◎苦しみを取り込み健康や幸福を送り返していく
ある日、ケン・ウィルバーは、甲状腺ガンの友人に対して、どのようにがんになったかを分析、説明して友人を怒らせたことがあった。何が本当に患者の支え、癒しになるかわかっていなかったのだ。
ケン・ウィルバーの妻のトレヤは、乳がんで苦しんでいたが、がん患者がどのような治療法を選ぶかということは勇気がいることであって、がんが不治の病であった昔も、がんであることを受け容れることは簡単なことではなかった。
『こうした修行の中でまっさきに挙げられるのが、トンレンという名前で知られているもので、トンレンとは「取り込み、送る」という意味だ。ヴィパッサナーによってしっかりした土台を築いた後、修行者はこのトンレンの修行に移る。この訓練は非常に強力で、意識の変容を強く促すため、チベットでは最近まで秘密にされてきた。そしてトレヤが心底気に入ったのが、この修行だった。内容を以下に記そう。
自分がよく知っていたり、愛情を抱いている人の中で、病や損失、絶望や苦痛、不安や恐れといった苦しみを体験している人のことを瞑想中に観想する、あるいは思い浮かべる。
息を吸う際、彼らの苦しみのすべてを、真っ黒で、煙やタールのような、どんよりとした雲のような存在として想像し、それが鼻孔を通って自分の胸の奥まで入っていくのを想像する。そしてその苦しみを自分の 胸の内に保っている。次に、息を吐き出すときには、自分の中のやすらぎ、自由、健康、善や徳といったものすべてを、人を癒し解放する光というイメージにして、その知人に送るように想像する。
そして彼らがそれをすべて吸収して、完全な自由や解放感、幸福を味わっているようすを思い描く。 この呼吸を数回繰り返す。
それから知人の住んでいる街をイメージする。息を吸いながら、その街に存在するあらゆる苦しみを吸い込んでいるイメージを描き、息を吐きながら自分の健康や幸福を、 街に住むあらゆる人に送り返す。
次はこれを州全体に広げ、さらには国全体、惑星、全宇宙へと広げていく。
あらゆる場所のあらゆる存在のあらゆる苦しみを自分の中に取り込み、健康や幸福、徳を彼らに送り返していくのだ。
初めてこの修行を教えられた人たちは、普通、本能的な強い拒否反応を示す。ぼくもそうだった。黒いタールを自分の中に取り込むだって? 冗談じゃない。それで本当に病気になったらどうする んだ? 正気の沙汰じゃない、危険だ!リトリートの半ばになってカルからこのトンレンの修行 を教わったとき、一〇〇人ぐらいの聴衆の中からひとりの女性が立ち上がって、その場にいたほぼ 全員が考えていたことを発言した。
「でも、もし本当に病気にかかっている人を相手にこの訓練をして、自分が病気になってしまった らどうするんですか?」
間髪を置かずカルは答えた。「こう考えなさい。おお、素晴らしい!効果が現れているんだ!」
この言葉がトンレンのポイントだった。この言葉によって、われら「無我の仏教徒」は、みんなエゴをぶらさげたままだということに気づかされた。ぼくたちは自分が悟り、自分の苦しみを取り 除くために修行しようとしているのに、想像の中でさえ他人の苦しみを引き受けるのはまっぴらだ、というわけだ。』
(グレース&グリット(下)/ケン・ウィルバー/春秋社P44-46から引用)
※カル:カルリンポチェ。チベットの孤独な洞窟で13年修行。
※ヴィパッサナー:呼吸を見つめる行法。
古神道でも大祓祝詞で、天津罪、国津罪を一旦唱えてそれから祓うが、それと似ている。チベット密教では、観想法とは言え、恐ろしげな修法であり、これを中途でやめたり失敗すれば、不幸な状態に陥るだろうことは想像される。まことに悟った師の指導なしでは危険であろうことが見て取れる。
また観想法そのものの作用反作用を考えれば、ヴィパッサナーに習熟した者しかトンレンをやらせないということは、最低でも見仏を経た者しかやらせないということだろうから、方向性を誤る可能性は低いのだろうとは思う。
ケン・ウィルバーもトレヤも一時期この行法が気に入っていた。それでもトレヤは乳がんで早逝した。生も死も大した差はないと言ってもケン・ウィルバー自身3年ひきこもるほどのショックだったのだ。
病を受け容れる、死を受け容れるというのは、トンレンの行法も最後は宇宙全体をも幸福にするのだから、病を忌避し健康だけを受け容れるとか、死を忌避し生だけを願うというようなものではないことがわかるはずではあるのだが。
神のまにまに。