アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

塩沼亮潤大阿闍梨-1-九百九十九日、人生生涯小僧の心

2023-10-24 06:34:36 | ジェイド・タブレット

◎ジェイド・タブレット-05-02

◎青春期の水平の道-2

 

水平の道の一つに、仕事を精密にやり抜くことを繰り返す事上磨錬という技法がある。これは最近のようにまず転職ありきのようにひとつの仕事が一生のものでない時代にはわかりにくいかもしれないが、仕事が行であり家事が行となって、大悟覚醒に至る道である。

本来の純粋な水平の道は、道元やクリシュナムルティの只管打坐による究極が単純で綺麗だが、ここではとっつきの良さから、また事上磨錬、一行専心の例として、敢えて修験の塩沼亮潤大阿闍梨を挙げる。

 

大峯千日回峰行は、吉野の大峯山1300年の歴史で達成したのはたったの2人。その一人が塩沼亮潤大阿闍梨。二人とも最近の達成だが、一日で高低差1400m距離48キロの獣道を踏破できたのは、最近になってアップダウンの少ない新ルートが開発されたためだと言う。ルートは、標高364メートルの蔵王堂を0時半に発ち、闇の中、提灯と杖を頼りに片道24キロの山道を登り、8時過ぎに標高1719メートルの大峯山頂に至る。同じ道を下って15時半に帰る。

夜半の出発前におにぎり二個、昼食としておにぎり二個、山頂での軽食で走り抜く。これを春から秋の年間4か月で100日を10年休まずやる。台風の日も大雨の日も落雷の日も、30cm踏み外すと転落するような道を暗闇の中を進む。山中の架け橋はせいぜい丸太が3本わたしているようなところがいくつもあって雨の日はすべる。熊も猪も蝮も出る。

こうした行を千日やるというのは、迷いがあったらできないし、本人がいうようにネガティブになってはできない。

そんな彼でも、満行の前夜なかなか眠れず、『九百九十九日、人生生涯小僧の心』と色紙に沢山書いた。すると身体はぼろぼろだけど、20歳の自分の小僧の心は変わっていない。九百九十九日も小僧の心のままずっと体力が続く限り歩いて行きたいと思ったら、非常にうれしくなって眠りについた。

千日目はいつものように行って同じように帰って来た由。

 

テレビの特集と春秋社の大峯千日回峰行という本を見たが、この方は難しいことは一切言わないが、『悟りとは態度である』を実地にやっている方のようにお見受けした。菩薩とはこういう人のことなのだろう。賞金も出ないし、今日死ぬかもしれない行を10年も継続できるものだろうか。彼の言うように、人はまことに謙虚と感謝であって、神仏の加護がなければ行も日常も成るまいと思う。

コメント
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