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9月11日公開 映画「ミッドウェイ」試写会 その1

2020-07-17 | 映画

今秋公開予定の「ミッドウェイ」試写会参加の話をいただき、
公開に先駆けて観てまいりました。

奇遇にも去る6月4日から当ブログでは「ミッドウェイ祭り」を開催し、
1974年版映画「ミッドウェイ」について語ったばかりです。
特に最近、ともすれば時間と共に薄れてしまいがちな記憶もまだ新しいうちに
2019年版を観る機会をいただけるとはなんという僥倖でしょうか。
わたしは思わず心の中でつぶやきました。

「うむ、今なら大丈夫」

何が大丈夫かというと、今ならばミッドウェイ作戦について
かなりのディティールと全体的な流れががっつりと頭に入っているので、
映画と同時進行でツッコミが入れられるであろうという自信です。

逆にいうとこの試写会がブログ作成前であれば、結構な情報を
気づかずに見過ごしてしまったに違いありません。
その意味でもこのラッキーな機会をいただくきっかけとなった方には
心から感謝を申し上げる次第です。

 

会場は前回「空母いぶき」の試写会場だった六本木の「キノフィルムズ」。
ミッドタウン(つまり旧防衛庁跡ですね)の道を隔てて向かいにあります。

ちなみにミッドタウンの道路に面した部分はよくドラマのロケで登場人物が
偶然の出会いをしたりナンパされたり(笑)するときに出てくるおなじみの場所です。

試写会は時節柄マスク着用義務、席を空けて座ること、体温チェックを行う、
入り口で手指消毒を行うなどの諸注意が主催者側から事前に回ってきており、
上映後キノフィルムズの方に伺ったところによると、試写会も従前とは違い
収容人数を少なくするため開催日数をその分増やしているということでした。

 

というわけで、「空母いぶき」のときよりも気合を入れて臨んだわたしですが、
実は事前に試写会メンバーとして紹介してくださった方から
こんな情報を得ており、かなり身構えていたのです。

「中国資本ハリウッド映画なので批判が多いです」

うーむ・・・。
わたしそれでなくても明らかに中国ヨイショのあからさまな資本流入が透けて見える
キャスティングやストーリーにイライラしていたんですよね。
(スターウォーズの誰得な中国系女優とか、オデッセイの”綺麗な中国(笑)”とか)

しかもそのときちょうどアメリカでこんなニュースが報じられたばかりでした。

中国当局の検閲を受け入れるハリウッド映画界 
米議員、政府協力停止の法案提出

リンク先を読んでいただければわかりますが、最近のハリウッド映画は
中国市場で成功を収めるために、中国共産党の検閲に従い、
また、中国企業もそれを目的にハリウッドに投資を行っているのです。

ニュースは、この結果すっかりつまらなくなってしまったハリウッド映画を
中国共産党の「魔の手」から取り戻そう、と考えるアメリカ人の一人であるらしい
テッド・クルーズという上院議員がこれらを禁じる法案を提出したというもの。
議員が動くほど目に余るということになってきたんでしょう。

ただ彼ら(中国)の巧妙なところは、この「ミッドウェイ」のように、
プロデューサーを全員中国系にして色々とぶっ込んでくるくせに、
自分たちは決して表に出ないってことですね。

パンフレットを見ても、スタッフはほぼ全員白人系アメリカ人であり、
ぱっと見ハリウッド映画のていを保っているのがポイントです。

そして案の定今回の「ミッドウェイ」の内容にも
中国制作発と思われる表現が巧妙に仕掛けてありました。

「空母いぶき」でご意見番として同行いただいた関係で、
今回も招待者側からわざわざ御指名により参加していただいた
当ブログおなじみunknownさんは、上映後キノフィルムズの方と話していて

「クレジットに中国人スタッフが多い割にはそれほど偏った内容ではなかった」

というふうに評価されていましたが、わたしはむしろ、
日本人ですらそう思わされてしまう巧妙さに舌を巻く思いでした。

もう少し後でその点にも触れますが、そう思わせておいて、
実は彼らの目的である「仕掛け」がされている、とわたしは感じ、
そのことはエメリッヒ監督以下ハリウッドのスタッフが
志をもって作り上げた映像や、映画のできそのものに対し、
大変良かった、いう正直な評価をくだした今もまったく変わることはありません。

 

帰宅後、試写会にお誘いくださった方にお礼のメールをしたところ、

「私以外の方は好意的で、見る目がないと自省しております。」

という返事をいただいたのですが、わたしのこの映画に対する評価が
好意的であるのはあくまでもハリウッド製作陣の「志」に対してであって、
むしろ感情的な部分ではこの方と全く意見を同じくしている、
といっても差し支えないかと思われます。

適切な例えかどうかわかりませんが、

坂本龍一(宮崎駿、桑田佳祐でも)の作品を純粋に愛しているが
その政治発言とその立ち位置には全く共感できない

というのと似ていると考えていただければいいかもしれません。

それだからでしょうか。

映画を当ブログで取り上げて評論するとき、おのずと自分の心情は
映画の意図に共感しようと好意的になるのが常ですが、正直なところ
この映画に対しては、どうしてもそういうわけにはいきませんでした。

そこで、

「それはそれ、これはこれ」

な大人の態度に自分の身を置くことにしました。

いっそ「パールハーバー」のように盛大にやらかしてくれた方が
思いっきりやれたのに、という気がしないでもありません(笑)

 

 

監督のローランド・エメリッヒはアメリカ人ではありません。
ハリウッドに招かれて「インディペンデンスデイ」など、
大作をヒットさせてきたドイツ人で、「Godzilla」も手掛けました。

エメリッヒがドイツ人であることはこの映画にとって大きな意味を持ちます。
というのは、エメリッヒ自身が

「ドイツ人としての責任を持って日米双方への平等な視線から見た
ミッドウェイ海戦を描き、戦った人たちへの敬意を表す」

と語っていることからも明白です。
20年間このテーマを扱うことを構想していたというだけあって
個人の表現において不公平だったり印象を歪めたりといった
恣意的な方向付けや角度は感じられず、アメリカでは公開後これに対し

「日米双方を公平な視点で描いているのが何より素晴らしい」

という評価があがったということです。
ただ、わたしに言わせれば、それはアメリカ人から見ての評価です。

エメリッヒの高い志は随所に見えますが、それでも実際は
プロデューサーという名の中国共産党の代理人との間に
結構な攻防戦があったのではないか、とわたしは勘繰っています。

ゲスの勘ぐりってやつですかね。

1974年版では「主人公」というべき人物はガース大佐という
架空の人物で、やはり架空の息子とその日系人の恋人、という
サイドストーリーが映画に色を添えていましたが、
本作には基本的に架空の人物はいません。

一種語り手のようなポジションで登場するこの人物は
情報主任参謀だった
エドウィン・レイトンEdwin Layton1903-1984です。

なぜまたこんなマイナーな人物を、と思いましたが、
日本に駐在武官できていたときに山本五十六と交流があったことと、
それからミッドウェイ開戦前から日本の攻撃を正確に予測していたという史実によるものでしょう。

主人公の一人がパイロットというのは74年版と同じです。
ディック・ベスト Richard Halsey Best(1919-2001)
ミッドウェイ海戦で「エンタープライズ」の爆撃機隊長として

「1日に二隻の空母(飛龍と赤城)を沈めた」

とも言えないことはない?という評価をされているパイロットです。
ベストが映画で俳優によって演じられたのは今回が初めてだそうですが、
実物は凄みのあるエド・スクラインとはかなり違いずっと温厚そうな青年です。

映画では彼を凄腕のパイロットとして描くことよりも、
叱咤激励して一緒に飛んだ部下が亡くなったことを気に病むといった、
指揮官として苦悩する人物であることが強調されます。

 

戦争映画にはつきものの女性は、この映画ではレイトンの妻、
そしてベストの妻が夫の身を案じる銃後の女性として登場。

アン・ベスト(マンディ・ムーア)

ベストの妻は上官のマクラスキーに夫の処遇について食ってかかって
ドン引きさせていましたが、気丈に振る舞いながら、夫の安否を案ずるときも
人目をさけて洗面所に駆け込み一人で泣くというタイプです。

 

ところで、このマクラスキーとベストの妻が同席になるのが
ハワイのオフィサーズクラブという設定ですが、後でunknownさんが
オフィサーズクラブなのに客に下士官がいて大変違和感があった、
とツッコんでおられました。

今でも士官と下士官は全く別のクラブがあり、その分離は厳格にされていますが、
どうしてこの映画では誰もそのことを指摘しなかったのか不思議です。

といいつつ、わたしはこのシーンでステージの歌手が歌っていた

「All Or Nathing At All」

というスタンダードナンバーの歌詞、

「全てかゼロか、どっちかよ
その真ん中の愛なんてわたしにとって意味ないわ」

というのを「ミッドウェイ」(中途)に掛けているのかなどと
一生懸命考えていたので、全くそのことに気がつきませんでしたが。

All Or Nothing At All

ちなみにこの歌は、エンディングでも現れるので、
何らかの意図があって選択されていることに間違いありません。

今回の「実物に似ているで賞」特別賞を差し上げたい、
チェスター・ニミッツ役のウディ・ハレルソン

映画の最後に俳優の映像が実物の写真に代わり、
「その後この軍人はどうなったか」が説明されます。
わたしが好きなエンディングのパターンですが、だいたい実物は
俳優と大幅に違うのが常で、特にレイトンなど異次元ってくらい似てなくて、
思わず全然似てないやないかいと関西弁でツッコミを入れたくなるほどでしたが、
ニミッツだけは本物に変わっても全く違和感ないくらい似てました。

チェスター・ニミッツ - Wikipedia本物

1974年版「ミッドウェイ」でニミッツを演じたのは、
御大ヘンリー・フォンダでしたが、この映画はとにかく
偉い俳優に偉い軍人を演じさせるというキャスティングだったため、
本人に全く似ていないどころか、皆年齢が本物より行き過ぎていて
その点が不評を買ったと聞きます。

ここだけの話ですが、ヘンリー・フォンダって、正直なところ
口元があまり上品でないせいでお利口そうに見えないので
ニミッツ役にはいまいち、と思っていた(実はニミッツ好きであるところの)
わたしも、この配役には満足でした。

ところで今回ニミッツのシーンでおもしろかったところがあったので
ネタバレ上等で書いちゃいますが、レイトンに案内されて
情報部にニミッツが立ち寄るんですね。

室内に人がごった返す情報局の忙しい様子を見て、

「どうして情報部にこんな人がたくさんいるんだ」

「真珠湾で艦を沈められた軍楽隊の隊員です。
通信を聴きとるのは音楽家ですから皆得意です」

コロナで音楽関係の「不要不急」な仕事は全部なくなってしまった、
という話を直前にunknownさんとしていたことを思い出しました。

そのあと、ニミッツは例の何とかと紙一重の天才、ロシュフォール大佐から
(映画ではロシュフォードと発音していた)
日本軍の通信に頻繁に出てくる例の「AF」について、

「これが次の攻撃地に違いない」

という情報を聞かされるのですが、この時点では半信半疑なわけです。
そして正確な言い回しは忘れましたが、こんなことを言うのでした。

「スリッパ男やチューバ奏者のいうことは信用できない」

終始静かな試写会会場で思わず声に出して笑いたかったシーンでした。

ちなみにロシュフォール大佐役はかなり実物の雰囲気に近く、軍服の上に
汚らしいガウンを羽織ってスリッパを履いただらしなさそうなおっさんでした。

何でもロシュフォール大佐、お風呂も入らないせいでいつも臭かったということなので、
ニミッツがそのことを指摘するかどうか、わたしはドキドキしながら聞いていたのですが、
ついに最後までそのことには触れずじまいでした。

うーん、残念。って何が残念なんだ。

 

次回はわたしと全く違った視点で映画を観ておられたunknownさんのご意見も
紹介させていただきたいと思います。

 

続く。