◎ジェイド・タブレット-06-38
◎青春期の垂直の道-38
◎デヴァとプレータ
仏陀在世中の問答集として、『ブッダ神々との対話』(岩波文庫)と『ブッダ悪魔との対話』(岩波文庫)がある。それぞれの対話の相手は、前者が高級善神霊(デヴァ)であり、後者が高級悪神霊(プレータ)である。
これも、なぜ釈迦が人間でないのを相手にそういう対話を行わねばならないかが不審なのだが、OSHOバグワンは、その理由を、デヴァもプレータも人間より神に近い位置にいるが、肉体がないのでそのままでは神に成れないので、一段低い肉体を有した人間である釈迦にアドバイスを求めに来るのだとする。
さて、OSHOバグワンは、金属、動物、植物には、七つの身体すべてが備わっているが、活性化していないところが多いと語る。就中、平均的人間においては、第四身体は一部の人だけ活性化しており、また第五身体も一部の人だけ活性化している。
さてプレータもデヴァも霊であって、肉体は持たない。
プレータについては、第四身体が活性化しても無意識ならば、プレータの次元、悪霊と呼ばれる。悪霊は第四身体が活性化していることに気づいていない。よってプレータは、自分自身にも他人にも大きな害を引き起こし得る。
一方デヴァは、第四身体が活性化して完全に意識的ならば、デヴァの次元、聖なる霊と呼ばれる。聖なる霊は第四身体が活性化していることに気づいてる。よってデヴァは、自分自身にも他人にも多くの善い行いをもたらす。
そして重要なのはデヴァ的人間だけが第五身体に進み得る。デヴァにあるのは、幸福だけである。
そして第五身体では、活性化と覚醒が同時に起こる。第五身体では男女のような二元性はない。(奇跡の探求2 和尚P353)
またこの覚醒という意味は、意識、無意識に関しては、熟眠中に夢を見ない状態を完全な意識化と云うが、このことを指す。
以上によりプレータは、第五身体に進めないはずだが、OSHOバグワンは別の文章で、ヒトラー、チムール、チンギス・ハーンなどを権力、政治、富などの悪事で自我を結晶化させた例として挙げている。プレータは肉体を持たない霊体だが、プレータ的人間は、第五身体に進めるということなのだろう。だがプレータ的人間は、神なる第六身体には進めない。
プレータ的人間の結晶化のことをOSHOバグワンは『偽の結晶化』とも呼んでいる。
こうした事情を踏まえ、『悪魔は神になることだけはできない』(ダンテス・ダイジ)と言うのだろう。
この点は、カルトが猖獗し、功利性と拝金主義に覆われ、多様なマインド・コントロールで論理的な思考すら奪おうとしているこの時代に、結構決定的なことを説明している。実際にOSHOバグワンはこうしたことを1970年代には語っていたのだが、私も含め、彼の言うことをわかっていなかった人が多かったのだろう。