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陸戦の(神様)中村虎彦

2011-02-15 | 海軍



中村虎彦中佐。海軍兵学校59期。鹿児島一中出身。

昭和16年蒋介石政府への援助物資の流入を阻止するために日本軍は東、南シナ海沿岸の要所を占領する作戦に出ました。
陸軍第五師団は鎮海など四カ所に同時上陸し作戦決行する計画でしたが、その鎮海上陸部隊の中にこの中村虎彦大尉(当時)の率いる海外特別陸戦隊が加わっていました。


なぜ陸軍部隊に海軍部隊が?


そのあたりの事情についてはお上の決めることゆえ色々あったのだろうとしか言えませんでしたが、海軍的にこれは「気の進まない仕事」であったようです。
何かと気の合わない、やり方の違う陸軍と行動を共にするだけでなく、その指揮に従う立場だったからです。
こう言う嫌な仕事はノーの言えない若い者に押し付けるのが海軍の悪いところ。


陸戦隊の古参参謀や部隊長からこれを押し付けられたのが当時大尉であった中村虎彦でした。
「行ってもいいが、連れて行くのは(元気のいい)現役兵のみ。
そして司令部公室に飾ってある菊一文字の刀を貸していただきたい」

中村大尉は腰に軍刀、背中にこの大刀を背負い、大隊を率いて上海上陸の陸戦隊に参加。
しかし、泥地に上陸した陸戦隊は正面の堤防陣地から猛烈な集中砲火を浴び、泥まみれになって這いつくばり、弾をやり過ごすのが精いっぱい。


そのとき、腹這ったままの中村隊長の耳に飛行機の爆音が聞こえてきました。
沖合の舟山列島から掩護に来ることになっていた水上機が到着したのです。

「松島、軍艦旗出せ」

上空から日本軍が認識できるように軍艦旗を広げて目印にしようとしたのですが、横にいた旗手の松島兵曹はあまりの敵弾の激しさに身動きもせずじっとしています。

「コラ松島、出さんと斬るぞ」

泥に這いつくばっているので背中の菊一文字を引き抜き一喝しました。
それを見て飛び上がった松島兵曹、軍艦旗を押し立てるやいなや、猛然と敵に向かって突進していきました。
仰天したのは中村隊長です。

「危ないッ!待てッ!松島待てッ」

捕まえて「伏せ」させねば・・・敵弾の中を必死の追いかけっこが始まりました。
ところがひょいとふりかえると、軍艦旗が突進し、隊長が大刀を振りかざして走っていくものだから当然「突撃命令」を受けたと思った部下が必死の形相で突撃してくるではありませんか。

こうなればもう後には引けぬ。
「突っ込めえ―!」

疾風迅雷の勢いで敵陣に向かって突進していく一個大隊。
たまたま運よくその進路は敵弾の死角になっており、不意を突かれた敵兵はあっという間に退却してしまいました。

無人の野を行くように朝日に翩翻と翻る軍艦旗と菊一文字。
中村隊はあっという間に城頭に軍艦旗を押し立ててしまったのです。


陸軍の四個部隊はその様子を見ているだけで身動きもできませんでした。
動けなくなっていた泥地にだんだん潮が満ちて陸地は海に。
突撃どころの騒ぎではなく、パニック寸前の危機に陥っていたのです。
そして泥にまみれながら中村大隊の突撃をあっけにとられて見ていたようです。

この陸戦の武功をもって中村大尉は「陸戦の中村」「陸軍に一目置かれた陸戦の神様」
などと奉られることになったというのですが、神様と呼ばれたきっかけも実はこのような慌て者の?部下のおかげ。
なので、カッコ付きの神様扱いをさせていただきました。
まあ、起こってしまったハプニングを好機に変えたという意味では判断が優れていたと言えるのかもしれません。

この中村中佐(終戦時)は、中級指揮官でありながら実に優れた大人物であったようです。
その後の鎮海駐屯中は敵であったはずの民衆にも信頼され、そして終戦時に在任していた南鳥島守備隊を見事に取りまとめて降伏を受け入れに来た米軍司令官と堂々と渡り合いました。
その至誠は敵味方を越えたということです。




クラスメートの吉田俊雄中佐が呼ぶところの「トラさん」の振り回した何かと大活躍のこの黄金作りの菊一文字の太刀、現在は上野の博物館で見ることができます。
・・・で、エリス中尉はこのお正月に遊就館の催しで、真剣(柄無し)を持たせてもらってそのあまりの重さに驚き、
同時にこの話を思い出して思わず呟いたわけです。

「嘘だ・・・・・」



参考:日本海軍のこころ 吉田俊雄 文春文庫
   なにわ会HPより
   ウィキペディア フリー辞書












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