アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

慧可断臂異説

2023-03-16 06:27:08 | 只管打坐neo

◎ゲゲゲの女房など

(2010-04-03)

 

上野の国立博物館のグッズ売り場は、スミソニアンやニューヨークのメトロポリタン・ミュージアムみたいに明るく開放的な売り場に変わってしばらくたつ。そこでは色紙の雪舟の慧可断臂図を手にとって買おうか、買うまいか迷うことが何度かあった。

 

慧可断臂図の事情を知らない人にとっては、縁起でもない図柄であるからである。

 

達磨の高弟であった慧可は、その不安な心を差し出せと命じられて、自ら片臂を切って達磨に呈したところ、達磨の髄を得たと高く評価された。これがその経緯の定説である。

 

これには異説もある。

『『続高僧伝』の慧可伝の附記によると、慧可はかつて賊に臂を切られたが、観心の法によってよく苦痛を御し、自ら瘡口を火で焼き、止血して帛布でつつみ、平日と同じように村里に乞食していたと言い、

 

後に彼と同じように賊に臂を切られた曇林が、苦痛のあまり一晩中絶叫するのを看護し、曇林のために乞食して養生せしめたとき、曇林は初めて慧可の片臂なのに気付き、深く驚いて相許した言っており、これが後に無臂林と呼ばれるようになる事由である。』

(講座禅第三巻(中の中国禅宗史P15-16)/柳田聖山/筑摩書房から引用)

 

この異説の方が本当らしいと思う。定説の方は、修行のやりすぎでノイローゼみたいになって臂を切ったみたいな印象であって、またいかにも臂の貢ぎ物の代価として印可したみたいな具合でどうかと思うところがある。

 

慧可は、禅・只管打坐型冥想の修行者であるが、「観心の法」というクンダリーニ・ヨーガの技も使えた。これからの核戦争の後は、放射能による肉体の障害を「観心の法によってよく苦痛をコントロール」して、生き延びる場面もあるのだろう。

 

ゲゲゲの女房の夫君水木しげるは、ニューギニアで敵機の爆撃により左腕を負傷。左腕を麻酔なし手術で切り落とした。彼は、慧可と同様に片臂なのをさほどコンプレックスには感じていない。

 

このあたり、「自分のことがどうなろうとそんなことは知ったことではない」という悟った人に共通した恬淡さがある。金だ、体面だ、ファッションだ、そんなのは「本当に生きる」ということと何の関係もない。本当の幸福とは、金に余裕のある生活や外面の良い暮らしなど個人の願望を実現することだと思い込んでいる人にこんなことを言っても理解されないだろう。

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空虚の本質-2

2023-03-16 06:18:35 | 人と神の「実際のところ」

◎その心を捜しているがみつからない

 

さらにOSHOバグワンは、空虚について説明するが、そのおおよそは以下。

 

  1. 瞑想の中で、時に一種の空虚が感じられることがあるが、それは、本物の空虚ではない。それは、数秒の間の思考の停止である。だがそれも新たな思考である。よってそれが起こっても、何もせず、ただ待つ。
  2. 最初のうち、それはどうしても発生するが、何もせずただ待つ。
  3. このことについて、OSHOバグワンは、禅語録無門関第41則の次の話を例として挙げる。

      (参照:ヴィギャンバイラブタントラ(7光と闇の瞑想)/OSHO P292-295)

 

洞窟の中で、達磨は、面壁で坐禅していた。しんしんと雪の降る中、後に最初の弟子になる慧可が切断した臂を持ってやってきた。

慧可「私の心は安心していません。師匠、私の心を安心させてください。」

達磨「お前の心をここに持って来なさい。そうしたら安心させてやろう。」

慧可「その心を捜しているが全然みつかりません。」

達磨「お前は既に安心した。」

 

 

さて、雪の降る中自分の臂を切ってマスターに見せに来るというのは、いかにも凄惨な狂気の図ではある。だが、生死を越えるとか逆立ちしてブリザードを耳で見るとかという次元であれば、そういう話は出てくるものだ。

またグロな話が嫌いな人向けには、そもそも慧可は他の弟子と修行中に強盗に臂を斬られてしまっていたという話もある(無臂林)。

 

さて「私の心」が、OSHOバグワンの言うところの本物ではない「一種の空虚」にあたる。達磨は、慧可に対して「一種の空虚」をも棄てなさいと示して、慧可は、本物の空虚を得たのだ。

 

その機微がわかる雪舟とそれを国宝として伝承してきた日本の禅者の系譜に対してはただリスペクトあるのみである。そしてそれを例として引いて来るOSHOバグワンも禅マスターである。

【雪舟 慧可断臂図】:達磨も慧可も眼球が上を向いている。

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