幼稚園つーのに2年通った。

お休みの前に担任のコメントが記載されている。
以下、抜粋する。
ももくみ(いわゆる年中組だな)
・7月
「活動的でいつも楽しそうに庭で
遊んでいるのが見られます。
時々言葉の乱暴が目立ちます。
元気で楽しい夏休みをお過ごし下さい。」
※見解
本当のことを云っていたのであろう。
この國では「本当のこと」を云うと、乱暴だの、デマ野郎だのと揶揄されるのは変わんねーな。
・12月
「かぜにかからないで元気で
よい年をお迎え下さい。
お話の後一人でお話をしない
様に注意しましょう」
※見解
自分の云っていることと、やっていることが異なっていた場合に、
疑義を呈されるのが気にくわないらしい。
「本当のことを云うヤツ」気にくわねーということだ。
・3月
「たくさんのお休みをしないで
元気に登園できましたね。
年長組になってからも元気に
友達と仲良く遊んで、思っている
事は、お口の中で言わずに大きい
声で話してみましょう。
お口の中では他の人にお話の
意味がわかりませんものね。」

※見解
貴様、12月になんと云ったか!!
疑義を呈すると、文句をしかも親に返してきたではないか。
だから「お口の中で疑義を呈して」いるのであって、
意味がわかったら、またもや、
おれの読めない漢字で、親に文句云うだろが。
意味がわかれば文句を云い、
わからんと文句を云う。
不条理極まりない。
手から察するに年配の教諭である。
記憶にない。
おれも気に入らなかったのだろうな。
実名を晒す。
「筏津つるゑ」という。
うめくみ
年長組になると担任が変わる。
このセンセイは鮮明に記憶している。おれのお気に入りである。
・7月
「幼稚園では先生のお話をよ
く聞いたりお約束も大変良く
守ってくれますね。休み中も家
の人の言うことを、よく守って楽しく
過ごして下さい。家の前の自動車
に気をつけて友達とけんかを
しないようにあそびましょうね」
※見解
先方が論理的倫理的であり、首尾一貫した態度で接したならば、
おれもそのように対応するのであるから、
このような評価になるのは当然である。
なおこの短い文中に、「よく」が3回出てくる。
内1度は「良く」である。
日本語に注意すべきであろう。
・12月
「とても活発で皆と楽しそうに
遊べますが、その日の気分によって
日に二、三回手が出ることが
ありますので、子供同志(原文ママ)どちら
がいけないとは言いきれないので
すがそんな時、もうすこし我慢
強くなってほしいと思うことが
あります。休み中お風邪
をひかないで楽しいお正月
をお迎え下さい。」
※見解
悪文の典型だ。
「遊べますが」「ありますので」「言いきれないのですが」で、一文を終了すべきである。
もちろん先方がいけない。
未だ語彙が不足しているし、
また家では、祖父の「口の前に手が→煙管が出る」環境下では、
当然の対応である。
したがって「その日の気分」ではない。
おれはこれまで「その日の気分」で対応したことがない。
強いて云えば「日々常に少し不機嫌」な状態である。
なお、おれが「我慢」してしまったら、もはや存在価値がない。
一切の発明/設計ができないからである。
(「現状は誤りである」という前提があり、
「自ら課題を創造」し、
「意志を持って課題を解決する」姿勢がなければ、
発明/設計はできぬ。
「我慢」など、絶対にしてはいけない)
・2月
おれの文が記載されている。

「わりばしおもってく
ること/あきばこお
もってく●ること」
助詞の表記がなんだし、一部鏡文字だが、概ね問題ない。
文章力であるが、小学校1年の夏休み前の学校新聞に、
遠足についてつーおれの作文が掲載されていたことから、
この半年後には、正しい日本語になっていたのであろう。
(幼稚園で文字を習った者と、習わなかった者の、小学校1年の夏休み前の文字力について比較された研究があり、それに依れば有意差無しである。したがって幼稚園でムリに平仮名を習わせる必然性はない)
続けて教諭の文がある
「人の話を聞いて理解することや、自分
で思っている事、話したい事は事細
かに人につたえることが出来ます。
友達ともけんかをしなくなり、自分か
らよけたり引きさがるようになって
きました。友達との間を考えてきたよ
うに思います。
学校に行きましても体に気をつけ
しっかり勉強して下さい。長い間
御協力有難うございました。」
※見解
よく観察してるなww
語彙が増えていること、且つ莫迦に云っても無駄と判断し相手にしない術を身につけたとこがわかる。
この間わずか2ヶ月だ。
ここから先今に至るも、おれに特段の変化はない。
三つ子の魂百までであろう。
・3月
写真を参照

戦前の出来事のように感じる。
これを発見しおれに開示したご母堂様の感想
「おまえに見せるんじゃなかったよ、失敗した。また屁理屈ばかりこいて」