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「現在三浦半島横断中、時速1キロ」〜映画「青島要塞爆撃命令」

2020-07-02 | 映画

以前、軍艦香取征戦アルバムシリーズについて当ブログで扱ったとき、
「香取」をその一員とする日本海軍が第一次世界大戦にどうかかわったか
お話しする中で、話題になったがこの映画です。

戦争活劇という言葉が生まれるほどその手の映画が盛んだったこの時代、
第二次大戦ではなく第一次大戦を扱ったものは珍しく、
なかなかいい目の付け所ではないかと思ったものですが、
先日来、スミソニアン博物館の「第一次世界大戦の航空」シリーズで
関係資料を読んでいるうち、日本軍の青島攻略の話題がでてきたので、
今回の映画シリーズのネタに選ぶことにしました。

ブログで話題になったときに早速取り寄せて一度観たのですが、
スミソニアンのシリーズで第一次大戦の航空について、
少しではありますが知識も増えた状態でもう一度見ると、
前回にはピンとこなかった部分が明確になるのを感じました。

特に戦争ものは多少なりとも知識を得ているのとそうでないのでは
はっきりいって楽しみは大きく違ってきます。
この作品は活劇部分を楽しめば予備知識などなしでもいけますが、
前回ご紹介した「ミッドウェイ」などは、かなり詳しくないと

「ああ、あのことをこの映画ではこう表現しているのか」

と答え合わせするような快感は得られず、むしろ退屈でしょう。

青島攻略戦とは

さて、というわけで、この映画の解説に入る前に、少々退屈ですが、
第一次大戦の青島攻略について説明しておきます。

第一次大戦が勃発した当初、日本は中立の立場を望んでいましたが、
イギリスの同盟国の立場で参戦を余儀なくされます。

というのは表向きで、実は日本はドイツ租借地であった青島を中心とする
膠州湾を占領し、山東鉄道などのドイツ権益を我がものにするため、
虎視淡々と準備をしていた、というのが本当のところです。

イギリスは、海戦当初シュペー艦隊、ドイツ太平洋艦隊を取り逃すという
ミスを犯していたこともあり、戦地を限定して日本に参戦を要求。

これに対して日本は、いや限定でなく全面参戦させよと言い張り、
出る釘を打ちたいイギリスは渋りますが、最終的に折れ、
日本は8月15日にドイツに対して最後通牒を発しました。

本作でも登場するビスマルク要塞、モルトケ要塞、イルチス要塞などを
攻略するための陣地構築を、上陸した日本軍は1ヶ月かけて行い、
天長節(天皇誕生日)である10月31日に総攻撃を開始します。

28サンチ榴弾砲などの巨砲を用いて前線部隊は総攻撃開始から
1週間後の11月7日にはビスマルク砲台などを占領し、
11月16日に日本軍は青島要塞を攻略することに成功したのです。

ちなみにこの時のドイツ軍捕虜に対し日本軍は大変人道的な扱いをし、
そのことは映画「バルトの楽園」でも描かれています。

■海軍の作戦協力

海軍からは、旧式軍艦で編成された第二艦隊(旗艦『周防』)が出動し、
膠州湾の封鎖、掃海、そして陸上作戦の砲撃支援などを行っています。

このとき、巡洋艦「高千穂」がドイツ水雷艇の魚雷攻撃によって
搭載していた機雷が誘爆し、瞬時にして沈没し、生存者3名、
という被害に遭っています。

海軍の戦死は295名と決して少なくありません。

この映画にも描かれたように、海軍から、そして陸軍からも
初めて戦場に飛行機隊が進出することになりました。

その時実際に起こったことも多少映画には反映されているようです。

という前置きをしたうえで、始めていきましょう。

タイトルは、映画関係者が「パレ赤」と呼んだところの、
本作監督古澤憲吾こだわりの真っ赤な文字で現れます。

なんとなれば「パレンバン帰りのパレさん」というのが古澤のあだ名で、
そのパレさんが旭日の赤を使うことに執着したため、
現場の美術が特別に配合し作られた「こだわりの赤」なのです。

「パレさん」の由来は、本人がパレンバン空挺降下作戦に参加した、
と言い張っていたからですが、以前調べたところ、このわたしにすら
時系列が矛盾だらけであることがわかるほどで・・・・・つまり、
「本人が言っているだけ」でした。

今みたいにいろんなことがインターネットで数秒後にわかってしまう時代と違い、
当時は本人がそういえばそうなんだろう、
ってな感じだったのでしょう。

海軍にいたはずなのになんでパレンバンなんだよ、というツッコミは
だれも気を遣ってしなかったものと思われます。

青島を攻略中の第二艦隊司令、加藤長官を演じるのは安定の藤田進

実際の青島攻略戦はあくまでも上陸した陸軍の砲撃が主体でしたが、
映画なので、海軍が軍艦で攻めあぐねている様子が描かれます。

「軍艦ではどうにもならん!」

「他に何があるんです?」

「ある!」

相変わらず意味不明の会話ですが、それが航空機というわけですねわかります。
にしても艦隊司令と参謀の会話じゃねーよこれ。

場面は変わってここは横須賀、追浜の海軍航空研究所です。
青島の出撃要請を伝えにきた村田参謀(田崎潤)ですが、
留守番はなぜか候補生に任されています。

兵学校の生徒がなんでこんなところにいるんだって話ですが、
何しろこの頃は飛行機の黎明期でもあるので、江田島にも
航空の養成機関がなく、志望者(一人しかいない)も
現場に行くしかなかったのかもしれません。(知らんけど)

実際、青島攻略の頃、海軍の所有機は12機、操縦者に至っては
わずか11名しかいなかったので、部隊編成どころではなかったのです。

ちなみに、陸軍は16機、操縦者は14名が在籍していました。

「東京湾一周訓練で全機出動しております!」

「全機?たった2機しかないじゃないか」

追浜基地の飛行機部隊所属機はこの2機のモ式ロ号水上機

正式には海軍が制式採用しモーリス・ファルマン式大型水上機といい、
横須賀工廠でその後量産されました。

撮影は実物大モデルを実際に残されていた飛行機から図面を起こし、
グライダー専門の職人が組み立てたものを使っています。
飛行中のシーンは一部を除き模型による特撮です。

  

「2号機はどうした!」

「はあ、様子を聞いてみます」

いうなり偵察員の国井中尉(加山雄三)は立ち上がってラッパを吹き鳴らします。
なんとこれが当時の通信方法だったんですか。

こちらは真木中尉(佐藤充)二宮中尉(夏木陽介)の2号機。

「おい、調子はどうかって」

「よしきた!」

いうが早いか進軍ラッパを・・・。

「ほー、ご機嫌らしいですよ!」

これで意思疎通できるっていうのもすごいけど、それにしてもこのノリ、
ものすごく既視感があるような気がしたら、
「今日もわれ大空にあり」の冒頭じゃないですか。

「おいみんな、調子はどうだ」

「爽快爽快!」

「大いにハッスルしとります」

「それならいっちょいこうか!レッツゴー!」

「地球を蹴っ飛ばすぞ!」

こんなでしたよね確か。
監督も同じだし、出演者もほとんど同じだし、なんといっても
「今日もわれ」の制作は1964年と本作の翌年なのです。

しかし空中で吹いているラッパにエコーがかかっているのはいかがなものか。

帰投してきた飛行機の上陸はこのようにして行います。
全て人力なのね。

降りてきた国井中尉に庄司候補生(伊吹徹)

「わたしはいつ飛行機に乗せていただけるんでありますか!」

「仕方ないさ、飛行機は2機で乗り手は5人なんだから」

しかも庄司は候補生の身分だったりしますし。

「誰か一人病気にならないかな」

君は何を言っておるのだ。

そこに一緒に訓練に出かけたはずの2号機から電報がきました。

「ただいま三浦半横断中。時速1キロ」

「なにー?」

本作で最も多くアップになるのが池部良です。

2号機バードストライク?で不時着し、陸路でご帰還中。

それにしてもこのノリも「今日もわれ」で覚えがあるというか。
冒頭三橋達也扮する新任の隊長を、警官が捕まえて、

「あんた今何キロ出してた?」

「1200キロ」

「せんにひゃっきろ〜?」

あれだよ。面白くもなんともないあのノリ。
ちなみにどちらも脚本はすべるギャグでおなじみ須崎勝彌です。

帰るなり隊長から青島行きを宣言されてびっくり。

「ビスマルク要塞を爆破するんだ」

この段階でここまで限定する作戦ってあり?

生まれたばかりの赤ん坊に走れというようなもの、とためらいつつも、
要請を断れば飛行隊がお払い箱になりかねん、と衆議一決し、
総員5名の飛行隊は青島行きの船に乗り込みました。

まあそもそも命令なんで本人たちの意思はこの際関係ないんですけどね。

日本海軍が運用していた水上機母艦「若宮丸」に扮するのは実際の貨物船。
「若宮丸」は実際にも青島の戦いで世界初の海上空襲を行いました。

もう一度言います。世界初です。日本初ではありません。

別の言い方をすれば、「若宮丸」こそが史上初の航空母艦だったのです。
(検証しておりませんのであしからず)

 

水上母艦としての改装工事を受ける前は郵送船でした。
航空機は前後甲板に各一機ずつこのように搭載することができ、
その他にも格納所に分解した2機の飛行機を載せることができました。

おなじみ平田昭彦の役どころは吉川大尉ということですが、
「若宮丸」の艦長は大佐のはずなので、どうも役職がわかりません。

搭載した水上機は格好の洗濯物干場になっているのでした。

航空部隊の到着を待ちかねていた艦隊本部。

手旗信号が本職のスピードで振られています。

「トウジョウイン キタレ」

着任挨拶する航空隊の4名(プラス候補生)。
後にも先にも彼らが第一種軍服で登場するのはこのときだけです。

さすがに監督(古澤)も脚本家(須崎)も海軍出身だけあって、
彼らの敬礼はちゃんと海軍式(しかも全員が揃っている)です。

「どうだ、立派なもんだろう」

「さすがは旗艦周防の12インチ砲ですね」

撮影は横須賀の「三笠」艦上で行われております。
青島という設定なのに、画面にははっきりと江ノ島が写っているのはご愛敬。

「ところがこれでは手も足も出んのだ」

そして花火見物のように艦上からビスマルク砲台の砲撃を眺めながら、

「どうだ!ビスマルク砲台の正体はこれだ!」

いや、正体って言われても・・・砲台は砲台でしょ?

いよいよ偵察に飛ぶ日がやってきました。
候補生の庄司は機関室に行って煉瓦を叩き壊し、強奪していきます。

「何をするんですか!」

「説明している暇はない!」

そう言っている間に「爆弾の代わりに飛行機に積む」って説明できるだろ。

搭載するのはレンガと五寸釘、包丁にピストル。
おっと、偵察なんだからカメラもね。

水上艇を発進させる作業が始まりました。
なんと、飛行機の上に人が立って笛を吹き誘導しています。

水上機はデリックでこのように海面に下ろして発進させます。
よく見ると、長い棒で機体を押す係の人もいます。

掃海艇からS-10など掃海具を下ろすところを見たことがありますが、
まったくこれと同じ感じの作業でした。

まだこの時点でも人が乗っているのに注意。

本物のデリック(可動可)まで作ってしまったというこの豪気なこと。
相当お金かかってます。

佐藤・夏木の2号機コンビ、そして候補生はもちろんお留守番です。

史上初の空母運用機が実戦で出撃した瞬間でした。(たぶん)

飛行機の上に立って誘導していた人はどうなるんだろうと思ったら、
飛行機を吊っていたデリックの索につかまったまま
手を振ってお見送りしています。

「若宮」は大戦勃発の年に水上機母艦に改装されています。
これが日本の参戦を受けてからではないということは、日本は
それなりに青島攻撃の準備を前もって行っていたということかもしれません。

もちろん偶然かもしれませんが、だいたいこういうことには
先の状況を読んでいないと国としても予算も投入できないわけでね。

 

「若宮」は青島攻撃の頃はまだ海防艦に編入されていなかったので、
平田昭彦の役どころは艦長ではなく、指揮官ということになります。

史実によると青島攻略戦当時の若宮丸指揮官は猪山綱太郎 中佐
以降艦長職は大佐か中佐となるので、平田の役の「大尉」は考証の間違いとなります。

 

続く。