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MiG三兄弟〜エンパイアステート航空科学博物館

2020-04-07 | 航空機

ニューヨーク州スケネクタディ空港に併設されている
航空博物館、ESAM展示の航空機についてお話ししています。

かつてはGEの航空実験場であった滑走路やエプロンなどを
現在はこのように航空機展示に利用しています。

基本アメリカの航空博物館は置きっぱなしになっていて
柵を設けて機体に触れないようになっているところは少なく、
ごらんのようにステップにのぼって上から覗き込んだり、
その気になれば触り放題。

アメリカの、こういう地方の航空博物館は
基本おおらかで放任主義、日本よりずっと
「性善説」に基づいているといつも思います。

アメリカには案外たくさんのMiGが存在しています。
今まで何度も見る機会がありましたが、ここにも・・・!

Mikoyan -Grevich MiG -15


MiG−15は、ソ連の名作ジェット戦闘機です。
MiGという名前は、もちろんのこと製造したのが

「ミコヤンとグレビッチ・ デザインビューロー」

Stamp of Armenia h331.jpg

アルテム・イヴァノヴィッチ・ミコヤン(1906-1970 )

と、

「ミハイール・イォーシフォヴィチ・グリェーヴィチ」の画像検索結果

ミハイール・イォーシフォヴィチ・グリェーヴィチ(1893-1976)

ミコヤンとグレビッチ、二人合わせて「ミ・グ」というわけです。

 

MiG-15は単発エンジン単座の戦闘機で、最初の任務は
アメリカの戦略爆撃機を迎撃することでした。

当時にしてこのデザインは大変先進的なものであり、
特にこの後退翼のデザインは、第二次世界大戦中の
ドイツの研究結果からアイデアを得たといわれています。

これはアメリカさんから言わせると(ここの説明に書いてあった)

「現代史上最悪の軍事過失の1つからも恩恵を受けた」

ということらしいです。
ドイツの研究は軍事過失ですかそうですか。

ドイツ人科学者を血眼になって探して根こそぎ引っ張ってきて、
なだめて脅して宇宙計画に協力させたアメリカさんがなにをいうやら。

ところで前にも書いたことがありますが、このときイギリスは
ロールスロイスのエンジンを提供し、ソ連はそれを元に
クリモフVK-1ターボジェットエンジンを作りました。

このことについても現地の説明は「驚くほど喜んで提供した」などと
微妙に感情を挟んできていますが、これは邪推すれば
アメリカがMiGに結構苦しめられたことの恨みかもしれません。

MiG−15のオペレーションが始まったのは1949年のことです。
こちらは1万2千機異常がソ連で生産され、6,000機が
いくつかの国でライセンス生産されています。

デビューしてすぐ、MiG−15は朝鮮戦争に参加しました。
戦争が始まったのが1950年、ソ連の同盟国軍は、おそらく
時代遅れの ’rag-tag’(ぼろぼろの)コレクションで構成された
北朝鮮空軍に対する優位性をおおいに楽しんだことでしょう。

MiG-15の戦争への突然の参加は衝撃的でした。
最初に運用したのは中国空軍で、それは世界を驚かせました。

それは同時代の名だたる戦闘機、ピストンエンジンP-51 ムスタング、
ジェットエンジンのロッキードFー80シューティングスター、
リパブリックF-84サンダージェット、そしてイギリスの
グロスター・ミーティア、それらのどれよりも、
優れていることを実戦で証明したのですから。

MiGは特に迎撃の機能に優れていて、多くのB-29 が餌食になったため、
B-29はMiGが出没しない夜間にしか運用できなかったくらいです。

しかし、栄枯盛衰、驕る平家は久しからず。
MiG−15が空の王者だった期間はわずかでした。

ノースアメリカンの傑作亜音速戦闘機、
F-86セイバー
が極東に登場したのです。

ちなみにこのセイバーの後退翼のアイデアも、
ナチスドイツの膨大な実験データをもとにしています。
さっきの言い方で言うと「最悪の軍事的過失から得た成果」
ということになりますが、まさにお前が言うなですね。

朝鮮戦争で当初「金日成のラグタグコレクション」相手に
余裕こいていたアメリカ軍は、MiG登場によって危機に瀕し、
眼には目を、後退翼には後退翼をちうわけでセイバーを投入。

それまでMiGは、高い場所から戦闘を行うかどうか、そして
いつ行うかを決定するだけの余裕を持っていましたが、
MiGより視界がよいキャノピーを持ち意思決定力の速さで勝る
セイバーが登場すると、俄然旗色が悪くなります。

F-86セイバーの対MiGのキルレシオ(撃墜被撃墜率)は
10:1と圧倒的な優位性を誇りました。

MiGの2発の強力な23 mm砲と37mm砲は、
非機動爆撃機の攻撃には非常に効果的ではあったものの、
発射速度が比較的遅く、対戦闘機には理想的とはいえず、
この点F-86の6つの50口径機関銃の方が優れていたのです。

 

ただし、F-86のMiGに対する優位性は、アメリカの戦闘機が
常に遠隔地から飛行し極限を飛んでいたことを考えると、
あまり意味があったとはいえません。

一方、MiGは米軍機を発見すると、中国の鴨緑江の
すぐ西にある保護基地から離陸することができました。

翼には中国軍の認識マークがつけられていました。
この機体のカラーがなんとなくチャイナ風だなと思ったり(笑)

 

Mikoyan-Gurevich MiG -17  フレスコ(Fresco)

この機体の「フレスコ」もいわゆるNATOコードです。

朝鮮戦争時代のMiG-15の直系の子孫であり、歴史上最も
プロファイリングされて広く輸出された戦闘機の1つになりました。

1952年からソビエト人民空軍に導入されるようになってから、
なんと1万機以上のMiG−17が生産され、30か国に輸出されました。

1950年代、そして60年代は、いわゆるワルシャワ協定国では
基準の戦闘となり、ソ連国内と同じくらいの台数が
ポーランドと中国で生産され、冷戦時代の象徴となりました。

当博物館では今塗装をやり直しているらしく、
このような途中経過の作業工程が見られました。

なんと翼に縦のスポイラー(っていうのかな)が!
こんな仕様の戦闘機は始めて見ます。

戦闘機としてそれは厳密には短距離インターセプターであり、
アビオニクスや全天候型の機能はほとんどありませんでした。

 ほとんどのソ連の戦闘機がそうであるように、MiG−17もまた
大変丈夫に作られており、簡単に製造できて、操縦も
非常に単純であったといわれます。

単座の戦闘機で、極端な後退翼を持ち、動力は
クリモフVKー1ターボジェットエンジン
最高速度は696mph、そして、通常の武装は、
二基の23ミリ、そして一つの37ミリ砲でした。

1950年代後半に超音速戦闘機が登場し始めると、
MiG 17は時代遅れになり、最前線で
ソビエト空軍のミグ19とMiG21に置き換えられ始めました。

しかしながら、その陳腐化にもかかわらず、MiG17は
北ベトナム空軍にも配備されて広範な任務に就き、
ベトナム戦争中のはるかに洗練された、より高性能の
アメリカの戦闘機に対して決して引けをとりませんでした。

低い翼装甲と銃装甲により、近距離の空中戦でも
機敏な敵であり続けたということです。

しかし最後に出撃した中東戦争(エジプト、シリア、および
イラクの空軍がイスラエルと戦った)になると、さすがに

イスラエル空軍のファントムIIには力及ばなかったようです。

当博物館のMiG−17は、ポーランド空軍が運用していたものです。

展示には階段がつけられていて、どうも体験デーには
このコクピットに座らせてもらえるようでした。

MiGのコクピットに座れるチャンスがあるなら行ってみたい。

Mikoyan -Gurevich MiG 21 フィッシュベッド( Fishbed)

 なんとこの博物館には、15、17、21と、三代にわたる
MiG三兄弟が全て展示されていることになります。

NATOコードで「フィッシュベッド」と名付けられたMiG-21は、
古今東西最も成功した戦闘機の一つと評価されています。

第二次世界大戦以来最も生産性の高い戦闘機として1万台以上
製造されたという記録を保持していますが、この理由の一つは
21型の後継機であるMiG-23が、どういうわけか、なかなか
MiG-21を超えることができなかったということもあるそうです。

実際、MiG-19譲りのMiG-21の格闘性能は非常に高く、
これを全面的に凌ぐ機体はアメリカのF-16ファイティングファルコン
そしてMiG-29フルクラムの登場を待たねばなりませんでした。

フルクラムMiG−29
なんだかツヤのあるファルコンって感じですね。

MiG−21は1959年に初めてソビエト空軍でのサービスに導入され、
その後、優秀な機動性が評価されて、最終的には
50か国もの外国空軍に供給されています。

機体性能としては特に推力対重量比に優れ、
高い上昇率とマッハ2に近い最高速度を誇りました。

ベトナム戦争では、にベトナム北部で広く使用され、
より重量に勝り、より洗練されたF-4ファントムに対しても、
ある程度の成功を収めることができました。

このMiG−21とは、

ヒットエンドランの短距離インターセプター」

いうなれば、

ロングレンジのレーダーと高度なアビオニクスがないファントム

というのが当時の評価でした。

とはいえ、当時のファントムと比べると、より機動性があり、
近距離のドッグファイトで有利であったことは否めません。

MiG -21はまた無理やり投入された17とは違い、
中東紛争において、
かなり活躍をしたようです。

ソビエト空軍では、時が経つにつれて、徐々に高度な
MiG-23 FloggerとMiG-29 Fulcrumに置き換えられましたが、
その後近代化改修が段階的に加えられて長期間使用されました。

この理由は、なんといってもMiG-21は、超音速戦闘機としては
他に類を見ないほど構造が簡単で維持しやすかったということがあります。

ちなみにこれが「鞭打ち役人」(笑)という名前をつけられた
MiG−21フロッガー
こちらはなんとなくファントム風味・・・・?

ここESAMのMiG-21はポーランド空軍で運用していたもので、
型番はフィッシュベッドEであり、胴体の背中に沿って
アビオニクスベイを備え、限定的な全天候型機能を有しています。

 

前にも書きましたが、MiG、とくにこの21は生産台数が多く、
そのためアメリカだけでなくヨーロッパでも、兵器類を取り外して
払い下げられた機体や練習型など非武装タイプの機材を個人が所有し、
娯楽目的で飛行させているケースがあるそうです。

「趣味のMiG」を楽しむ人たちが世界中にいるってことなんですね。

こういうところにもシンプルで操作性がいいという
原点回帰のような作りが、影響を及ぼしているというわけです。

 

続く。

 


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3 Comments

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機関砲大好き (Unknown)
2020-04-08 06:39:32
ここはテーマ(時代?)毎に飛行機を並べているようですね。先日ご紹介の一画はベトナム戦争。今回は朝鮮戦争かなと思って眺めています。

MiG-15/17/19やF-86Fはいわゆる第一世代戦闘機で、F-4は第三世代に当たります。大きな違いは第一、第二世代は単発機ですが、第三世代(F-4やMiG-23)は双発機です。出力が大きい分、爆弾やミサイルの搭載容量が大きくなっています。

博物館の展示だと爆弾やミサイルはぶら下げられないのでわかりにくいですが、MiG-23の飛行中の写真で。主翼の下と胴体の下にもミサイルが付いているのが分かります。

朝鮮戦争もベトナム戦争も、アメリカは攻め込む方で、遠くの基地から出撃しないといけない不利があります。待ち受けて、敵機が来たら、ガーっと上がって迎撃するだけなら、上昇性能がよければ、勝てます。それがMiG-15/17/19が強かった理由でしょう。

伝統的にロシア(ソ連)は大口径の機関砲が大好きで、MiG-15/17/19のような小型機に23ミリと37ミリというのはビックリです。今でも西側は20ミリが標準のところ、東側で現在最強のSu-27シリーズは30ミリです。

一見、撃ち合ったら、西側は負けそうですが、口径が大きいと弾は重く、大きくなるので、積める数が少なくなり、実際には微妙です。MiG-15/17/19なんて、23ミリも37ミリも数十発しか積めないので、一斉射(数秒)やったら、逃げるしかありません。F-4なんて、三桁の弾数です。MiG-15/17/19の一撃目をかわせたら、食えちゃいます。
境界層板 (お節介船屋)
2020-04-08 10:22:49
>なんと翼に縦のスポイラー(っていうのかな)が!
飛行機は詳しくないのでちょっと間違いがあるかもそれませんが説明してみます。
飛行機は翼の揚力により飛ぶのですが、翼の上面の空気の流れが速くなるように翼形状や取り付け角が形成されます。下側の速度より上面の速度が速くなることで負圧となり揚力が生まれ、飛ぶことが出来ます。

翼の表面の粘性により表面と少し離れた部分では速度が違ってきますがこの薄い層を境界層と呼びます。
後退翼にすると空気の流れが翼端に向かって流れる横流れが生じ、失速の原因となるため空気の流れの横流れを防ぐため翼上面に境界層板を取り付けこととしました。
ミグー15では片翼に2枚、ミグー17では片翼3枚の境界層板が取り付けられていました。

後退翼でなくても翼端が失速するので翼端を捩じったりしていました。零戦も実施してあったそうです。

現在は空気力学が発達してドッグトゥーフと呼ばれる翼前縁を一部突出させたり、切込みを入れたりして渦を生じさせ、翼端の失速を防いでいます。
顕著に分かるのがF-4ファントムⅡやF/A-18E/Fスーパーホーネット等で、翌端部の前縁が突出しています。
MiG-21 (お節介船屋)
2020-04-08 11:29:02
MiG-19の実戦配備と並行して研究、より高性能、実用性の高い戦闘機としてマッハ2、機体の安定性、良好な操縦性、地上レーダーとの連携、データーリンクも必要とされました。
1955年初飛行、ソ連が約10,000機、中国、インド、チェコ合わせて3,000機が生産されました。1959年から部隊配備、1962年エンジン強化、レーダー内蔵の大型ショック・コーンの制限全天候型、65年アビオニクス改良、ハードポイント増加、1968年エンジン換装、対地攻撃力強化等で東側諸国の主力戦闘機となり、約50か国が装備しました。
軽量・小型で取り扱い容易で戦闘能力も優秀でしたが、航続性能は貧弱でした。
その後電子機器の発達で生産の容易さもあり、発達型が作られ、現在も多くに国で使用されています。
イスラエル等の西側技術も加味され、戦闘能力向上、兵装も最新の空対空、空対地攻撃兵器も装備出来るようになっています。
生産はロシアでは1986年まででしたが、中国がJ-7として2013年バングラデシュ向けが最後となったようです。
全長14.10m、全幅7.15m、全高4.13m、最大離陸重量10,470㎏、最大速度1,177kt、離陸滑走距離830m、23㎜連装機銃1基、兵装最大搭載量2,000㎏、航続距離800l増槽使用で795nm、乗員1名
参照イカロス出版「戦闘機年鑑」、せきれい社「世界航空機年鑑」

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