青龍神界鏡

次はまた首相してみんかお前。
https://www.youtube.com/watch?v=CsI7GSs4d1s

朝月

1533年12月31日 23時59分59秒 | 投稿

京(みやこ)今新在家西町(いましんざいけにしちょう)おあふかあ二十九-五
中京、は挟み置かず場合がこの町では多々。
(おもてがそうぞうしいわ)


二十九-五-十七      二十九-五-二十三      二十九-五-二十九

二十九-五-十八      二十九-五-二十四      二十九-五-三十

二十九-五-十九      二十九-五-二十五

二十九-五-二十      二十九-五-二十六

二十九-五-二十一    二十九-五-二十七 

二十九-五-二十二    二十九-五-二十八 

京今新在家西町(なにかおきているのかしら)とらくああ三-一


三-一-十八   三-一-二十四      三-一-三十

三-一-十九
   三-一-二十五      三-一-三十一

三-一-二十   三-一-二十六

三-一-二十一  三-一-二十七

三-一-二十二  三-一-二十八

三-一-二十三  三-一-二十九

京今新在家西町(ぶすいなやりとりね)むぉおん七


七-三十一
      七-三十七      七-四十三      七-四十九      七-五十五

七-三十二      七-三十八      七-四十四      七-五十        七-五十六

七-三十三      七-三十九      七-四十五      七-五十一      七-五十七

七-三十四      七-四十        七-四十六      七-五十二      七-五十八

七-三十五   七-四十一   七-四十七   七-五十三   七-五十九

七-三十六      七-四十二      七-四十八      七-五十四      七-六十









京因幡ねほふはひああ百十二


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朝月

1533年12月31日 00時00分00秒 | 投稿

京(みやこ)今新在家西町(いましんざいけにしちょう)おあふかあ二十九-五
中京、は挟み置かず場合がこの町では多々。
(おもてがそうぞうしいわ)


二十九-五-一   二十九-五-七   二十九-五-十三

二十九-五-二   二十九-五-八   二十九-五-十四

二十九-五-三   二十九-五-九   二十九-五-十五

二十九-五-四   二十九-五-十   二十九-五-十六

二十九-五-五   二十九-五-十一

二十九-五-六   二十九-五-十二

京今新在家西町(なにかおきているのかしら)とらくああ三-一


三-一-一   三-一-七   三-一-十三

三-一-二   三-一-八   三-一-十四

三-一-三   三-一-九   三-一-十五

三-一-四   三-一-十   三-一-十六

三-一-五   三-一-十一

三-一-六   三-一-十二

京今新在家西町(ぶすいなやりとりね)むぉおん七


七-一   七-七   七-十三   七-十九   七-二十五

七-二   七-八   七-十四   七-二十   七-二十六

七-三   七-九   七-十五   七-二十一  七-二十七

七-四   七-十   七-十六   七-二十二  七-二十八

七-五   七-十一  七-十七   七-二十三  七-二十九

七-六   七-十二  七-十八   七-二十四  七-三十       今新在家西町奥入リ









京因幡ねほふはひああ百十二


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京今新在家西町むぉおん七-二十九

1533年12月31日 00時00分00秒 | 投稿

商工会議所が巨大さで、大収容力を誇ろうとした理由は京の洗練、日常作務、酷悪環境、それぞれの、今と未来の在り様を、在らせようと、振る舞う町のせめぎ合いの果てに成立した、らしい。
洗練町が、外星人志向と言わず、とにかく洗練物を世にもたらす。
その結果、その派生物を、日常作務町が人間として真に堂々と、解釈していこうと振る舞う機会を、それぞれの町は、トゲのある言葉での責め苦の時と、見なし得る可能性をある町が断じていた。
洗練町は、色んな町を、慮おもんぱか、っていた。
製造されし洗練物の形象は、他の町を、無知疑惑で、責める事無く、さっさと大収容措置を受けるべし。
洗練町は、完全に無言のまま、かくなる政治議決の結果法理が、外界で充満済みとの、議決、施行事態の招来を成功するに至った。
関連を疑われる者は、それについてを一切誇らずべし、については、言語索引一つ、いや一語すら用いずべし、との全裸での正座姿勢に終始し続けた。

大収容規格を、数字にて、緻密に説明しようと立つ品目については、大量であった具体物、取扱上の難儀作法が無数に挙手していた。
多くが、難波から漂着せし、月から伝来せし品目や、それらの品目へ素早くつきまとおうとする、口語知見だった。
時代、なだらかな推移と共に、京の各地は、完成段階への組み立てを渇望中であると一見出来る、明らかに、全体にとっての、部品群や、高度思考への踏破を勧めると見える、意味深さのみが製造主眼と思われる構造体の、分析や報告に躍起になっていた。
そうした時代が京人により意識され出した矢先、難波で駆動が先行していた織機しょっき、無数台が、難波政経の配剤により、否、京人の今の頭部、これのみを一因として、難波政経による物流手筈一切を無視し、京各地へ、ほぼ同時に届く。
下京、中京の衣服業者で大関心を浴び受けし、木製織機は、駆動が、下品に、先行していた、京の知恵を、糸に登用せしとの仮定にて、眼前の女性達に、慶びを編み、それをもたらしていく。
“この織機は、店先で、無注文状態ながら、自ら、下品に、上下顎にて、未来の慶びを今、かじり舐めていて、微笑ましい”。
この捉えによる、大爆笑の時は、無より、有価証券を、確かに、京経済にもたらしていった。
織機が実際駆動にて、手作業より大高速で発行する反物が、下品に刺激する経済躍動の規模を比較に用いると、二対七が、無より沸きし有価証券が、中京、下京に、上品に、もたらしていった経済躍動規模の勝利描写だった。
織機の存在を知らずである町の挨拶回りは、“近きに確かに潜む上質饅頭の味への距離を短くせしめゆく我が午前の検分仕事と、見ず知らずへの挨拶、暖色設定”に追われいく。
こうした在り様件数が、京各地で、相互参照にての累乗化効能を発行していき、ある時、四条河原町で展示さる、上質品目の指標物が、難波の西大橋駅辺りの、難波筆頭気取り商人、喉にて、あにや、かまし中飴、気取り品目を上回る、との感慨を、難波に急いで伝達せしめる。
上回るとは、最新版を四条河原町は明らかに仄めかしていた。
喉による、素早きあにや、を迫る商品よりも、下に垂らす無手の時がまとう朧、これが人を確実に、高速昏倒せしめるが故、と。
織機は、日本古来のそれとは全く似つかずだった。

これが百五十度に広がる扇形を、計三つで均等分割。
使い方には、どうにか辿り付け。
これは編む速度ではなく、完成品の質、比較にならぬ程なる向上をもたらした。
高さは一・三米。
京、千四百五十年代の経済は、絹織物手工業周辺を歩く、定型文的機知携帯型挨拶回りが取り扱う、未来民生に関する証券上確約態度が主要な取引通貨だった。
未来民生を、確かに、編みいく事に、京人は、素早く同意していた。
それとの希望の明るさ、代え難さを、京の小物業界は強く感じていた。


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京今新在家西町むぉおん七-二十八

1533年12月30日 00時00分00秒 | 投稿


これと酷似する赤いオープンカーが、合成炭素製材である極めて堅い円形、長方形、正方形の上に乗っている。
難波に、毎年、四十台から、五十台が巨大倉庫に転送されていた。
含意を難波は、動かさずだった。
“気を付けろよ、あなた方殿共よ”。
人間の快楽嗜好を、彼方前方へ、毎瞬押し飛ばしいく、速度、累積式への無察知が乗車席の素材也、と。
人生への破壊が、風車の軸。
京は瞬時に、これとの、燃料燃焼型車両の文明内、固執含意を見抜き、月製重機を用い、積み木の上に載せる事にする。
幼き、積み木営為への、大人げない君臨への、固執の相を、展覧への袴姿勢として他者により、選ばれたるはこちら物体。
かくなる囲炉裏、縦、横の枝の内に収まりし炭の黒きは、度し難し続きでありし、度し難しが、気付きへの機に及ばず続き、との遺伝子疾患可能性と、窃盗傾向との相関可能性、これら二者がいずれをも咎められずとの、医学大敗対象。
言及は、当人の口に危険。
俯瞰に晒す他は、無し。

搬入口は、高層階それぞれに、後に、内側から穿孔されていた。
月製の重機を用い、車を上へ吊り上げ、搬入先の階で強力な磁石が先端に付いている、鋼鉄製の紐状を車のバンパーに投げ当てる。
紐状の根で待つ、取っ手が付いている、巻き取り構造で車を建物内部へ引き込んでいく。
巻き取り構造を、当該階に運んだのは月製の運搬用重機で、積載可能重量は二・八屯だった。
使用回数を通じ、京の物理学者は、その上限を把握していた。
あの事例、一・五倍辺りの筈、と。

>二十四階建てのこの建物には客席二層で七百人収容の映画館があった。
映画館は、これ以外にも、大小、無数が存在した。
それと、階数は、数えが困難。
階段の折り返し印象領域が、一階数えを主張している、またはある階に、上や、下に向かう階段が備わっており、一階が、二、三階との判定も在り得るが故。


これの、取っ手と背中当ての間が堅さである、

青の座席が、青の壁に囲まれている青い大画面の前で、三層まとまりだった。
四列、七列、二列。
二十六から二十二席、十八から十五席、広い通路を挟み、七、四席。
画面は、多角形である、非平行四辺形で、縦が最大五・五米、横の最大平均は九・七米。
一度も、作品は上映されず。
後に大問題の提唱に、投票するのがこうした施設だった。
回転中である、威厳仄めかし中である、言語、政治上法理、文化物捉えへの否定可能性を、新遭遇者に推論せしめる物との、廊下を歩むちょんまげ価値。
ちょんまげが左右へ振り返りつつ、指示を下す。
常に、阿呆。
指示に従う部下は、そして、理性克明化への手掛かりと、肉と武闘連動への機を、混在化せしめゆく責を、ちょんまげに指定出来ず、かつ自己も、混在化が内包す危険を、識別、吟味する機を与えられず。
部下は、その部下を通じ、ちょんまげ殿の、首内部の肉に、徴発する租庸調を通じ、血が通じいき、との結実を招来せしめる可能性が大で御座いますよ、と周囲に強く仄めかすに至れば、その者は、出世す。
ちょんまげと、その部下達は、何に耽っておるのか。
俯瞰上、かくなる正鵠はすぐさま、容易に成立するのだ。
しかし、それを、関係者が、理解しいく可能性とは、始終皆無。
回転中である、威厳仄めかし中である、ちょんまげ、など、世に在らずべし。
ところで、何故、この映画館は長く、ここに潜み続けしか。
何故、被設計と、潜航が、長く見咎められずであったのか。
商工会議所の上層部は、例えば、この映画館の設営、存在維持の根幹を追っていく。
判明する。
映画館の設計関係者及び、当時の上層部、各々は真剣に、適切判断を下していた。
所掌中である、職務上視野の角の摩耗事態など、無言にて避けるべし、と。
映画館の設計関係者及び、当時の上層部は、判明への、地下挑戦因子の存在判明について、同時に振る舞っていた。
明瞭化に直属にて貢献する、大眼球なる美術品、設営への土木事業を、設計関係者は選択していた、と言えた。
上層部も、類似の事業を選んでいた。
何故、二者は、同時に、判明が、地下挑戦されたのであろうか。
この問いは、克明に、成立を主張す。
商工会議所の展示品履歴は、ここの、主観的能動性に関する健全度を、厳密に、医学臨床的に告白す、は関係者にとっての不動の常識だった。
類似である高層建造物であり、物資の搬入元である、難波政経の景気変動を一切無視し、展示品履歴は、ともかく、肺の底よりの、不可視粒子の顕現現象を、是、幼子の腕への注射針と、泣き明かす。
そしてしかし、政治動態を追う権能を、商工会議所は宿してはおらず、らしい。
その時期、二条城の傍、外星人用達旅館の開館時期より、真に間もなく、これを追わずべし。
その時期、真に間もなく、についての言及は、幼子が、紙鞠をもてあそぶかに見え、紙のぴーひゃら笛へと、何の気無く、心を、ころころと、移す、との、口にすれば、嘲笑的である政治事象表現が収まる先は、囲炉裏構造。
そは、紙鞠、ぴーひゃら笛に通じる、紙の堅さと、これへ無分析な幼子の異常剛毅関節が、カルコブリーナを堅く囲いし縦と横の材を成す。
龜星文明に仕えたる、利器に関する龜星の民の結節、これとは機微に関するきびきびとした捉えや理解であるが、これが、著しく、不足。
このお捉えを、ねおに、お伝えせねばならなくなる。
何故、龜星由来の文物の展示を、ここに、お推しになってこられたのか、のご所以を、何者もお明かしにならずであるのか。
この問い成文が成立する時期が、商工会議所の展示品履歴が隠す、幼子の腕への注射針が記憶されし時期也。
龜星由来の文物の展示を、何者かが推して来た。
故に、赤いオープンカーの展示事態が、不可避との手筈、線路が足元に敷設されていった。

商工会議所内の、大小無数の映画館についても、真因は一つだった。
過去、龜星由来の文物の展示が、主筆者不在なる推奨文にて、強く推されてきた、一事態。

商工会議所は分かっていた。
展示へ、折れずなら、の先を。
それは、主筆者不在なる推奨文が、更に不可視粒子度を増しいく、が事態紹介文を収める封筒素材名と憶測する他は無い推移だった。
ねおの外で、曰く、“押し売りと、立ち話段階ながら感激がてらの即時受注決定に問題無し標高品に間違い無いわ”との随想成分に似る吐息を吐き出す時。
これが、意味する先は、“ねおによる待遇をあっさりと見切り、上限設定についても、満足し切ってしまった私達はねおの外で、言わば、産まれた娘の奔放な在り様で過ごしているまで”、との甘味と辛味、二者が混在なるショウガと蜂蜜固まり飴、路上売り子事態。
何者にも論難させずのまま、自由設定なる価格を、一期一会の相手に宣伝との、物事の徒弟段階人、ありうべき、在り様。
これは、京、広くに、利器に関する結節、これとは機微に関するきびきびとした捉えや理解を、確かにもたらし得るかどうか、との問いの重みが不明である、ちょんまげ段階への退行を奨励する大気粒子状気運を、拡散するのみ。
論外沙汰、雲上無二。
商工会議所は、過去、悪貨の頓服役を引き受ける事にした。
利器に関する結節、これとの、機微に関するきびきびとした捉えや理解と、長らく無縁続きの様へ、疑念を抱かずで是らしき姫がおまといでありし。
蜂蜜固まり飴、舐めながらの、感激品押し売りへの家屋への飛び込み型売り子が姫が産む娘、カルコブリーナ。


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京今新在家西町むぉおん七-二十七

1533年12月29日 00時00分00秒 | 投稿






千五百六十年代に完成を見た、名は冠せずべしとされ続けし京の商工会議所機能建造物。
中京、上京に流通せし、外星人との交際力を告白する文物がここの各階に並べ置かれていた。

横七・五米、最高十三・五米との、“U”が上下に反対字状な一枚ガラスが、ある階に、計三枚有った。
途中に、支え枠は一本すら無しで、透明度は現代の東京、高級ホテルの中庭との間のガラスをも上回る。
透明度は、それで、見る者のいかがわしさ判定意欲を刺激していた。
透明度は、存在に向けて、介入を浴びせゆく、人の手の油、介在への戸惑いが皆無印象であった。
とにかくこれらの巨大な窓ガラスは、この建物の二十一階で、外界との境に、立ち続けるべしとの設計図に服し続ける。
内装の節々は、往来人に伝える。
“野放図である眼球による美景観追及快楽、毎瞬ずつを、一切咎めず、盲信し続けとの王朝時代に遡る文明息吹を、野放図に登用する人々についての政経上、大骨子、ここに在り。
知っている。
自文明の在り様、恒常なる窓覗き利益による、窓枠への籠めいきを。
この、知っている、を頭蓋の成分、厚みに収納しゆく堂々なる能動性は、太き視神経姫よりも、我が方が勝りいく也。
万物の理への、故無き大利用に耽りしは、そちら。”


このはしゃぎ具合にあるイルカが、

彼らよりもっと、背中を反らせつつ、上から下へ、下降した泳ぎにある。
吹き抜け構造ではなく、三十五米とのある階の高さを、階段の途中に無数に咲く、折り返し部から空中を眺めると、イルカの剥製はくせい、が浮いている。

階段は、鈍い白、
白磁はくじ、色な塔。

左の様に花弁を開く、右側の花、が銀色にて、素粒子観測施設カミオカンデが上下反対で、縦幅十四米な舟状。
銀の花の茎が、舟の内側、つまりイルカ側を向いている。
銀色の花の舟の上、四米でイルカが楽しげに飛んでいる。
花、一輪ずつは設計図面を伴わずのまま、上賀茂神山の庫に送られていた。
イルカの剥製は月技術による難波産。
しつらえに、名前は無し。
ただの、飾り。
階段利用者を主客とお見立てしての、楽しませ。
あ、銀の舟は九米上空に浮いていた。
全てには、天井や斜め向かいから走る、吊り糸が。


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