミ)
天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)
国之常立神(クニノトコタチノカミ)
神産巣日神(カミムスビノカミ)
木花咲耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト)
天目一箇神(アメノマヒトツノカミ)
天之常立神(アメノトコタチノカミ)
高御産巣日神(タカミムスビノカミ)
宇摩志阿斯訶備比古遅神(ウマシアシカビヒコジノカミ)
伊邪那美命(イザナミノミコト)
伊邪那岐命(イザナギノミコト)
白山菊理姫(シラヤマククリヒメ)
大物主命(オオモノヌシノミコト)
天児屋根命(アメノコヤネノミコト)
大山津見命(オオヤマツミノヒメノミコト)
玉依姫命(タマヨリヒメノミコト)
豊雲姫命(トヨクモノヒメノミコト)
大綿津見命(オオワタツミノミコト)


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百四面目   降臨した神々 その二

2012年10月29日 22時00分00秒 | 投稿

これらの神名はザダウェスアーンケンテウ星人が考案し、殆どが祭祀の手続きを呼称する呪文なのでした。
他にも挙げればきりがありません。
今に伝わる神名とやや趣がことなる点が含まれています。
これらの音韻の考案方法は、人間の精神波長を肯定的に安定化させる音韻構成を組み合わせる事の出来る楽器派生機器でまず基本音韻を並べ、次に音韻の滑らかな並びを人間が調整します。
次に、霊的感性の鋭さを国家が秘密裏に認定していた巫女が儀式名として選定するという流れで決定されていきました。
ところでこの神名をムー人に伝えてきたザダウェスアーンケンテウ星人はムー大陸で名誉の高まりの起きない活動に従事していました。
それは、兵器の人体実験による殺人
誘拐及び催眠術
食物の涼奪
偽神伝承による人々の心理調査
などです。
ちなみにこれらの社会調査は母星の一部のみぞ知る隠密機関が意思の発信源でした。
ザダウェスアーンケンテウ星人全体としては、素晴らしい善性で過去も現在も輝いています。
断言します、ザダウェスアーンケンテウ星人こそが日本人の原型文化の父祖です。
ところでザダウェスアーンケンテウ星人にも更に先があり、類似文化の始祖は別の異星人達の連合体です。
ザダウェスアーンケンテウ星人は、上に挙げた神名が関わる儀式が尊ばれ、そしてその言語が話される文化圏内は、科学、文化、教育の調和の取れた優秀な民族が成長していく事を、気の遠くなるような長年の社会調査で認識していました。
それでは、アマテラスオオミカミなどの神名のムー人への伝達は善意の意図からだったのでしょうか。
違うのです。
社会調査の付随的、結果的な現象でした。
偽神伝承実験に際して、彼らが依存していた儀式細目を頼る必要があり、結果的にムー人が知ることになったのです。
ムーの沈降を知ったある民族は、船を築造し、航路先として既に知っていた日本列島に向かいます。
マナクスル民族です。
異星人の編み出したこの美しい発音構成を呼び名とする民族が日本文化の中心を成した一派なのです。
そして彼らが上陸を果たしたのが今の三重県志摩市近辺で、近くの磯部町は太陽神であり皇室の皇祖神、天照大御神(アマテラスオオミカミ)を祀る伊雑宮(いぞうぐう・いざわのみや)の鎮座の地です。
磯部町の人々の間には、内宮ではなく、この磯辺の地こそ、アマテラス信仰始原の地とする言い伝えがあります。
大正の時、当時神道を国の精神中枢としてまとめあげようとした日本国が無理やり内宮をアマテラス信仰始原の地として認定し、磯辺の地を排撃した経緯があるようです。
傍証的な伝承に対して中央の官憲が箝口令を敷いてきたのです。
マナクスル民族から分かる霊的感得は何と、地球最上位層の霊的清純さです。
これは継承してきた祭祀と文化が理由です。
マナクスル民族はユダヤ人の父祖たるサルァルァーン星人後裔民族たるユダヤ十二部族に匹敵する高潔さを持っています。
伊勢神宮の神職一派であった度会(わたらい)氏は ザダウェスアーンケンテウ星人に伝えられた祭祀を伝承していたマナクスル民族直系の氏族です。
“ワタライ“もザダウェスアーンケンテウ星人語です。
度会氏ら一派は今の伊勢神宮の摂社の原型祭祀場に関わりました。
外宮の祭神は史実の通り、変遷をしており、今は豊受大神(トヨウケノオオカミ)です。
度会氏の起こした度会神道の主張によりかつて、外宮の祭神豊受大神は天御中主神と異名同神にして至高の存在と位置づけられようとしました。
外宮の祭神は時代や政治的策謀により、変わってしまっていたのです。
太古、度会氏が創始した原初の祭祀対象は何であったかと言いますと、宇宙全体です。
その神名はもう残っていません。
アマノミナカヌシノカミノ ナカノタマノ モノノホノノニニギ ソノホノカマサケヌシ タナクスク セノコヌシ オオミカミ という祝詞が神名でした。
伊勢神宮の政治的争いを経てこの世から抹消されてしまったのです。
ちなみに伊勢神宮外宮の神徳な何と、
異星人による精神的価値の侵略から守る
オゾン層を守る
人間の霊的、つまり精神的成長を促進する
清潔な価値観を選ばせ、子供を不良から遠ざける
人間の運命の霊的健全化
神聖な文物に感動する心を与える
などでした。
この地は地球上を探しても稀有な聖地です。
理由は神職の方達のたゆまぬ祭祀です。
大変ありがたいことです。
心を純にする神言も、精神的平安を齎す神道の神名も音を通じて作用してきます。
言葉は重要なのです。
そして精神的価値そのものである文化もまた然りです。
後者を破壊する地下権力に対しては、断言しておきますが、霊的存在が介入してきます。
文化侵略が国の役人の秘密政策、出世梯子であってはなりません。
人間の精神を直接損耗、破壊してまでの国家間摩擦など神は許容しておられないのです。
今から数十年前、日本の神道を腐敗させようとした意思がありました。
算段はこうです。
土着の自然崇拝主義などは退嬰的で、国家や文化の興隆を阻害するのみだとする難癖調査結果、学術的論調を適当な学会の上部から金で流し込む。
国による神道への財政支援を文化退行主義、既得権益の牙城と言論媒体総動員で攻撃する。
神社本庁や神道に関わりの深い政治家の醜聞を流す。
敵対的主張者はチンピラ組織で脅し、殺害する。
なし崩し的に神社の境内で芸能人の即興的娯楽行事を乱発させる。
欧米人を動員して神社の境内で意図的にいざこざを起こし、裁判に発展させる。
裁判係争中は、判決がまだだ、という言いがかりで境内で騒ぎを続けさせる。
”守旧的信仰の祭神は所詮、原始的な土着の自然神で、キリスト教のような洗練知識体系は無い。このような境内の乱痴気係争も許容してくれる”という嘲笑的論調記事を欧米メディアが焚きつける。
後は適当に日本における女性の圧迫の背後には神道文化が厳として存在している云々と扇情的記事を定常的に掲載させていく。
これを策謀していた生意気な人間共はきちんと殺害等されました。
日本の神霊によってです。
筒抜けなのです。
愚か者共の無様の末路を明かしておきます。
頭に脅迫的な声が聞こえてきて、車で山に向かわされ、体を動かされ、崖から飛び降ろされた。
そして空中で眼球の神経が千切れ、目が裏返った。
内蔵が全て機能停止。
失脚後、妻の出産する子供が皆、奇形児となった。
急性脳梗塞で死亡。
原因不明の突然狂乱。
原因不明の緩慢な狂乱。
息子が遺伝性の重病を発病し、看病のために閑職を希望。
突然の不和で離婚。
交通事故で下半身付随。
山へ一人赴いて狂乱し、目を抉った。
狂犬病の犬に噛まれ、脳が腫れて後遺症が残った。
霊能力覚醒以前から知っていましたが、神社の神罰は陰惨です。
禁足地に踏み入った者が発狂。
祭祀無きまま摂社を取り壊した不動産会社の社長が世界でも希な血液の奇病症例を出来。
神域の神具を引き抜きに向かった男が昼間、雷に打たれて死ぬ。
肝試しで神社の磐座に蹴りを入れた若者五人全員の祖母、祖父がその行為の同時刻死んでいた。
祭祀の権利を奪い合った係争の結果、ある村では必ず何らかの理由で七人の目の不具合者が居るようになった。
日本の神霊は強い力をお持ちにあらせられます。
これから何度も触れることですが、神は人間を無条件に抱擁する存在ではありません。
日本人は勘違いをしています。
人を殺すのです。
人を守るためです。
超太古より日本列島を守るため、異星人の侵略と戦ってこられました。
私は東京の多くの社で全く同じ神示を示されました。
”畳に置かれし異形のからくり(異星人技術)露知らず畳の縫い目くぐる神の糸(意図)”
人間が介入出来ない次元で神霊はお働き、お遊びになられるのです。
さて、人知らざる異空間遊ばされる御歳数十万の神霊に対し、齢三十代から五十代の人間如きが出世のためにかまし上げてきた先述の汚い策謀は勤務時間中に編まれました。
この連中は終わっています。
どこぞの三百年の若造国家が縄文の神代より続く人非ざる神を出世の梯子にしようとしたのです。
”白人圏ではないから安心。”
”戦争で勝ったからいいだろう。”
”軍事的服属圏は何もかも出世の道具だ。”
”キリスト教のような権威が無いから大人しそうだ。”
”日本一国のみが文化圏の土着宗教だから弱そうだ。”
かつて日本へ渡来してきた民族が何らかの形で日本の神々を奉ってきたのは理由ならざる理由がありました。
歴史の影で凄まじい殺され方をしてきたからです。
人間如きは適わなかったのです。
そんな事を露知らず憐れにも神道に手を挙げ、ある国は既に神霊力で狩り籠めの状態です。
政治力、経済力、文化力、全ての作用の摩擦力が精神的退廃を引き起こすべく謎の力が働いています。
もはや野球の消化試合です。
この連中は汚い力で触れてはならない御簾に手をかけてくるので私の憎悪はいつも掻き立てられます。
他者の文化を破壊するという精神的退嬰を引き起こす禁じ手に訴えた人類の敵とはアメリカ合衆国です。
私の愛する神道を破壊しようとした、クズ国家です。
このような度し難い永遠の若造国家はもういらんのです。
人間が神に勝てると思っていたのです。
いや、そのように思わなかったのは自己の中に神の代わりに欲望しかなかったからです。
欲望が自己規律や最低限の矜持に勝っていたから触れてはならぬ神に手を出してきたのです。
“日本の神道に手を出すと死ぬ。“
このような警告がどこぞの国家官庁で伝わっています。
何故か。
先述の侮辱的な優越意識で欲望を満たそうとする若造共が時代を変えても後を絶たないからです。
そういう訳で私は遠慮も手加減もなく霊術をかけられます。
もう滅びろ
呪われろ
強姦魔共
ところで何故私は毎日これほどの質と文量を誇る文章を連投出来るのでしょうか。
”個人的妄想の連続を詳細にしたためるな”と憤慨する前に、読者の方は世界中の翻訳担当のご苦労を思いやった後にでも考えてみて下さい。
間抜けな矢文の質問状は晒してやります。
”割れている言語”の圏内は紛争ばかりの地域なのです。
出世を果たした人間が鬼籍に入っても子供達は泣いてばかりです。
こんな事は神は許しておられないのです。

七千二百十六青字


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百三面目   宝冠の森の嘆きと罪

2012年10月28日 21時00分00秒 | 投稿


玉置神社
 


宝冠の森 

昨年の夏、私は奈良県十津川村玉置山の宝冠の森(ほうかんのもり)へ一人赴き、磐座(いわくら)を霊的感得しました。
その日、その森へ行き、人類のために霊能力を行使しろとの神示を信じざるを得ない経緯があったためです。
私は当時、不具の体を鞭打ち危険な道程に向かいました。
玉置山の玉置神社の先にある森の二ヶ所の崖を超えた先の最奥には磐座があり、過去千数百年もの間、霊場と化しています。
私の霊視では、この地は遠く縄文時代から霊的存在の神霊踊る稀有な霊域でした。
神霊の神名は、国之常立神(クニノトコタチノカミ)です。
地球の修理(しゅり)固成を司る神です。
人間ではありません。
地球創成と並行して成った一柱の神です。
玉置山に鎮座坐(ましま)す玉置神社の祭神でもあります。
神道の神社には珍しく、この神社の神徳は”悪霊調伏”とあります。
その峻厳な神徳を表すかの如く、宝冠の森がしつらえている二ヶ所の崖はまるで試練の場で、恐怖に打ち勝った者のみ神の霊域への入場を許すかのようです。
私は左手首の不自由な状態でこの森への入域を試み、辛うじて生還しました。
携帯電話の電波の届かない場所であるため、怪我は死につながります。
帰りの際は元きた崖をもう登れないと勘違いし、別路を探し更に急な傾斜の八十度の崖を約十メートルほぼ片腕の力のみで登る事となりました。
崖を戻りきった際の命の安堵感は忘れられません。
私が命を懸けた日々の一日が、この宝冠の森の磐座での感得でした。
ところで、森の最奥にたどり着いても、調べておいた磐座は見当たりません。
何度周囲を往復して探しても無いのです。
全眷属神を勧請して捜索してもありません。
あるのは平らな岩の台座のみです。
後の霊視で分かったことですが、この磐座はある行者の一派が森の奥の行き止まりの崖に向かって落としていたのです。
電子媒体上に出回っている磐座の画像はもうありません。
崖の下です。
消されたのです。
知る人間も僅かのようです。
磐座を消してしまったのは、このような判断でした。
”この磐座がある限り、宝冠の森を訪れる行者は後を絶たないだろう。
超常的な力、霊能力を求め続ける人間達を喰らい続けるこの森の崖の行場で大勢が死ぬ事になる。
あってはならない。
この磐座があるから大勢が修法を行いに来るのだ。
時代は変わるべきだ。
弘法大師空海ら多くの巨魁を誘いしこの宝冠の森はもう力を求める人間など要らないのだ。”
実のところ、私の見ではこの行者の一派をこのような行動に仕向けたのは神霊です。
国之常立神の神意なのです。
ところで私は力を求めておらず、磐座の霊的感得がために赴いた次第です。
しかし、磐座はありません。
仕方なく、周囲に残存している霊的波動を感得する事にしました。
全神経を霊能力に集中させていきます。
私は”神の嘆き”と感得しました。
“短き肉体の一生がために、永遠の魂を汚し続ける愚かな人間達
何故お前達は太古より奪い、盗み、殺し、犯すを止めようとしないのか
神の分霊を宿しておきながら獣欲に耽り黄泉比良坂(よもつひらさか)を転がり落ちる様げに愚か
いつぞや変わらんか子供達よ
我が手の内踊りつつ狂いたる人間達自らこぼれ落ちる様拾わざるは神の定め
永遠の魂に一時の支配も許されぬのだ
人は神
神は人
この永遠の抱擁そしりたる罪は永遠に贖えぬのだ
然るに、神性を捨てたる人間への罰も永遠なのだ
ああ、いつまでも愚かなる人間達よ
いつまでもお前達が神成るのを待っておるぞ
故に永遠にお前達を躍らせ続けよう
永遠にお前達を罰し続けよう
神は人を殺すのだ
柄の握り手選びたる銀河神剣
悪霊調伏
魔物滅殺
神徳は永遠にして地球の守護眷属
我が神域地球也
社汚すゴミ共よ
喰らうがいい我が神罰
貴様らもはや我が子にあらん
滅びよ
力求めし愚か者共”
ところで、この森にはある遺物が隠されています。
その事を既に知っていた私は宝冠の森の磐座からある方向を見やります。
正確な場所を知る者はもうこの世にはいません。
今から約百二十年前の宗教改革、明治の廃仏毀釈の嵐に会い、ある奉納物が宝冠の森のある場所に遷座しました。
破壊を恐れ、隠したのです。
遺物を台車で運んだのは九人の玉置神社関係者です。
九人はそれぞれ知己のある行者達に遺物の場所を伝えていきました。
行者は弟子を連れ立って修法のためにその遺物の前に健脚を振るうようになります。
しかし、関係者の記憶の薄しまりと共に、場所は忘れ去られてしまったのです。
私は霊能力を行使してその存在を知るに至りました。
正確な場所も知っております。
森の中にあり、大きさはおよそ一メートル弱なため、人工衛星の撮影写真を解析しても恐らくは場所は判明しないと思います。
その遺物の出自は何と、太平洋に沈んだムー大陸に遡ります。
私が以前言及した、異星人のムー大陸降臨種の一派は社会調査のために祭祀をムー人に伝えました。
調査項目は人間の狂気です。
宗教的祭祀場で狂気の祭祀に狂う人間達の社会階層などを調査するのです。
ムー人達の大勢がその邪悪な祭祀に猛りました。
宝冠の森に隠されている石像の由来は異星人なのです。
そして時代を経て日本列島の和歌山県に上陸したムー人達は邪悪な祭祀の後裔文化を沸かせてしまいます。
簡単に言いますと、幼児の誘拐及び虐殺です。
祭祀に用いられた依代の石像は禍々しい災いを呼び起こすようになりました。
これは霊的摂理に従った当然の霊的現象です。
恐れた人々は、既に宗教的霊域として名を馳せていた玉置山の玉置神社に石像を奉納する事にしました。
これが今から約七百年以上前の事です。
そして時を経て石像は明治の廃仏毀釈を見る事になります。
宝冠の森の奥への石像の遷座は実は神意です。
明治の政変により、大勢の人々にこの呪物が露見するのを恐れた神霊が霊力を発揮され、石像を森の奥に隠されたのです。
玉置神社の先達からは石像の云われをこのように伝えられていました。
「ある村の人間達の過ちの印だ。
絶対に破壊したり、散逸したり、売ったりしてはならない。
意思を発した者に恐ろしい災いが降りかかるであろう。」
その他、石像にまつわる因縁話はこうあります。
”石像に願掛けしていた女は妊娠出来ない体になってしまった。”
”石像にみだりに触っていた子供の目が腐った。”
”石像に物を当てて謝らなかった男の下半身が不随になった。”
”石像への祭祀を疎かにしていた神職が首を左右にぶんぶん降るようになって発狂した。”
こんな逸話はきりがありませんでした。
当時の玉置神社関係者は石像の云われを邪悪な祭祀にまつわるものだと何となく匂っていました。
現在の玉置神社関係者は石像の存在や場所をご存知ありません。
現地に誘われて赴いた事のある、四国の行者が場所をおぼろげに記憶しているようです。
愚かな霊能力者が鎮座地と道路を行き来したりすれば霊的な回路が出来上がります。
そして日本と世界にはこのような霊的転写が起きます。
陰惨な幼児虐殺事件の多発
契約に基づかない異星人による誘拐事件の発生
蛋白質擬態人間の多数出現
臓器密売業者の活発化
臓器抜き取り事件の頻発
原因不明の内蔵器官虚弱症例の頻発(実は霊障)
東南アジアの日本兵遺骨未帰還問題に起因する日本外交の敗北
政治家の子息への脅迫、陵辱事件の当然化
異次元の異星人の斥候が日本の僻地と首都で先鋭的な意思を示してくる
日本の女児の知能試験の成績が低下する
性風俗雑誌に一線を超えた記事が掲載されるようになる(死体愛好、肛門に生物を入れる、動物に薬物を注射して戦わせる)
附言しておきましょう。
神示で示されております。
この呪物の瘴気は何と地球開闢級です。
地球全土を覆います。
日本など簡単に覆われます。
それが日本の奈良県十津川村の宝冠の森にあるのです。
その場所の感得は”贖えない罪”と出ました。
あまりに凄惨なのです。
超絶的鬼畜行為が長い時代に渡って石像の前で続けられたと霊視出来ます。
こういうのは私は見慣れています。
異星人の極烈嗜虐拷問や霊的存在の陥る激痛空間の霊視で鍛えられました。
詳細は今は控えておきます。
浅はかなスピブームだ人生相談だのは私の領分ではないのです。
言っておきますがこのような人知らざる呪物の捜索が霊能力者の本分です。
そして金にはなりません。
出来ないのです。
世の連中は分かっていないのです。
私はこの呪物について未来、処置をするべしとの神示を頂いております。
以前、命懸けで宝冠の森を訪れた理由と同じく、日本と世界のためです。
いつか、誰かが処置をすべきなのです。
ともかく、人の愚かさを嘆くこの磐座が鎮座する森は場所を同じくして、何と人類究極の罪の象徴をも抱いています。
それも国之常立神の神意です。
人の歩みを許す大地の創成と、人を許さない神罰が神徳の故の国之常立神のありようを霊域の宝冠の森は象徴しているのです。
ところで宝冠の森が抱く、愚かさと罪の両者を両手とする国があります。
異星人政策の欲望のために他国の民を誘拐し、虐殺する若造国家についての宝冠の森の神霊の評価はどうでしょうか。
要するに異星人を饗応するために幼児虐殺の呪物を自らの意思でしつらえる連中です。
”くたばれ
ゴミ共
滅ぼす
もういらぬ
うつけ者ども”
私の同輩、地球創成の神霊、国之常立神もこうお示しにあらせられます。
そして金星の神霊クェフクゥもご同様にあらせられます。
もういらんのです。
糞ガキ共が

三千七百八十五青字


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百二面目   妖星乱舞 その五

2012年10月28日 02時00分00秒 | 投稿


妖星乱舞

今から数十年前、金星人のある作曲家がある人物が成し得た歴史的行為の数々を主題に踊りと歌唱、演劇からなる戯曲をしたためました。
扱われた人物とはクェフクゥの事で、曲名の日本語訳は妖星乱舞と言います。
クェフクゥは金星を妖しくし、自身とそして金星を美しく舞わせた、とされる歴史評価を編み込んだ楽曲です。
クェフクゥの仕事は時代情勢表出家でした。
政治家や官僚、芸能人ではありません。
彼はその時代の出来事を風刺し、大衆に訴え、世論をまとめる行為を生業としていました。
舞台で奇抜な衣装、歌唱で人々を扇情しては批判と賞賛、注目を受け、そして同じ事を日々繰り返していたのです。
そしてクェフクゥはその仕事を続ける内に発生した特殊な力場の渦の中に立ち、神懸った言動で政治家を驚愕させるようになりました。
大勢がクェフクゥを激烈に批判しています。
そして彼を中心に回転している金星全体の経済が彼を擁護し続けます。
その批判と擁護を良からぬと思う政治家達も、彼を批判しているうちに、何とクェフクゥの時代風刺の題材となり、利益を得て苦笑いと共に踊り出す構図が出来上がっていたのです。
誰にも止められなくなっていました。
そしてそれは実は全てクェフクゥの天才的な読みの内だったのです。
彼が風刺し出したのは金星の伝統的価値観、財閥にまで及び、人々を驚愕させました。
時代情勢表出家が触れてはならない禁句の領域だったのです。
クェフクゥの勢いは止まりません。
それまでに増していた勢いが理由です。
クェフクゥが風刺した財閥の経済業態の混乱と共に、金星は大混乱に陥りました。
今から数百年前の事です。
経済は破綻、そして軍事摩擦と緊張の充満した狂乱状態に金星人は悲鳴を上げました。
ついに声が上がりました。
「一体誰のせいだ。」
「学者の究明作業によると、クェフクゥという時代情勢表出家のせいだとされる。」
「だが、何故一介の時代情勢表出家如きがこれほどの大混乱を起こせるのだ。
おかしいではないか。
大勢の人間がクェフクゥの舞台の刺激を求め続けたからではないか。」
「そうだ。
故に、この混乱の責任は私達全体にあると言って良い。」
「ではクェフクゥは何だ。
彼が無責任なのはおかしい。」
「あの男の仕事は今は道化師だ。
責任を追及出来るだろうか。」
「時代情勢表出家の伝統職業化の試みは社会状況の冷却のためだ。
あの男は特別だ。
難癖をつけて訴追しよう。」
「難しいのだ。
あの頃はクェフクゥの舞台は全て許容されていた。
人々も求めていたのだ。」
「事後法でも何でもいい。
世界を守るためだ。
とにかくクェフクゥを捕まえてしまおう。」
クェフクゥは自身の体を真っ黒に染め上げ、目に黄色の配色レンズを装着したり、輝かんばかりの美しい翼を背なに羽ばたかせては道化師として舞台で舞っていました。
いまだに大勢の人気道化師です。
彼は自身に迫る追求を知っても尚、踊りを止めません。
そしてクェフクゥは大勢の人間の好奇の目を満たし切ったのを満足するかのように、自ら当局に出頭したのでした。
記録ではクェフクゥは獄中で数十年を過ごした後に世を去ったとされます。
クェフクゥの死後、しばらくが経ち、世の混乱が収まりかけた頃、冷静な議論が起き出しました。
クェフクゥの再評価です。
クェフクゥは時代の過ち、過剰な感覚刺激主義に走っていた芸術、政治、道徳、文化何もかもの冷却を世の混乱を通じて成したと認められ出したのです。
批判され出したのは、クェフクゥの逮捕の背後で策謀していた、金星を牛耳っていた財閥です。
大勢の金星人の心にクェフクゥが代替不可能な場所を占めるようになりました。
口から出てくる言葉は皆一様でそれは”自分達が悪かった”です。
妖星乱舞はクェフクゥの時代を経た業績の変遷を題材としています。
原曲は七つの楽章に分かれていました。
掲示してある曲で、後半の楽章に当たるのは曲が転調を迎える08:23以降の部分で、クェフクゥの舞台人生後半の業績に該当します。
クェフクゥが周囲から追われながらも黄金の翼を身にまとい、悲しみや、人々の愚かさを風刺していた演劇を舞っていた頃です。
ところでクェフクゥは自身に訪れる逼迫状況を初めから知っていました。
大勢の金星人のために身を捧げたのです。
今やクェフクゥは金星人の適切な評価を受けており、墓所には花が絶えません。
クェフクゥの出現の後、地球の今のフランスに中心的に降臨してきた金星人の数派は欧州、北米に四散して行きました。
クェフクゥが愚かさによる自己破滅から守ろうとした金星人の子孫は、特にある国で誘拐という他社犠牲を強いてくる愚かさによる自己破滅に疾走する国に地下に連れ去られています。
霊的存在には何もかも筒抜けです。
金星の神霊クェフクゥはご存知でした。
数十年前より深い、深い涙に暮れておられました。
「俺が守ろうとした・・・愛おしい・・・金星人の子孫達が・・・
歌や・・・踊りに・・・無邪気に魂を躍らせるばかりであった・・・子供たちが・・・
弱々しい汚らしい若造共に魂を踏み潰されていく・・・
辛い・・・
辛い・・・
辛い・・・
目を抉られ、内蔵を抜かれ、輪姦され、溺れさせられ、電撃を喰らい、薬物を注射され、遺体は魔物に喰われていく・・・
私の魂が・・・踊りを止めてしまいそうだ・・・
そうしたら・・・私の魂の踊りを楽しむ大勢の魂が・・・魂が・・・魂が・・・
悲しみに潰されてしまう・・・
強く舞わなければ・・・
美しく舞わなければ・・・
宇宙の永遠の大回転を止めてはならない・・・
永遠に舞わなければ・・・
永遠に舞わなければ・・・
許さない・・・
許さない・・・
許さない・・・
許さない・・・
許さない・・・
許さない・・・
許さない・・・
許さない・・・
許さない・・・
許さない・・・
許さない・・・
許さない・・・
許さない・・・
許さない・・・
絶対に許さない。
ゥグゥァアアアアアッッッッッ
ゥグゥァアアアアアッッッッッ
ゥグゥァアアアアアッッッッッ
この神憤いかでかせん。
弱々しい汚らしい魂は宇宙には要らない。
そのアメリカ合衆国とかいう若造薬物園は焼き滅ぼしてくれる。
滅ぼしてやる。
滅ぼしてやる。
滅ぼしてやる。
滅ぼしてやる。
滅ぼしてやる。
滅ぼしてやる。
滅ぼしてやる。
滅ぼしてやる。
滅ぼしてやる。
滅ぼしてやる。
滅ぼしてやる。
滅ぼしてやる。
喰らえゴミ共・・・我が全宇宙貫通神霊能力。
貴様らを貫いてやる。
この宇宙究極美顕在化神界の神霊力で・・・」
私、纜冠讃が妖星乱舞の最終楽章を追加します。

楽章

二千六百二十一青字


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