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「That Others May Live かけがえのない命のために」~救難救急隊

2013-05-06 | 自衛隊

鹿屋の航空基地資料館には、旧海軍資料と復元零戦だけでなく、
自衛隊の資料もワンフロア展開されています。

この日は確か週末だったと思うのですが、そもそも史料館の見学者が
ほとんどいない状況で、いたとしても皆特攻隊関係の資料を観終わると、
一階にあるこのフロアはほとんど駆け足で、展示を横目で見ながら
通り抜けるという感じでした。

鹿屋の特攻記念資料館が映画の影響かすごい人出だったのに対し、
(大型観光バスが駐車場にずらりと並ぶ状態!)
この状況はいったいどうしたことでしょうか。

このフロアには、二機の海自航空機が部分展示されています。
P-3Cの操縦席部分と、救難ヘリS-61A



冒頭のウィキペディアの写真は南極観測船「ふじ」に艦載されていた
同型のヘリ。
S-61AのSはシコルスキー・エアクラフトのSです。
対潜哨戒機としてはやはり同型のHSS-2/S-61Aが、
こちらは三菱重工業のライセンス生産によって生産され、こちらは
「ちどり」と名付けられました。
「ヘリコプター群」の日にもお話ししたように、この鹿屋には
屋外展示されています。






海自はS-61Aを3機導入していますが、2008年には退役し、
館山航空基地でさよなら式典?が行われ、一般にも見学ができたようです。

鹿屋の屋外展示に添えられたパネルでは、まだ退役過渡期であるとされていたので
そのことを当ブログエントリ内で指摘させていただいたのですが、
それを見てある読者の方がこの件を鹿屋基地に確認してくださったそうです。

基地の返事は
「先日より塗装を掛けなおし、展示パネルも随時確認していっている」
ということだったそうなので、おそらく今では訂正されていると思われます。

いやー、なんでも気付いたことや疑問は書いてみるものですね。(感動)


ところでこの退役の式典。
2008年に行われたということですが・・・・・今なら万難を排してでも見に行ったのに・・・・。
ヘリが見たい、というより(それもあるけど)、そういう自衛隊の正式なセレモニーを
一度この目で見てみたいじゃないですか。


それについては少し朗報があって、エリス中尉、最近
「そういうイベントにしょっちゅう招待を受けている民間関連会社の人」
とお近づきになったのです。
ですから今後、注意していれば少しはそういった機会が増えるかもしれません。

富士総火演とか自衛隊コンサートとか・・・・・・・・えっ?


・・・・えー。

それはともかく、ここに展示されているS-61Aですが、ご覧のとおり、



フロアーに入りきらないので、尻尾がブツ切りにされています。
そして、救難の際に海上に投げ入れられる救難ボート。
そういったものが、雑然と展示されているわけです。

本当に雑然過ぎて何が何だか・・・。

まあ、自衛隊が予算の範囲でやっていますのでね。
この素人くささに文句を言っては罰が当たる。たぶん。



この展示、ステップを上がって中を見学できるのですが、
二階の特攻隊の部分でほとんどの時間を使い果たしたと思しきほとんどの見学者は
中に入ってみることもなく、そそくさとこれらを見ながら通り過ぎるのみ。

おかげでゆっくり見学できた・・・と言いたいところですが、
実はエリス中尉も待ち合わせの時間が迫っていて、あまり時間が無かったのです。
一階フロアを駆け回り、いい加減にシャッターを押しまくったものの、



いくら時間が無かったと言ってもフラッシュ撮影モードにくらい変えろよ!

と後から自分で自分を思わず罵ってしまった写真。




というわけで暗くてすみません。
奥に展示されているパネルも、時間があったらもう少しちゃんと撮りたかったのですが。

それにしても「ヘリ内部、とくに救難用ともなると、内側の保護がすごい。
床を同じようにクッションで覆えばもうほとんどトトロのネコバスです。



海上自衛隊の救難飛行隊にはこの機体ではなく、
昭和43年までS-62が採用されたそうです。

ここで少し、海上自衛隊の救難飛行隊についてお話しすると。



自衛隊の救難隊は航空救難団(JASDF Air Rescue Wing)といいます。
先日救難艇US-1について熱く語ってみましたが、離島に対する救難は、
基本ヘリと飛行艇の二本立てで行います。



日本国内で災害が起きたとき、出動はまず

民間の災害・・・・消防

山岳事故・・・・警察、消防の山岳救助隊

海難事故・・・・海上保安庁

という組織が優先されますが、これらの救助機関ができなかったり、急患の移送、
あるいは大規模災害のときは自衛隊が地域や縦割り行政を超えて出動します。

これらの救難ヘリには、
機上救護員(メディック)という海自独特の職種である隊員が乗り込みます。

メディックは、航空自衛隊の救難員とは違い、
機上においてのみ医療行為を行うことができる職種。
海自内の看護員から選抜され、准看護師程度の職業訓練を受けた後、
ここ鹿屋基地にある第211教育航空隊で約3ヶ月の訓練を受けて
機上救護員として勤務します。


自衛隊から緊急救命のためにヘリが出動するには
自衛隊法に基づいて、
都道府県知事の要請に基づく「災害派遣」という名目があった場合つまり


公共の秩序を維持する必要がある場合(公共性)、
差し迫った必要性があること(緊急性)、
他に適切な手段がないこと(非代替性)


これらの条件を満たす場合に出動が許可されます。


ちなみに、1999年に起こった玄倉川水難事故で、
中州に取り残され膝まで水が浸かった被害者が、テレビカメラに向かって
「ヘリコプターを呼べ」と身振り手振りで指示していましたね。
ショッキングな映像でしたが、あのときの遭難者は

「(自衛隊の)ヘリコプターを呼べ」

と要請していたのではないかと想像されます。

もし低気圧の二次災害が予想されなかったとしても、
あの段階では自衛隊ではなく、警察か消防のヘリが先に出動することになります。

しかし、警察や消防のヘリよりもさらに特化された訓練を行い、
不可能と思われる現場の救出をなしとげられるのは自衛隊救難隊である、
という思い込みを普通の日本人が持っていても不思議ではありません。

実際、海自の救難ヘリ隊は24時間非常時に備えて待機しており、
また練度も非常に高いものですが、それでもやはりあのように、
ほぼ確実に二次災害が予測される場合に派遣されることはなかったでしょう。

このとき神奈川県知事が陸上自衛隊に出動要請し、救難隊が派遣されたのは、
18人全員が川に流されてから実に5時間後のことでした。


また、東北地方太平洋沖地震では、航空自衛隊から百里救難隊
浜松救難隊が派遣されています。
震災の被害に遭った松島救難隊は津波により動航空機を失いましたが
隊員は百里救難隊に配置され、その後、被災した自らも救難活動に当たっています。



海上自衛隊の救難隊は、地震発生翌日、石巻湾において
漂流している船舶から、11名をヘリコプターUH60Jで救出しています。

このUH-60JのコールサインはHERO


今まであまり一般に存在があまり知れていなかった救難隊やメディックの活躍を
最近世に知らしめるきっかけとなったのは
「よみがえる空 Rescue Wings」(アニメ)
そして
「空へ~救いの翼 Recue Wings」(実写映画)かもしれません。
この映画に関しては航空自衛隊や海上自衛隊が製作に協力しています。

どちらも取り寄せて観ましたが、等身大の普通の若者を主人公にし、
彼らがHEROとなる瞬間を描きつつ、救難隊への理解と告知、そして
人命を救うという尊い任務に憧れを誘うに十分な内容となっています。


映像作品の持つ宣伝の力ですね。

そういえば最近、某民放放映の、ブルーインパルスのパイロットだった自衛隊員を
主人公にしたドラマが話題を集めているらしく、なぜか当ブログへのアクセスが
放映の日には大変増える(笑)という波及効果すらもたらしています。

このような内容のドラマは今まで自衛隊を語ることや讃美することがある意味
タブーのようになっていたがゆえ(それどころか『野生の照明』のようなとんでもない
『反自衛隊』映画が堂々と公開されていたり)非常に関心を持たれやすく、
国民の自衛隊に対する周知理解を深める効果は絶大です。

テレビを観る人が減った、と言われますが、結局その原因は制作側の怠慢と偏向にあり、
このようなテーマを取り上げて妙な意図を加えずに普通に制作すれば、
日本人は関心を持って観るということに、なぜメディア制作者は気づかないのでしょうか。

日本に住んでいる日本人であれば、賛成するにしろ反対するにしろ、
自衛隊という組織に無関心でいられるはずがないのですから。


やはり、防衛省としては、政権交代した今、このような制作物で、
国防ひいては自衛隊に対する理解と関心を深める努力をもっとしていただきたい。

テレビ関係者、特にNHKに言っておきますが、というか何度も言いますが、
日本のテレビ局なら日本の国民に向けてこういった番組をこそ作るべきです。
「お隣の国」のインチキ歴史ものなど、日本人は誰も望んでいないのよ。



各自衛隊とも、ひとたび救難要請された場合、
要救助者にわずかでも生存の可能性が有れば、
隊員の命を賭しても救難・救助を行うことを宣誓表明しています。

命を賭してもという言葉の通り、自衛隊救難隊の殉職者は多数です。
1963年、北陸豪雪の際出動した芦屋救難隊の、ヘリ墜落による最多人数10名の殉職始め、
1994年は、奥尻島の急患輸送に向かうヘリが墜落し4名死亡するなど、
現在までに関係航空機6機の事故により30名の自衛隊員が殉職しています。


空自のエアレスキューはこのようなモットーを掲げています。

That others may live
(他の人を生かすために)


任務に当たっては自らの危険を顧みずかけがえのない命を救う。
消防隊や海上保安庁、警察の救難隊とともに、
彼らはまさに国民ひとりひとりにとってのヒーローなのです。