アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

塩沼亮潤大阿闍梨-2-四無行、断食、断水、不眠、不臥

2023-10-25 03:34:03 | ジェイド・タブレット

◎ジェイド・タブレット-05-03

◎青春期の水平の道-3

 

塩沼亮潤大阿闍梨は、大峯千日回峰行の翌年、9日間にわたる断食、断水、不眠、不臥の四無行を満行した。この間何をやっているかと言えば、半跏趺坐で、お不動さんの真言10万遍と蔵王権現の真言10万遍を唱える。

四日目に、自分では真言を唱えているつもりでも、そばにいたアシスタントの人が、目は開いて真言は唱えているけれど、ぼーっとして意識がなかったのに気がついて、真剣に起こしてしまった。ところが本人は真言を唱え続けており大丈夫なのに、なぜ周囲は血相を変えて自分のことを呼ぶのかと思った由。

これは、本人は意識がどこかに飛んでいってしまっていたのではないかと推測しているだけだが、重要なシーンである。

ここは、周囲が、行者が死んでしまうのではないかと思って、「誤って」トランスから起こしてしまったのではないか。

行者本人は、行を続けている自覚があるので、意識清明である。チベット死者の書では、死にゆく人が眠りに落ちて意識を失うのを避けるために耳元で大声で呼び続けたりする。だが、この件では、本人は意識を失っていないから定から無理に出すタイミングではなかったのではないか。

このような深いトランスほどチャンスなのであって、練達の正師がついていれば、乱暴にトランスから呼んで出すことはなく、まずは行者の状態を見守って、介入すべきタイミングがあれば、介入していくということではなかったか。

 

OSHOバグワン自身の覚醒の7日間では、最初身体は眠っていて、自分が目覚めている状態にあった。それが上記の状態である。OSHOバグワンのケースでは、誰もそのトランスを破りに来なかったので、やがて目が開き本当の現実である神を感じた。それがOSHOバグワンの大悟。そこで誰かが介入したのかどうかについては言及がない。

出口王仁三郎の高熊山7日間では、トランスに出たり入ったりしながら、数多くの高級神霊が登場してくる。

 

天台の十万枚大護摩供達成者の筒井叡観師は、四無行の中で、『「5日目に人生観が変わったその瞬間があった。」「これまで生きてきて、うれしくて涙を流し、悲しくて涙を流す。でもそれは、まだ自分が何かをやっているという考えの段階です。それを超えて、自分はやらされているんだと気づいた時、口から出る言葉は、ただありがたいです。」』行とは何か/藤田庄一/新潮選書から引用)と述べたが、これは、OSHOバグワンの覚醒時の実感と同じ。この時逆転、逆立ち、神人合一が起こった。そして高級神霊の導師として不動明王が登場。

※十万枚大護摩供とは、百日間の穀断ち、塩断ちの前行を経て、まる七日七夜の断食、断水、不眠をしながら、10万枚の護摩を焚くものである。断食七日はよくあることだが、断水は3日で死ぬとも言われるので、これを7晩行うのは死の危険を伴う。何もしないで、単純に7日断水を行うだけでも危険だが、人々の願文の書かれた10万枚の護摩木を焚くという重労働を行うのである。

 

さて四無行は死に接近する行であるが、行者のアシスタント(助法)のあり方はそれでよかったのだろうか。生還させることが目的なのだろうが、どこから生還させるかの方が問題なのではないかと思う。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする