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日本海海戦~砲郭(ケースメート)後半

2013-05-15 | お出かけ




砲郭についての話、後半です。
この記念艦三笠内砲郭の模型について別角度から見ると、
右に弾を持った補充係がいます。
後の4人は全員弾薬庫まで走って弾を取りに行っている途中。
(と言う設定)

前半に続き、砲郭に勤務した下士官兵に焦点を当てた
映画「海ゆかば 日本海大海戦」を例に引きながらお話ししましょう。


ところでこの映画で佐藤浩市が演じる「ジャクリ狼」の大上三曹。
貧農の出身で、身売りする弟に思いを寄せるという過去があり、
軍隊内で金貸しのようなことをして皆に嫌われ、おまけにジャクっていた、
つまり出世が遅くて拗ねていた、という設定です。

しかし大上三曹、配置は砲員長の大役です。
三曹で砲員長。
これ、別に遅いわけではないんじゃないんでしょうか。
砲郭に配される兵を指揮するのは、冒頭写真を見ても
下士官であるらしいことはわかりますが。

大上三曹が「ジャクって」いたのは、本来ならばもっと出世するはずの、
飛びぬけて優秀な男だったのに、ということでしょうか。

いや・・・しかし、この下士官、
どうみても出世が遅れてジャクッているというわりには若すぎる。
だって、1983年当時の佐藤浩市ですよ?まだ22歳よ?

この若さで三曹とはいえ下士官。
この「下士官の出世と年齢」について調べてみたのですが、
将校についてはいくらでも資料があるのに、下士官兵については
ほとんどインターネットに上がってくる情報はありませんでした。

なので断言はしませんが、これ、ただ「ジャクリ」という海軍用語を
どこかに使いたかっただけではないのかという疑いが・・・。





「海軍の習慣を映画に盛り込むために意図して入れたシーン」。

ネッチング(ハンモックをロープで縛りあげる動作)を見せるためだけに、
沖田浩之にそのやり方を完璧マスターさせたと思われます。


ここは見たところ砲郭ではありませんが、実際には砲員は砲郭内にハンモックを吊り、
毎日こうやってネッチングで床を片付けました。
ネッチングしたハンモックはまた安全クッションのようにあちらこちらに配され、
砲弾の破片から乗員を守る役目に使われました。

まさに職住一体というやつ?



ネッチングしたハンモックの使用例。
あっちこっちにクッションと化したハンモックが巻かれています。
ひとつひとつが皆の寝床であったとは・・・・・。



そしていよいよ「三笠」が呉を出港するときのケースメートの皆さん。
なんと砲員は砲郭のスリットから外を見るだけ。
持ち場から離れることはできなかったということですが、いやいや、

君たちは、まだましだ。(笑)

なぜなら左舷砲郭が持ち場だから。

三笠には、あたりまえですが右舷にも砲郭があって、こちらが持ち場の砲員たちは、
見送りの人々すら全く観ることができないまま出港を迎えるわけですよ。

一番後ろの髭の砲員がぴょんぴょん跳ねながら外を見ているこのシーン、

「砲員は帽振れもさせてもらえないとは、なんて気の毒なことよ」

と哀れに思いつつ見たあの頃のわたしはフネについて何も知らなかったのでした。
まあ、今も知らないっちゃ何も知りませんが(真剣)




そのうち廃止になる運命だけあって、この砲郭というシステムには問題がありました。
即ち、戦闘になったときに稼働する砲郭は一方だけであることが多いのです。
もちろん両側から攻撃されたらどちらもが応戦するわけですが、
片面で攻撃しているときには反対側は遊んでいるという状態になってしまいます。

「坂の上の雲」では、敵前回頭の瞬間、砲員たちが道具を持って
反対側舷に向かって走っていく様子が描写されていましたが、
これは今回いくつかそれについて述べている文をあたったところ、
どうもそういうものではなかったとされる記述がほとんどでした。


日本海海戦の経緯からこのことを検証してみましょう。

両艦隊が遭遇した当初、聯合艦隊は左舷側をバルチック艦隊に向けて
そのまましばらく併走の状態が続いていました。
つまりこの時は左舷側の砲員は臨戦態勢で構えていたはずです。

しかし、次の瞬間、聯合艦隊はあの「東郷ターン」、敵前大回頭を行います。


この、海戦の常識を全く無視したターンに、バルチック艦隊は当初
「東郷は気でも狂ったのか」と驚き、ついで勝利を確信して喜び合ったと言われています
・・・・・・・が、その話は今はさておき。

三笠は、ターンすることによって右舷側がバルチック艦隊に相対することになります。
そして一斉砲撃を開始し、30分間にわたり右舷側での戦闘が続きます。

その間、左舷側の砲は沈黙しているわけですが、
つまり、そのときには左舷側砲郭は何もしていなかったということになります。


左舷側の砲員たちは暇なんだから、右舷側に行って加勢すればいいじゃないか、
と思われるかもしれませんが、フネの中には緩衝材として土嚢を積んであり、
決して簡単に行き来できません。

勿論、直撃弾が当たったりして万が一砲郭全員が戦死した場合は、
そこに補充として、人員を移動させるべく命令が下されると思われます。

しかし、基本的に軍艦というのは、持ち場の仕事は持ち場で最後までするので、
つまり移動や補充はあまりされなかったということのようです。

やっぱりこのシステムは合理的でないってことですね。
砲郭が姿を消した最大の理由はここにあったのではないかと言う気もします。


ところで。

このように書いて来て、わたしはあることに気付いてしまいました。


大上たちのいる砲郭は、出港のときに港を見ていました。
つまりそのとき彼らの持ち場は左舷にあったという設定です。

しかしながら、その後海戦が始まり、トーゴーターンが行われた後、
彼らのいた砲郭は戦闘に際し激しく砲を撃ち、
敵からの砲弾をまた受けて一人また一人と斃れていったのです。

・・・・つまり、

彼らはなぜか戦闘のときには右舷側にいた

ということに・・・・・。


うーん・・・・・。

良くできた映画だと思っていたけど、所詮映画。
大砲の下支えの件だけでなく、意外なところに落とし穴があったのね。


しかし、今までこの映画評やこれについて語ったもので、
このことを指摘した文章はひとつも見たことがありません。


・・・・もしかしたらこれが初めての指摘か?



しかし、矛盾だらけで、考証済みとしながら実にいい加減な戦争映画が巷に溢れる中、
これはまだましな方なんですよ。実際。