青龍神界鏡

次はまた首相してみんかお前。
https://www.youtube.com/watch?v=CsI7GSs4d1s

カルコブリーナ

1987年12月20日 12時00分02秒 | 投稿

新宿の東急ハンズでな、日本国籍以外同士で口論があった。
一方は相手を定住外国人と見たが違った。実は外星籍。そしてこっちも同様。
一方はここを知っていて、商品の陳列具合を実地調査との事。
そしたら、商品の扱い方がやたら尊大、見下し系、無駄な努力への憐憫を漏らすセルフへの嘲笑をひけらかす、中東系黄色人種の顔。
「何あの人。あんな乱暴な扱い方。外国人かな。」
詰め寄る金星人。
「あなた一体何を考えてこんな見下した値踏みをしているのだ。まだ購入は済ませていないだろう。店や製作者に失礼だぞ。
今、ここで横暴な事をすれば、あなたはこの商品の内側にあなたの指を入れたまま、衣服を脱ぎ出す動きの臨時肯定を以降の人生で、常時追認する事になるぞ。否定の機会はいつ訪れるのだろうかな。」
脳を縛る。これで暴言、暴力は無し。教育。
教育の結果、でこう言えている、ではなく、教育が言わんとしていた日々を蒸留理解せし果ての今、やはり教育は二者を、丁寧な蒸留理解にいざなおうとしているが、丁寧な座学意識を先に、真にまとっているのは、どちらであろうか、との問いが発されている状況を描写しようとした瞬間、簡略表記、教育を置いたまで。
他方には持論があった。日本は歴史的に異常、過剰洗練装丁を商品の内部に忍ばせる事で、非意図的に中東の産業進展を阻害してきたんだ。非常識なんだ。他にすべき事は幾らでもあった。対米、対中関係の均等、健常化だ。性差を否定する、気持ちの悪い志向なんだ。
だから、こうして非難の危険を飲みつつ一方的に、外装から商品を居丈高に評する事にしているんだ。腹が立つ人も居る事だろうな。分かっているぞ。私達はな、内側からずっと長く腹を立ててきた。
互いの対論が、立ち話の形のまま木造製品の階で進む。
内側が過剰に出る。
地球外なる論理の切り口の披露、の後は目を斜めに伏せがちの戸惑い。推量する他方。こいつまさか。この表情もそして特殊な感光液に処せられ、判断される。同属性との共同歩調、也。
女性二、男性一、他方は男性一。
四名を奇怪な当惑、無言が包む。双方が属性の気付き、への気付き。
後は、互いが論の刺を丸め出し、穏便な苦笑いで着地点に落ち着いた。

FF4で“月からの思念波”が物語の黒幕として設定されたのは、地球の愚昧(ぐまい)な歴史、無駄な殺傷人数を近傍衛星ではあるが、月の無為の指数と共に分析、関連付けられ、物語の属性、“導入概念、の模索”の過程により、ほぼ不可避的な結果となってしまった為。また、4、5は共に高次存在の苦闘対象、などとは関係の無い最後の敵、当該文明人の脳の苦悩の象徴、だった。異界からの漏れ具象、などではない。


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お金、“なります”。

1987年12月19日 12時00分01秒 | 投稿

上海近隣の政治家、報道され情報掌握局、芸能、楼閣、港湾、建築、運送、日用品卸屋といった多方面の人種は難波での会議を迫られし頻度は月に二十四から七十だった。
難波どこぞに、常に誰かが居る。
大抵は三泊から五泊。
会議の人数は十から十五人。
二十台から六十台終わりの、大抵は男。
女の遠出は色々と大変だった、で少ない。

民度支配頭蓋との密合を意識されしの掲揚物、気合入れ額縁の効能が難波で最も強力に残存していった。
財界人用達の料亭や楼閣の客間や入口の天枠の辺の中央に、ロウと白い粘土が“し”の字状に曲がった棒飴状が掲げられている。
クロアチアの芸術工房の工程中指標物。
我ら、異端を自認の非市井、崇高、霊的指令への緊密束帯機関職員。
客と職員を、雑多からの乖離距離への高速疾走状態を、周囲に強いゆく樹形図現象の起点の根達へ。
かくなる球根植え策謀には必ず、当時の民度頭蓋は厳密断定を浴びせていた。
非肉体、非雑多なる、霊の人。
ところで霊への、作為にての疾走とは断固、肉体知性血流者には不可能。
ある時、誰ぞが、ふと、昇格を開始し、周囲へ雑多肉体の損壊恐怖に、いざない始めるが、誰も霊の人と周囲を、作為にては止められず。
料亭の経営判断にとっての懸案は、利潤ではなく職員と客の間の、民度視野観念の接合が、立場を奪っていった。

京に対して、難波で賃貸中のコンクリ物件に関して、難波での喫食機会への褒賞として、いずれも当たらない。
大川から中央区方々への通勤、これへ随伴せし、無人輸送の衣装箪笥がアンファン・ルージュ市場の食材の空輸だった。
お金とは知らん。
食材も見とらん。
そいでこんなになるかー!!!
お金、“なります”。
読者“ずこーーーーー”。

アンファン・ルージュ市場からの食材融通契約に関する、フランスへの代価は、政治政党への社会学的視野知見の提供だった。
金星語にフランス語と黒板表記を交えつつの統計描写、“政治政党、堂々論争にとっての穏便配当議席数、これらが二者の非演技、懸命闘争の果ての無侮辱報酬であったとしても、これとの巨大な胃とは、必ず、倫理叱咤、惰性的肉体生理現象を経つつ、国民大多数にとっての、懸命人生への当選議席たる、望む職能を厳密に志向しゆく筈です。
以上を眺望した、せずであったいずれであるとして、人間が頭部と胃の相関に於ける、相互への無遠慮ぶり、野放図刺激とのやり投げ生態を打破せずであるなら、必ずこの眺望推移とは大破綻を見ます。
生態を打破せずとの文明社会に於ける、胃象限人生、国民一定数に対する職能の配当が、存分に高評価を帯びたなら、政治政党の首とは切断を過ぎる。
乱暴な手工業志向の時代、これのみが条件です。
生態を打破せざるのまま、これは・・・人間・・・社会・・・いずれとの克明運命自認美形との尊称へ、甚大なる業、火傷の有無をもたらしゆく、との成文にて、美形尊称に重要警鐘を与う文であると共に、成文読解中知性への恐怖降雨感知強要文との、文の存在方向性、相反なる奇怪長文を招来します。
生態の打破とは、美形尊称が絶対に不可避招来する、顔の局部群価値に等しい、尊称の多様性、これが自動企画しゆく政治意思、政党の多様性の存在により、必ずどのような文明社会にあっても、困難なのが常です。
この掌握困難さが宿る先は人間の喉、多様性への非忌避ぶりへの指摘が実に容易です。
無許可切開、撮影調査などは美観念が必ず許しません。
そして、私達二者の対話の機を醜いと咎める一瞬とは、文法駆使意欲、発語通過から、存在しません。(先の話からして、薬理実験の皿の無菌ぶりと等格ですよ)”
夜の八時、九時、月に四十から五十回、パリ、6E APR.
この認識を馬車として、アンファン・ルージュ市場の長を自認する政治家との融通契約の締結至りは、自己非難伴わずの宿間となった。
“あなた方とは、この市場のいつでもを、ご賞味下さい”との言質げんち、を得ている。
長側、明瞭、精密認識ではなきも、大量も貰い感慨の項目とは、政治政党への法外なる貢献。

理学理解支援利器、実験関連薬品の類のみが、地下姫、京間の交際が終盤に差し掛かる頃、京の影響を浴びつつ、細菌研究施設に、融通されていったが、規模とは少量だった。
年に皿系が十枚ぐらい、試験薬が九点で、地球文明からのさほどの跳躍は見えない。
これら、地上での登場が押した方向が、生理用品の変質で京なかりせば、方向は顕現しなかった。
特に試験薬の渡され方、これとの京の公家女性、水気のある声色が、貴族女性に新たな璽奥束帯触感を喜ばせていった。
開発施設は既に言及済みで、“M”管轄。
大、規格の融通、異星人薬効の顕現は見えない。
目薬、包帯すらも無い。

難波のある楼閣の三階から四階に向かう階段の折り返し面積が奥に広がっており、そこは地球外の植物の花壇だった。
種は無数の星々。
太陽光を採光すべく反射板が利用され、そこは天井からは常に灰色の光が降っていた。
曇り空。
紅いサンゴ状、大きなブロッコリー、赤と灰色の間の大きなパセリ状、毛が生えた太いアスパラガス状。
客は、上海の芸能興行関係のみだった。
階段の折り返しに庭を拓いて咲くべしとなったこれらの種を、難波はかつて求めて輸入せし、か。
折り返し事を分からぬままで是とする歴史が、種集め生業を呑んだとして、何故難波は咲き、までを案内致せし、か。
解せん。
難波のいずこに、種集めの飛行船が降り泊まる宿は。
必ずだ。
大口懇意、五臓六腑大信頼の睡眠の間が在る筈だ。
そこの酒を呑み何を、咲かすかそこでの夢は。
この赤きサンゴ状。
好奇を集め、肉を割きまといての咲きが花言葉と見る。
夢ならぬ、現世うつしよ、をまずはここで一時、か。
次はどこへ往くか種集めの飛行船は。

外国人が異常遠方食材に接近可能な店舗の数は、時代をまたぎつつ、四十一から五十八の間だった。
重量議題なる国際会議後の外国人が、入店可能となっていた政経懸案への即応給仕暖簾外装は、当時の常識縫合中人には、すぐに判明した。
時代の要人認識なれば、それを減らし笑いつつ、店舗内の利潤観念を太く縫合可能。
例えば五階建ての御殿風体の料亭が異常異邦食材料理を品書きに載せていた。
難波開催であった厄介な会議に参画する。
すると、そうした店舗に入店し、注文出来た。
食材の噂は、外国人には知れ渡っていた。
何故、この会議は難波で開催すべしか。
この議題は、難波の地観念を吸わしめられるべし。
または複合言語が背景。
宿は電話予約。
会議施設は大抵は空いている。
空いてないなら別の処へ。
女性の異国移動は大変だった。
港待機の馬車を電話予約すべし。
必ず待っとれ。
楼閣に到着するまでに寄る休憩施設も調べておくべし。
楼閣前に着いたら、暫くにわたる考え事が始まる。
いきなり、客室に入るのは頭部への論外判定故、論理を編む。
車輪は無い、空港に見える旅行鞄が三つ、これらを従者が持ち歩く。
中は衣服と化粧品ばかり。

空輸時代の末期は、これへの随伴水紋現象としてフランス西海岸から船舶にて羊が二十頭やら、樽入りのスコッチ、ウィスキーが神戸港、岸和田港に到着していたが、郵送物には農具の梱包材や貧民農家向けの農具の卸屋の衣服たる、フランスの最底辺階級の様相紹介物が混じっていた。
しかも中古。
難波がフランスに何らかの返礼輸送を図っていたならば、これは無かったのか、難波政経人、何らかの眉間掌握に至っていればどうだった、は無意味。
とにかく、空輸の長期間継続が、招来していた随伴現象だった。
当時存在した高級種、濃い灰色の羊は素性を見抜かれ、羊毛は高級卸屋に流れていった。
養殖は不可能だった、動物園行きにもならん、で羊肉は白も黑もしゃぶしゃぶ料理屋へ。
アメリカ東岸、ノースカロライナ州産のスコッチはイギリス、フランスを経由し、フランス産のブランデーと共に難波の酒の卸屋に漂着していた。
難波の楼閣経営、“人間頭部を市井近隣から高速愚弄せずの路面電車”研究財団、公家、化粧品卸屋の眼力は見抜いた。
“虚ろなる頭蓋内空洞、これを問えぬままの奔出であった駆け落ち前の恋文の字も知らずとの、人間致命の愚かさを降雨指摘されずであった、夜空を駆ける虚ろ舟(神鬼飛体)の飛行軌道が街、遍くの日用品操作仕草との謎の民が酔う術、腕への重み瓶、娯楽自我体重とはこれか”。
何故、虚ろ舟の飛行軌道が街、遍くへ降りたるか。
上海の楼閣経営が、醸造地不明なる酒、アメリカ産のスコッチを呑む。
知的に思い出す、ではなく衝動が記憶を押す。
衝動とは不明朗ごと、奥座にての狂乱を避ける我は漢字筆記用欲望よりは平静、がそれを衝動、と捉える。
北京、根拠不明続けの大狂乱の時代を。(延焼炎症とは終戦後も永きであった)
酒の効能とは、頭部一時の
神鬼飛体軌道。

難波の楼閣は、寝台が在った。
床からは高し、かつ壁構造備え。
誰でもが思い付いて、製作しとった。
客人は布団とは、口語にて案内されている寝台の倉から、自分用を部屋に持ち帰り、退室前に、使用後置き場の倉に戻しておいて下さい。
これ、常識。
布団を、部屋にしつらえておく、これ客人はすぐ寝れ、翻訳先たる、間抜け人生中への無抵抗履歴ながらの、遠方訪問者よ、へ抵抗出来ず。
ダチョウ、鴨の羽を呑む高級布団は、外人向け楼閣に。
長期滞在者向けの洗濯場なら、どこの楼閣にも在ったが、事前に洗剤を準備しておく、は旅行者の頭には重くのしかかる判断で、現地入手もこれまた難儀であった。
長期予定者は洗剤を事前準備。
酒なら膳の間に出される。
酔わん程度、が滞在先での常識。
疲労の乗せ付け先とは、難波では料理。
広東料理が出る。
不人気。
こっち来てもまた、や。
室内は椅子、机、ガラスの扉、樹脂製の箱に収まるフランス語表記丸出しのコニャックと英語表記のウィスキー、月語丸出しのトニック系の月の酒、夏にはネジ巻き式扇風機、五十分量操作可能、と樹脂製の枠に収まる七十糎立方体の氷が部屋の各所に四つ置き。
紙の器は一階に有るので、そこから自分でお持ちになって下さい。
冬の難波訪問客とは、当時の言語指示と便益の相関結果として、極めて稀だった。
部屋での滞在者は、そこで考え事。
題材は事欠かん時代だった。
アヒルの丸焼きが膳に届く。
大いにへこむ。
ちなみに料理人は上海からの帰化人。


難波の場合、準、高級旅館やら、とかには呂雨濾どころか、入浴施設、洗面台すら無かった。
朝に、旅行前に掌握済みの近くの湯屋を利用する。
直径一・二米、高さ九十糎の大きな桶状の六割に湯が入っており、この桶がすのこ状または正方形形成のおうとつ感のる陶器群が敷き詰める床の、広い部屋の中央や、端から二米ぐらいに十二個、または七個が一列に並んでいる。
湯は一回利用ごとに、番頭が交換。
全部捨てる。
体を洗うのは、常識としては、桶の外の高さ七十糎の風呂椅子に座ってから。
石鹸やらは持ち込むべし。
小さな桶で中の湯を汲む。
朝七時から利用していい、ようになる。
木の跳ね板が天井近くで複数浮いており、ここが窓状で光を桶に差す。
桶の淵に背中をもたれ、光を呑む。
当時の旅行人としては、この時とは超絶快楽、新皮質抵抗不可であった。
利用可能だったのは、一般利用客のやや上、自覚人以上。

樹脂製のとつを、体重かけて押してから上から湯が降ってくる構造は難波には見えない。
京と神戸方面だけ。

よその市を訪れる、これとは当時、一般人の頭にとってはあまりに大きな買い物籠、頭に引っ掛からせ行為だった。
つまり、非常識。
よその市で滞在がてらの仕事に至っていたのは、一般人自覚状態者ではなかった。
金持ちやら、財界権勢五指自覚者。
結果的に、難波での滞在客は呂雨濾か湯屋のいずれ。
銭湯とは在ったが、これの利用に吸い込まれていたのは、難波の端際からの、仕方の無い難波への移動状態者のみで、銭湯とはくしゃー。
濃い湯気の中に、時間により、十六人が詰める。
湯の交換は無いで、水道も無い。
そこらの椅子に座って湯を汲んだりしてみろ。

難波、京いずれであっても、夏は体を濡らした手拭いで拭く、が入浴日以外では普通だった。
入浴まではせんでも、行水ぎょうずい、だけやらぬるま湯だけで体を洗う、といった日は、中途半端手続き判定、にて何と、極めて稀だった。
頭に、大いに障っとった。
だけん、入浴日以外は手拭いが専ら。
派手な応接ごとの日が控えていたなら、女なら必ず入浴していた。


難波の東、枚岡ひらおか、山から天川あまかわ、山にかけて、または北の箕面みのお、公園辺りが、月からの現物転送先だった。
東への、現物到着との連絡は難波滞在中の月人が所有の、携帯端末に伝わり、描画線が光る地図の点滅地に赴くと、巨大な輸送籠が佇んでいる。
山の斜面、にて五から十二人がかりの大仕事だった。
人力、神輿担ぎでの持ち運び。
道に出たら馬車に積載。
箕面公園には、口の堅い仕事人に小屋を建てて貰った地の地下に転送施設が、転送されていた。
滑車式牽引構造が、地下から転送物を引き上げ、小屋に留置しておくと後に別の月人が小屋を開け、難波経済の要所の倉に運んでいく。
転送物は、雑多かつ実に無意味な、事故もの、が多い。
中古本の表紙だけ、やら失笑を誘うのみの銀色の小さな玩具印象球体、春画小説の表紙だけ。
まとも銘柄は、大量の酒、これだけ。
白葡萄酒、
向こうの果実の酒、
トニック系の酒、
ブランデーとテキーラ混在系の酒、
ヘネシー系の酒、
日本酒系、
焼酎系、
泡盛系、
ライム酒系、
ジン系の炭酸酒、
カクテル、
度数有りの甘酒系、
ドンペリ系、
五十万価格の白葡萄酒、
度数三十八は年に九十本、
杏とキュウイから醸造せし企業の社長向けの百万の酒、度数五十五は半年に十二本でこれに至りし、過剰にがりの喉とは上海の財界人と難波の公家。
石膏状の石や、金属系ガラスの瓶入り。
月の上流平民向けの百貨店陳列の、全くまとも銘柄ばかり。
江戸時代とは、難波で案内された無人家屋、旅館住まいだった月人は常時約五十人。
月に帰ってのパソコン入力によると、滞在とは大いに好評だった。
酒の銘柄と成分表記は、月語。
行き先は口の堅い旅館か、卸屋。
その先は、財界人、海外の要人。
難波、上海の内蔵運営への隷従自認人、の胃。
酒の転送は、月人、難波活動に関する、謝礼が色彩だった。
受け入れてくれた、生活をさせて貰っている、が貨幣無関係の眼力や人間度量、物腰への適切評価を通じて。
月に百二十本が、二転送先へ、月に五度にわたり。
公家は、こうした分かり、瓶の口舐めとなった。
“酒の佇み、酔いと酔わしめの間との、人と文明の間、円形時計の中心点、依存心、だらしなさの意図の巻き付かれ、との一連の正座中怜悧想起が、確実に興奮する対象との、まだ長くご着座の様とは、海面に輪郭を溶かしつつも剛力に持ち上がるが日々のお務め、満月。
これ即ち、人の理性を溶かしつつ持ち上げる夜空の星々が、鋭敏な意図にて巻き付く、人交える宴会での盆。”
難波で宴会ごとを知りし、どこかの星の民、だろう。

休憩所、料亭、楼閣の一階のみ設置の厠は大きな鏡に大きなバケツと柄杓が三組並ぶ。電灯が無ければロウソク。水道は稀。一・五、二・四米の広さに荷物置き台、植物性の薬液で濡れたちり紙が載る箱が在り、これを取るには横から適当な厚さを摘まむ。深さ五米の穴を認む和式。業者が特殊な火薬で燃やすが、穴構成の陶器は燃えん。上には窓が在り、活躍を期待するのみ。業者は外に逃げる。内部は暫く知らん。南無。


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百二十 十、十二、十三とか。 

1987年12月18日 15時02分01秒 | 投稿

月産コノ花咲カス箱、


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百十九 三日おきに

1987年12月18日 15時02分00秒 | 投稿

月産コノ花咲カス箱、


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百十八 玉切れは二週間前。

1987年12月18日 15時01分59秒 | 投稿

月産コノ花咲カス箱、


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