今日はバレンタインなので、少しそれらしい話をしますね。
一流会社の社員、官公庁務め、会社のオーナーの息子、医師弁護士会計士、
いわゆる「独身女性が眼の色を変える職業」というのがあります。
「医師専門お見合いパーティ」なんかがあるように、いわゆるこういう「エグゼクティブ」の夫を捕まえて
あわよくば一生安泰、という目的の下に、ターゲットを絞る女性がいます。
さて、さりげなく私事を言いますと、エリス中尉の連れ合いであるところのTОは、
世間的に言ってこの範疇に入ると云われる職業です。
その職場には勿論のこと女性が事務員として、あるいは受付として応募してくるのですが、あきらかに
「あわよくば」な野心を抱いて就職してくるのが大半なのだそうです。
何年か前まで、TОの職場は「職場恋愛禁止」だったのです。
しかし、現実的に忙しい職場で働き外の世界といえば水商売の女性くらいしか接する機会のない彼らは、
やはり手近の女性に目が行き手が行き、ハッと気づいたら結婚していた、という実例があるうえ、
職場恋愛禁止を謳うと、明らかに事務員の応募が減るのだそうです。
採用面接で「ウチは恋愛禁止ですがいいですか?」って聞いたら即答で「やめます」って言った人もいるそうですよ。
で、それを解禁したとたん、応募激増。
ある年、某航空会社のフライトアテンダントからの転職で応募してきた女性がいたそうです。
「フライトアテンダントを辞めてまでする仕事なの?」
「うーん、所詮雑用と受付だからねえ、比べ物にならないと思うよ、やりがいは。お婿さん探しでしょうやっぱり」
なんだか、この女性が何故FAになったのか、という動機すら、不純に思えてきますよね。
少し前、担当の秘書が全く仕事ができない、おまけに残業が多いと陰口を言われて頭を抱えているTОにさりげなく
「女性社員の心をつかむには」という本をプレゼントしました。
でもこれ、多分無駄でしょう。
独身のハンサムな男性のためならたとえ徹夜の残業でもやっちゃう、って人でも、
妻帯者で、おまけに定期入れに妻(わたしだ)の写真を入れていて、何かというと
「妻との出会いと結婚に至るまでの僕のストーカーぶり」を話したがる有名な愛妻家相手に、
あほらしくて残業なんてしてられっかての。
でやっと本題ですが、そういう職場であるゆえに、ときおり同僚若手のこんな愚痴を聴くのだそうです。
「近づいてくる女性が本当に自分が好きなのか、僕の職業が好きなのか、つい疑っちゃうんですよね」
うんうん、わかるよ。
某銀行破たん時、「あなたはかつてあんなに輝いていたのに、今のあなたは・・・」
って三行半を叩きつけられた男性がいたそうですし(そんなこと言われてもねえ)
リーマンショックの時も、それなりにお気の毒な話はあったとも聞きます。
さかのぼれば戦前、憧れの目で海軍士官を見つめていた当時のおぜうさんたちは、敗戦後、
軍人でなくなり、軍服を脱ぎ、公職追放などで不本意な仕事に甘んじるかつての士官に
実に冷ややかな視線を投げるようになったということです。
そしてそういった理由での家庭崩壊、夫婦不和は日本中で数多く起こったものでしょう。
つまり「あなたが海軍士官でなかったら、私は好きになっていなかった」ってことですね。
さて、本日画像は、ジョン・ウー監督、士郎正宗原作「エクスマキナ」の登場人物、テレウス。
実はこのテレウス、遺伝子操作されたクローンです。
そして、その元遺伝子の主はブリアレオス・ヘカトンケイレスという特殊急襲部隊の隊員で、
瀕死の事故を起こしてからその体はサイボーグに変えられ、現在は左上のマシンボディです。
このブリアレオスには事故前からデュナンという部隊の同僚である恋人がいて、
彼がマシンボディになってしまっても変わらぬ愛を注ぐのですが、
ある日、かつてのブリアレオスの容姿をそっくりそのまま持ったテレウスが
なんと、デュナンのパートナーに割り当てられます。
動揺するデュナン。
デュナンの動揺は、この「もしあなたが○○でなかったら」の、どんな人間にもある
「決定へと自分が導かれた数多くの理由」の一つに対しての密かな「後ろめたさ」からと言えるかもしれません。
つまり、今、デュナンが愛しているブリアレオスは、たとえマシンボディであっても、
元のブリアレオスに変わりはないのであり、この、ウサギのような耳を付けたサイボーグであろうが何であろうが、
彼女の気持ちに変わりはないのです。
しかし、遡れば昔、もし目の前に、このウサギ耳サイボーグと、画像の超男前が現れて、
中身はほとんど一緒、しかも同時に求愛、という条件なら、彼女はどちらを選んだか。
彼女の動揺は、辿ればそういったことからきているのです。
人生の連れ合いや、恋人を選ぶとき「○○でなかったら好きになったかどうか」は、
とくに結婚などというものが絡むと、一筋縄で答は出ないものでしょう。
男性の場合は例えば「もし彼女が美人でなかったら好きになったかどうか」と胸に手を当ててみると、
その条件、というべきものが最初から対象の特徴や魅力となり一体化してしまっている、
と感じるのではないでしょうか。
「僕がお金持ちだから好きになったの?」という男の問いに
「お金持ちのあなたが好きなの」
と答える小説(だったかな)がありましたが、この女性の言葉は、ある意味至言と言えますまいか。
たとえあなたが○○でなくても、の○○に相当する職業の人は、もしかしたら○○でない人たちより
真実の愛に恵まれにくいというハンディを背負っているのかもしれません。
本当に「○○でなくなったときも愛してくれるかどうか」は、簡単に試してみるわけにもいきませんからね。
んじゃ自分はどうなんだ、という声がちらっと聞こえたので、さて、自分のことについていうと・・・・・・
「ストーキング婚だったので何とも言えない」
それに、そのときはまだTО、職業決まって無かったしね。