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日本海海戦~砲郭(ケースメート)前半

2013-05-14 | 海軍

日本海海戦を扱った映画は、戦前戦後通じて4作あります。

「撃滅」1930
「明治天皇と日露大戦争」1957
「日本海大海戦」1967
「日本海大海戦 海ゆかば」1983

1930年の「撃滅」という映画がどのように海戦を表現したのか、
非常に興味深いですが、何の資料も見つかりませんでした。

「明治天皇と日露戦争」は、題名の通り日露戦争全般に触れていますので、
「日本海大海戦」とそのあとの「海ゆかば」が、
「日本海海戦を中心に語られた映画」としていいと思います。

「日本海大海戦」の方は、その中でも日本海海戦にのみ焦点を当てたもので、
東郷平八郎が三船敏郎秋山参謀役は土屋義男
広瀬中佐が加山雄三、ついでに平田昭彦(様)は津野田是重参謀を演じています。
(ところでつのだ・・・・って、誰だっけ)


「海ゆかば」の方は、この先発の「日本海大海戦」と視点を変え、
主人公を軍楽兵にしました。(沖田浩之
三船敏郎はここでも東郷平八郎を演じています。

というか、映画界に三船がある限り、東郷を他の役者に演じさせることなどありえない、
って状態だったんですね。


こちらは作戦参謀と高級幹部が脇役で、有名どころの俳優はおもに下士官、たとえば
カマタキ下士(ガッツ石松)や砲員長(佐藤浩市)を演じています。

わたしは個人的には、この「海ゆかば」の方を日本海海戦映画として評価しています。
海軍軍楽兵を主人公にしているため思い入れも深く、
このため一つの映画に対して4編ものエントリを制作してしまいました。


「別れの曲」
http://blog.goo.ne.jp/raffaell0/e/661c676481f39b211e4d5c6803077742
「アニー・ローリー」
http://blog.goo.ne.jp/raffaell0/e/9a90f4f25d5520d286d56b6ff0923bae
「家路」
http://blog.goo.ne.jp/raffaell0/e/0512b41f6bebfc36cbeef3be05fbcb89
「行進曲軍艦」
http://blog.goo.ne.jp/raffaell0/e/40da1c83a2e511ce29bfd7ba50ae634d


このときにもその思い入れの理由を述べましたが、
主人公を軍楽兵にし、司令部、士官よりも下士官たちがどのように戦ったかを、
明治当時の風俗や、海軍の習慣についての説明を含め映像で説明した戦争映画は
これまでにない語り口のもので、画期的ともいえますし、
なんといってもストーリーの展開に添えられる各種音楽が興味深かったこともあります。

「当時こんな音楽が演奏されたはずがない」
と、突っ込み甲斐もあり(笑)

以前、記念艦「三笠」でこの砲郭における戦闘の再現人形を見たときには、
この映画をまだ観ていませんでした。
しかし、二度目の三笠訪問においてこれを見るとあらためて思うものがあったので、
今回、「日本海大海戦 海ゆかば」を想起しつつ「砲郭」について書くことにしました。

ついでに当時は気づかなかった映画の「これはない」にも突っ込んでしまうのだった。



さて、この映画における主人公のトランペット奏者、源太郎は旗艦「三笠」乗り組み。

軍楽隊員は要所要所の音楽演奏以外に、伝令を受け持ち、
戦闘に当たっては砲員補助、医務補助、そして伝令を受け持ちました。
我らが主人公の源太郎くんは、砲員補助の訓練を受け、砲郭に配置されます。


冒頭写真はこの砲郭の戦闘シーンを再現したもので、
実物大の人形を配して砲員の動きを説明しています。
映画でもこの砲郭のことを「ケースメート」casemateと呼んでいました。

一般に、

「火砲の操作員や機構を保護し、
かつ様々な方向に照準し発射できるようにする装置」


「砲塔」 (Gun Turret)と言います。
「ケースメート」とは

城郭や船体、車体に直接砲をマウントする形式のもの」

を言い、
砲塔の「前段階的装置」であったものを指します。

砲塔という概念の装備が普及する以前、
日本海軍の戦艦には、主砲に対して副砲は舷側に装備されていました。




記念艦「三笠」左舷。

この、一番喫水線に近い副砲の部分が「砲郭」、ケースメートです。 
展示に際してはスリットと呼ばれる舷窓は閉じられています。

これが源太郎や佐藤浩市扮する「ジャクリ狼」こと大上砲長の持ち場ですね。


なぜ副砲がこの部分に配置されているかというと、安定性の面から
重量のある副砲はできるだけ下に配置しなければならなかったからです。

しかしながら、喫水線に近いということは波の影響を受けやすく、
荒れた海では役に立ちにくいという問題がありました。

しかるに、船の動力が帆走から進化を遂げるにしたがって、
この「砲郭」は甲板上に設置する「砲塔」中心に切り替わっていくことになります。
甲板上にある砲塔ならば、荒天時でも安全に操作が可能な上、
より少数の砲で艦の両舷のどちらにも照準できるからですね。



砲塔の採用は1800年代には始まっていましたが、日本では
その砲塔を減らして、さらに大型の砲(35.6cm砲)を設置した
金剛型巡洋戦艦が、
この分野では画期的な進歩を遂げたということになっています。

ちなみに1913年当時、金剛型はスペック的にも世界最強とされていました。


同じ戦艦砲員の戦闘を描いた映画でも、日露戦争の「日本海大海戦」と
大東亜戦争末の「男たちの大和」では、絵面からして全く違いますね。
これがおよそ40年の間に軍艦の砲撃において起こった大きな変化なのです。



ここには、(おそらく)予算とスペースの関係で人形が全部で4体しかありません。
しかし実際は、持ち場に居るのは全部で8人で、このような状況でした。



しかし、この実物大の砲郭に8体人形を立たせるのは少し無理かもしれない。
だって、この人形、どういう理由か知らないけどものすごく大きいので・・・。

砲郭では8人一チームで、各々にはこのような役割分担があります。



三笠の人形が4体であるのは

「砲員長」「射手」「装填」「弾丸補充」

という役割を一人ずつにしたからですね。
射手の役割の中に苗頭(びょうどう)とありますがこれはどういう意味かと言うと、

「照準線を基準とする左右方向の修正量」

つまり、もっとさっくりと言うと弾道を定めるための基準らしいのですが、
現在の自衛隊ではこの定義を

「左右苗頭とは射弾を目標に導くため、
照準線に対して筒軸線のとらるべき左右の角度を言い、密位で表す」

としているそうです。
聞きなれない言葉ですが、苗頭とは稲穂が風にそよぐさまから来ているとの由。


ここで一番要となる重要な役割はこの「苗頭の調整」が任務である射手でしょう。
要するにこの一人の人間に攻撃の成否全てがかかっているのです。
しかし、射手がどんなに優秀でも、補充がスムースでなければ弾も撃てませんし、
全体を見ながら指揮をする砲員長の役目も重大です。
つまり、ここでも「チームワーク」が重要視されたわけで、彼らが同じケースメートで
家族より緊密な関係としていつも一緒にいたというのもこのためです。

そして軍楽隊委員の神田源太郎は、おそらく7、8番砲手として、弾丸の運搬か
補充を受け持っていたという設定ですね。
この砲郭には、軍楽隊からフルート吹きの少年も配置されていたということになっています。






砲郭のメンバー、8人。
ちゃんと一人ずつ配役されているあたりが素晴らしい。


写真は、軍楽隊の演奏する「家路」を聴きながら、故郷を思う8人。
源太郎とフルート少年は勿論演奏する側として。




ところで、このシーンの写真をあらためて観ていて、
前には見落としていたあることに気づきました。

この演奏会のシーンは「三笠」で撮られたのですが、
何人かが主砲の上に座って音楽を聴いていることになっています。
そこで彼らの座っている主砲の筒の下を見ていただきたいのですが、

この主砲・・・もしかして

動かないように固定されてしまっていませんか?



記念艦展示に当ってこのような「支え」を作ったのは、重量のある主砲部分が
経年劣化によって「下がってくる」ことを防ぐためではないかと思われます。


しかし、映画スタッフは役者は勿論監督も、
明日にでも火を噴こうかという主砲がこんながっつりと固定されて
びくとも動かなさそうな状態にされているのに誰も気づかなかったと。

まあもっとも、この支えが無ければ、映画の撮影とはいえ
こんなにたくさんのエキストラを上にまたがらせるということもできなかったはず。

そして、気づいたとしてもCG技術の無い当時では
前に人を配して隠すくらいしか方法はなかったと思いますが・・・・・。


というわけで、主砲に思わず突っ込んでしまいましたが、
砲郭についてのお話、後半に続きます。