アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

徳山の棒

2023-02-02 06:12:33 | 丹田禅(冥想法8)neo

◎棒のたたき加減

(2009-05-22)

 

徳山も会昌の破仏に遭遇して一時身をひそめていた。徳山は、もともと金剛経のスペシャリストとして自任していた。

 

ところが、餅売りの婆さんに問答をしかけられ、一言も返すことができなかったので、虎の子としていた金剛経の注釈書を焼き払うことになる。

 

徳山は弟子達に棒を振うことを得意技としていた。

 

ある日、欽山は徳山に禅問答をしかけた。

欽山「天皇和尚もこのように言い、龍潭和尚もこのように言っていますが、あなたはどのようにいいますか」

 

徳山「まず天皇和尚と龍潭和尚の言ったものを挙げてみなさい。」

 

欽山が更に話そうとすると、 徳山は、思い切り棒で欽山をなぐりつけた。

 

欽山は、そのまま病院に担ぎ込まれた。

 

後で欽山曰く、「それはそのとおりに相違ないが、打ち方があまりにもひどい」

 

こういう禅問答を変に知っているから、警策で頭や顔や耳を殴ることまでやる手合いが出てきたのだろう。

 

禅ではこういうのも老婆親切と言い習わすが、最近の人なら棒で打たれた途端にやる気をなくすだけだろう。デリカシーのかけらもない。でもそれはそれで、そんな性質もあることは間違いない。だから世間的には受けない。

 

受けないことを自覚した宣伝のやり方がなければ、本来の自己などという回りくどいのに関心を示す人も少ないだろう。

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神学大全を捨てたトマス・アクィナス

2023-02-02 06:09:39 | キリスト者の秘蹟neo

◎過去の自分を捨て去る

(2006-05-04)

 

ここは、イタリアのナポリ。1265年頃から、8年間にわたり、トマス・アクィナスは神学大全の著述を続けてきていた。

 

1273年12月6日の朝、スコラ哲学(中世キリスト教哲学)の大著神学大全の著述にいそしんでいたトマス・アクィナスは、いつものように聖ニコラウス礼拝堂でミサを捧げた。このミサの後、突然、神学大全の口述も記述もやめてしまった。

 

秘書であった兄弟修士のレギナルドゥスが、しつこく著述の続行を勧めても、トマス・アクィナスはただ「私にはもうできない」と繰り返すばかりであった。なおも勧めると最後に

「兄弟よ。私はもうできない。大変なものを見てしまった。それに比べれば、私がこれまで書いたものは、わらくずのように思われる。私は自分の仕事を終えて、ただ自分の終りの日を待つばかりだ。」と答えた。それから彼は放心状態に陥った。

 

数日後、彼は、姉の伯爵夫人に会いに出かけたが、迎えた姉に対して、彼は無言のまま茫然としていた。

 

金剛経を捨てた唐代の禅僧徳山のような例がここにもあった。それを見た後、数日ぼーとしているのは、白隠やバグワン(OSHO)の例を見ても、典型的な出来事だ。それに出会えたトマス・アクィナスは今生の目的はほぼ果たしたのだろう、この3か月後に彼は病没している。

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マイモニデスの神

2023-02-02 05:55:42 | 究極というものの可能性neo

◎神の属性をイメージ

(2012-02-04)

 

マイモニデスは、12世紀スペインのユダヤ教のリーダー。4巻1000章の大部ミシュネー・トーラー(ユダヤ教法典集成)を完成させた碩学。

 

彼の神の見方は、学究肌らしく、他人に伝えるのにふさわしい言葉をさがしているが、次のような冷静な表現にとどまっている。例の体験とは言えない体験があったかどうかはこれだけでは断定できない。

同じ碩学のトマス・アクイナスのような、あるいは禅僧徳山のような、それまでに一生を捧げてきた学問をすべて捨てるシーンが出てくれば間違いないと思うのだが、そのような場面はなかったようだ。

 

『次のような彼の発言は自己告白のように響く。

「そういうわけで、人は形而上学を理解するために何十年も骨折って学問しながら、しかもその結果、神概念が否定されることになるのだ・・・・・」。

 

神認識を達成しえた静かな喜びと感謝の思いとが、讃歌のような次の言葉に表現されている。

「神は称むべきかな、神の本質は余りにも崇高ゆえ、それについて考察するとき、われらの思惟は理解に達せず、われらの知恵は、神の業が必然的に神自身の意思に由来する消息を考察するとき、愚かとなり、われらの過剰な言葉は、すべての舌が神の属性を称えようとすると、思うように話せず、口ごもり、気を失う」』

(マイモニデス伝/A.J.ヘッシェル/教文館P189-190から引用)

 

神が、単に知的なイメージに止まっている可能性がなきにしも非ずと思う。

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ユダヤ教の死者の復活

2023-02-02 05:51:14 | 究極というものの可能性neo

◎幽斎と悟り

(2016-01-12)

 

以下は、12世紀にモーゼス・マイモニデスが著した信仰の13原則。

 

『私は、以下のことを確信しつつ、信仰する。

 

一 創造主は、存在する森羅万象の作り主であり、導き手である。

 

二 創造主は唯一である。その唯一性は、他の物の唯一性とはまったく異なる。彼はわれらの神であり、永遠に存在する。

 

三 創造主には、身体もなく、物質的な特徴もない。彼は、存在する他の何ものとも比較することができない。

 

四 創造主は、万物の初めであり、終わりである。

 

五 創造主のみに祈り、他の何ものにも祈らないのは、正しいことである。

 

六 預言者たちのすべての言葉は真実である。

 

七 モーセの預言は真実である。モーセは彼以前、および彼以後のすべての預言者たちの父(すなわち、最大の者)である。

 

八 われわれが今もっているトーラーは、モーセに授けられたものである。

 

九 トーラーが将米変えられることはない。また、創造主が将来別のトーラーを与えることもない。

 

十 創造主は、人々のいかなる行動も、いかなる思いも知っている。

 

十一 創造主は、彼の戒めを守るものに報奨を与え、それに背くものを罰する。

 

十二 メシアの到来は遅れているが、人はその到来をつねに待ちわびねばならない。

 

十三 死者は復活する。』

(一冊でわかるユダヤ教/ノーマン.ソロモン/岩波書店P219-220から引用)

 

全体として、幽斎志向であり、顕斎(個別的、具体的願望成就)に傾きがちな祈りのバランスをとろうとしている。トーラーの不変を云うのはトーラーの内容が永遠から来たものであることを明かす。

 

メシアの到来はいわゆる悟りのことであると思う。また死者の復活とは、アートマンと一体化して初めて死の世界がわがものとなり、そのことをあらゆる死者が復活すると表現したのではないだろうか。

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ハシディズムの開祖イスラエル・ベン・エレアザール小伝

2023-02-02 03:28:44 | 浅い霊感から神人合一まで

◎昼は掃除夫、夜はカバラ修行

 

先行したルーリア(1534年 - 1572年)のゾーハル解釈を受け、近代的な冥想法を開発、整理したのが、イスラエル・ベン・エレアザール(バアル・シェム・トヴ)。

 

彼のグループ(ハシディズム信者)は、ユダヤ教神秘主義にもとづく禁欲的苦行に反対して、大声を上げ、歌を歌い、踊りを踊り、熱狂的トランスに入って、神と交わるのが特徴であった。彼はサバタイ・ツヴィのような終末待望を戒め、世界の救済に先立って個人の魂が救われなければならないと説いたが、これはとても現代風である。

また彼は、宗教的行為だけでなく、日常のすべての行動における神との交わり(デヴェクート)

を説いたところが画期的である。

 

彼の小伝は以下。地味で貧困な前半生で、後半生は、病気治癒(エクソシスト)と巡回説教であり、著作も残していないが、その足跡は偉大である。

『一六九八年ころ西ウクライナ地方のオクプに生まれたイスラエル・ベン・エレアザールは、幼くして孤児となり、村の親切なユダヤ人の世話を受けた。他の伝統におけるアヴァタールと同様、バアル・シェム・トヴの人生の詳細は脚色されて伝説化された。アリの時と同様、預言者エリヤはこのバアル・シェム・トヴの魂がラビ・シメオン・バル・ヨハイの魂の火花の生まれ変わりであり、将来は必ずや偉人となる運命にあることを、誕生前からその父に予告していた。

 

早くから神童の片鱗を見せたバアル・シェム・トヴであったが、その叡知を隠してほとんど白痴の怠け者を装い、地方のシナゴーグで掃除夫として働きながら密かに夜を徹してカバラーを学んでいた。

 

その後彼は、惜しまれつつ世を去った偉大なるブロディのラビの娘と結婚するが、このときはその秀抜な息子であるゲルション・キトヴェルの大反対を受けた。キトヴェルは始めは妹の結婚を思い止どまらせたいと思っていたが、この若夫婦に結婚の贈り物として馬車を与えるという学者らしい巧妙な方法を用いて、それに二人を乗せて追い払ってしまった。

 

イスラエルとその忠実な妻はカルパチア山脈で孤独な隠遁生活に入り、彼の方は研究と瞑想に没頭、彼女の方は石灰を集めて谷あいの町の住民に売り、それで生計を立てていた。

 

そして月日は流れ、一七三四年のある日、バアル・シェム・トヴは妻とともに山を下り、ついに自分の真の姿を世に示すときが来たと義理の兄に告げた。かつての懐疑家ゲルション・キトヴェルは、今やバアル・シェム・トヴが聖者であることを確信し、彼の最初の弟子となった。

 

聖人兼ヒーラーとしてのバアル・シェム・トヴの名声は瞬く間に広まり、何千という村人が霊的な励ましや治療、慰安、祝福を求めて彼の下に集った。かくして絶大な人気を得た彼は次に弟子たちを訓練し、「ハシディズム的」として知られるようになる、<神>を認識するための神秘的な技法を形作ってゆく。メツェリチェのマギドのような才気煥発たる弟子は、ユダヤの共同体全域にバアル・シェム・トヴの教義を広め、多くの信奉者と――手ごわい敵対者を作り出した。一七六〇年に世を去るまでの間に、バアル・ シェム・トヴは天使たちの手からカバラーを引き下ろし、肉の身を持つ人間にしっかりと手渡したのである。』

(カバラーの世界/パール・エプスタイン/著 青土社P160-161から引用)

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