ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

「ある軍曹の日記」から「我らが生涯の最良の年」へ〜兵士と水兵のための記念博物館@ピッツバーグ

2021-02-18 | 歴史

                Harold Russell

ピッツバーグの「兵士と水兵のための記念博物館」の展示から、
前回は南北戦争と第一次世界大戦で負傷した場合の戦場での手術、
イコール手脚を切り落としてしまうという当時の治療のスタンダードと、
四肢を欠損した元兵士たちを取り巻くものごとについてお話ししました。

続いてのコーナーでは第二次世界大戦以降に、それらの医療が
どのように変化していったかどうかについての展示から始まります。

■ パープルハート名誉戦傷章

ケース全体が紫色で彩られているのは、負傷した軍人に与えられる
パープルハート勲章のリボンの色をあしらっているからです。

パープルハート章は、アメリカの「名誉戦傷章」です。
戦闘を含む作戦行動によって死傷した兵士に対して与えられます。

 

 

ケースには戦傷で四肢を失った人のための義足が展示してあります。
膝から下、腰から下全部、パラリンピックで見たことがあるような
メカニカルな最新式。

前回ここで触れた南北戦争の負傷兵ハンガーが起こした会社、
「ハンガー」の義手義足などもあるに違いありません。

何の写真かと思いましたが、朝鮮戦争での一コマです。
説明によると、この戦争は冬の間、写真のような状況に置かれた
多くのアメリカ兵が凍傷で手足の指を失いました。

これも戦傷には違いありませんが、パープルハート勲章はもらえません。

義耳、義足、手指義手。
ちなみに現代ではシリコーンという素材の登場によって
ここまでリアルな再現ができるようになりました。

SATOGIKEN(装飾義手メーカー)

指にはネイルアートもすることができるんですね。

第一次世界大戦の後、顔の欠損部分に装着したのは
見た目も不自然な素材(木とか粘土とか)でしたが、
シリコンによってかなり自然な外見の緩和が可能になりました。

写真は顔の右上部と鼻です。
しかし、ここに展示してあるものは現代のものよりまだ不自然です。

義手、義足を動かすための金具。

このコーナーでは、「イラクの自由」作戦で腕を失った

ドーン・ハルフェーカー
Dawn Halfaker陸軍大尉

が紹介されていました。

ハルフェーカー大尉は「イラクの自由作戦」において
ミリタリーポリスとしてイラク警察の再建任務を遂行していまいた。

これは、イラク人と協力して、彼らを訓練しつつ、警察署の安全を確保し、
武装勢力から活動地域を保護するという任務でした。

ある日のパトロール中、彼女の乗ったハンビーが待ち伏せに遭い、
彼女はロケット推進の手榴弾を投げられ、腕を失いました。

彼女は当時25歳。
もう人生は終わったと考えました。
スターバックスに並んでコーヒーを買ってきて
ドアを開けることでさえ、彼女の心を悩ませる心配事となりました。

しかし、彼女はその後心機一転、テクノロジーソリューション企業、
Halfaker and Associatesを興し、会社は並外れた成功と成長を達成しました。

彼女はもちろんパープルハート章を受賞していると思いますが、
彼女の履歴にはそのことは出てきません。



■ 「ある軍曹の日記」

まず、お時間のある方は、次の短編映画(上映時間22分)をご覧くだされば
説明を費やさずともこの人物の立場がお分かりいただけると思います。

Diary of a Sergeant - WWII FILM from BEST YEARS OF OUR LIVES 27680 HD

ハロルド・ラッセル軍曹は1944年6月6日、ノースカロライナ州のマッカールキャンプで
TNT爆弾の爆発で両手を失いました。

事故後フックのついた義手を受け取り、トレーニングを始めたとき、
彼は陸軍が戦闘で四肢を欠損した兵士のために制作した

「ある軍曹の日記」

というこの短編映画に出演しました。
この映画について「陸軍のプロパガンダ」と説明している媒体もありますが、
観たところこれは、というより「ガイドライン」に近いのではないかと思われます。

Diary of a Sergeant (1945)

それではさくっと映画の内容について説明しておきましょう。
爆薬の事故で両手を失ったハロルドが、両手を牽引された姿でベッドに横たわり、
事故について回想するこのシーンから始まります。

両手があった頃の思い出に耽りながらつい涙を浮かべるハロルド。
看護師が彼の口にタバコを加えさせ吸わせています。

「タバコも一人で吸うことができない」

そもそも病室でタバコっていうのがアリな時代だったんですよね。

「Dデイの上陸で負傷した怪我ではない」ため、
「パープルハートをもらえるわけでもない」

「ただ手を失っただけ」

と絶望するのでした。

同室は全員が手か脚を片方、あるいは両方失った患者ばかりです。
まず彼らは義手をつけて通常の生活を営んでいる人の映画を観て、
そののち、専門家による測定を受けます。

義手を調整するスタッフは全員が軍人です。

Diary of a Sergeant – The Unwritten Record

そしてフックのついた義手が装着されました。
事故が起きて初めて彼が自分の「手」で持ったものは鉛筆です。

Diary of a Sergeant, 1945 - YouTube

しかし、牛乳の瓶などを持つためにはコツと訓練が必要です。
義手のフックは反対側の肩の筋肉の動きで開閉させることができます。

彼はその仕組みを「潜水艦の潜望鏡と同じ」といっています。

いろんな形の素材の違うものを持つ訓練が行われます。

Diary of a Sergeant – The Unwritten Record

続いて生活に必要なシチュエーションを想定した訓練です。
電話、コインをスロットに入れる、コーヒーカップを持つ、
窓を開ける、ドアのノブを回す、ブザーを押す、チェーンを引っ張る・・。

健常者が何も考えずにやっていることのなかには、
義手にはとても難しいことというのがたくさんあるのです。

車の運転はもちろん、パンクの修理まで練習しています。
昔は必須だったんでしょうね。

This Disabled WWII Veteran Was the Only Actor to Win 2 Oscars for the Same  Part | Military.com

そしてハロルドが帰郷する日がやってきました。
若い女性の隣に座ることを、彼は彼女を脅かさないかと恐れますが、
生活にも慣れ、故郷のボストン大学で学位をとるために通学を始め、
そして最後にはついにデートをする様子も描かれます。

ちなみにデートの時、彼は制服をバリッと着て髪をなでつけて行きますが、
制服はボタンではなくベルクロ留めの仕様にリメイクしています。

最後のシーンは、入院中は看護師に書いてもらっていた日記を
自分自身でペンを持って書き込み、未来に希望を持っている彼の姿です。

■ 「我等の人生の最良の年」への出演

さて、ところで、映画ファンの皆さんであれば、
ウィリアム・ワイラー監督の「我等の生涯の最良の年」という映画について
ご存知からあるいはご覧になったことがあるかもしれません。

「死ぬまでに見たい映画」にもリストアップされている名作です。

The Best Years of Our Lives (1946 poster).jpg

第二次大戦から福音してきた三人のもと元軍人たちが
故郷で直面する様々な社会問題、そして家族との問題。

このポスターにはどういうわけか帰還兵のうち
二人しか顔写真が出ていませんが、この一シーンをご覧ください。

航空母艦乗組の元海軍水兵で、撃沈された時の火傷がもとで
両手を義足にしているという設定の登場人物、ホーマー。

このひと、さっきのリハビリ映画の主人公のラッセル軍曹なのです。

この映画の撮影が始まる直前、ワイラー監督が(おそらく)
負傷兵についての実態を知るために軍を訪れてこの内部啓蒙映画を観たところ、
ホーマー役はこのラッセル軍曹がぴったりだ!と惚れ込み、
すでに決まっていたホーマー役を下ろしてラッセルをキャスティングしたのです。

最初の脚本ではホーマーは脚を失ったという設定でしたが、
(それであれば俳優が健常者でも演出で障碍があるように見せられる)
ラッセルに合わせて細部は書き換えられました。

ラッセルは啓蒙ビデオに描かれていたようにボストン大学に通学中でしたが、
撮影のために一時中止し、終了してから復学して経営学の学位を取っています。

彼はホーマー役でそれまで演技の経験が全くなかったにもかかわらず、
アカデミー助演男優賞、アカデミー名誉賞を受賞しました。

本物ではないと思いますが、彼が受けたアカデミー助演男優賞のトロフィーです。

彼がアカデミー賞を受賞したのは、演技の素晴らしさというより、
彼の戦傷退役軍人という立場にアメリカ映画界が敬意を表したと見られます。
わたしには少なくとも彼のセリフや演技がうまいのかどうか判断できませんが。

そして、アカデミー賞とは別枠で、

「全てのヴェテランたちに希望と勇気をもたらした」

ことにより名誉オスカー章を授与されています。

彼はボストン大学にもどったあと、退役軍人会のCEOを務め、
また、二本の映画、そして二本のドラマにいずれも退役軍人という設定で
出演しています。

 

余談ですが、1992年、ラッセルは2度目の妻の病気の治療代を捻出するために、
オスカーのトロフィーをオークションに出し、世間の非難を受け、
アカデミー賞の発行元?である映画芸術科学アカデミーAMPASはこれに反対しました。

このとき、彼は、

「なぜこのことを批判する人がいるのかわからない。
妻の健康は回顧や感傷のための思い出より遥かに重要だ」

と反論しました。

AMPASはトロフィーを換金することを授与者に禁じていましたが、
その契約への署名が行われるようになったのは1950年以降だったので、
ラッセルの受賞はその前だったということで規定は免除されました。

 

続く。

 

 

 



最新の画像もっと見る

1 Comments

コメント日が  古い順  |   新しい順
整形・成形外科 (ウェップス)
2021-02-19 07:55:51
 アメリカ版「典子は今」ですね。
 四肢切断は「マスターアンドコマンダー」や「沖縄決戦」などでも描かれていますし、「ジョニーは戦場へ行った」「キャタピラー」といった告発系作品の好個の材料でもあります。
 米軍では、戦傷の治療のため整形・成形外科が充実しており、スキル維持のために軍病院で軍人や家族が無料で整形手術を受けることができる、と聞いたことがあります('ω')

post a comment

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。