アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

冥想フリーク盤珪

2023-10-02 06:51:38 | ジェイド・タブレット

◎ジェイド・タブレット-03-02

 

思春期からの水平の道ということで、禅僧盤珪を挙げてみる。禅僧といえども禅メディテーションばかりしているわけではなく、いろいろな学問、宗派を遍歴しているものだが、盤珪も冥想フリークの一人である。

盤珪(1622年-1693年)は播州赤穂の人。2、3歳の頃から死ぬのがいやだった。儒医であった父は11歳の時に死没。翌年から大覚寺に書を習いに行ったが、いつも早退してきた。兄が注意しても言うことをきかないので、兄は川の渡し守に盤珪が来ても川を渡すなと命じたところ、盤珪はやむなく水底をくぐって帰ってきた。兄はさらにこれをなじると、盤珪は毒蜘蛛を食べ自殺しようとした。

また地元の学校で儒学を学んでいたが、四書の「大学」の「大学の道は、明徳を明らかにするにあり」の明徳は何かを師に聞き回ったが、そんな難しいことは禅僧が知っていると聞いたものの、周囲に禅僧はいなかった。15歳の煩悶の中、学校も書道も捨てたので、兄は盤珪を家から放逐した。

 

盤珪は、菩提寺の浄土宗西方寺の一室に籠り白業(善いことが起こることを期待する業)を修した。また念仏三昧もやった。

16歳で真言宗の稲富山円融寺に30日間日参して、観世音に黙祷したというからには、観世音を観想するのを30日間やったのかもしれない。

17歳で赤穂の随鴎寺の禅僧雲甫の下で得度、ここで数年を修行。坐禅をすれば明徳のことがわかると言われたので、20歳でこの寺を出て、以後諸国を冥想修行の旅に出た。

京都の五条の橋の下で乞食を4年。京都の松尾大社の拝殿で7日間断食。大阪の天満のあたりで乞食をして菰をかぶって寝た。

大分ではライ病の乞食と起居を共にした。奈良県の吉野山で山に籠った。ただこの頃は、山の尖った岩の上で坐って、自然と落ちて命を失うことも顧みなかった。また山や河原で坐禅を組むのだが、誰も食物を持ってくるわけではないので、7日間も食べないのはざらだったとあるので、京都の松尾大社での断食は特別なことではなかったのだろう。だが、結局大悟できなかった。

 

24歳で赤穂に戻り、一丈(約3m)四方の出口のない草庵を作り、食べ物を入れる穴と、用便をする穴があるだけのその部屋で、からだを横にしないようにして坐禅したり念仏三昧していたらお尻の皮が破けて痛んで困ったが、それでも一日一晩といえども横臥することなく坐り続けていた。

こうして26歳になり血痰を吐くようになったが、「一切事は不生で調う」の悟りを得た。

この悟りをチェックしてもらうため30歳になるまで諸方の禅僧を捜していたが、滅亡直前の明からやってきた禅僧道者超元に長崎で出会い、「まだ自分のことにこだわっているが、取り組みの姿勢は良い」とまだまだであることを指摘されて発奮。盤珪は、更に修行を工夫して翌年大悟した。

 

思春期の頃からこれだけ諸方歴参し、飢えも厭わずストレートに坐っていれば悟りは近いだろう。思春期にしてスマホでゲームしていては、発心があるとしても修行に邁進するモチベーションは、維持することはできまい。

思春期の水平の道は、一生懸命受験勉強や一芸・スポーツに邁進することでもあるが、禅冥想を行うのが本筋ではある。ただし効果を求める修行や効果を求める瞑想は邪道であるという考え方がその根底にあることを忘れてはいけない。

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