というと「今週の一曲」でアップしている自演録音を私がせっせとやっていた頃ですが、その年のショパンコンクールでツィメルマンは1位となりました。そのとき、私は2位のディーナ・ヨッフェの方がいいと思いました。悦びを湛えた彼女の笑みそのものの飛翔するような演奏が忘れられません。(この人、「悲愴」も明るい音楽にして壊しちゃうんじゃないだろうかと思いましたが。) 彼女はソ連からイスラエルを経て今は愛知県在住で県立芸術大学の客員教授をしていると聞いていますが、正確な情報を知っている方がいたら是非教えていただきたいものです。おっと、話をツィメルマンに戻すと、彼はへたをするとハラシェヴィッチの二の舞にならなければいいが、と思っていました。
果たして彼はそうはなりませんでした。それほど間をおかずに、ツィメルマンは、ミケランジェリかリヒテルかという境地を我々に聴かせてくれるようになり、現在に至っていることは周知の通りです。
さて、関本昌平の演奏にしたツィメルマンのコメントですが、まず序奏である最初の4小節、特に最初の数個の音符にこだわりました。要は「最初の音符を弾くときのあり方は、小さな音楽を演奏し始めるときと大きな音楽とでは違う。ショパンのピアノソナタ第2番は大きな建造物で、あなたは今からそれを建てようとしている。最初の音はその礎だ。だからこの曲の場合、ステージに出てピアノに座り、時間をおかずに最初の音を鳴らすということは、私ならしない。最初の音は弾いたが最後、終わりまで考え直すわけには行かないので、精神を整え迷いを無くすのはその直前しかないのだ」というわけです。
これは大変納得できるコメントです。思い返すと私も、「あ、始めちゃった。最後まで弾かなきゃ」に近い始め方をしたことが結構あるように思います。私ごとき修行の足りない者には実に有益なコメントでした。
ツィメルマンにそう言われると、関本の演奏全体は非常に立派な建造物だったので、そこに通ずる入り口の門の構えももう少し厳かでもよかったかもと思えます。
次いでしたコメントは第一主題について。ショパンとしてはめずらしく息を短く咳き込むようなぶつ切りの主題なので、ここは休符が大事だと言います。休符の意義を認識するためには、休符の代わりにわざと何かの音を入れて弾く実験が有益と。こんな難曲でこれをその場でやってみせるわけには行かないので、ピンと来なかったものの、後でやってみようという気にはなりました。
第二主題のディナーミクの付け方もとても納得が行きました。第二主題はAs-F-Ges-F-Esという旋律ですが、関本は最初のAs-F-Gesを大変良く歌い、残るF-Esを消え入るように弾きました。これも味がありますが、ツィメルマン氏曰く「この旋律の重要な動線は2番目と3番目の音よりそれを抜かしたAs-(F-Ges)-F-Esなのです。だから最後の二つの音は、もちろんディミヌエンドなんですが、しっかり弾かなければなりません」
関本は主題提示部の繰り返しをしませんでしたが、ツィメルマンは「私は繰り返しなしには生きて行けないから、して欲しかった。そして、するなら全く同じことを繰り返すのではなく」と言いました。これは私も同感です。関本は特に言い訳をしませんでしたが、もしかすると、リサイタルでなくレッスンなのだから時間の都合を言われていたのかもわかりません。
展開部は、関本の演奏は細部漏らさずミクロの構造を明らかにする演奏で「ここはもっとマクロに構造を掴む演奏も考えられますよ」というようなことを言っていました。これはあまりよくはわかりませんでした。ここまで有名な曲だと、こちらも構造が分かっていて聴くので、今のはミクロ過ぎた、と気になることもありません。関本の弾く展開部は私は大変好きな演奏でした。
再現部のコメントはまた納得。周知のようにショパンは再現部で第一主題を省略して第二主題から突入することが多いのですが、この曲もそうです。ここで関本は主題提示部と同じように極めて美しく柔和に演奏しました。これはこれで「ああ、またあの美しい主題ですね」と、味があります。しかしツィメルマンは「提示部を終えかつまた展開部でいろんなことがあった後なので、再現部の主題提示はそれを踏まえたものがよい」と言いました。これも全く納得です。やはり、熱くなっているのですから、一回目の「これが第二主題だよ」という教育的な歌い方よりは、興奮を隠しているかのような白熱感が欲しい感じもあります。ショパンも一回目より長6度も上げていますし、ここはtriumphantな凱旋的再現でもいいのでは?という気もします。
ここまでですら予定時間を遙かに上回って第2楽章以下はすっ飛ばしたツィメルマンでした。そこのところもゆっくり聴きたいと思いました。後半の講演会がまた興味深いものでしたが、それもまた後日。
果たして彼はそうはなりませんでした。それほど間をおかずに、ツィメルマンは、ミケランジェリかリヒテルかという境地を我々に聴かせてくれるようになり、現在に至っていることは周知の通りです。
さて、関本昌平の演奏にしたツィメルマンのコメントですが、まず序奏である最初の4小節、特に最初の数個の音符にこだわりました。要は「最初の音符を弾くときのあり方は、小さな音楽を演奏し始めるときと大きな音楽とでは違う。ショパンのピアノソナタ第2番は大きな建造物で、あなたは今からそれを建てようとしている。最初の音はその礎だ。だからこの曲の場合、ステージに出てピアノに座り、時間をおかずに最初の音を鳴らすということは、私ならしない。最初の音は弾いたが最後、終わりまで考え直すわけには行かないので、精神を整え迷いを無くすのはその直前しかないのだ」というわけです。
これは大変納得できるコメントです。思い返すと私も、「あ、始めちゃった。最後まで弾かなきゃ」に近い始め方をしたことが結構あるように思います。私ごとき修行の足りない者には実に有益なコメントでした。
ツィメルマンにそう言われると、関本の演奏全体は非常に立派な建造物だったので、そこに通ずる入り口の門の構えももう少し厳かでもよかったかもと思えます。
次いでしたコメントは第一主題について。ショパンとしてはめずらしく息を短く咳き込むようなぶつ切りの主題なので、ここは休符が大事だと言います。休符の意義を認識するためには、休符の代わりにわざと何かの音を入れて弾く実験が有益と。こんな難曲でこれをその場でやってみせるわけには行かないので、ピンと来なかったものの、後でやってみようという気にはなりました。
第二主題のディナーミクの付け方もとても納得が行きました。第二主題はAs-F-Ges-F-Esという旋律ですが、関本は最初のAs-F-Gesを大変良く歌い、残るF-Esを消え入るように弾きました。これも味がありますが、ツィメルマン氏曰く「この旋律の重要な動線は2番目と3番目の音よりそれを抜かしたAs-(F-Ges)-F-Esなのです。だから最後の二つの音は、もちろんディミヌエンドなんですが、しっかり弾かなければなりません」
関本は主題提示部の繰り返しをしませんでしたが、ツィメルマンは「私は繰り返しなしには生きて行けないから、して欲しかった。そして、するなら全く同じことを繰り返すのではなく」と言いました。これは私も同感です。関本は特に言い訳をしませんでしたが、もしかすると、リサイタルでなくレッスンなのだから時間の都合を言われていたのかもわかりません。
展開部は、関本の演奏は細部漏らさずミクロの構造を明らかにする演奏で「ここはもっとマクロに構造を掴む演奏も考えられますよ」というようなことを言っていました。これはあまりよくはわかりませんでした。ここまで有名な曲だと、こちらも構造が分かっていて聴くので、今のはミクロ過ぎた、と気になることもありません。関本の弾く展開部は私は大変好きな演奏でした。
再現部のコメントはまた納得。周知のようにショパンは再現部で第一主題を省略して第二主題から突入することが多いのですが、この曲もそうです。ここで関本は主題提示部と同じように極めて美しく柔和に演奏しました。これはこれで「ああ、またあの美しい主題ですね」と、味があります。しかしツィメルマンは「提示部を終えかつまた展開部でいろんなことがあった後なので、再現部の主題提示はそれを踏まえたものがよい」と言いました。これも全く納得です。やはり、熱くなっているのですから、一回目の「これが第二主題だよ」という教育的な歌い方よりは、興奮を隠しているかのような白熱感が欲しい感じもあります。ショパンも一回目より長6度も上げていますし、ここはtriumphantな凱旋的再現でもいいのでは?という気もします。
ここまでですら予定時間を遙かに上回って第2楽章以下はすっ飛ばしたツィメルマンでした。そこのところもゆっくり聴きたいと思いました。後半の講演会がまた興味深いものでしたが、それもまた後日。