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「うらが」艦上レセプション@高松港〜平成三十年度 掃海殉職者追悼式

2018-06-08 | 自衛隊

金毘羅宮で次の日に行われる掃海殉職者追悼式の立て付けが終了しました。

立て付け終了後、執行者呉地方総監、掃海隊群司令ら幹部が
信仰について司会役の総務課長らと問題点の洗い直しをしています。

なんか無駄にかっこいい。

その後、車で1時間かけ、高松市内のホテルにチェックインしました。

今年もシングルの予約が取れなかったので、仕方なくツインをツイン料金で取りました。
チェックインの時にフロントで「一人で泊まる」というと、フロントマンが
なぜか二枚あった朝食券を一枚引っ込めようとするので、

「いえ!それはいただきます」

と強く言い切り、二枚もらって一枚をミカさんに献上いたしました。
こちとら二人分払ってるんだから当然の権利よね。

着替えと帰って寝るだけの部屋ですが、ベッドが二つあると、
遠慮なくそのうち一つにモノをぶちまけていくことができたので便利でした。

今年はお城跡側の部屋です。

約1時間半でチェックインと着替えを済ませ、高松港に突撃。
今年の艦上レセプションは「うらが」で行われます。

「うらが」さんには、かつて日向灘の訓練でもお会いしています。
掃海隊の機雷除去訓練を見学するために「えのしま」に乗った時ですが、
昼ごはんを「うらが」でいただくために「えのしま」を接舷しようとしたら、
その日は大変波が高く、舷梯を架けることがどうしてもできませんでした。

当時の掃海隊群司令、岡海将補が「うらが」の舷側に立って、ハンドマイクで
接舷を断念することを謝っておられるのを見たのがまるで昨日のことのようです。

岡司令はその後退官され、お食事をご一緒する機会は永遠に失われました。

岸壁埠頭に座って、しみじみと「うらが」舳先を眺めている女性。

もう乗艦が始まっていたので、入って行きました。
わーい、みんながにこやかにお迎えしてくれてるー。

高松港埠頭にあるレストラン「ミケイラ」には去年お昼ご飯を食べに訪れました。
景色もいいし味もおすすめです。

レセプションに訪れた客は、必ず会場入り口で呉地方総監と
掃海隊群司令にご挨拶をさせていただきます。

着物の女性は、わたしの知り合いの防衛団体会長が最近スカウトしてきた会員。
着付けの先生だそうです。

お料理にはサランラップがかかっているので、大阪の時のように
開始前から人が食べ始めるということにはなりません。

なるほど、これから大阪でのレセプションではこうすればいいのでは・・。

格納庫の壁には「うらが」と掃海隊についての知識を周知すべく、
わかりやすい説明のパネルが掲げられています。

「うらが」のエンブレム、かんむり座のモチーフが
命名の元となった浦賀水道の走水神社に祀られている日本武尊の
冠伝説にちなんでいることはここで初めて知りました。

開始前、甲板後部から。
甲板の広い掃海母艦でのレセプションは、「かしま」艦上のように
芋の子洗う状態には決してなりません。

その広いスペースを利用して、甲板には機雷も展示されています。
これは係維式機雷K-13で、この台座ごと海に沈めると、
ツノのある機雷部分だけが係維、つまり糸に繋がれて海面付近まで浮き上がり、
赤いツノに航行する艦船が接触すると爆発する、という仕組みです。

係維機雷のうち「磁気機雷」かもしれません。

「うらが」の後ろには阪神基地隊からやってきた「あいしま」「つのしま」がいます。
今年も去年のように日曜には体験航海が行われたのでしょう。

レセプションが始まり、偉い人の挨拶が行われました。

指揮執行官の呉地方総監。
手前の男性は掃海殉職者のご遺族です。

レセプションの雰囲気を軽快な音楽で盛り上げるのは呉音楽隊メンバー。
バンド名は「マリーンナイツ(海の騎士)」です。

ボーカルも加わり、「スィート・メモリーズ」などを素敵な歌声で聞かせます。

「YMCA」が演奏された途端、周りがほぼ全員と言っていいほど、
その直前に亡くなった西城秀樹を話題にし始めました。

ある年代以上の人たちにとってはヒデキは関心の有る無しに関わらず
歌手にとどまらないアイドルの象徴みたいなものでしたからね。

自衛艦に乗ったらカレーを食べずして何かを食べたとは言えません。
というわけで、「うらが」カレー初体験です。

カレーをよそっている人を写真に撮ろうとしたら、彼は
ピタリ!とおたまを止めて、シャッターを切るまでポーズしてくれました。

というわけでこれが「うらが」カレー。
黒いスパイスのような粒が見えることからも想像できるように、
かなりのスパイシーカレーでした。
具は・・・ビーフだったと思いますが美味しかったことしか記憶にありません。

とかなんとか会場を回遊しているうちに、自衛艦旗降下の時間になりました。
降下を行う乗員が5分前から旗竿の前で静止して時を待ちます。

じか〜〜ん!

同時に電飾が灯ります。

♪ ドーソードドミー ドーソードドミー ミミソー ミミソー
ミードミソーソー ミードドドー♪

ソーソソソーソ ミードーミードー ソーソソソーソー ミードーミードー
(最初に戻って♪で終わる)

この日は女性乗員が風で竿に巻きついた旗を外していました。

「あいしま」「いずしま」でも同じように降下が行われていたはずですが、
喇叭の音はそちらからは聞こえてきませんでした。

母艦の喇叭を聴きながら行なっていたのかもしれません。

降下終了。

灯りが点くと同時に、闇が一層濃く降りてきたように感じます。

レセプション会場にも電灯が灯るとより華やいだ雰囲気が漂います。

この日、わたしは会場でいろんな方と初めてご挨拶をさせていただきました。

自称「オールド・セイラー」氏。
地元の郷土作家。
江田島に生まれ育ち、幹部学校のことならなんでも知っているという方。
某防衛団体の会長にスカウトされて会員になった着物の先生。
掃海隊が高松港にくると必ず駆けつけてくるという熱心なファン。

「オールド・セイラー」氏はこう書けば当ブログ読者なら自衛隊関係の方ならずとも
きっと誰かわかる、東日本大震災の時の海自出動部隊指揮官だった方です。

後は掃海隊の司令官クラスの方々。

なんどもお会いしてすっかり顔なじみになった掃海隊司令が
もうすぐ転勤されると聞いたときは少しさみしい思いをしました。

開始から約1時間、めぼしい食べ物はほぼ食い尽くされた模様。

気がつけば高松港の玉藻防波堤灯台、通称赤灯台が赤く光っています。
世界初総ガラス張りの灯台で、内部に灯りがともると全体が赤く光ります。

本州と高松を結ぶコミューター、四国フェリーの「しょうどしま丸」。
緑のうどんの絵の下には「うどん県」と書かれています。

屋台はカレーの他には天ぷらと焼き鳥。
焼き鳥は割と早くに終了してしまったので、天ぷらを無くなる前に
一つ食べておこうと思ったら、前に並んでいた方が、

「ほらあんた食べなさい」

と順番を譲ってくれ、それでは、とエビ天一ついただきました。
ちなみに天ぷら屋さんの後ろにいる男性は、かの

「北の馬鹿者が」

の元司令です。

楽しんでいるうちに蛍の光が鳴りだしたので素直に退出。

地面のテントは明日行われる地元地本の広報ブースです。
掃海艇での体験航海の他にも、陸自が乗り物を持ってくるのかもしれません。

舷側に立つ自衛官は、一人一人に

「ありがとうございました」

と声をかけて見送ってくれます。

掃海母艦は大きいので、舷梯が長くて比較的急です。

わたしはこの日長いスカートを履いていたので、階段を上る時には
裾を踏まないように持って歩いたのですが、下りでは手すりを持つので手が使えず、
結果的に裾で階段を掃き清めながら降りていくことになりました。

帰って洗濯すればいいや、と思いながら構わず降りていたら、後ろの自衛官
(しかも帽子にカレー付き)が
ご丁寧にも声をかけてくださいました。

「裾・・・・持ちましょうか」

海軍軍人って、皆さんジェントルマン。

だがそれだけは断る。

岸壁に降りてからも、ここでまず呉地方総監が降りてくるのを待ち、
写真を撮るというミカさんに付き合って長時間立っていました。

防衛政務官の艦内見学が長引いて出てくるのに時間がかかり、
おまけに地方総監の退出シーンの撮影に失敗するし・・・

どう失敗したかというと、この大きさでしかお見せできないくらい。

電飾で彩られた掃海艇兄弟を撮りに行きました。

わたしたちの前をついさっきまで制服だった掃海隊司令らが、
私服に着替えて汗をかきながら通り過ぎていきます。

「風呂入ってきたんで暑いです」

この時に聞いたのですが、掃海艇などは司令とか艦長が一番にバスを使うため、
偉い人が早く入ってやらないと皆が入れないのだそうですね。

最後に「うらが」の電飾を撮りに艦首のところに行きました。

ところでこの写真を見てちょっとゾッとしました。
舳先のところにいるの、もしかしてさっき見た女の人でわ((((;゚Д゚)))))))

正面から。
「いずも」の時のように三脚もミラーアップ機能も使っていませんが、
埠頭のブイにカメラを乗せて固定して撮りました。

ミカさんに聞いたところによると、後ろの掃海艇二隻のマストの赤と青のライトは
通常点灯しない(だったっけ)ものなんだそうです。

海面に映る電飾が美しいですね。
わたしにとって最後に見る「うらが」に別れを告げ、埠頭を後にしました。

レセプション中枝豆一個しか食べていない、と豪語するミカさんのために、
(逆になぜ一個だけを食べることになったのか、むしろそちらが不思議)
去年地元の人に教えてもらって、ミカさん、わたし、そして元海将の三人という
シュールな取り合わせでうどんを食べに行った、「鶴丸」に再び。

わたしも、パーティではあまり食べていなかったので、さっぱりした梅うどんは
美味しくいただけましたが、
それより朝早かったため眠気と戦うのが大変でした。

 

さて、一夜明ければ、いよいよ掃海隊殉職者追悼式です。

 

続く。

 





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7 Comments

コメント日が  古い順  |   新しい順
通常点灯しない灯火 (Unknown)
2018-06-08 06:51:02
「通常点灯しない灯火」ですが「掃海作業に従事する船舶」であることを示す灯火です。掃海艇であっても、海上衝突予防法で「掃海作業中」にしか点けてはならないので、レセプションとは言え、ちょっとビックリです。

下記リンクをずっとスクロールすると、かなり下に図があります、
http://www.nexyzbb.ne.jp/~j_sunami76/yobou_ho.html
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Unknown (Unknown)
2018-06-08 12:53:23
海上自衛隊の食事って、美味しいですよね^^
先日行った、大阪の心斎橋のご飯屋さん(お手軽値段の割烹)が美味しくて、どこか有名な料亭とかで修業したのかとお店の人に聞いたら、もとは海上自衛隊で料理の修業していたとのことでした。

その話を聞いて追加でカレーもオーダーしましたが噂通り格別でした(笑)
返信する
うらが (お節介船屋)
2018-06-08 13:42:04
電飾を「うらが」は右舷に揚げていますが、満艦飾を実施しないので、右舷側に揚げたのではと思われます。
「うらが」も就役して21年、後日装備とした76mm砲と射撃指揮装置がいまだ未装備です。
Wiki等によれば一度装備されそうになった時期もあったそうですが、自衛艦で建造当初予算不足や財務省査定でカットされた装備品でその後装備された事はなかったのではないでしょうか?
新たに調達して装備ではなく除籍艦から撤去した武器や機器を整備して未装備艦に設置は可能ではと思いますが、財務省との改造予算取得調整や古い部品の交換やオーバーホール費用、装備後の検査修理費の取得、乗員の配置が必要であり、困難な事象ではと思いますが必要な装備は実施すべきと思います。
護衛艦「あぶくま」型の艦橋前のRAM,補給艦のCIWS等も同様でしょう。

係維機雷
>赤いツノに航行する艦船が接触すると爆発する
「てつのくじら館」に展示されていますが、赤い物は触角の保護カバーであり、使用時はこのカバーを取り外します。触角は鉛の筒で中に電解液の入ったビンがあり、船体が触角に当たり軟らかい鉛が潰れるか折れることによりビンの電解液が漏れ、下にある電極に電位差が出来、通電、火薬の中にある雷管を発火、爆発させます。
この機雷は水中に浮くため丸い缶体の下約1/3しか火薬は入っていなくて上部は浮体となっています。
火薬量は少なくても船体近傍で爆発しますので船体に破孔を生じさせ船を沈没させる武器です。日露戦争時の旅順港前での日露戦艦の触雷轟沈はいずれも火薬庫の誘爆で生じたものです。
船屋ですので間違っていたらどなたか修正をお願いします。
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甘いでござる…… (鉄火お嬢)
2018-06-10 09:39:23
>サランラップが掛かっているので、開始前から食べ始めるという事は
エリス中尉、当該の大阪天保山のかしまレセプションで私は憤慨しながらその話をした覚えがありますが、あれが大阪府民とは限りませんが、70代の爺さん達は、まだ掛かっているサランラップの下に箸を突っ込んでオードブルをむしゃむしゃ食べ始めていて、自衛艦旗降下の間にもしゃがみこんでひたすら食べていました。いい加減にしなさい!どこの団体?と叱りつけようかとも思いましたが、ウルセエとか逆ギレするのが火を見るより明らか。団塊ってちょうどミーイズム世代で子供の教育も個性の尊重とかいう手抜きをしてきたので、団塊ジュニアとその孫世代は人事的に忌避したいジェネレーションです。目先の欲望に忠実すぎるんですよ。そこに大阪という土地柄ですから。司令官の「マナーは東京で」は、リアルですね。
返信する
みなさま (エリス中尉)
2018-06-10 15:18:08
unknownさん
そうそう、掃海作業の時点灯するのだとその時もミカさんから聞きました。
この時には気がつかなかったのですが、写真を見たら「うらが」もこれを点けています。
ミカさんがちょっとありえないくらい珍しい、という言い方をしていたのですが、
何があってこの点灯を行ったのか・・・。

深読みすれば、掃海殉職者に敬意を評し、彼らの魂に捧げたものだったかもしれません。

unknown2さん
すみません、unknownさんがもうおられるので番号を振らせていただきました。

その心斎橋のお店、いいですね。
わたしも先日、近所にできたちょっと小洒落たカフェの名前が
「NAVYなんとか」だったので、もしかしたら自衛隊を退官した方なのかなと思い
入ってみたのですが、ついに聞けないまま出てきてしまいました。
折に触れて海自は給養員の養成に大変な力を入れていることを語っていますが、
退官後プロの調理師になる方は結構多いのでしょうね。

お節介船屋さん
装備するはずの武器がされないままになっている艦があるとは知りませんでした。
流石に護衛艦やヘリ搭載艦ならそんなことにはなりますまい。
喫緊の必要性がないので仕方なくと言ったところかもしれませんが、
こういうのって乗員の「士気」に微妙に関わってきたりはしないんでしょうか。

赤いのはカバーだったのですか。
なるほど、触雷させるためのものなのに、目立たせてどうする(笑)ってことですね。

鉄火お嬢さん
そ、そうでござったか・・・・!

団塊世代は人数が多くて生まれながらに生存競争に晒されてきたので
その結果人を押しのけて自分の欲望を果たす傾向にあるそうです。
おっしゃる通り、この年代の人はこれに加えて絶対に間違いを認めませんから、
逆ギレされて罵られるのが関の山、触らぬ神に祟りなしでよかったと思います。

ただ、この日の「うらが」にも、もちろん晴海の「かしま」にも、
その世代の人たちはたくさんいたってことなんですよね・・。

>サランラップの下に箸を突っ込んで
>自衛艦旗降下の間にもしゃがみこんで

どうして大阪だけがこうなるのか。
これはもう永遠の行動心理学&人文学的課題ですな。
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触角 (お節介船屋)
2018-06-11 16:34:07
前コメントのように鉛で軟らかいため、保管上カバーを掛けておく必要があるものと思います。

「てつのくじら館」に展示してあるK-13はカバーがしてある物と取ってあるものがあったと思います。カバーは黒く塗ってありました。

たしかK-15だったと思いますが触角が銅棒になっており、鋼の船体と触れれば電位差が出て通電、発火となる機雷もありましたのでエリス中尉の触れて爆発の記述もこの機雷であれば正解です。

未装備武器等
>こういうのって乗員の「士気」に微妙に関わってきたりはしないんでしょうか。
艦艇乗員ではないので分かりませんが、士気にはさほど影響しないのではと思いますが、配員がなく、訓練、演習が出来ないので困る事となるのではと推察します。もし知り合いに海自の方がおられればお聞きください。
就役時未装備は護衛艦も多くあります。
予算、排水量のため、「あまつかぜ」は対潜兵器を後日装備として就役、2年後にアスロックを装備しましたがこれは虎の子のDDGであり、実施できましたが、「いしかり」「ゆうばり」「ゆうべつ」のCIWSは退役まで装備されませんでした。「あぶくま」型6隻の艦橋前のSAMもほぼ30年近くとなっており、未装備のまま退役となるでしょう。
前コメントのごとく、改造予算の省内審議、財務省への要求、折衝、予算獲得となるのですが、配員、検査修理費等も必要であり、紆余曲折があります。
防衛大綱で決定されていても、財務省で艦ごとカットされた事もあり、要求とおり完全に通る事のほうが稀ではと思います。
これは詳細に詰めていけば変更もあり、年の経過から物価の変動もあり、当初の見積と違う事もあります。また予算不足でのカットと財務省が判断する事もあります。防衛予算との括りではなく会計法で細目が規定されており、防衛予算のなかで違う科目の予算を回すという科目外流用は厳然と禁止ですので本当に難しい事と思います。
参照海人社「世界の艦船」No869
返信する
惜しいなあ (鉄火お嬢)
2018-06-14 22:48:22
いやいや、これにコメントするの忘れてましたよ!
>「裾、持ちましょうか
>だが、それだけは断る!
ロイヤルウェディングよろしく、しかもカレーライス=おそらく将官にドレスのトレーンならぬスカートの裾を捧げもってもらいしずしずラッタルを……いや、確かにふつう相手が曹士君であっても申し訳なくて断る……けど…「あ~映画みたいで一生に一度のシーンだったかもしんないのにい!」と他人事なのに悔しがる私…。
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