詠里庵ぶろぐ

詠里庵

1975年

2006-05-06 11:09:43 | コンサート・CD案内
というと「今週の一曲」でアップしている自演録音を私がせっせとやっていた頃ですが、その年のショパンコンクールでツィメルマンは1位となりました。そのとき、私は2位のディーナ・ヨッフェの方がいいと思いました。悦びを湛えた彼女の笑みそのものの飛翔するような演奏が忘れられません。(この人、「悲愴」も明るい音楽にして壊しちゃうんじゃないだろうかと思いましたが。) 彼女はソ連からイスラエルを経て今は愛知県在住で県立芸術大学の客員教授をしていると聞いていますが、正確な情報を知っている方がいたら是非教えていただきたいものです。おっと、話をツィメルマンに戻すと、彼はへたをするとハラシェヴィッチの二の舞にならなければいいが、と思っていました。

 果たして彼はそうはなりませんでした。それほど間をおかずに、ツィメルマンは、ミケランジェリかリヒテルかという境地を我々に聴かせてくれるようになり、現在に至っていることは周知の通りです。

 さて、関本昌平の演奏にしたツィメルマンのコメントですが、まず序奏である最初の4小節、特に最初の数個の音符にこだわりました。要は「最初の音符を弾くときのあり方は、小さな音楽を演奏し始めるときと大きな音楽とでは違う。ショパンのピアノソナタ第2番は大きな建造物で、あなたは今からそれを建てようとしている。最初の音はその礎だ。だからこの曲の場合、ステージに出てピアノに座り、時間をおかずに最初の音を鳴らすということは、私ならしない。最初の音は弾いたが最後、終わりまで考え直すわけには行かないので、精神を整え迷いを無くすのはその直前しかないのだ」というわけです。
 これは大変納得できるコメントです。思い返すと私も、「あ、始めちゃった。最後まで弾かなきゃ」に近い始め方をしたことが結構あるように思います。私ごとき修行の足りない者には実に有益なコメントでした。
 ツィメルマンにそう言われると、関本の演奏全体は非常に立派な建造物だったので、そこに通ずる入り口の門の構えももう少し厳かでもよかったかもと思えます。

 次いでしたコメントは第一主題について。ショパンとしてはめずらしく息を短く咳き込むようなぶつ切りの主題なので、ここは休符が大事だと言います。休符の意義を認識するためには、休符の代わりにわざと何かの音を入れて弾く実験が有益と。こんな難曲でこれをその場でやってみせるわけには行かないので、ピンと来なかったものの、後でやってみようという気にはなりました。

 第二主題のディナーミクの付け方もとても納得が行きました。第二主題はAs-F-Ges-F-Esという旋律ですが、関本は最初のAs-F-Gesを大変良く歌い、残るF-Esを消え入るように弾きました。これも味がありますが、ツィメルマン氏曰く「この旋律の重要な動線は2番目と3番目の音よりそれを抜かしたAs-(F-Ges)-F-Esなのです。だから最後の二つの音は、もちろんディミヌエンドなんですが、しっかり弾かなければなりません」

 関本は主題提示部の繰り返しをしませんでしたが、ツィメルマンは「私は繰り返しなしには生きて行けないから、して欲しかった。そして、するなら全く同じことを繰り返すのではなく」と言いました。これは私も同感です。関本は特に言い訳をしませんでしたが、もしかすると、リサイタルでなくレッスンなのだから時間の都合を言われていたのかもわかりません。

 展開部は、関本の演奏は細部漏らさずミクロの構造を明らかにする演奏で「ここはもっとマクロに構造を掴む演奏も考えられますよ」というようなことを言っていました。これはあまりよくはわかりませんでした。ここまで有名な曲だと、こちらも構造が分かっていて聴くので、今のはミクロ過ぎた、と気になることもありません。関本の弾く展開部は私は大変好きな演奏でした。

 再現部のコメントはまた納得。周知のようにショパンは再現部で第一主題を省略して第二主題から突入することが多いのですが、この曲もそうです。ここで関本は主題提示部と同じように極めて美しく柔和に演奏しました。これはこれで「ああ、またあの美しい主題ですね」と、味があります。しかしツィメルマンは「提示部を終えかつまた展開部でいろんなことがあった後なので、再現部の主題提示はそれを踏まえたものがよい」と言いました。これも全く納得です。やはり、熱くなっているのですから、一回目の「これが第二主題だよ」という教育的な歌い方よりは、興奮を隠しているかのような白熱感が欲しい感じもあります。ショパンも一回目より長6度も上げていますし、ここはtriumphantな凱旋的再現でもいいのでは?という気もします。

 ここまでですら予定時間を遙かに上回って第2楽章以下はすっ飛ばしたツィメルマンでした。そこのところもゆっくり聴きたいと思いました。後半の講演会がまた興味深いものでしたが、それもまた後日。
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ツィメルマン

2006-05-05 22:52:09 | コンサート・CD案内
公開講座を聴きに行きました。開演15分前に新宿文化センター着きましたが、大ホールの1階は満席で2階しか空いていませんでした。それもほどなく満席。カップルの多い普通のコンサートと違い、ピアノを勉強しているとおぼしき女性が圧倒的多数。この人達は一斉に楽譜を取り出しメモを取ったりしていました。あとは普通通り一般の音楽ファンと思われる老若男女が連れをなしていました。もう一つ特徴的だったのは、連れもなく単独で真剣な顔つきの青年壮年中年男がチラホラいたこと。このがさつな男達はきっと私と同じピアノヲタク達と思われます。

 ステージに現れたツィメルマンは、私服でした。ああ、彼も我々と同じ人間なんだ、という感じがしました。ところでよく見ると、ノーネクタイのジャケットスーツにリュックサックを背負っています。これって誰かさんの通勤スタイルと同じではないか。リュックには何が入っているのかと思いきや、後半のステージでやおら取り出したのはPowerBookと白い電源! そこまで誰かさんと同じか!と感激しました。

 さて、公開レッスンやNHKのピアノレッスン番組などで理想的な展開は何でしょう? まず生徒(モデルピアニスト)が一曲を通してミスもない素晴らしい演奏をします。しかし何かもっと良い演奏があると感じられます。でも具体的にどこがどうしっくり来ないのかわかりません。そこでマエストロ先生のレッスンとなり、今度は途中で遮っていろいろ指導を始めます。それを聴いて、なるほど、そこをそう改善すればいいのか。全体の構成もそうすればいいのか。目から鱗! という展開が理想的です。

 そのためには、もちろんアルゲリッチのようなピアニストをモデルピアニストに持ってくるわけにはいきません。それではレッスンが成り立ちません。NHK番組の生徒さん達は、この目的に合致する生徒さん達をうまく選んでいると思います。

 今回のモデルピアニストが関本昌平と聞いて、どのくらいレッスンとして成り立つのか、私は少し不安がありました。彼のピアノはまだ聴いたことはなかったのですが、ショパンコンクール第4位というのは、場合によっては1位の人より将来性があることは歴史の証明済みだからです。

 その予感は半分は当たったような気がします。初めにショパンのピアノソナタ第2番を通して弾きましたが、それは見事な、素晴らしいものでした。このまま彼の演奏が続いて2時間のリサイタルになったとしても、8,000円払ったことに不満は覚えなかっただろうと思われるほどでした。
 ツィメルマンもしきりに「彼が完璧な演奏をして何もコメントすることがないという、レッスンとして最悪のことになったらどうする、とスタッフと話しましたが、まさにそれが起きたようです」とか「これから言うことはそういう別の解釈もあり得るという話です」などと言っていました。

 そう言いながらもツィメルマンのしたコメントは大変興味深いものでした。それについては、ちょっと長くなりましたのでまた後日続きを書きます。

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今朝、上野の国立科学博物館

2006-05-03 15:52:53 | サイエンス
に家族で出かけてさっき戻って来ました。上野に着くと大日本なんとか会などの宣伝カーの大群がすごい音量でがなりたてています。警察官も大量の動員で彼らを監視。そうか、今日は憲法記念日だった。それにしても上野だけがなぜこんなに騒然としているのだ?その答は、ディストーションのかかった絶叫からなんとか聞き取れた言葉からわかりました。「社民党の集会フンサーイ!・・・」

 それはともかく、国立科学博物館に着くと、朝から家族連れや若いカップルらが行列で、ちょっとびっくり。中に入ると、行列はそのままナスカ展や常設展へ。我々は別の展示がお目当てだったので、行列から外れて地下の方に行きましたが、誰もついてきません。実は、閑散とした小さな展示室に来訪者は我々家族だけかもと予想しないでもなかったのですが、どうしてどうして、そこそこ人が入っていました。何の展示かって?
 それは「湯川秀樹・朝永振一郎生誕百年記念」展です。どんな企画なのか、もしつまらなければ他にも見るものはあるからいいや、などと思って訪れたのですが、さてこれがなかなかのものでした。まず入り口に等身大よりやや大きい二人の立像写真があります。(和服の朝永は芥山龍三郎先生によく似ています。ドラマでなくオリジナルのマンガの方ですが。が、そんなことはどうでもよろしい) 結局これだけ見て食事して帰って来たのですが、帰るころは入場者も非常に多くなっていました。いろんないでたちの老若男女で、中には渋谷か原宿で見るようなチャラチャラした若いカップルもいました。そんなに多様な人達が湯川・朝永展に来るなんて、嬉しいですね。

 さて中身ですが、私は物理が専門ですし湯川・朝永周辺の一般書も少しは読んでいるので展示の中身は知っている話が多いのですが、静かで暗めの会場に明るく展示してある史料や写真や説明、見学者が触ることができる簡単な実験の展示などを見ると、その時代に居るような気になり、現代物理の黎明期の息吹に包まれて総毛立つ感じがします。それも、昔の科学を懐かしむというよりは、いま見てもよくこんな最先端のことを、誰も教える教授がいない中で、この二人は達成したものだなと、感嘆にくれるのを禁じ得ません。
 それと、展示の文章や、20ページほどのパンフレットの文章が素晴らしい。文学的文章という意味ではなく、題材の選択が客観的で、主催に名を連ねている京大、筑波大、阪大の宣伝っぽさがなく、二人が人生のどの時期をそれぞれの大学や旧理研で過ごしたのか、淡々とグラフや文で綴っていたりする。却ってそれがこの4つの機関が果たした「彼らのような存在を可能とした容れ物」としての偉大な貢献を物語っています。パンフレットにごく小さく書かれていた執筆者の名を見て、ああこれなら、と納得しました。佐藤文隆と江沢洋です。

 愛国心をがなりたてる連中には全く閉口する一方、純粋に科学する偉大な二人の軌跡とそれを語る大先輩の見識につくづく誇りを感じた一日でした。
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