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映画「The Iron Lady」~サッチャー物語

2012-04-21 | 映画

なかなかいいという評判なので、

「マーガレット・サッチャー」鉄の女の涙

を鑑賞してきました。

それにしても、このタイトル・・・・。
酷いというわけではないにせよ、この「タイトルだで説明しなくてもできるだけ内容がわかるように」
という、なんというか、あさましいタイトルをつけるの、本当にやめてください。
最近、この確信犯的所業の数々を目にするにつけ、つまりは
「宣伝にかけるあれこれの諸費用の節約対策」
かな?と思っているのですがいかがなもんでしょう。

The Iron Lady、あるいは日本でも有名だった「鉄の女」でいいじゃないですか。

愚痴はともかく、この映画、意外なヒットとなっているようです。
そろそろ封切も終わりかけなのでしょうけど、この週末もし映画でも、
と思われる方がいたら、お薦めです。



サッチャー政権時代、何しろ「かっこいい女性だなあ」と思って彼女を見てきました。
誰かが、サッチャー引退に際して
「首脳国会議の際、彼女が必ずまん中に立ち、紅一点となっている、
あの絵になる構図がもう二度と見られないのは、実に残念だ」
と書いていたのを読んだことがありますが、わたしも激しく同感でした。

現在、首脳国の紅一点はメルケル首相ですが、彼女がどう、ということではなく、
なにしろサッチャー首相には「まん中に立つべき華」がありました。

全く女性、という「第二の性」を押し出すことなく、しかしすらりとした脚と大きく膨らませた金髪、
いかにもイギリス人女性らしい硬質な美しさ。
理屈抜きで絵になる首相ではなかったでしょうか。


この映画は、サッチャーがデニス・サッチャーというビジネスマンという伴侶を得て、
初選挙に問い当選し、党代表選挙に勝ち、そして「鉄の女」とソ連に呼ばれた11年間を
回想しながら、亡き夫の幻影と語り続ける「現在のサッチャー」の物語。


娘の手記で、現在彼女が認知症にかかっていることも世間をびっくりさせ、この映画を
サッチャーそのものに見える憑依型の女優、メリル・ストリープの好演が、
より一層映画のヒットに寄与しているようです。

政治家、しかも国の首長は決断するのが仕事。
そして、その結果は全て自分が引き受けるのです。
当たり前のことですが、この映画で野党労働党と激しく論戦するサッチャーを観て、
どんな鉄の意志と強さを持っていたら、10年以上もトップで居続けることができるのか
そのカリスマ性に感嘆すると同時に、当時から「月替わり」と揶揄されていた
日本の首相の在任期間の短さを思うと、
我が国の政治の未熟さに情けなささえ感じてしまったりするのですが。


今回わたしがこの映画を観に行った大きな理由の一つに、
1982年の、フォークランド戦争に踏み切ったサッチャーが描かれているということがあります。

フォークランドはご存じのようにアルゼンチン沖にあるイギリス領の島。
ここに侵攻したアルゼンチン軍に対し、イギリスは派兵を決定します。

ここで、武力を行使することについて、野党は勿論のこと、アメリカまでもが
「まあまあ、事を荒立てずに、話し合いで何とかするって手もありなんですから」
としゃしゃり出て、仲介を申し出ます。
(それにしても、自分は好き勝手やっておいて、人のもめごとにまで首突っ込むのね、
アメリカって)

その時のサッチャーの台詞がこうです。(記憶)

「あなた方は、1941年、日本がパールハーバーに攻め込んだとき、どうしましたか?
話し合いで何とかするため、トウジョウに講和を申し入れましたか?
ハワイにアメリカ人がいたから、軍隊を出したのでしょう。
私たちも同じです。
フォークランドにはイギリスの国民がいる」

そして、軍司令部で海図をにらみながら決定を下すシーン。

ああ、やっぱりカッコイイひとだったんだ!
しびれました。

引退後、夫の幻影との会話の中で「男たち」のことを、
「カワード、カワード、カワード」(臆病)
と激して叫ぶシーンがありますが、現在の日本政府はじめ、政治のトップが「カワード」
になってしまうのは、それに続くリスクを請け負う覚悟が無いこと、そして保身でしょう。

アルゼンチンがフォークランド諸島に侵攻した時、日本の旧海軍軍人がこう言ったそうです。

「イギリスは派兵しますよ」

領土を盗られてそれでも話し合いで何とかしようという国ではない、
なぜなら、領土は彼ら英国民の連綿と続く誇りの象徴でもあるからだ。

「ルール・ブリタニア」という有名な「イギリス第二の国歌」があります。
以前も一度「イギリスならではの曲」として紹介したことがあるのですが、その歌詞は

「我々は、決して、決して、決して奴隷にはなるまじ」

というものです。

しかしながら、派兵すれば、いかに正義が我が方にあっても「戦争を起こした」というそしりを
どこかから必ず受けることは免れません。
全ての者に公平な政治の決定など、ありえないのです。
そして、必ず兵隊が、つまり国民がそれによって死ぬ。

彼女は、戦死した兵一人一人に自筆で手紙を書きます。

「私も一人の妻として、そして二人の子供の母親として、心からご子息の死を悼みます」

開戦決定の時、ごねる閣僚を前に、彼女はドレスの襟を公邸のメイドに立ったまま縫わせ、
そのまま彼らに激しい言葉を投げつけます。
ロイヤルブルーの胸の大きく空いたロングドレス、その胸元を直させながらのシーンは、
「開戦を決めたのは女性の首相であったこと」を象徴するものでした。


イメージ戦略というものがあのカッコ良さの後ろにあったということが分かったのも、
特に女性にとっては興味深い点です。

イギリス人女性がよく被っている帽子に、垢ぬけないパーマヘアだったマーガレットを、
あの「マダーム」なヘアスタイルに変え、スーツを選び、スピーチの練習、
そして声のトーンすら、トレーニングによって変える。
演出家、というかブレーンがいたということも描かれています。

本日画像は、この映画で一番メリルが綺麗に見えた晩さん会のロングドレス。
開いた襟につけられたシルクのフリル、地模様にシルバーのラメ入りの黒の衣装は、
まるでビクトリア王朝のクィーンのようです。

このほか、実際にサッチャー首相が着用していた(ようなイメージの)スーツの数々。

映画が終わるころにはサッチャーにしか見えなくなっていたメリルの演技とともに、このヘアメイク、
そして衣装が「サッチャーらしさ」をより迫真のものにしています。


ところで、現在の彼女の様子があまりに老いさらばえて、ということを映画が強調しているため、
「昔ああだった人がいまや・・・・・」
と悲痛な想いでこの映画を観る向きもあるかと思いますが、いやいや。

人間、80にもなると、こうなって当然。
現在の「食料品やでミルクを買っていても誰もサッチャーだと思わない老婆」は、誰しも
いつかは訪れる人生の終盤に差し掛かった姿です。

それを嘆くのではなく「世界を動かす人間も、また一人の平凡な人間」に過ぎないと観れば、
それは、一人一人に秘められた可能性の物語、と言えるのではないでしょうか。

と  こ  ろ  で  。

ふと考えてしまったのですが、この映画がヒットしていることの理由は、
日本の現在おかれている領土問題がありませんか?

先日、石原都知事が「尖閣諸島を所有者から買う」というニュースが日本を、そして中国をも
(ついでに韓国も)揺るがしました。
国民の大半は大かたこれに肯定的です。
都庁には激励の電話が殺到、中には「そのために寄付をしたい」という意見も多数なのだとか。

どこかで中国は、このたびの問題において、
「この問題に関して、中国政府は、日本政府を侮ってやりたいようにやってきたが、
日本人の愛国心がいまだに健在であるということまで読めなかったようだ」
という説を眼にしました。

船長釈放問題に始まり、民主党の足元外交を歯ぎしりしながら観ていた人々は、
「日本にサッチャーがいたら・・・・」
とこの映画を観て一様に感じたのではないでしょうか。


それにしても、サヨクメディアの皆さんは一様にこの購入に反対のようですね。
日本政府が何もしないから、外敵から守るために自治体が日本人から土地を買う。

このことのどこが問題なんです?

否定的な意見のインタビューばかり流し、「税金をこんなことに使うとは」とか、
「中国を刺激してどうする」とかいう論調でこのニュースを報じるのは、なぜ?


というわけで、ついでにいつものメディア批判になってしまいましたが、この「鉄の女の物語」
政治家であることは決断することなのだ、とあらためて知ることのできるお薦め映画です。

特に野田総理には、是非観ていただきたい。





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