アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

垂直の道のエッセンス

2023-10-09 07:17:46 | ジェイド・タブレット

◎ジェイド・タブレット-04-01

◎思春期の垂直の道-1

 

思春期の頃と言えば、高校受験の勉強と部活にいそしんでいた頃だが、最近は高校入試もバリエーションが増えたり、不登校が増えたりと、バブル以前とは様相が異なっているのだろう。当時、近所には、寺もあり神社もあって、盆や正月、彼岸には参拝したり、祭礼では縁日もあったりして、宗教的な雰囲気は、生まれ育った環境に既にあったが、それは少年以前の頃からの「神を喪失した」感覚とは別のものであった。

そうした宗教行事の中には、お札、魔除け、護符、おみくじ、破魔矢、お祓いなどスピリチュアルなものがつきもの。また重病にかかった近所のおばさんがお百度参りをしているのを見て驚き、木の幹に藁人形を打ち付ける丑三つ参りというのもあるらしいなどと聞いては怖気を振るったこともある。

後にこうしたオカルト系の行事、イベント、作法、風習は、大部分が広義のクンダリーニ・ヨーガ系宗教に由来することを知る。広義のクンダリーニ・ヨーガ系宗教とは、古神道、真言密教、天台密教、チベット密教、道教内丹、クンダリーニ・ヨーガなどである。

 

私の印象では、これらに共通したエッセンスについては、肉体を脱出して、神仏と合一する段階があるのだが、そこの部分だけが共通であるように見える。

ただし肉体を脱出するというのは、あまりにも社会常識からかけ離れているせいか、そこを明確に語っていない者がいるし、例外的に語っている者もいるが、少数意見すぎて相手にされていないというのが現代の大勢だろう。だが、人類滅亡を回避する数少ない手段の一つである。

そして、クンダリーニ・ヨーガ系宗教で神仏と合一した場合、なぜか彼はその言葉で語り得ぬ体験を語りたがるものであり、七つの身体のすべてを俯瞰できるものは、ニルヴァーナという窮極に達した者だけである。神仏と合一しない者も当然にそれを語り得るが、それは想像であって真実ではなかろう。

また広義のクンダリーニ・ヨーガ系冥想技法の共通点としては、霊能力、超能力を用いて、人間、人類の幸福をサポートすることも挙げられる。人は、茶を淹れるのに、水をくんで沸かして茶葉を入れる方法と超能力でもって空中から茶を出すという二つのやり方があるが、広義のクンダリーニ・ヨーガ系冥想では後者の方法をとるということ。そして両方の方法に優劣はない。

 

高校の同級生に桐山靖雄の超能力開発本を持っていた人がいて、どうしてそのようなことに関心を持つのか不思議だったが、彼はそちら方面が好みだったのだ。好みの問題ということはある。

西洋錬金術も広義のクンダリーニ・ヨーガ系行法の一つだが、冥想法だと言っているケースは少なく、黄金を作り出すという製造実験という触れ込みにしている。古代ギリシアのプロティノスも哲学をやっていたと称されているが、実は冥想をやっていたに相違ないと思う。西洋錬金術者も一生をかけて、悟りである賢者の石あるいは黄金を求めることが多い。広義のクンダリーニ・ヨーガ系修行者は覚醒を求めて、神仏との合一にすべてを捧げるのだが、その萌芽が、肉体と精神のアンバランスな思春期に起こるというのはありそうなことである。

 

思春期は、大方親のすねかじりであって、行動範囲も小さいが、クンダリーニ・ヨーガ系冥想を志すきっかけが第二次性徴の思春期にあるということに不思議はない。

何しろクンダリーニ・ヨーガ系冥想では、性の力、クンダリーニ・エネルギー、オージャスを用いると言われ、禁欲が定番なのだから。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする