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帰港〜海上保安制度創設70周年記念観閲式

2018-06-20 | お出かけ

本項制作時、大阪を震源とする地震がおきました。

被害については報道されているのでここでは重複を避けるとして、
陸海空自衛隊の出動部隊についてメモ程度ですがここに記しておきます。

 

陸上自衛隊第36普通科連隊(伊丹駐屯地)

海上自衛隊舞鶴地方総監部第24航空隊 

海上自衛隊第24航空隊(小松島)

海上自衛隊徳島教育群

海上自衛隊阪神基地隊

航空自衛隊第6航空団救難隊(小松)

各地方協力本部

 

各部隊は震災直後から出動要請を受け、災害派遣活動、
給水支援などを各地で行なっているということです。

海上保安庁も発災直後から第五管区の船艇が出動し、
沿岸部の被害について情報収拾を行ないました。

皆様、どうかよろしくお願いいたします。

 

さて、海保観閲式は無事に終わり、「いず」はアクアラインの換気塔である
「風の塔」のところまで帰ってきました。

アクアライン上空は、羽田空港のアプローチラインと重なります。

大型船の通行を妨げるからのみならず、このことが陸橋ではなく
海中に車専用道路を通すアクアライン建造の理由となったわけです。

航行中、航空機がほぼ途切れることなく現れては空港に吸い込まれていきます。

CL「にじかぜ」の乗員が手を振ってくれています。

テロ制圧訓練の時、「いず」「やしま」の前で「はまかぜ」が海賊船となって
展示を行いましたが、その時、はるか向こうの方、
「そうや」「だいせん」の前で、別働隊が同じ展示を行なっていました。

4隻の観閲船が一箇所でのあの訓練展示を見るのは不可能ですから、
二箇所で展示は行われ、「にじかぜ」は「そうや」「だいせん」の前で
海賊船役を努めたのだと思われます。

横を航行していた消防局の「よこはま」が、放水してお別れしてくれました。

 緑の水を出し切ってから帰ろうとしているのか(?)
川崎市消防局の第6川崎丸も、お別れの放水!

帰路出会った船も紹介しておきます。

シンガポール船籍のオイルタンカー「チャンピオンプリンセス」
今調べたらシンガポールにいました。

扇島の製鉄工場向かいから巡視艇が近づいてきました。

第3管区川崎所属の巡視艇「たまかぜ」

本日の行事に参加した巡視艇ではないので、おそらくこれは
通常任務遂行中であろうと思われます。

「はまぐも」も今日は放水展示で活躍しました。
最後の水を出し切り、満足して(たぶん)横浜に戻っていきます。

コンテナ貨物船「紫隆丸」

シェイプが実にモダンです。
船名が漢字なので中華圏の船籍かなと思ったらやはり香港の船でした。

コイル状鋼板を積荷にしているそうです。

広島の貨物船「新生丸」
船橋にはJFEのマークがあり、JFE物流株式会社の鋼材船として、
本国内での鋼材輸送を行なっています。

そろそろ横浜港が近づいてきました。
入港を支援する
タグボート「にしき丸」がいつの間にか併走しています。

ベイブリッジの下まで帰ってきました。

このスカイラウンジ(というのかどうか知りませんが)、
見れば見るほどすごいところにありますね。

船好きなら、ここからなら行き交う船を見ながら一日過ごせそうです。
営業している時には知らなかったので行かずじまいでしたが、
再オープンされたら行ってみようと思いました。


ところで皆さん、先ほどから写真がかなりまともになったと思いません?

これはですね。
風の塔を過ぎたあたりから、急激に空が晴れてきたのです。

横浜入港の頃には写真を撮るには絶好の光量となっており、

「せめてあと2時間早かったら・・・」

と悔しく思いました。
素人はいくら良いカメラを持っていても所詮晴れていてナンボ、なのです。

「にしき」さんがお仕事するために接近してきました。

押す仕事ではなく、舫をつないで文字通りの「タグ」を行なっています。

「あきつしま」も入港してきました。

早い時間に受閲を行なってから今までどこで何をしていたのでしょうか。

消防訓練で出演した消防艇「よこはま」も、これがベストショットです。

そして「ひりゆう」さんが堂々の入港です。
(なぜかいつも”さん”付けしてしまう)

それから相当の時間を経て(タグが仕事を始めてから30分後)、
下船が始まりました。

船体に備え付けになったままの舷梯を伸ばし、地上の台の上に設置。

自衛隊のように下にネットまでは張っていませんが、海保の船は
大型船でも舷側から岸壁までの距離が比較的近く、
舷梯も図のような方式で一般人にもそう危険なく降りることができます。

下では海保の方々が敬礼で見送ってくれます。

この日海保の職員さんを見ていて思ったのが、容儀規制に関しては
もしかしたら海自よりかなり緩いんではないだろうかということ。

この写真にもいますが、年配男性でも襟足にかぶるくらいの髪の長さだったり、
手前の若い職員さんのなど、まるでロックバンドのリーダーのような、
サイド刈り上げ後ろロングの斬新な髪型です。

こういうのもつまり「軍隊ではない組織」の柔らかめなところなのでしょう。

(まあそれをいうなら自衛隊も『軍隊ではない』ですがそれはさておき)

この日朝から一日お世話になった「いず」の船首をあらためて見ると、
錨の設置位置からして自衛艦とは違うのに気がつきます。

組織が違うと用途も目的も違い、したがって文化そのものも変わってくる、
ということを目で見て納得した1日といえるかもしれません。

向こうの岸壁にはPM36「おきつ」が入港していました。

このMはミディアム、つまり中型巡視船を意味します。
本日の訓練には参加していない船ですが、横浜の船ではなく、
同じ第3管区の清水から来ていました。

下船してから岸壁でこの日チケットをくださったNさんを見つけ、
(最初にはぐれて以来、初めて会うことができた)
ご挨拶をし、外に向かって歩き出す頃には「ひりゆう」、
「ひりゆう」の外側に「よど」が入港を済ませていました。

この写真を見て気がついたのですが、海保の船名は、右舷であっても
左から読むように表記してあるので、「よど」も決して「どよ」とならず、

「ターャジス」現象(具体的な例を挙げてすみません)

によりイラっとさせられずにすみます(´・ω・`)

横浜防災所を出てから、赤レンガ倉庫までやってきました。

実はこの日チケットをなくし急遽乗り込んだ「いず」で、ばったりと
知り合いに会ってしまい、これも運命かと盛り上がって、その知り合い、
知り合いの同行者と三人で
中華街に夕ご飯を食べに行くことにしたのです。

疲れていたし三人でタクシーに乗っても良かったんですが、
誰いうともなく、バスにも乗らず、中華街まで歩き通しました。

あー、とても横浜らしい素敵な洋風の建物があるー(やる気なし)

知る人ぞ知る神奈川地本は中華街のほとんど中にあります。
その近くで見つけた「横浜最初の下水道管(輪切り)」


総煉瓦造りですが、それでいびつながら円筒を作ってしまうというこの技術。

外国人居留地だったこの辺りでは、1869年(明治2年)から
下水のための陶管の埋設がはじめられ、1879年(明治12年)には
すでに居留地内には下水道が備わっていたということです。

最初は英国人土木技師が設計し、これが日本で初めての近代的下水道となりました。

その後、日本人の設計により、明治20年までに下水道の改造工事が実施され、
レンガ管の下水道が整備されました。

このレンガ管は1981年(昭和56年)近隣の山下町で発掘されたもので、
断面が卵形をしているので「卵形管」と呼ばれます。

この卵型管、今でも横浜中華街の南門通りでは現役で使用されているのだとか。

その中華街南門近くの中華寺には、ポケモンGO信者が集結してました。
この人だかりがポケモンGOであることは、たむろしている人たちの年齢層が
まちまちで、老若男女を問わないことですぐにわかります。

疲れていたのでその近くにあった小さな台湾料理の店に入って行くと、
お客はわたしたちだけ、土曜の夕方なのに最後まで誰も来ませんでした。

「いず」船内では業者が格納庫で売店を出しており、わたしは昼の休憩時に
お弁当を買って食べていたのですが、この時間には流石に空腹です。

台湾風と称する冷麺のようなものを取り、そのあとは三人で元町に行って
上島珈琲店でひとしきりおしゃべりをしてから帰りました。


「海保の出入港作業は(海自に比べて)あまりに遅い」

という感想を聞いたのもこのときです。


ともあれ、わたしにとって初めての海保体験は終わりました。

これまでご縁がなくてほとんどその概要すら漠としていた海保という組織に
これで少し理解の足がかりができたという気がしています。

海自との文化の違いや、その独自の空気などを垣間知っただけでなく、
特に沿岸警備の最前線のために何が行われているかを目の当たりにしました。


次の日観閲式で安倍首相は、

「海上保安庁なくして海洋立国の将来はない。
これまで以上に多くの重要な使命を果たしていくことを期待している」

と当たり前のことを述べたそうですが、ここは挨拶の内容より
麻生氏以来、首相が海保の観閲を行なったのが実に6年ぶりだった、
ということに
注目するべきでしょう。

この6年の間、特に民主党政権が海保に対して「何をしたか」を考えると、
その意味は非常に深い、とわたしは、尖閣のために配備された新鋭巡視艇が
訓練で見せた目の覚めるような駆動を思い出しながら考えていました。


 

海保観閲式シリーズ 終わり

 

 



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3 Comments

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紫隆丸 (お節介船屋)
2018-06-20 20:00:15
日本の内航船のようです。3年前の写真ですので売り払いされたら船名が変わると思います。
下に貼り付けたとおり。
https://blogs.yahoo.co.jp/redkick5963/39045658.html?__ysp=6LKo54mp6Ii544CM57Sr6ZqG5Li444CN
RORO貨物船でブリッジ左舷後部にあるランプウエーからフォークリフト等で鋼材を搭載したり降ろしたりしますのでRORO船と呼ばれています。
25年前の建造ですが恰好は斬新です。
返信する
ありがとうございました (Unknown)
2018-06-21 05:32:47
ありがとうございました。巡視船。護衛艦とはいろいろ違いますね。下船時のお見送りは桟橋でやっています。

実際に巡視船に乗ったことはないのですが、停泊しているのを見る限り、自衛隊のように舷門当直はいないというか、舷門という発想自体がないようで、商船のように誰でも素通り出来ます。

いずの繋留後とひりゅうを横付けしているお写真を見る限り、もやいですが、船首側の上り止めは取っていないように見えます。上り止めは護衛艦とか商船とか関係ないと思っていたので(汗)
返信する
みなさま (エリス中尉)
2018-06-21 20:39:09
お節介船屋さん
RORO船!「ローローせん」って読みんですね。
なんの略かと思ったらroll-on/roll-off ship。名称からして初めて知りました。

unknownさん
こちらこそ大変深い非公開コメントで色々考えさせていただきお礼を申し上げます。

下船時のお見送り、そういえば降りるところにはいなかったですね。
おっしゃるように「舷門」という概念が海保にはないみたいです。

とにかくこのことを始め、海自の艦艇の方にはわたしたちが見ているのとは
別のものが見えるのだなとunknownさんの一連のコメントを読むと思いました。
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