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いねむりの達人

2010-09-29 | 海軍




敬愛する大野竹好中尉が兵学校卒業時に与えられた芳名録には「漫画と居眠りの達人でもあった」と書かれています。

漫画はともかく、居眠りの達人とはどのような達人だったのでしょうか。


これを読んでいる方で、小学校から大学、専門学校の全講義、会社での会議や講演会、つまらないコンサートでも一度も居眠りをしたことがない、という方はおられるでしょうか。
眠ったことはないが眠気と戦ったことならある、という方を含めると、100パーセント「無い」としていいと思います。

エリス中尉、先日長時間にわたる歯医者での治療中つい寝てしまい、医師の指を噛んで「いたっ」と叫ばれてしまいました。
横になって一時間半眼をつぶっていて寝るなって方が無理よね。


さて、先日映画「勝利の礎」を紹介しましたが、二十前後の眠たい盛りの男の子があんなに一日中あたかも止まると死ぬかのようにやれ体操の水泳の武道のカッターの棒倒しのとやっていれば、日中の座学はもちろん、夜の自習時間に眠たくならないわけがありません。

特に、「五分前」に待機し、黙して眼をつぶり待つという時間。
これは寝るよねー。
大野生徒はこういう瞬間に要領よく睡眠をとっていたのでしょうか。

兵学校の座学は軍事学と普通学に分けられ、軍事学は教官と言っても兵学校卒の軍人ですから居眠りをすると
「バシン」と鞭で教卓を叩く音とともに

「菅野生徒~っ」 (←特別出演)

という叱声がとんできたもののようです。

したがって、居眠りはもっぱら普通学の優しい民間人教官の授業で行われました。
わかっていて見て見ぬふりをしてあげる教官が多かったそうです。

それから、皆さんもおそらく覚えのある「昼食後の授業」。
あれは魔の時間ですね。

特に昼食にライスカレーが出たときの午後の授業は、まるでカレーに睡眠薬でも入っているのではないかというくらいみんなが枕を並べて?居眠りしたそうです。
炭水化物が多いからでしょうかね。
生徒があまり寝るので一度防止策として梅干しと苦いお茶が出たのですが、梅干しが減るばかりで何の効果もなかったそうです。

居眠りに梅干しって・・・効く?


今日マンガでご登場願った学生時代の野中五郎少佐。
後年「野中一家の野中親分」として、その攻撃精神あふれる指揮ぶりとカリスマで海軍航空隊の至宝とまで言われた中佐ですが、兵学校の成績はいつもテールエンドを低迷していました。
ハンモックナンバーなど全く眼中になく、そもそもろくに勉強しなかったようですが、主な原因はほとんどの授業を睡眠に当てていたからだそうです。

その堂々たる居眠りっぷりは本日マンガにした通り。
野中生徒は背筋をしゃんとのばしたまま寝ることができたそうです。

気持ちよく寝ていたら後ろからコンコンと頭を叩かれ、後ろ席の同級生だと思い思いっきり不機嫌に振り向いたら井上茂美校長だった、という話があります。
この教育熱心な校長は、しょっちゅう教育現場に足を運び生徒の様子を見て回りました。

校長に起こされては目が覚めないわけにはいかなかったでしょうが、ある軍事学の教官、ある日こんな手で生徒の目を覚まさせました。

「おい、みんな起きろ、これを見せてやる」
と言うので生徒が?とその手に持ったものを見ると・・・・

それは、美人の水着写真。

今と違い、戦前で、女人禁制の兵学校で、軍事学講堂でよりによって教官からそんなものを見せられ、みんなはいっぺんにしゃっきりと目が覚めてしまいました。
「どうだ、きれいだろ」
にこりともせずに教官続けて
「眼が覚めたのなら今から大事なことを言う。では始めるぞ」

その後みんなは熱心に講義を聞いたそうですが、水着のインパクトよりも(いや、それもあったかな)講義に集中させるためそういう手にでた教官に驚いたと言った方がよさそうです。

こんな話は、おそらく海軍ならではで、陸軍幼年学校ではありえなかったでしょうね。



この逸話を収めた「海軍兵学校よもやま物語」によると、
「うそかまことか、七十四期のだれかは、姿勢を正し、両眼をカッと見開いたまま居眠りしていたそうだ」
ということですが・・・

大野生徒がこんな達人だったら・・・なんかやだなあ。




生出寿著 「海軍兵学校よもやま話」 徳間文庫刊
回想のネイビーブルー 元就出版社
同期の桜 豊田穣 光人社





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