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アップサイドダウン・シーキング〜空母ミッドウェイ博物館

2018-08-31 | 航空機

空母「ミッドウェイ」のフライトデッキ訪問、この辺で
回転翼機のご紹介に移りたいと思います。

まずは名作対潜ヘリコプター、

SH-3 シーキング(Sea King )シコルスキーエアクラフト

20年以上にわたって、シーキングは海軍にとって最も有能な
対潜ヘリコプターとしての位置を締めてきました。

ユニークなボートシェイプ機体は、非常時にはたとえ平坦でない
洋上のポンツーンへの着地も可能としました。

パワーがあって安全性に富んだシーキングは、その用途の可能性を
大きく広げ、本来の任務である救難救助や掃海の他にも、
大統領専用ヘリ「マリーン・ワン」に指定されたり、あるいは
アポロ計画で宇宙飛行士を回収するという場面にも活躍しました。

右舷?から見たシーキングのノーズ。

強力なタービンエンジン双発の大型機に変わったことで、これまで
捜索役と攻撃役の2機(ハンター/キラーチーム)で行っていた対潜作戦が
これ一機でで行えるようになった画期的なヘリコプターです。

開発段階で艦載機を想定していたため、メインローターブレードや
尾部のテイルブームなどは折りたたむことができる構造です.

この写真には写っていませんが、胴体の左右には「スポンソン」という
物入れにもなる部分があり、そこには膨らませるとドラム缶2個くらいの
大きさのエアバッグと、酸素ボンベが入っています。

万が一海に落ちた場合はエアバッグが膨らみ、しばらくは浮いているので、
その間に脱出するのです。

「ミッドウェイ」ではシーキングがタキシングの時にタイヤのブレーキが
故障して止まらなくなり、仕方なく浮上したら、次にローターが止まって
海に墜落するという事故が起こったことがあります。

乗員(4人)が海に浮いた機体から脱出するためにローターの止まるのを
待っていたところ(ローターが回ったまま機体が傾いたら危険)、
機体がくるりと回転して逆さまになってしまい、乗員はすぐさま離脱、
全員が別のヘリにホイストされて助かりました。

パイロットには全く責任のない機体の故障による事故です。
先般墜落した陸自のアパッチ・ロングボウ(貴重なアパッチが・・)の場合も、
目撃証言によるとローターが分離したとということで、
操縦ミスではないらしいことになっていますね。

機体の不具合で起こるミスによる乗員の死亡は、
自分ではどうしようもないことだけに、整備や点検の段階で
防ぐことはできなかったのかと残念でなりません。

チャック・スマイリー、という名前からコメディアンしか想像しなかったのですが、
意外とこんな人でした。

この写真は、スマイリー少佐が海に着水したカプセルから
アポロの宇宙飛行士を回収した時のものらしいです。

写真では確認しにくいですが、ヘリのノーズには「66」と書かれています。
敬意を評してのペイントでなく、ここにあるヘリが、これだけの
アポロ計画で着水したカプセルから宇宙飛行士を回収したのです。

機体にはアポロ13と記されたカプセルも描かれています。

日本では海上自衛隊が三菱によるライセンス生産で対潜哨戒機HSS-2を
1964年から「ちどり」という名前で運用していました。

先ほど事故の話をしましたが、日本で運用していた間にも、
HSS型ヘリは決して少なくない回数の事故を起こしています。

SH-3シーキング Wikipedia

最初の事故の1967年から1996年までの間に通算20回、
21名もの尊い命が失われました。

昨今のヘリの事故の多さ、そして安定した機体と言われた
シーキングにおけるこの殉職者の数を見ると、ヘリコプターが
決して一般人の交通手段として広く普及しない訳がわかります。


HO3S ヘリコプター シコルスキーエアクラフト

戦後すぐの1946年から海軍はこのHO3Sを最初の海軍機に指定し、
広範囲の任務に導入をし始めました。

固定翼機のようにカタパルトを必要とせず、ピンポイントで
洋上の船舶にも降りられることから、空母だけでなく
戦艦や巡洋艦にも航空機を搭載することができるようになったのです。

これはもう海軍にとって天の恵みという他ない進化で、
ヘリをそれでも使用することは決して少なくない事故の確率を考慮しても
それを補って余りあるメリットがあったということでもあります。

このHO3Sは海軍向けに作られたR-5の派生形で、
全部で88機生産されたうちの一機です。

にしても、なんだか変なキャノピーだなと思いません?
これではパイロットは外が見えないではないの。

なんの説明もないので想像するしかありませんが、展示に当たって
キャノピーの破損した機体しか残っていなかったので、
仕方なくこんなカバーを制作したのかもしれません。

多用途ヘリ HUP レトリーバー(Retriever)

HO3Sの形と似ていますが、こちらはパイアセッキ社です。
このころのヘリコプターというのは黎明期だったせいか、
結果として同じような形になってしまった感があります。

「パイアセッキ」という名前については前にもお話ししたことがありますが、
創業者のフランク・パイアセッキから取られたもの。
ポーランドにある名前で正確には「ピアシェキ」と発音するようです。

そしてこの名前のレトリーバーって犬の種類なんじゃ?と思った方、
その通りで、この名前は猟犬を意味するレトリーバーからきたものです。

1949年に採用され、救難や輸送などの目的で空母に搭載されました。

エンジンは、M4中戦車シャーマンと同じ

Continental R975 C4
4ストローク星型 9気筒空冷ガソリン
400 HP

が搭載され、パワーを重視した作りです。

パイアセッキ社はその後「バートル・エアクラフト」と社名が変わり、
さらにボーイングに買収されて「ボーイング・バートル」になりました。

自衛隊でも装備されていたおなじみ「バートル」はこの会社の製品です。

「ミッドウェイ」に関わった艦載機パイロットなどの
名前と共にちゃんと装備を身につけたマネキンがコクピットにいて、
現役時代が想像できるように展示されているのがさすがです。

今まで見てきた中で、もっともお金と手が掛かっている博物艦だと思います。

マネキンが座っている位置を見て、レトリーバーが他のヘリと違う、
ともし思った方がいたら、あなたは大変ヘリに詳しい方です。

 HUPレトリーバーはご覧のように左側にパイロット席がありますが、
(普通のヘリはそうではないらしい)レスューハッチが
コクピットにある関係でこうなっているのだそうです。

確かP-3Cは左がパイロット席だったと思いますが、
ヘリは違うんですかね。

1960年代には後継機としてUH-2シースプライトに、
そしてHUPの成功により評価を得たタンデムローターは
のちのCH-46シーナイトに受け継がれていくことになります。

中が良く見えるように公開してくれていました。
背中のシートがキャンバス地を貼っただけって・・。
CH-47に乗ったことのある方が「決して乗り心地は良くない」と
断言しておられましたが、その意味がよくわかります。

でたー!おにぎり!・・・じゃなくて、

対潜ヘリ H-34 シーバット(Seabat )

ノーズの下部に布が貼っていますが、これも修復の跡かな。

対潜水艦にヘリを使う、という思想は当然戦後生まれですが、
その中でも対潜武器としての嚆矢となったのが当機です。

1950年代からヘリコプターを対潜に用いることが試みられ、
任務に耐えうる強力なエンジンとして選ばれたのが

ライト社製 R-1820 ピストンエンジン サイクロン9

でした。
B-17フラインングフォートレスなどの大型機やドーントレス、
ワイルドキャットなど戦闘機にも搭載された第二次大戦中のエンジンです。

対潜用のシーバットにはディップソナーも搭載されています。

かっこいいかと言われると答えに困る、どちらかというと不気味なシェイプです。
なんかの稚魚みたい。

シーバットはマーキュリー計画の時に宇宙飛行士を海から回収して
有名になったそうなので、おそらくその時のパイロットが
ジム・カーソン大佐なんだと思いますが、海軍にはこの名前の大佐が
たくさんいると見えて、検索してあまりにもたくさんの人が出てくるので
特定は諦めました。

カマン・エアクラフト SH-2 シースプライト(Seasprite) 

シコルスキー、パイアセッキときてカマン。
ヘリ製造会社の有名どころから、代表的なヘリが一つづつ出揃いました。
これにヒラーが加われば完璧なんですが。

ところで皆さん、スプライトの意味が「小鬼・ゴブリン・妖精」だったってご存知でした?
わたしは子供の時からスプライト=清涼飲料水のイメージしかなかったのと、
スプラッシュという言葉のせいもあり、

スプライト=「しゅわしゅわっとした泡的なもの」

だと思い込んでいました。

シースプライトはつまり「海の妖精」です。
(ゴブリンかもしれないけどここは綺麗にまとめて)

ジェット・タービンエンジンを積んだヘリのパイオニアで、
最初から海軍のために設計・製造されました。

多用途ヘリとして開発されたシースプライトですが、対潜用ソノブイ、
レーダー、磁気検出器(magnetic detector)、魚雷を装備することができ、
そのコンパクトな機体は駆逐艦に搭載することで、機動部隊の
対潜防御に大きな役目を果たしました。

ちゃんとここにも人がいます。
シースプライトの場合は操縦席は右側になるはずですから副操縦士?


しかしこのコクピットは狭そうだ・・・・。

多用途ヘリとしてシースプライトの主たる役割は、対潜戦のほか、
対地戦闘、および対艦ミサイルからの防衛と敵艦の監視などです。

また、その他にも、救急輸送、捜索救難、人員や貨物の輸送、
小型艇の撃退、水陸両用作戦の援護、火砲の目標指示、機雷の発見、
攻撃成果の評価など、多岐にわたる役割をこなしました。

 

続く。

 

 

 



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3 Comments

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艦載ヘリコプター (お節介船屋)
2018-08-31 16:43:16
第2次世界大戦後期に実用的な機体が出現しました。
大戦後着実に発達し、海洋においても十分使用できるようになりました。
HO3S ヘリコプター シコルスキーエアクラフト
1940年代後期に開発され、約90機が生産され、観測機として使用されていた初期のヘリコプターです。
朝鮮戦争にも出動し、観測、連絡、救難で活躍しましたが、50年代半ばに退役しました。
全長17.6m、ローター径14.6m、全備重量2.2トン、出力450馬力、速力165km/h、座席数4
写真からキャノピーは前上部も固定であり、エリス中尉の推察のとおりのようです。

多用途ヘリ HUP レトリーバー(Retriever)
HUP -3で1940年代末救難用に試作されたHUP -1から発達した機体であり、陸軍用を転用しました。
50年代初期2型を含め200機余りが製造されました。
全長9.8m、ローター径10.7m、全備重量2.4トン、出力550馬力、速力168km/h、座席数6

対潜ヘリ H-34 シーバット(Seabat )
UH-34 雑用機はシーホースと呼ばれ使用実績が良好で1954から66年に海軍に約380機が納入されました。
多くのバリエーションがあり、対潜、輸送、救難に使用されました。
海自も導入し、HSS-1と呼ばれました。
全長14.3m、ローター径17.1m、全備重量5.9トン、出力1,525馬力、速力198km/h、UHは座席数18  
>ノーズの下部に布が貼っていますが、これも修復の跡かな。
レシプロエンジンの排気口がある所のようです。
その上部に黒い蓋がしてある所から初期では排気口が出ていましたが後期やHSS-1はこの部分から排気口が出ていました。

カマン・エアクラフト SH-2 シースプライト(Seasprite)
DASHの後継
全長16m、ローター径13.4m、全備重量5.8トン、出力1,350✖2馬力、速力265km/h
詳しくはWiki 
https://ja.wikipedia.org/wiki/H-2_(%E8%88%AA%E7%A9%BA%E6%A9%9F)

参照海人社「世界の艦船」No291
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LAMPSとCV HELO (Unknown)
2018-08-31 18:34:24
米海軍では、SH-2はLAMPS(Light Airborne Multi Purpose System)SH-3はCV HELOと呼ばれ、LAMPSはDD/FF/DDG/CG(駆逐艦、フリゲート、巡洋艦)に搭載され、CV HELOは文字通りCV(空母)に搭載されていました。

大型のSH-3が単独でHunter/Killerが可能という意味は、吊下式ソーナーと魚雷を搭載可能で、捜索と攻撃を単独で出来るという意味ですが、実際には潜水艦は見つかったと思ったら逃げるので、単独では振り切られ、普通、複数機で対処します。

小型のSH-2(LAMPS)では、重いソーナーは積めず、ソノブイと魚雷しか積めません。ソノブイは海中の音を解析して潜水艦を捜索しますが、狭い機上では解析出来ず、中継して、母艦上で解析していました。そのため、SH-2単独での潜水艦の捜索攻撃は出来ず、母艦と一体になって、初めて捜索攻撃が出来る仕組みでした。

海上自衛隊が艦載ヘリコプターを導入した際、能力的にはSH-3を希望しましたが、空母はなく、搭載艦はDDやDDHしかありません。そのため、格納庫や飛行甲板を大きめにして、ちょっと無理してSH-3(HSS-2)を積みました。

最初のHSS-2Aは米軍のSH-3と同等で吊下式ソーナーと魚雷でしたが、改善型のHSS-2BはSH-2(LAMPS)と同じくソノブイまで積みました。そのため、滞空時間は短くなりました。SH-2より大型のHSS-2(SH-3)でも、やはりソノブイ信号の機上解析は出来ず、中継して、母艦で解析しています。

米海軍もLAMPSとCV HELOの二機種の維持はさすがに面倒になったのか、次のSH-60ではSH-60BがLAMPS、SH-60FがCV HELOになりましたが、自衛隊は相変わらずSH-60J一機種でソーナー、ソノブイ、魚雷を積んで頑張りました。

SH-60の時代になっても、やはりソノブイ信号の機上解析は出来ず、母艦と一体になって捜索攻撃を行います。単独で捜索攻撃をするには、やはり、P-3CやP-1のように大型機(センサーマンの頭数の違い。ヘリコプターのセンサーマンは一人ですが、P-3Cでは三人。P-1は四人)が必要になります。

また、P-3CやP-1はTACO(Tactical Coordinator:戦術航空士)がいて、捜索攻撃の戦術を考えますが、ヘリコプターの場合は母艦の飛行長の仕事で、パイロットは操縦に専念します。

手前味噌になりますが、自衛隊の艦載ヘリコプターは一機種しかなく、搭乗員は捜索攻撃すべて出来ないと務まらないので、恐らく米軍より高練度なんじゃないかと思います。貧乏のなす技なので、いいのか悪いのか(笑)
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何度も済みません (Unknown)
2018-09-01 05:54:10
HSS-2Bの8100号機の事故(1986年)は、横須賀の第一護衛隊群の群訓練中(しらね基幹の護衛艦八艦とHSS-2B八機)でした。

当時は艦載ヘリコプター導入からまだ日が浅く、対潜戦に加えて水上打撃戦(艦隊対艦隊の捜索攻撃)を始めたばかりで、特に水上打撃戦の場合、敵艦隊に見つからないように無線封止をするので、艦載機は母艦の位置がわからなくなり、ちょくちょくエマージェンシーになっていて、最初は事故とは思っていなかったというような事情もありました。

対潜戦には関係ない配置だったので、夜間でもあり、タラーンと艦橋に立っていたら、突然、無線交話が日本語(普段は英語)になりました。事故発生で整備中の機体も含めて全機発艦させて捜索することになり、錯誤がないように交話は日本語で行うとのことでした。

自衛隊機も本文中の米軍機と同じく機番号(下二ケタ)を機首(本文中の米軍機だと66と書いてある部分)に書きます。8100号機だと「00」ですが、8100号機はここに目玉を書いていました。

この事故で乗員は殉職しましたが「目玉を描いたせいで墜ちた」という噂がどこからともなく出て、以後、機体に絵を描かなくなりました。
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